01話:勇気は金で買える、とあの男は言った
勇気は金で買える、とあの男は言った。
例えば——、とあの男は説明する。あいつは、例え話が大好きだ。分かりやすいから、納得してしまって、あたいはいつも説得されてしまう。
勇気は金で買える。
例えば、兵は金のために戦っている。
国のために戦っているわけではない。毎日の厳しい訓練と理不尽な命令をこなすのは、給与を得るためだ。死ぬかもしれない戦場に赴くのは、障害補償や戦死時の見舞い金が十分に期待できるから。
金で保証された勇気こそ、本当の強さであることアメリカ軍を見ればすぐに分かる。勇気を精神論でカバーしようとすれば、それは敗戦国のジリ貧傾向だ。歴史がそれを証明している。
アメリカ軍ってなんだろう? あの男はたまに知らない言葉を口走るんだ。
ーーー
「……このまま上手くいったら、ようやく黒字だな」
優男が前を睨みながら、腕を組んでいた。
「ちょっと、ノムラ! 下がりなさいよ」
「ミズホは黙ってろ、お前がしゃしゃり出るとロクなことにならねぇ」
「なによ! 私だって……」
その時、顔面を爆風が叩く。
前に出していた数名の斥候が、紙切れのように吹き飛ばされて地面に落下した。火だるまになったまま、呻き苦しんでいる。
「重装歩兵、参列横隊で前へ出ろ! 衛生兵は火だるまになった斥候を後方に移送。治癒をいそげ! 死んだら、戦死保証金が余計にかかるだろ!」
左肩を入れてタワーシールドを構えた五十人の隊列が、壁を作ってジリジリと前に出る。
その向かう先には、巨大なドラゴンが炎を口の中にため込んで、熱息を吐きこぼしている。
ぎらり、とドラゴンの双眸が光って、轟くような声で迫り来る人間達に語りかけてきた。
「愚かな人間よ。うじゃうじゃ、と数を集めれば儂に勝てると思うてか!」
ドラゴンは喉をならして、重装歩兵の横隊に向かって炎を吹き付けた。
「横隊。止まれ! 腰を入れろ!」と後方でながめていたノムラが叫んだ。
ガン、と盾が密着して並び、大地に並ぶ。
ドラゴンが吐き出した炎が地面を這い迫ったが、盾がそれを左右に分けた。後方にいるノムラとミズホはそれに構わずに前を見据えたままだ。
向こうには、ぐるる、と唸るドラゴンがいる。
ノムラは顎をなでながら、ドラゴンを品定めした。
ただのドラゴンではない古代種だ。あの牙一本で10万ビットに換金することもできる。手下の加工ギルドに加工すれば、30万ビットでさばく自信はある。
これ以上の被害を出さなければ、黒字決算で純資産を増やせるだろう。
後ろを振り向く。
「リージェ! 火だるまになった斥候は?」
「大丈夫、応急処置は間に合ったわ。今から、根本治癒を!」
ノムラに呼ばれた、白いローブをまとった女が治癒魔法の手を止めて答えた。
「必要ない! 後回しにしろ。お前はキーンの援護だ。治癒士隊は重装歩兵の支援」
「でも……」
「つべこべ言うな。時間の無駄だ」
そして、時間の無駄は、機会損失につながり、ゆくゆくは資産を減らす原因になる。
「もう! ……分かりました。治癒士隊、前へ」
リージェは杖を引き寄せて、立ち上がった。
その背後に同じ白いローブを着た治癒士たちが集まった。
ノムラは、それを横目で確認しながら改めて前を向く。後、一息だ。勝つための状況は整いつつある。
「キーン、前に出ろ」
「あいよ。ようやくかい」
赤髪をゆらして、背の高い女がノムラの前に出た。
彼女は不敵な笑みを浮かべて、肩に担いだ大剣を、ぐるり、と回す。その大剣は奇妙な材質で出来ていた。少なくとも金属ではない。刀身は大きな骨だ。その刃は、何か牙を並べてギザギザに出来ていた。
「ノムラ、どうすればいい?」
「治癒士からの耐熱魔法を受けて準備しておけ。重装歩兵がこのまま距離を詰める」
「そして、あたいらがトドメを刺す、かい?」
「その為に、お前に投資してきた」
「間違いないね」
「ドブに捨てさせるなよ」
「あんたは、いつも金ばかりだね〜。そんなんじゃ、モテないよ」
ノムラは口を歪めた。
「金があればモテるさ」
「そういう女もいる」
「そういう女で十分だ」
「そうかい。まっ、いいさ」
キーンと呼ばれた、その背の高い女は前を悠然とあるいていく。ドラゴンが吐く炎を盾が分けて作る道。それをまるで、家路につくような足取りで、ノムラに手を振りながら。
ドラゴンが何度目かの炎を吐き終えた時、その凶悪な口を歪めた。
「虫けらどもが。貴様らの剣や魔法では、我が鱗に傷をつけることは出来ぬ。殺された子の怒り、ここで晴らしてやろう」
ドラゴンの右腕が天に上がる。
それと、同時に重装歩兵の肩を蹴り上げて、赤髪のキーンが前に飛び出した。
「リージェ、支援しろ!」とノムラが叫ぶ。
「淑やかなる水の女神よ。かの者に抱擁と加護を与えたまえ。耐熱防護」
キーンの体が青い光が包み込む。
詠唱を終えたリージェがキーンの背中に向かって叫んだ。
「キーン、三秒よ。それ以上は古龍のブレスを防げない」
「十分!」
キーンは大地を蹴った。
歪な大剣を水平に寝かせて、体を前傾にして駆け込んでいく。
その時、ドラゴンの右腕が振り下ろされた。
キーンは横っ飛びに体をひねり込みながら、それを軸点にして大剣を横に薙ぐ。
紫色の血液が空を舞う。
その色は龍属の血のものだ。
グァ、とドラゴンは吠えて手首を押さえた。その爪の間から、紫の血がどくどくと流れ出ている。
「馬鹿な、……なぜ、我が鱗が」
驚愕するドラゴンの様子を、ノムラは目を細めて見た。
「ミズホ、奴の気をかき乱せ」
「うるさい! 分かってる」
「奴の目に聖水魔法だ」
「分かってる、そう言った!」
ミズホは懐から青い瓶を取り出すと、それを地面に叩きつけた。飛び散る液体に語りかけるように彼女は詠唱に入る。
「冷静なる水の刃紋、我が名はミズホ。集いて尖れ、研ぎ澄まされて刃となれ。氷刃乱舞」
ミズホの周囲で、まき散らした水が宙に浮き上がる。それは複数の線になって凍り付く。まるで、カミソリのような鋭さ。
ノムラがそれを横目に見ながら、声をかけた。
「外すなよ。その聖水は一個で3000ビットするんだ。お前の月収の2倍だ」
「この守銭奴! もっと、私に払え!」
「査定の根拠は説明した」
「うるさい! ゆけ、私の給料の2倍たち!」
ミズホがドラゴンの顔を指差すと、氷の刃は目にも止まらない速さで飛んでいく。刃の数は30。それが頭部を乱れ打つ。
ドラゴンは両目を押さえて、咆哮を上げた。
いかに高価な聖水魔法とは言え、古代種の龍鱗を傷つけることはできない。しかし、瞳であれば話しは別だ。
「さ〜て、ここがお前のど真ん中」
いつの間にか、キーンが龍の腹の下にたどり着いていた。彼女は、その奇妙な大剣を真っ直ぐ上段に構えた。
「貴様、」とドラゴンが、潰れた瞳でキーンを見下ろす。「その大剣は、……まさか」
「すまないね。こういうの、あんまり趣味じゃないんだけどさ」
「その剣は、私の娘の……」
ドラゴンの目は、骨と牙で出来た大剣に吸い寄せられた。刀身として削り出された白い骨に、小さく並べられた牙の刃。
ドラゴンには見覚えがあった。
それは、自分の娘の骨と牙。
「そう、お前の娘だったのかい。強かったよ」
「貴様ら!」
ドラゴンは自らの腹に向かって、炎を吐きつけた。
チリチリとその自慢の鱗が燃えていく。その痛みをドラゴンは忘れた。それよりも激しい痛みを感じていたからだ。
しかし、赤髪の女は平然と立っていた。
「はっ!」
女が大剣を振り下ろし、母の腹を割いた。娘の骨と牙で出来た刃を縦横にふるって、その血肉を引き裂いていく。
「この、貴様ら! ……ちくしょうぉ。ちく、しょうめ、……が」
そして、とうとう、ドラゴンは崩れ落ちた。
紫の血を浴びて、キーンの周りの炎が消え去っていく。その手に握った大剣は、固い母の鱗に削られて、すでにボロボロになっていた。
「……こりゃ、ひどいね」
キーンは血まみれになりながら、それを拭き取る事も無く壊れかけの大剣に視線をおとす。
「キーン」
背後からノムラの声がする。
その方を振り返って、手を上げた。あの男が言った通りだ。勇気は金で買える。金さえあれば魔族を滅ぼすこともできる。世界だって平和になる。
本当に、この男が言った通りだった。