第7話 守るべきもの
一週間前 埼玉県大宮駐屯地
『ユーラシア大陸を席巻している新型感染症、WHOは最高クラスの警戒令を発令したものの、感染地帯に派遣した職員とは依然として連絡はつかず、原因の解明には至っておりません。ロシア政府は既に......』
食堂のテレビでは先週から連日にわたり新型感染症について報道しており、今は某国首都にいる取材記者が延々と黒煙を上げる市街地を映し出している。
『信じられません!!軍が市民を撃っています!!あ、違う、市民が軍を襲って......な、あれはまさか感染者でしょうか、なぜこんな......う、うわあああ』
ピー......
中継が途絶えスタジオに代わる。キャスターは言葉を失い、番組の中断を告げる。
「不味いわね」
同僚とともに観ていた私は、事態が急を要することに気付く。
「おい、チャンネル変えろ、緊急放送だ!!」
食堂に現れた上司に言われるがまま、チャンネルを変えると政府からの緊急記者会見にて自衛隊による戦後初となる治安出動が下令されたことが伝えられる。
「皆も知ってると思うが、新型感染症について特徴的なのは感染者が他の非感染者に襲いかかるという厄介な特徴を持っている。奴等を人間として扱うかは未だはっきりしていないが、既に感染した地域は壊滅的な被害を受けており、彼らが獣と変わらぬ生態系に変異していることから、最早人と同じ扱いはできないと市ヶ谷は判断した」
「それはもしや、感染者が現れたら撃てということですか?」
私の率直な質問に対し、上司は言葉を濁しながらも口を開く。
「正当防衛ならな」
「それをどう判断するんですか!?相手は丸腰なんですよ!!」
「残念ながら私の口からそれは言えない。何せ政府も明確な回答を避けてるからな」
「そんな......」
「だけど信じてくれ、防衛省は決して君達を犬死にさせるような判断をさせるつもりはない。既に西部方面隊は九州北部に展開し、佐世保の艦隊も警戒に当たっている。我々東部方面隊は中部方面隊と協力し、関西から首都圏に避難してくる人々の避難誘導を担当する」
日本政府はあんな報道があっても決断を下せずにいる。だけど私達はそんな中であっても国民を守らなければならない。治安出動が下令されたのを受け、東部方面隊は二手に分れる。私の隊は総隊司令部が作成した感染者の進行予想シュミレートを元に、中部方面隊と協力しつつ秩父に防衛線を敷くこととなった。
「ふう、こんなもんかしら」
九州に感染者が上陸し、西部方面隊は音信不通、中部方面隊の封鎖作戦も失敗し、生き残った人々は船で離島に逃げたと噂されている。そんな中、私達は避難民誘導のため秩父にて防衛陣地の敷設に勤しんでいた。
「自衛隊さん、首都は無事なんですか?」
「脱出船があるって本当ですか?」
道行く人が色々と聞いては来るものの、同様に事情を知らされていない私達は一先ず「首都は大丈夫です」と答えるしかなかった。休憩したときに見たつぶやきサイトでは首都は混乱しており、物資の買い占めやそれに伴う暴動が相次いでいると出ていた。
『自衛隊は出ていけ!!』
『軍国主義はいらない!!』
『感染者の治療を優先せよ!!』
あー、また出てきた。私達の背後から横断幕片手に現れたデモ隊、過去の震災でも私達の救助活動を邪魔したこともあった。
「ピー、あなた達に集会は許可されていません、速やかに立ち去りなさい!!」
私達のために待機していた県警がすかさず間に割って入る。
「無許可で抗議行動は許されません!!」
「うるさい!!許可してくれなかったじゃないか!!」
「今は非常事態なんですよ!!」
警察官だって家に家族がいて避難したい筈なのに、私達のために待機してくれて有り難いことだ。私達にはデモ隊を排除する権限どころか、武器を奪われそうにならない限り抵抗することすらできないから。
「有坂3曹どうした?顔色が悪いぞ」
「小隊長!?」
設営テントの裏で煙草を吸っていると、不意に小隊長である神永2尉が声をかけてきたため、私は反射的に姿勢を正してしまう。彼は私の直属の上司であるとともに、少年工科学校出身を卒業後に防大を経て幹部自衛官となったエリートだ。その経歴でありながらも、曲者ぞろいが集められたこの小隊において物分かりがよく、優れた指揮能力を持つことから皆からの信頼は厚い。
「まあ、待て、俺も休憩に来ただけだ」
「はあ......」
神永2尉はそう言いながら、懐から煙草を取りだし火を灯す。珍しいな、幹部は別のところに喫煙所があるのになんでわざわざこんなところに。
「司令部で吸われないのですか?」
「司令部はお偉いさんがバタバタしてて鬱陶しくてな」
神永2尉が愚痴をこぼすとは珍しい。さっきのデモ隊にしろ、司令部にはひっきりなしに色々な人が出入りしてるんだろう。
「しかしまあ、有坂3曹はこの事態についてどう思う?」
「え、な、何故私に?」
「なあに、こないだ治安出動について核心を突いてきたからな」
「まあ、その、勢いというか」
「正直、あの時は助かった。俺達の口から実弾を持って現地に行けと言えば反発される恐れがあったからな。本来、治安出動には武装は規定されてないし」
神永2尉とこうして二人っきりで話すのは初めてだろうか。歳は私とそんなに変わらず、独身だから狙ってる人は多かったけど成功したなんて話は聞いてなかったな。
「そういえば君のご家族は?」
「そ、それが、実家の福岡から疎開すると連絡が入ったきり...... 」
「そうか、それはすまなかった」
母は早くに亡くなり、父は実家の福岡に老いた両親を迎えに行って以降、連絡はない。一昨日の報道では関門大橋の封鎖に失敗し、橋を伝って感染者が雪崩れ込んで来たと言っていたので、もう駄目かもしれない。
「小隊長の家族は?」
「俺の親父は海上自衛官で横須賀にいる。昨日の話では隊員家族を避難させるよう司令部に駆け寄ってると言ってたな」
「まだ離島脱出が認可されないんですね」
「ああ、国会は未だに治療の可能性を論じてるみたいだからな」
「信じられませんね」
「民主主義故に意思の統一に時間がかかるのさ」
煙草の灰を落としながら、神永2尉はさらに口を開く。
「かつてアフリカでエボラ出血熱の感染が拡がった時、現地で治療に当たっていたアメリカ人医療関係者が帰国後に感染していたことが発覚した。それを受け、州政府はすぐさま隔離し、同様の形で支援に当たっていた人々を帰国時に2週間の隔離を義務付け施設を用意しようとしたが、世論は反発した。人種差別だ、ボランティアの精神を侵害するとね」
「素人が何を言うんですか?体質によっては本人すら自覚せぬ潜伏期だってあるのに。寧ろ国や自治体が隔離環境を支援してくれているのに」
エボラの恐ろしさは以前、陸自の学校で生物兵器の教務で少し教わったことがある。高い致死力だけでなく、恐るべきは患者の血液だけでなく唾液や汗、排泄物にも感染力がある病気であり、治療にあたっては医療関係者は一切の肌は見せられず、更には一度使用した防護服は燃やして処分するほどだと教わった。
「自国でましてや大都市で感染が拡がったらどうするんですか?」
「世論はそれ以上にボランティアの崇高さを称えたいのさ」
「だとしても、ボランティアに行くのなら自分の身にかかる災厄も覚悟し、自覚ある行動をしないと」
「事実、感染者の中にはそれを遵守して自ら隔離を受け入れた立派な人がいた反面、自覚もせずに市街地を出回っていた人もいた。幸いにも自覚ある人が先頭に立ったことによって拡大は防がれたけど、この問題は大きな課題として残されたままさ」
神永2尉はそう答えながら、小さくなった煙草の火を消す。
きっと、さっきのデモ隊についても司令部は頭を悩ませているのだろう。彼らもまた国民だから丁寧な説明をしなくてはならないだろうが、私達には時間がない。
「今回の失態はその世論を押さえ、大を生かすために病の患部を切り捨てられなかった政府にある。だけど俺達は生き残った国民を救うために今ある最善の手段を講じる必要がある」
「やはり、感染者はもう......」
「ああ、治療法なんてない、ためらえば殺られる。だから最大限の火力で戦うしかないな」
そう語ったところで背後から機動戦闘車の砲撃音が響く。そうだ、感染し、銃弾を受けても怯まず私達を襲ってくる奴等に躊躇いなんていらない。やらなければやられるんだ。
「感染者にあったら容赦するな。生き残りたければな」
「はい」
「うちの小隊はここから西南に下がった市街地に移動する。あの地域の議員さんが自分の地盤であるこの街に配備しないとここの設営許可を取り消すと脅してきたからな」
「市街地に展開しろと?素人の政治家が作戦に口をはさむんですか!?ここの防衛は!?」
「シビリアンコントロールだ、俺達はただ与えられた課題に取り組むだけだ」
「......了解」
その犠牲となるのは私達だけどな。正直言って素人が口を挟むのならその責任を自覚してほしい。
その後、程なくして私の所属する小隊は秩父の防衛戦から離れた市街地に展開した。急な移動ゆえに満足な装備もない中でありながらも、神永2尉指揮下のもと、私達はなんとか防衛陣地を築く。
二日後には感染者が襲撃を始め、私達は必死で戦った。
しかし、次の日には秩父の防衛戦を突破した感染者によって背後からも襲撃を受け、避難民を逃がしていく中、仲間が次々と餌食になり気が付けば感染者に囲まれる中で私と神永2尉他数名となる。
「車を回せ、最後の避難民を脱出させるんだ!!」
シキツウ(82式指揮通信車)に僅かに生き残った避難民を乗り込ませ、急発進させる。車内に乗りきれない私達は車体の上部にしがみつき、振り落とされないようにしつつ群がる感染者を撃ち続ける。
「弾を!!」
「はい!!」
私の言葉を受け、小さな女の子が代わりの弾倉を手渡す。私達のために、車内では震える大の男を尻目に主婦や子供が懸命に弾込めをしてくれている。やはり女はどこでも強いものだ。
「振り落とせ!!」
ハンドルを急旋回させ、群がる感染者を振り払うも不意に私の左腕に激痛が走る。
「く、しまった......」
迂闊だった。最後まで離れようとしなかった感染者に左腕を噛まれてしまった。
「有坂3曹!?」
「......私はもうダメです、ここで降ります」
神永2尉の言葉を振りきり、私は一時停止したシキツウを降りる。
「私が引き付けます、だから皆は今のうちに」
「しかし......」
「大丈夫です、最後はこれで」
私はそう言いながら一つだけ取っていた手榴弾をかかげる。
「最後だけは好きな人を守らせてくださいよ、小隊長」
「......すまない、君の気持ちに答えられなくて」
神永2尉はそう答えたあと、車を発進させる。
「有坂3曹に対し、敬礼!!」
神永2尉だけでなく、他の仲間や避難民の少女まで別れ際に敬礼する。背後から感染者の呻き声が聞こえるなか、私は一同を見送ったあと、覚悟を決める。
「さあ、来やがれ!!死なばもろともじゃあ!!」
決意を固めた私がそう叫んだのも束の間、先程私に噛みついて仕留めたはずの感染者の口から入れ歯がポロリと落ちる。
「え?」
今のって実はセーフ?私は思わず腕を確認すると歯形は出来ていたものの、血は出ておらず感染者の特徴である変色すらしてない。
私の決意返せよ......
「ちっくしょう!!ありかよこんなこと!!」
大声で叫んだ手前、私の目の前には感染者がせまり、かといって車は既に遠くに行って見当たらない。
「まだ死んでたまるかあ!!」
感染していない手前、まだ死にたくなんてない。
その後、私は良平に拾われるまで感染者ひしめくこの町で、無我夢中で生き延びることになる。
書いてる内容については過去に生起したありのままのことを書いてるだけであり、あくまで歴史の経緯を表現し、政治的意図はありません。