7背景は祈りを捧げる
背景のいるカフェで、美麗は珈琲とケーキを肴に管を巻いていた。
「銭湯・・・銭湯行こうよー。卓球してお風呂入ろうよー」
最後の一口を食べ終わると、本日何度目か分からないセリフを口にしながらテーブルに突っ伏して、人差し指でのの字を書く。
「美麗のあれは、卓球じゃないから。あちこちに飛んでいった球を拾い集めるゲームだよね」
「卓球は、まあ兎も角。鼻血風呂に入るのはもう御免ですわ。湯に沈んだ美麗さんを引き上げるのも大変でしたし」
「うん。大変だった。二人いたから何とかなったけど、一人だったらムリだったかも。美麗は少しダイエットすべき」
「うぐっ」
要求をすげなく却下された上にとどめを刺されて美麗はビクッと痙攣した。
たとえ女同士であっても体重の話はとてもデリケートな問題だ。
場合によっては逆切れもあり得る。
あり得るが。
今回については、美麗はただ縮こまっているしかなかった。
迷惑をかけた自覚はある。
それに、ダイエットの必要性については、美麗自身も薄々と感じていた。
毎日、ご飯をしっかりすぎるほどしっかり食べたうえ、ケーキを何個か食べているのだ。下腹がぷよぷよしてきた現実と、そろそろ向き合わねばならない頃合いに差し掛かっていた。今なら、まだ間に合う。はずだ。
とりあえず。
ケーキは一日五つまで!
という、ふざけた課題を早急になんとかするべきだと思う。
「わ、分かったよ。明日からダイエットする! ケーキは一日三個までにするし、毎日腹筋を五回する! だから、銭湯に行こうよ!」
「美麗・・・・。ダイエット、ナメてるの?」
「そもそも、問題はそこではありませんわ。同性の裸を見てのぼせ上って鼻血を出すなんて、はしたない。何とかすべきは、美麗さんの煩悩ですわ」
ルナは地を這うような声で。
絹姫は、よく晴れた冬空の下のつららのように、鋭く冷やかに。
美麗は完全に沈没した。
美麗が銭湯で鼻血を出して撃沈したのは、湯あたりしたせいではない。いや、それも要因の一つではあるかもしれないが、一番の原因はそれではないのだ。
月華の君。
美麗たちが銭湯で出会った美少女。
月の光を集めて結晶化したら女の子になりました、みたいな。
そんな美少女。
湯船から立ち上がった少女の細くて白い太ももの隙間に桃源郷を見出して、美麗はのぼせたのだ。
美麗がするべきなのは、ダイエットではなく。
断食とか、荒行、とかなのかも知れなかった。
「こんな調子で、本当に日本に帰ることが出来るのでしょうか?」
手の中の、すっかり冷たくなってしまった紅茶の上に、絹姫はため息を落とした。
「うん。無理なんじゃないかなー」
「なっ!? そんな、あっさりと。美麗さんは、帰りたくないんですの?」
「そりゃ、帰れるものなら帰りたいけどさー。どうしたらいいのか、さっぱりじゃん?」
「それは、そうですけど、でも、だからこそ、何とか方法を考えて」
「・・・・・・・・・・ボクたちが頑張ってどうにかなることじゃないんだと思う。元凶が神様だっていうんなら、何とか出来るのも、神様だけなんだと思う」
それまで黙って二人のやり取りを聞いていたルナが、両手の中のカップをクルクルと弄びながら、話に入ってきた。目線は、カップの中で揺れるミルクティーの水面に落ちている。
ピタリと口を閉ざした美麗と絹姫の視線を感じながらも、ルナは顔を上げなかった。
黙ったまま、カップの中を見つめている。
「つまり、元の世界に戻るためには、神様に祈りを捧げろってこと?」
なんだか様子がおかしいような気がするルナに内心首を傾げながらも、美麗は先を促した。
答えは返ってきたけれど、目線は落ちたままだった。
「ハマりすぎると、そういう背景になっちゃうけどね」
「マジで!?」
「うん。ホテルの西側、少し離れた所に神社があって。巫女服姿で、そこでずっと、祈祷? みたいなのをしている女の子たちがいる。しかも、段々、人数、増えていってる」
「マジで!?」
「そんな! それでは、一体、どうしたら・・・・・? 現状維持か背景になるしか、もう道は残されていないんですの?」
美麗は頭を抱え、絹姫は青褪めた。
ちなみに。
背景とは、この世界の一部として取り込まれ、延々と同じ行為を続ける存在になってしまった女の子たちのことだ。
延々と、延々と。祈りを捧げ続けたり、カフェの一角でお茶をし続けたり。話しかけても反応はなく、実体のある壁紙みたいな感じだ。
なぜそうなるのか、原因は分かっていない。
「ごめん。余計なこと、言った。きっと、きっと何か、方法はあるよ。二人が、元の世界に戻れる、方法」
すっかりお通夜のようになってしまった状況に気付いて、ルナが慌てて二人を取り成そうとした。
が。
ルナの言葉を聞いて、二人はあれ? となる。
ルナの口調からは、何かを諦めてしまったような、寂しさが感じられた。
「二人が?」
「その、他人事みたいに仰ってますけど、ルナさんは帰りたくないんですか?」
「・・・ボクは、二人とは、違うから・・・」
首を傾げている二人に、ルナは歯切れ悪く答えた。
「違うって、どーゆうこと?」
美麗が先を促すと、ルナはテーブルの上に視線を彷徨わせてから、またカップの中に目線を落とす。
「・・・・・・二人とは違って、ボクがここに連れてこられたのは、もう、ずっとずっと、何年も前のことだから・・・・。ボクがいなくなった、あの日に戻れるのなら、帰りたい。でも、そうじゃないなら・・・・・・・」
最後まで言い終えることは出来なかった。
語尾が震えている。
カップの中に滴が落ち・・・・・・かけて、引っ込んだ。
なぜなら。
ガタンと立ち上がった美麗と絹姫が、号泣しながら抱き着いてきたからである。
「ごめん、ごめんねぇ、ルナー! 家族も友達も、みんな死に絶えちゃった世界になんて、戻りたくないよねぇー!」
「そうとは知らず、無神経なことを! ルナさんがそんな大昔から、ここにいたなんてーー!?」
左右から揉みくちゃにされ、揺らいでいた心は、どこかに吹き飛んだ。
「・・・・・・・・・・・・・そこまで、大昔じゃないんだけど・・・・。一体、いつの生まれだと思われてるんだろ・・・・・」
ルナの呟きは、二人の耳には届かない。
(明日・・・は早いとしても、将来的には我が身だってことは、気づいてないんだろうな、この二人。しかも、いざ、手遅れになったその時が来るまで、ずっと気づかないままでいそう・・・)
段々、冷たくなってきた肩口の感触に眉をひそめながら、ルナはため息をついた。
「ルナ! きっと、大丈夫だよ。三人で、元の世界に帰ろう!」
ルナのパーカーと髪の毛を、涙と鼻水でしっとりさせた後、美麗は両方の拳を握りしめて、やけに元気に言い切った。
ルナを見つめる瞳は、無駄に輝いている。
「えーと?」
ルナは首を傾げる。
さっきまでの会話で、何をどうしてその結論に至ったのか。
さっぱり、分からない。
「だって、神様なんでしょ。これだけ何でもありの世界を創った神様なんだから、きっと、それくらい軽いって。だから、元の世界のあの日に帰りたいってお願いを叶えてもらえばいいんだよ! これで、万事解決!」
満面の笑み。
キラン、という音とともに、歯が光る幻覚が見えるくらいの、満面の笑み。
ポカンと口を開けて、目をパチパチさせていた絹姫の顔にも、次第に笑みが浮かんできた。
「それですわ! さすが、美麗さん。いい考えですわ。それなら、私たち三人ともが幸せになれますわ! それに、よく考えてみれば、私もその方がいいですわ。ここに来てからすでに一ヵ月以上は経っていますし。このまま、元の世界に戻っても、その間何をしていたのか聞かれたら困りますものね。本当のことを話したら、頭がおかしくなったかと思われそうですし。ああ! 全て、解決して、何だか心が晴れやかになりましたわ!」
そもそも。
それは、ただの二人の願望であって、そうなる保証はどこにもないし、まだその方法が分かったわけでもないのに、明日にでもあの日に戻れると言わんばかりの喜びようだ。
いや、それとも、もしかしたら。
これなれば、どれだけ時間がかかっても問題ないのだから、ゆっくり焦らずに行けばいいさ! とか。
都合のよい解釈をしているだけなのかもしれないが。
「・・・・・二人に会えて、よかったよ・・・・・・・」
その一言に、ルナはいろんな思いを込めた。
そう。いろんな。
「やー、なんかそのセリフ、よく言われるんだよねー」
「そんな。照れてしまいますわ」
美麗は片手で頭を掻き、絹姫は両手を頬にあてて体をくねらせる。
(美麗のそれ。絶対、褒めてたわけじゃないと思う・・・・)
そうは思ったが。
ルナはその言葉を飲み込んだ。
代わりに。
ルナの口元には、仄かな笑みが浮かんでいた。




