第20話 警察署
小松からの避難民を受け入れてから一ヶ月後、俺達は安浦さんの呼び出しに応じ会議室に集まった。
「食料の備蓄はあと一ヶ月を切りましたが、未だ助けが来る見込みもなく感染者の動向にも変化が見られません。残念ながらここを放棄することを考えなければなりません」
物資管理を担当する安浦さんの言葉のとおり、小松の避難民を受け入れたこともあり、コミュニティは予想より早く限度を迎えようとしている。既に肉類をはじめとしたタンパク質は底をつき、麦や米の備蓄も残り少なく辛うじて生産したジャガイモや備蓄のサプリメントで栄養を賄っているものの、この人数では限界が見えていた。
「暖房用燃料も最早尽きており、次の冬が訪れたら冬死するのが目に見えています」
「とはいえ、脱出するにもこの人数では厳しいな。俺達の乗ってきたトラックの改造は済んでいるが、物資を積むことを考慮するとラブと合わせて精々20人が限度だ」
「せめて大型バスがあれば良いけど」
美鈴の言葉に竹井さんも溜め息を吐きながら口を開く。
「あるとするならば、ここから南にある私の勤めていた警察署に人員輸送車があります。金網も付いてるので丁度良いのですが」
「何故警察署に置いたままで?」
「はい、勤務中に聞いた話ですが車検に備えていたようです。私の記憶が確かならすぐに使えるかもしれません」
「いや、半年以上放置しているならバッテリーは上がってるに違いないわ」
「だとするとこの包囲網も突破しつつ、警察署で整備しないと動かせないな」
「問題は持ってきたとしてどうやって乗り込むかです。人員輸送車は大きいのでここの車庫に入りませんよ」
安浦さんの言うとおり、俺達のいるモール内に大型人員輸送車を入れる余裕はない。しかも、未だにモールの周囲には無数の感染者がたむろしており、その中を突破して警察署に行くための手段も思い付かない。
「やはり何人か残って頂くしか」
「いや、全員で行くべきよ」
「そうだ、ここにいても冬は越せないんだしな」
ここ半年、外部からの無線も途絶えて地域限定の配信動画サイトしか機能せず、陸の孤島となったこの地で避難民を置いていく訳にはいかない。俺は常に総員での脱出を主張してきたが、竹井さんを含む地元の人々はお年寄りや子供は残して脱出組が助けを呼ぶまで待つことを主張している。
「脱出組には自衛隊の皆さんを中心とし、私を含め一部の方はここに残って避難民の方々をお守りする方が良いと考えます」
竹井さんもまた、脱出組と残留組に分けることを主張する。
「待ってくれ、貴方は私達に国民を見捨てろと?」
「いえ、そんなつもりは」
唯一、警察署のことを知る竹井さんの協力がなければ移動手段は確保できない。しかし、彼女の意思は予想以上に固くこちらの説得に応じてくれる気配はない。
「第一、警察署までどうやって行くと?軽く10キロ近くありますし」
「川を使う、ゴムボートを浮かべれば感染者の妨害を受ける心配もないしな」
「その川もここから1キロ近く先です!!」
「ちょっといいかな?」
俺達の口論に割って入る形で、安浦さんの傍にいた片山君が口を挟む。
「ん、どうした片山君?」
「実は俺、先輩に誘われてここに盗みに入る計画があったんだ。先輩がたまたま、雨水の排水路から侵入経路を見つけたらしくて」
片山君はそう言いながら地図上の一点を指差す。
そこは俺が先程示していた川のすぐそばにあった雨水路であった。
「ここから入ってきたんだ」
「それはどこに繋がってる!?」
「こ、このモールの車庫に。どうも設計の都合から建物内に引っ張ってしまったみたい。元々このあたりは冠水が多かったから。ダチに親が建設会社で働いている奴がいて、そこの工事の関係から仕入れたんだ。だけど、実際に先輩と侵入しようとしたら、マンホールの上に集配トラックがあって動けなかったけど」
「なるほど、それなら行けるかもな」
まさか片山君が妙案を持ってくるとは。これならいけるかもしれない。
俺はすぐさま片山君が示したポイントから警察署までのおおよその距離と時間を集計する。
「竹井さん、これなら行けるのでは?」
「しかし、人員輸送車を確保しても皆さんが乗れなければ......」
「整備を済ませたら一度戻ります。脱出日に再度動ける若者を中心に同じ経路を使えば大丈夫です」
「小松の件にしても、政府が離島に無事に政治機能を移動できているかも怪しいしね。救助の手を差しのべてくれる可能性を期待するのは無理かも」
美鈴もまた俺の案に乗り、竹井さんを説得する。
坂本2尉達の話が事実なら脱出を急ぐ必要もあるしな。
「今後を考えるなら私達自身の力で生き残ることを模索するしかないわ」
「あてはあるので?」
「実は以前に政府の避難地リストを見せてもらったことがある。その中にある島で過疎化したものの、十分な農業用地のある島があったんだ。しかし、収容可能人口見積もりが百人未満だから除外されたけどな」
「だけど船が無いのでは」
「船ならここにある」
俺はそう言いながら神奈川県の地図を出し、横浜のある一点を指差す。
「ここに一隻、横須賀警備隊が管理していた特務艇「まつしま」がある。修理明け直後だから動かせる筈だ」
「なぜそのままにしてたので?」
「出港当日に造船所が感染者に襲われ、乗員不在で動かせなくなったのさ」
「動かせますか?」
「大丈夫だ、俺はこいつに乗艦していたからな」
特務艇「まつしま」、「はしだて」の姉妹艦として2年前に就役し、病院船の機能を有していた。それ故に本来こいつは俺達が乗る最後の避難船として割り当てられていたが、予想以上の感染拡大によって造船所に取り残されていた。元々が病院船としても考慮されているから非常用機器も充実しており、単独での起動も容易だった筈だ。
「......分かりました、危険ですがやりましょう」
三日後、薄暗くしっとりとした空気の漂う排水路に、時折天井にある雨水口から響く感染者の唸り声も耳にしつつ、俺達は片山君の記憶と彼の持つ懐中電灯を頼りに前へと進む。逃げ場の無いこの狭い排水路に感染者が来たら生き残る見込みはない。感染者が俺達の行動に気づかないことを祈るばかりだ。
「あ、出口だ......あれ、あんな鎖あったかなあ?」
不安が高まる中、片山君が指差す出口には鎖で封鎖された立入禁止と書かれたフェンスがあった。恐らく片山君達が忍び込んだ後日に市が設置したんだろうな。まあ、お陰でこの通路の安全が確保されていた訳だし、感謝しないとな。
「任せてください」
一緒に付いてきた山中さんがボルトカッターでフェンスの鎖を壊し、俺達は久しぶりに外へ出る。
夜明け前で薄暗かったものの、付近には感染者の姿は見当たらず蛙の鳴き声が響いていた。
「ふう、片山君のお陰で無事に川まで行けたよ。案内はここまでで大丈夫だからすぐに戻ろうか」
「い、いや、このまま一緒に行きます。皆のためにも土地勘のある俺が案内した方が良いし」
「そうか、じゃあこれを」
俺は片山君に護身用にと予備の九ミリ拳銃を渡す。
「使い方は......」
「大丈夫です、昨日、安浦さんに教えてもらいました」
片山君はそう言いながら、使い心地を確認しつつ外に銃口を向ける。
「発砲はあくまで最後の手段だぞ」
「はい、焦らないよう気を付けます」
片山君は一時は暴徒側にいたとはいえ、根は責任感のある優しい子だったんだな。
「安浦さんが待ってるんだから、決して俺から離れるなよ」
「はい」
朝日が昇り始めた頃合いを見はかり、俺は入江と美鈴を率いて山中さんと竹井さん、片山君の協力を得つつ、川にモールから持ってきたゴムボートを浮かべて警察署へと向かう。川岸には幾つかの死体は見えど、事前の打ち合わせの甲斐あって今のところ感染者に出くわすことなく静かに移動できていた。
「静かだな」
「この近辺の感染者は大方モールに行ったんじゃないかしら?」
「だと良いけどな」
「竹井さん、ついでに武器も調達できそうですか?」
「それは担当ではないので分かりませんが、保管庫の場所なら知ってます」
竹井さんはそう答えつつニューナンブM60の機能を確認している。
「本当にその銃で大丈夫なの?」
「私としては9ミリ拳銃よりも使い勝手が良いので。ほら、手が小さいと引き金が引きにくいのですよ」
「変わらないと思うけどな」
「入江君、もう少し岸から離れようか」
「はい」
美鈴と竹井さんがたわいもない会話をする横で入江と山中さんは時折オールを使って岸に付かないようにボートをコントロールしている。
「武器弾薬が持ち出されてなければ良いけどな」
「多分、大丈夫かと。自衛隊と違い、私達に正式な射殺命令は出ていなかったので」
「確か、警察はあくまで暴徒鎮圧扱いで行くと言ってたわね」
混乱の中、防衛省が感染者の危険性から射殺を視野にしたのと違い、大半の警察署は地元市民からの反発を畏れて最後まで射殺を躊躇っていたと記憶している。しかし、それが結果的には感染を広げる一因となってしまった。何せ感染者は痛みを感じず、手錠で拘束されても腕を引きちぎって襲ってたからな。
「あの騒ぎの際、私は公民館に避難していた市民を車で警察署へと誘導していたのですが、署は既に感染者に襲われていまして避難どころでは無かったです」
「よく無事でしたね」
「はい、一緒にいた先輩方が食い止めてくれている内に、私は生き残った市民をバスに乗せてショッピングモールまで避難したんです」
竹井さんはその時の記憶を思い出したのか、涙を滲ませる。
「今思うと、先輩には助けてもらってばかりでした」
「いや、竹井さんだってあの状況の中でこれだけの人を救えたんですよ」
「そうよ、私達ですらできなかったことだしね」
「......ありがとうございます、こないだはすみませんでした」
若い警察官が一人で市民を誘導するのはどんな気持ちだっただろうか。あの悲劇を経験したからこそ市民を再び危険にさらす脱出計画に難色を示したのだろう。
「警察署に感染者が集まってなければ良いがな」
竹井さんの気持ちを考えつつ、俺は煙草に火を付ける。
「モールに集まってるとはいえ、非感染者は減ってきている。タカキンの話だと付近の生き残りが俺達だけのようだし」
「ちょっとゆっくりしすぎたかもね」
「始末しても始末しても何処からか集まってきやがるしな」
「あ、あれです、あの建物ですよ」
見慣れた建物を前にして竹井さんが指差す先には硝子が割れ、付近に放置車輌の目立つ大きな建物があった。
「放置車輌多くない?」
「大丈夫です、以前避難した際にバスで無理矢理道を開けたので」
「予定通り二手に分かれよう。俺と入江、山中さんと片山君は車輌の確保と見張りを、美鈴と竹井さんは中に入って鍵と武器を探索してくれ」
「感染者がいたら?」
「できるだけ銃剣か槍で仕留めてくれ、マスクとゴーグルも忘れるな」
「了解」
川岸にゴムボートを乗り上げさせた後、俺達は感染者に見つからないよう音を極力立てずに警察署へと向かう。無人となって日数が経過した影響からか警察署の周囲には放置車輌は多かったものの、感染者の姿がなく腐乱や白骨化した遺体が転がっていた。
「感染者の多くはやっぱりショッピングモールに集まっているみたいね」
「ああ、ここにはもう獲物は無いからな」
「先輩の姿が見えません......やはり感染者になったのかも」
警官が撃ったであろう拳銃の薬莢を拾い、竹井さんは先輩の姿が無いことに危機感を募らせる。
「最後に見たときは私達のために感染者を引き付けていく姿でした。あの状況下では生存は絶望的だと分かってましたが......」
「竹井さん」
「でも、せめて先輩の最後がどうだったのかは確認したかったです。ここに来たことは後悔してません」
竹井さんはそう言いながらモールの店舗にあった有り合わせの材料で作った槍を握りしめる。その隣では銃剣を装着した89式小銃を持つ美鈴の姿もあった。
「車の鍵を見つけたら一度戻ってくれ、俺達はその間に警察署を封鎖しておく」
「分かった、気を付けてね」
「そっちもな」
二人の身を案じつつ、俺は残りのメンバーと共に警察署の再封鎖を目指すこととした。




