交差する思い
どれくらい経ったのか分からないが、聞き覚えのある音色で目が覚めた。
『あれ? ここはどこだ?』
そこには小人がいて返事をした。
『お前さん、おはようかな? かなり眠ってましたね』
『え? どれくらいだ?』
『だからもう朝ですって、ば! 旦那は十二時間以上眠ってたんですよ』
『そっか、疲れていたからな。って、学校に行かなくては!?』
そこで音色が止み、優しい声で、
「おはようございます。もう、大丈夫ですか?」
「あぁ、でも、確か僕は大ボスと戦ったいたはず?!」
「その件は報告しておきましたから大丈夫ですよ。もし良かったら朝食にしませんか? 私もお腹が減ってしまいました」
そう言うと彩佳はランチセットを取り出し、その場で広げて見せる。
思わずお腹を鳴らす令は、そこにおいしそうな品々を見る。
「これは? 彩佳さんが作ったもの? ではないですよね?」
それで一気に自尊心を失った彩佳は、
「どうせ私には料理は無理ですよ。裁縫も出来ませんよ。お掃除だって出来ませんよ。どうせ主婦力はゼロですよ」
「でも、可愛いじゃない」
と、思わず口から出てしまった、令は、自分で言った言葉で真っ赤になった。
彩佳も意表をつく言葉と、嬉しくて仕方がない状況から真っ赤になってしまう。
それを見た小人は嫉妬心なのか、
「ヒューヒュー、熱いねお二人さん!」
と言いつつ小声で、
『でも、別の人と婚約しているんですがね』
と、聞こえてはならない言葉をボソッと言った。
それはやはり聞こえたのだろう。
令は、苦しそうに、
「僕がだらしがないせいでごめん」
彩佳は彩佳で、
「昔から姉は、私のものを欲しがる性格だったのです。私が令君とお知り合いになったと聞いたものだから、私から令君を取り上げてくなったのでしょう」
「でも、僕が断れれば良かったのですが」
「出来ないわよ、ね。姉の算段ですもの、誰にもひっくり返せないわ」
「しかし、僕は……」
と、令はその先の言葉を出せなかった。
そして彩佳も、令のその先の言葉を聞こうとはしなかった。その先の言葉を聞けば、今の悲しい世界が血色の地獄図に変わる事を悟っているのだろう。
その後、二人の朝食が終わってから、
「それでは参りましょうか」
と、彩佳は唐突に言い出した。
「どこにですか?」
「いやですよ。二人とも中学生なんですよ。学校に決まってるじゃないですか」
「しかし、僕と彩佳さんは別々の学校で?!」
「私、今日から転校生なんです」
「え? えぇぇ?」
と、令はなんだか嬉しくなってしまった。
そして何時もの自動車で学校に行き、教室で待っていると、先生が転校生を紹介しだした、が、それは彩佳ではなかった。
『え???? どうして?』
担任が、
「今日から皆のお友達になる、吉永薫さんだ。よろしくしてやってくれ」
薫の美貌に反応してかクラスが騒然とした、その後、担任が付け加える。
「ちなみにだが、吉永さんは令と御婚約中だそうだ。呉呉も変な気は起こさないように」
それで発狂したかのような叫び声が上がった。
休み時間ともなれば令は当然のように薫の席まで呼ばれた。
「言いたいことがあるんでしょ。彩佳なら隣のクラスよ。まさか、私の目の前で妹と浮気をしようって魂胆を間違っても起こさないでしょうね?」
引き攣った顔で、
「当然じゃないですか!」
「怪しいものね。じゃ、どうして登校時に彩佳の車に乗っていたのよ!?」
「えぇぇと、昨日の戦闘の後、その場で気を失ってしまった、助けてくれたのが彩佳さんなんです。それで、そのまま登校したってことで……」
「と言う事は、まさか、あなたって顔を洗ってないの?」
周りで聞き耳を立てていた女子達が悲鳴を上げた。
「早く顔くらい洗ってきなさい!」
走り出した令の後ろから、
「歯も磨いてきなさいよ!」
と言うのも聞こえてきた。
水場で顔を洗い終わると、令の後ろには彩佳が立って待っていた。
「はい、これ!」
と、タオルにトラベルセットを持っていた。
「ありがとう……」
それで歯を磨き終わってから、
「どうしてここが?」
「それくらい分かりますよ。姉に言われたんでしょ。そして、姉は、私がここに来ていることも承知のはず」
それを聞いて心底この姉妹が恐ろしいのだと実感した。
教室に戻ってみれば、確かに薫は見てもいない一部始終を、手の平での出来事の如くに知っていた。
『どこかで覗いていたんじゃないのか?』
と、疑ったものの、薫は彼女の席から動いてはいないらしい。クラスの女子が取り巻き一人になる時間など持てそうもなかった。
令は冷静になって考える事にした。それは、
『どうも吉永姉妹には不審な点が多すぎる。第一、彩佳は、令が意識を失った場所をどうして知り得たのか。あそこは確かに亜空間!』
と、ここで思いついた。
『亜空間?! そこは彩佳のバイオリンで誘い込まれた場所だ! もしかして亜空間ってのは彩佳が作り出しているのでは?』
そして結論的に、
『亜空間で生み出された化け物が、亜空間を抜けだし人間界、つまりこの現実世界に入り込んできているのではないのか!?』
しかし、その仮説をすぐに完全否定する。
『そんな馬鹿な。彩佳さんにそんな能力があるはずない! 彩佳さんに限って!』
と、思ったものの令はあっさりと裏切られてしまった。
「え? 能力? 私にもあるわよ」
こう言い切ったのは薫だ。
その時、令は痴呆のような顔をしていたらしい。それで、
「なに? その顔! 魂の抜け殻みたい!」
「えぇ? だって彩佳さんは?」
「あの子にもあるわよ。何時も弾いているバイオリンがあの子のアイテム!」
その場に倒れてしまいたい気持ちになったのはこの時が初めてだった。
「そんな馬鹿な!」
「令!? あなた、あの子のことを幻想で見ていない? 現物のあの子のことを見ようとしていないでしょ! もう知り合って大分時間が経過しているんだから、分からないはずはないのに、それでも知らないって言い張るのはおかしいわよ! そのくせ、私のことは最初から胡散臭いと思っていたんでしょ?」
令は反応に苦慮したが、彼が答える前に、
「良いのよ、答えなくて。どうせ、私が悪者で、あの子がお姫様なんでしょ。悪者の私は、さしずめ魔女って設定なんでしょうね。悪者魔女の私が、良い子ぶっているお姫様やってるあの子に毒入りリンゴでも食べさせたって思っているんでしょ」
「いや、そこまでは思っていません」
と、答えてから令は自分の口に手を当てた。
「ほら、そこまでってどこまでは思っているのよ? 私が魔女で、あの子がお姫様ってところ辺りかしら?」
令は下を向いて答えられなかった。
「でも、それは幻想だからね。早く目を覚ましなさいよ!」
そう言って薫は余所を向いてしまった。
令の脳裏では疑惑が疑念に変化していった、『が、しかし……』と抵抗する気持ちは捨てきれずにいた。
『あの子が、彩佳さんが、そんな分けがない!??』
と、少し疑問符が多くなっていた。
そんな令が、帰りに彩佳と一緒になった時のこと、(この時は、どうやら薫がわざとそう仕向けたらしいのだ)車の中での反応が何時もと違っていたらしく、彼女から、
「姉から何か言われたんですね?」
令は取り繕うことも出来ずに、
「変な事じゃないんです。ただ……」
「だた?」
「薫さん達姉妹は能力者だって聞きました」
「そう、私はバイオリン弾きだって聞きました?」
「はい、そう言ってました」
「他には?」
令は、この時の彩佳が何時もと違ってみえた。
「他には……、別にこれと言ってはないですが?」
「嘘! 正直に話してください」
令は困惑した。確かにそれ以外は思い当たらない。それで、
「本当にそれ以上は分からないのですが?」
「分かりました。私から話します。どのみち令君には遅いか早いかの違いでしかないのですから。私が、あなたを能力者にしたのです」
その時の彩佳の言い方は、『明日は雨らしいわよ』程度のものだった。それで、令も事の重要性が理解できずにいた。
「はぁ! そうですか。僕は能力者になって良かったのかな。少なくとも化け物達に殺されなくて済んでいるしね。だから、彩佳さん、ありがとうございます」
そう言われたが彩佳は涙を流していた。
「私が令君をこの世界に引き入れてしまったんです。私が引き入れなければ、令君は元のままの生活を送れていたんです」
「いやいや、それはないって、だって現実に化け物が人を襲ってくるのだし、僕たちはその化け物を退治するのが仕事になっているんだし、ね」
彩佳は覗き込む程令の顔色を伺いながら、
「本当にそう思われているんですか? 能力者になった事を後悔してはいないのですか」
「後悔などしていない。いや、むしろ感謝したい。こんな弱虫の僕にでも出来ることがあるって分かっただけでも感謝だよ」
その瞬間に彩佳は令の体に抱きついた。
そして大泣きを始めたのだ。
その後、彩佳の泣きはらした目を見て、父上殿が、令を殺しかねないほど怒りだしたが、薫の手腕で事なきを得た。多分、彩佳が泣いた理由を推察してのことだろう。
令からの視点では、薫という女性はそんな感じに映っていた。
だから、わざわざ令が薫に礼を言うと、
「彩佳がなんだって? 私は知らないわよ」
「じゃ、どうして僕を助けたんです?」
「まさか、私が損得だけで動いていると考えてるってんじゃないでしょうね?」
令は何のことか分からず、首を捻っていると、
「私が助けたのは、あんたがフィアンセだらよ。少しは自覚を持ったらどうなの?」
本部に帰って自室に戻った令だが、
『実際、自分がフィアンセだなんて思っていないんだが』
と、自虐的に言っては見たものの、出口がみえないこの状況では、
『このまま飼い慣らされていくのかな?』
そう言った一抹以上の不安を感じていた。
そこにこの前の詫びらしく、日下部がドアをノックした。
着ている服はネグリジェではないもののかなりきわどいスリットが入っている。
「おい、令君よ! あの時はご苦労だったな」
「あぁ、いや、そうですね」
「なんだよ。楽だったのか? だったらこのバーゲンダックのアイス、やるのを止めようかな。これ、めっちゃうまいんだぜ」
令は素早く受け取り、
「これは頂いときます」
「で、さ、もう魔力も回復しただろう、し、今日はこれでお仕舞いなんだから」
「だから?」
「私の武器をパワーアップしといてよ」
令は、前回のことでまだ懲りていないのかと思ったら、顔に出てたらしく、
「なんだよ? 私が化け物に食われちゃっても良いって言うのか?」
「そうはいってませんが、じゃ、今回だけですよ。後は、ご自分でやってください」
「そう来なくっちゃ! ほらこれとこれ!」
日下部は複数の武器を手渡した。
「こんなにですか? 明日にまで響きそうだ」
そんな話が終わった後で、調子を変えた日下部が、
「それはそうと、令君って本当はどっちが好きなんだ? 吉永のご令嬢の話だ」
令は返事に窮し、答えられずにいると、日下部の方から、
「だったら両方止めちゃって、さ。私と組まないか?」
「組むって? チームは一緒ですが?」
「そうじゃないって、ここの組織って政府の直轄だろ。しかし、民間にだって民間を守るためのセキュリティシステムがあるんだよ。私と令君で、そこに行かないかって話だ」
「民間ですか?」
「そうさ。そうすれば令君は政府に縛られることもがなくなって、好き勝手が出来るってもんよ。どうだ? 意にそぐわない女と結婚するほどの不幸せはないぞ。それも、本気で隙になった女がいた場合は尚更だ!」
確かに令の心が揺れ動いた。
この組織を抜けさえすれば、彩佳とも自由になれる、が、しかし、大問題の接触事件の犯人にされたままではどうにもならない。
それで令は、
「まだ、その時期じゃない気がします」
と、淡々と答えれば、
日下部は自分の正体を曝すように、
「私だって女なんだよ? どう? 魅力を感じない?」
変に艶めかしい姿だった日下部が、胸元のボタンを外し近寄ってくる。
「いえ、結構です」
「そう遠慮するなって、ほら、柔らかいぞ」
と、日下部は揺すって見せる。
「もう、本当に怒りますよ」
こうしてその場はやり過ごしたのだが、令の脳裏に民間団体というカテゴリーが産まれ、彼もそこに期待しる面が出てきた。
そんなある日の午後、この時は放課後まで残っていた令だが、問題が発生していた。
薫とクラスの女子とが衝突したのだ。
クラスの女子の代表の榊原春代が、
「ちょっと良いかしら、吉永さんって……」
と、榊原が話している、その最中、
「いいえ、良くはないわ。三十年後にしてくださる? あなたが生きていたらの話だけど」
こうも人を小馬鹿にするところが薫らしいと言えば薫らしい。
「帰りたかったら、掃除をして行きなさいよ! これも社会人になるための一般教養なのよ。特にあんたには必要みたいだしね」
その応酬に女子達が盛り上がった。
「令君、私の代わりにこの人達の言うことを聞いてあげなさい。それも憐れみ深く」
令は自分が巻き添えされたことに驚き榊原に向かって、
「その辺で勘弁してくれないか? 皆もつんけんしないで仲良くやろうよ」
「私としてはそうして上げても良いのだけれど、榊原さんはそうではないみたいよ」
「令君は少し黙っていて、これは……」
榊原の言いかけをぶった切って、薫はせせら笑うように、
「好きな男を取られてくらいで、ギャーギャー喚かないでよ。第一、最初にこなをかけたのは私の妹なんだからね。その辺を弁えなさいよ」
「妹って? 令君、どう言うこと? いやいや、その前に、妹さんって、隣のクラスの転校生よね。それなら尚のことあなたとは関係ないじゃない」
「私はその妹から受け継いだのよ。だから今の権利は私にあるの。そうよね、令君?」
情けない話だが令は認めるしか仕方なかった。それで、小さく頷く。
「権利って、令君の気持ちはどうなるのよ? 皆もそう思うわよね?」
待ってましたと言わんばかりに吉野が大賛成し、
「それにあなたたちって令君と知り合って、まだ間がないんでしょ。それなのにどうして令君のことを理解できるのよ? 令君のことを知りもしないでベタベタしてこないで!」
「吉野ちゃん、よく言ったわ! 令君のことは私たちの方がよく知っているんだからね」
しかしながら、そんなことでへこむ薫ではない。
「惹かれ合う二人には時間なんて関係ないでしょ。そうよね?」
と、令を振り返って視線を送る。
その視線には当然の如くに威圧が込められていた。
「吉永さんの言うことは恋愛小説の定番ですよね。また、女子もそんなのに憧れるんだと思う。そう言ったことだから、この辺でお開きにしないか。掃除は僕もやるし、吉野さんも榊原さんも手伝ってくれるよね?」
こう言って令は吉野にサインを送った。
その意味を長年の付き合いのある吉野は読み取り、
「勿論よ。久しぶりに放課後も一緒なんだし、三人で楽しみながら掃除しましょう」
纏まりかけたその時、クラス担任が慌てたように飛び込んできた。
「吉永さん、大丈夫ですか?」
間が抜けた担任に馬鹿馬鹿しくなったのか、薫の周囲を取り囲んでいたクラスの女子はバラバラに散っていった。
その中に薫の姿を確認した担任は、
「お嬢様、ご無事でしたか!?」
と、幾分声のトーンに安堵の響きがあった。
「迎えは来ていますか?」
「はい、玄関でお待ちしております」
「では行きましょう」
そう言って教室を出る際、一度だけ振り返って令に目をやった薫だが、そのまま何も言わずに出て行った。
教室には三人だけが残り、机椅子を動かしていく。
「本当に令君、後々のことを考えた方が良いよ」
と言った榊原に同意した吉野も、
「どうせ何かの弱みを握られているんでしょうけど、何時までも向こうの言いなりになっていたら、令君の人生が台無しになっちゃうよ。だから、ね?」
そこまで言った吉野田が、その先を言わない。
「そうよ。それで二人で話し合ったんだけど……」
女子二人が生唾を呑み込み、令に掴み掛かり、
「既成事実を作りましょ。ううん、私たちなら二人でも大丈夫だから!」
吉野と榊原がハモって迫ってきた。
「あ、いや、その」
と、しどろもどろになっていると、ドアが開き、
「あの、その辺で令君を開放してあげてくれませんか?」
それは吉野にとっても榊原にとっても、『また来たのか!?』と、錯覚してもおかしくない状況だった。
まだ、彼女たちには噂で聞いただけで双子の見分け方なんて心得ていないのだから。
「また来たの? 懲りない人ね」
と、榊原が言えば、吉野は追い打ちをかけ、
「女も引き際が肝心なんだよ、でないと、無様な姿を晒すことになっちゃうよ」
彩佳が何か言う前に、二人の誤解を解こうと、
「いや、彼女は妹の彩佳さんです。かなり性格の面で姉の薫さんとは違います、よね」
彩佳は教室に入り、
「姉がご迷惑をおかけしてます。でも、令君は悪くありません。悪いのは全部私なんです。だから、令君を責めないでください」
完全に意味が分からない吉野が、
「はぁ??? あんたが裏ボスかいな?」
それにうけた榊原が、
「表ボスが姉で、裏ボスが妹って、どんな姉妹なんだよ!?」
こんな屈辱は初めてなんだろう。彩佳が真っ赤になって下を向いている。
「いやーーーー」
令にとってもこんな彩佳を見るのは初めてだった。
『いつも背筋を伸ばして落ち着き払い、どちらかと言えば声は小さめで、こんな悲鳴なんか上げたことがない……』
と、ここまで回想してたのだが、『悲鳴』というところで目が覚めた。
「え?? 彩佳さん? 大丈夫? じゃないよね? 保健室とかに行く?」
そう言った時には、彩佳は蹲り頭を振ってっている。
「私、そんなつもりじゃなかったの」
と、どこかで聞いた台詞を繰り返す彩佳。
令が反応する前に噛みつく吉野が、
「つもりじゃなかったって、じゃ、どうしてあんたの姉が、令君を独占しているのよ?」
榊原は無言で見守っている。
「令君が姉の罠にはまってしまったの」
「それが分かっていて、どうして令君を助けなかったのよ?」
「助けられなかった……、あぁなってしまえば、令君には言い訳すらできないし」
「あぁなってしまえばって、令君、あなた一体何をしたの? いや、されたの?」
令は、そればかりはご容赦をといった感じで固まっている。
それで業を煮やした榊原が、
「吉永彩佳さん、構わないから話して頂戴。でないと先に進めない」
「分かったわ。でも、令君を責めないで欲しいの」
「だから、それは答えを聞いた後で決めるって!」
仕方ないと言った感じで彩佳が、
「あの時、疲れ切っていた令君は姉に待ち伏せされて、多分だけど、姉の胸を触らせラレ単打と思う、の」
「思うって、実際にその現場を見たわけじゃないの?」
「見てはいないけど、姉の勝ち誇った顔からそう思ったの。だって、あの姉が、自分の嫌がることを人に、特に男の人にさせる分けがない。これだけは断言できるから。だから、嫌がる姉の胸を令君が触れるなんてあり得ない。となれば、姉も令君もお互いに同意しての接触か、姉の一方的な接触か、しかないのよ」
そうなればと吉野が大爆発し、
「そんなの令君が無理矢理触らせられたに決まってるじゃないの。ね、令君、こうやって、こんな風に手を取って……」
と、何を思ったのか吉野は令の手を取って自分の胸に押し当て、空いた片方の手で揉み出した。
「こんな感じだったのかしら!」
「わぁ! 馬鹿止めろ!」
と、令は慌てて手を引っ込めた。
「吉野ちゃん、それってやり過ぎだよ! ちょっと、お姉さん、頭にきちゃった!」
と、榊原も大爆発し、
「こうなのよね?」
と、吉野と同じように令の手を取り上げ、同じように自分の胸に押し当てようとした。
が、彩佳が激怒し、
「それじゃ姉と同じです! 令君が可哀想です!」
ビクッとした二人、お互い見合って舌を出した。
「冗談よ。冗談でそんなに怒らないでよ」
「冗談でもやって良いことと悪いことがあります。令君の体は玩具じゃありません」
なんだか立場が逆転した感じになった榊原と吉野は反撃しようと、
「でも、これで一歩彩佳さんより進んだことになったわね。もっとも、あなたのお姉さんと一緒になっただけだけど!?」
令を取り巻くように座り込んでいる榊原に吉野を押しのけ、彩佳が彼の正面に座り込み、おもむろに手を握りしめ自分の乳房に押しつけた。
その反射で令は思わず手に力が入り握り込んでしまった。
「あ!???」
と、つい声が出てしまった令に、
「キャッ!!」
と彩佳も声を発したのだが、伸ばした腕はピクリとも動かさず、そのまま自分の乳房に押し当てたままにし、
「これで私も汚されてしまいました。今夜、お父様に報告します」
「いやいや、待って欲しい。それ言ったら僕は殺されてしまう!?」
「多分ですが、うちには座敷牢があります。令君はそこに収納されると思います。ですから、今だけ、思う存分に娑婆をお楽しみください」
「いやいや、それは勘弁して欲しい」
なんとなく涙がでそうな令は、真剣に懇願しだした。
その様子を見ている彩佳は、
「それなら誓ってください。必ず私を選ぶと!」
その間も令の手の平は彩佳の乳房を、服の上からだが握り締めている。
「いつまでそうやってるつもり?」
榊原も吉野も場外に押しやられた怒りで令と彩佳の間に割って入った。
と、そこに吉永家からの用人が雪崩れ込んできた。
「お嬢様、ご無事ですか?」
その後、案の定というかやっぱりというか、薫が手配したらしい。
で、令は再び、吉永の父親の前に正座させられている。
「君はうちの座敷牢については聞いているか?」
令は盛んに首を振る。
「そうか、知っているんだな。だがな、自慢するつもりはないんだが、なかなか快適なんだぞ。庭もあるし書斎もある。ただな、外界とは一切遮断という曰く付きなだけだ」
れいはオシッコをちびりそうになりながらも首を振るう。
「そんなに嬉しいのか、で、どっちを選択するんだ? 薫か彩佳か?」
令は真っ青になり過去を走馬燈のように思い出していた。
こうした時間が過ぎていくと、漸く薫が助け船をだしてきた。
「お父様、その辺で切り上げてくださいな」
その一言で救われた気になった令は、薫の表情より、彩佳の方が気になって見たのだが、見た瞬間に凍り付いてしまった。
『笑っている?』
令の思いに、
『あの眩しいほど輝きに満ち、清らかな音色で人を酔わせ、美しい微笑みで讃えられていた彩佳さんが、どうして笑っているの?』
この質問に答える者もなく、
『まるで今の彩佳さんは髑髏の上に咲いた月夜草。亡者の放つ醜悪さを養分とした、見せてはいけない人の裏を、時の悪戯という月光に照らされた毒花』
と、思った瞬間に再び彩佳を見やれば、先ほどの月夜草は露と消え、憐憫を表現するような彼女の横顔があった。
『先ほどの月夜草は幻か?』
そう錯覚しそうになったが、薫の表情を読み解けば、それは紛れもなく事実だった。
そう、薫は妹の醜態を恥に感じていたのだ。
それで令は試しに、
「薫さんは僕を助けてくれるんですか?」
薫は思わない言葉に驚きつつ、体裁を整えて、
「馬鹿を言いなさい。座敷牢であなたを飼うのだって費用がかかるのよ。前倒しにかかる費用を前もって稼いでもらわないと割に合わないでしょってことよ!」
「だから、僕を自由にしてくれると?」
「完全な自由じゃないわよ。あなたには私への負い目ってものがあるんだから」
その時、一瞬だけ薫は彩佳を見て、こう続けた。
「裏表なんて誰にだってあるんだから、ね!」
こんな日があってから令の姉妹を見る目が百八十度変わってしまった。
彩佳には裏があるんじゃないかと警戒し、薫にはどことなく親近感が湧いてきていた。
それに敏感な薫が察知し、こう切り出した。
体育を休んでいた時のことだ。
「今の令君を見ていると風見鶏って気がしてくるわ。あなたは一体何を見ていたの?」
そう言って薫は長めの髪を掻き上げた。
そう言われ自分でも情けなくなったが、
「僕には女性の心理なんて難しすぎますよ。分からなくてもしょうがないでしょ」
「ほう、あっさりと認めたものね」
「で、薫さん、彩佳さんの秘密を教えてもらえませんか?」
「そう言われて、はい、そうですかって話すと思う?」
「思います。薫さんはそう言う女性です」
令から真剣に言われたせいか、顔を真っ赤にし、
「良いわ。教えてあげる。あの子、バイオリンを弾くでしょ。あのバイオリンに違和感を感じたことがない?」
令には思い当たる節がありすぎるほどあった。
「違和感だらけです、ね! あれは一体何なんですか?」
「あれこそが元凶! 元々父が誰かから頂いたものらしいんだけど、それがかなり有名な楽器らしくて、国宝にしてもおかしくないって話だったわ。それで父がバイオリンを習っていた彩佳に託しちゃったのよ。そうしたら、彩佳がどんどん上手になっていって、瞬く間にコンクールで優勝する程のもなったわ。でもね、そこからなのよ。あの子に異変が生じたのは」
そこまで話した薫は一息つき、令に確認する感じで、
「小人って見たことない?」
それには令も即答で、
「よくあります。たまに助けてもらったり、と」
「今じゃ、亜空間なんて当たり前に存在するようになったしね。小人もそこら中に這い回るようになったと言うわけか」
「というと、この異変はそのバイオリンの所為なんですか?」
「そうとも言えるけど、多分、彩佳もバイオリンもきっかけに過ぎないと思う。時が遅いか早いかの違いみたいな、ね。それより問題は、あのバイオリンよ。令君もあの音色を聞いたんでしょ。そうしたら能力者になっていたんでしょ」
「そうだよ。確か話したはず」
「あの子が令君と一緒にいたいから、令君を能力者にしたって言うのが本音よね。それって、どう思うの?」
それには令も悩んでいた。なぜなら人の人生を勝手に変えたのは事実だからだ。
「でも、それで僕は助かったようなものだから!?」
「本心じゃないな! ちなみに、私もあの子に勝手に能力者にされた一人だけどね。だから、気持ちが分かるのよ。もっともあの子が最初の被害者なんでしょうけどね」
「あ!!! そうなのか! 確かにそう言えるよな」
「だからといって、人を化け物にして良いわけがないでしょ?」
「化け物か! 確かに、この力を使えば僕は化け物だよな」
「そう落ち込まない。能力者もかなり増えてきているんだから」
「え? 彩佳さんのバイオリン以外でも能力者になったりするんです?」
「そうみたいよ。ただ、誰彼も能力者になれるものでもないし、彩佳のバイオリンだけって分けでもないみたい」
「とすると、どうして化け物どもが人間界に入り込むんでしょうか? そもそも、小人ってなんなんです?」
そこに例の小人が、
『こんちゃーーす! 噂の小人でやんすよ』
「お前は何者なんだ?」
『だから、神の使いですよ』
「嘘こけ!」
と、令は即答で応戦した。
『本当ですってば。嘘言ったら神様に怒られちゃうでしょ』
「いや、すでに怒られるようなことしているだろ? 人からコアラのマーチを強請って食べるとか!」
『それは言わない約束でしょ!』
「した覚えはない。で、この化け物は何故現れたんだ? 正直に話せば言わない」
『仕方ないでやんすね。知って後悔しても知りませんよ』
「良いから話せ! 薫さんもそれで良いですよね?」
薫は首を振り青ざめた顔になり走り去って行った。
その姿を見送った令は、
「なんだあれは?」
と思ったのだが、小人は違って、
『正解ですね。やっぱり、あの人は鋭い! では、話しますよ。実は……』
「まて、話すな!」
小人は大笑いし、
『しかし、聞かなくっても結果は変わらないから、聞いといた方が良いですよ』
まんじりともしない時の後、
「じゃ、話せよ」
と、完全に観念した。
『話は簡単、あの化け物どもは前触れに過ぎないんですよ。そして能力者の出現も前触れの一環ですね。もうじきこの世の終わりが近づいてきます』
「人類の全滅か?」
『いいえ、中には助かる人もいますよ。多くはないですがね』
「それを止める手立てはあるのか?」
『ない、と言った感じですが。あるにはあります。ただ、時間を遅らせるだけですかね』
「どうやるんだ?」
『あなたも知っているでしょ。事の起こりを、それを逆転させれば良いんですよ』
「逆転? バイオリンを無かったことにするとかか?」
『完全な正解ではないですが、似たような感じですね。分岐点でバイオリンが稼働しなかったところまで巻き戻し、バイオリンを隔離すれば発動は止められますね。それとも、これ以上、バイオリンが刻を進ませないようにするとか? ですかね』
「じゃ、どうやって分岐点まで巻き戻すんだ?」
『おや? どうしてバイオリンが刻む時が進み出したのか、ご存知でしょ?』
そう言って小人は姿を消していった。
令には難しすぎた。
『どう言うことだ? このことを薫さんは知っているのか? それとも、察知しているから、聞かずに立ち去ったのか?』
それからの令の取った態度が、彩佳にはよそよそしく、薫には親近感を表していた。
そんなある日、薫からこう言われた。
「あんたね。露骨なんだよ。そして節操がなさ過ぎる。ついこの前までは彩佳さん彩佳さんって感じだったのに、急にあの子の本性に気が付いたらお化けを見るような目になって、あの子、かなり傷ついているよ!」
令はその場凌ぎで、
「そんなつもりでは……」
しかし、薫はそんな甘えは許さない。
「じゃ、違うとでも言うつもり? あなた、前みたいに彩佳と一緒にいられるの?」
「いえ、出来そうにないです」
薫はあきれ顔で、
「あんたね! そう言うところって本当に無責任だよね。出来ません、僕は知りません。じゃ、世の中は通らないのよ。そんなつもりでは、なかったのなら、何とか関係を修復しなさいよ。それが男の役目でしょうが!」
「いえ、ですから生理的に無理なんですよ。こう、鳥肌が立つとかって感じで」
それで真っ赤になった薫を見て、令は驚きを隠せず、
「でも、どうして薫さんが彩佳さんの肩を持つんですか。あれほど邪険にしていたのに」
薫は深いため息をつき顔を背けながら、
「私と彩佳は双子の姉妹なのよ。それは私だって彩佳を蔑ろにして楽しんだこともあるわよ。でもね、それを他人がやって良いなんて思っていないのよ」
少し考えた令は、
「要するに自分はやっても良いけど、他人様は駄目よって事ですね?」
身も蓋もない言い方をされ、気分を害した薫だが、ここは辛抱と我慢し、
「だからなによ? 私に説教でもしようって言うわけ?」
「いえ、そんなつもりではないのですが、分かりやすく纏めただけです」
「それなら自分のことも纏めてみなさいよ!?」
そんなことを言われても、令の気持ちは修復できそうもなかった。
『月夜草!』
これが令の思いの全てを物語っていた。
令の目に映る彩佳は、髑髏の山の上に咲いた月夜草。
あのまばゆく輝いてみえた彩佳が、笑う死に神に映るとは、令自身ですら思いも寄らない変化だった。
『この先、どうなるんだろう?』
小人の話では世界の終末が始めると言うことだった。
それを止めるためにはバイオリン、それとも彩佳とバイオリンなのかも知れないが、それらを何とかしなければならない、らしい。
『この事を薫は分かっているのだろうか? もしかして、薄々感づいているけど、知ろうとしないか、認めたくないか、なのだろう?』
そんな困惑している間にも現実世界に魔族の出現が確認されだした。
ついに終わりの始まりなのかも知れなかった。