1世界と女の子の関係
まず、谷間に釘付けになった。
丁度、いい感じに目線の先にあるのだ。
白いライダースーツの、程よい加減に下げられたファスナー。
その奥で。
白くて透明感のある、瑞々しい、大きな二つの果実が、仲良く身を寄せ合っている。
(これは、男の子でなくても、見ちゃうよね? こんな至近距離に、いきなりこんなモノが現れたら。不可抗力だよね)
ごくり。
と、胸の内だけで生唾を飲み込む立花美麗とて、女子高生としてそれなりに標準装備だ。作ろうと思えば、谷間だって作れる。まあ、美麗のモノでは、両手を使ってかなり頑張って寄せてあげないと無理ではあるが。
世の中には、そういう、両手と同様の機能のある下着も売っている。
だが、目の前のソレは、そういった人工的に作られた谷間ではなく、天然もののように思われた。
というか。どうも下着をつけていないのではと思われる。
いや。もちろん、パンツは穿いているとは思うが、たぶんブラはつけていない。
ファスナーを下して実際に確かめてみたい衝動に、美麗は何とか耐えた。
だが、視線はファスナーを辿ってお臍の辺りまで下がり、それからまた、谷間へと戻る。
白いミルクプリンが二つ、お皿の上に落とされて、ふるふるしている映像が浮かんだ。てっぺんには、生クリームがキュッと絞られ、赤いチェリーが挑発的に乗っかっている。
「初めまして。可愛らしいお嬢さん」
涼やかなアルトが頭上から降ってきて、ここで初めて、美麗は白ライダーの顔を見た。
目元が涼やかな、クール系美女だ。右の目元にホクロがある。
胸の下辺りまでの綺麗な黒髪は、毛先の方だけ内側にカールしていた。
「君の名前は?」
「立花、美麗、です」
ほわんと美女を見つめながら、気が付けばうっかりフルネームで答えていた。
いかに相手が女性といえども、見知らぬ相手に、しかも向こうはまだ名乗ってもいないのにフルネームを教えてしまうとは、女子高生として危機感が欠如していると言わざるを得ない。だが、この時の美麗はまだ、谷間ショックから抜け出せておらず、脳内にはまだ甘やかなミルクプリン色の霧が立ち込めていたので、自分が個人情報を教えてしまったことにすら気づいていなかった。
「みれい・・・・・。もしかして、美しいに麗しいと書くのかな?」
「はい。そうです」
「可愛らしい君にふさわしい、素敵な名前だ」
スルリと美麗の頬を撫でて、美女は微笑んだ。
美麗は不覚にもときめいた。
ときめいた後、何故か急に冷静になった。
もしかしたら、自分は女の子が好きな女の人にナンパされているのだろうかと唐突に思い至ったのだ。
女も美女だが、美麗とてなかなかの美少女だった。
茶味がかかった、ボリューミーなふわふわツインテール。ぱっちりとした二重瞼に、くるんとしたまつ毛。チェリーピンクのぽってりとした唇には、思わず目が引き寄せられる。
田舎に住んでいるせいか、今までにナンパをされたことはないが、駅のホームでチラチラと視線を感じることはよくあった。
(名前、教えちゃったよ。まずかったかな~)
何とかこの場を逃れようと、女の背後に視線を移して、ポカンと口を開ける。それから、ゆっくりと振り向いた。首を、体を、そろそろと後ろに向けていき。
絶叫した。
「な、何コレ!? どこ、ここー!? 一体、何が起こったのーーーー!!??」
まあ、それも、致し方ないだろう。
通学電車から駅のホームに降りたところだった。そうしたら、目の前に白いライダースーツがいて、いい感じにファスナーが下りていたので、ついつい谷間に引き寄せられてしまったのだ。
その後は、ずっと白ライダーに視線を吸い取られてしまっていたため、一体、いつ、どの時点でこうなったのかは分からない。
分からないが、だがしかし。
今現在、確実に。
ここは、見知った駅のホームではなかった。
降りる駅を間違えたとか言う問題ではない。
電車も線路も見当たらないのだ。
電車はまあ、走り去ってしまったのかもしれないが、線路がないのはどう考えてもおかしい。
そこは。というか、ここは。
高級そうなホテルの中にある、カフェか何かのようだった。
広々とした空間。落ち着いた音楽。観葉植物の鉢植え。
濃い色合いの、光沢のある木製の丸テーブルとそろいの椅子。どのテーブルにも、中央にガラスの花瓶に生けられた花が飾られている。
ウェイターやウェイトレスの姿は見当たらなかったが、客は何組かテーブルについていた。
みんな、美麗と似たか寄ったかの年代の少女だ。
どう考えても、降りる駅を間違えたという問題ではなさそうだった。
「テレポーテーション!?」
くわっと目を見開いて、思い付いた可能性を叫ぶ。
頭上から再び、涼やかなアルトが降ってきた。
「ふ、ふふふ。うん、悪くない考えだ。理解が早いようで助かるよ。そう、君はテレポートしてきたのさ。日本のどこかから、この乙女たちの楽園に。何なら、花園と呼んでもらってもいい」
なんだか頭のおかしなことを言っている女に、内心冷や汗を垂らしながらも、美麗は向き直って女の顔を見上げた。自分のことは、すっかり棚に上げていた。
うっかり胸元に見入ってしまわないように、首と目に力を込め、女の顔に視線を固定する。一旦、視線を固定してしまえば、美しい女の顔を見続けることは苦ではない。むしろ楽しい。
だが、ただ楽しんでいるわけにはいかない。
言っていることはおかしいが、何かを知っているらしき白ライダーから、出来るだけ情報を引き出さなくてはならない。
無事にお家に帰るために。
「あの、ここは、つまり。・・・・日本じゃないんですか?」
そんなこと、あるはずないよね?
否定してくれることを期待しながら、一応、確かめてみる。
テレポートが本当に可能ならば、あり得ない話じゃないのかも分からないが、美麗とて本当にそんなことが出来ると信じているわけではない。ただ、ちょっと。錯乱して叫んでしまっただけなのだ。
段々と、きっと聞き間違いをしたに違いないという気分になってきたが、美女は涼やかに美麗の期待を打ち砕いた。
「その通り。日本どころか、ここは地球上のどこにも存在しない場所さ。そうだな、君たちに分かりやすいように言うと、ここは異世界というヤツなんだよ」
「いせかい・・・・って、異なる世界と書いて、いせかいと読む、あの異世界ですか?」
美麗は混乱した。
美麗が下りるつもりだった駅のホームでないことは確かだ。
それは、認める。
認めざるを得ない。
だが、日本じゃない、どころか。
地球上のどこでもないとは、どういうことなのだろう?
「・・・・・・・・・・宇宙?」
目の前の美女は、ひょっとして宇宙人なのだろうか?
なるほど。宇宙人に連れ攫われたのなら、こういう無理な展開もあり得るかもしれない。
美麗は、納得し始めた。
まだ、混乱しているようだ。
美女は楽しげに笑った。
「ふふっ。そうだね、ここは、もしかしたら、宇宙のどこか、なのかもしれないね。宇宙のどこかに、神様が私のために、この乙女たちの楽園を創ってくれた。なかなか、素敵な考えだ」
「・・・・・・・あなたは、宇宙人なんですか? どちらの星の方ですか?」
美麗はまだ、混乱していた。
「君と同じ、日本人だよ」
「日本人・・・・・・・」
美女の言葉をオウム返しながら、目をパチパチさせる。
美麗よりも背の高い美女からは、上目遣いでパチパチしているように見える。
見た目的には、とても可憐で愛らしい。
美女は目を細め、口元を綻ばせた。
美麗の目にも美女の笑みが映っていたが、それは美麗の脳内にまでは届いていなかった。
美麗の脳内は今、先ほどの美女のセリフを思い返すことに忙しかった。
神様が白ライダーのために創ってくれた、乙女たちの楽園?
なんじゃ、そりゃ。
と、思う。
目の前の美女は、大分頭がおかしいようだった。変質者的な意味で。
だが。
もしかしたら、何か比喩的な意味で言っているのかもしれない。
その可能性に一縷の望みをかけて、美麗は思い切って聞いてみた。
そうだ。
女子限定の、スイーツ食べ放題にご招待とか、そういう意味かも知れない。
美麗は目をキラキラと輝かせた。
逃走経路を探そうと、それとなくカフェの中を見回して、発見してしまったのだ。
取り取りのスイーツが綺麗に整列しているトレーが、ズラリ並べられている長テーブルがある一角を。
これはもしや、ケーキバイキングというヤツではなかろうか?
確かに、ケーキバイキングは乙女の楽園と言えないこともない。
いや。言えるはずだ。
期待を込めて、美麗は尋ねた。
「乙女の楽園って、具体的には、どういう意味ですか?」
あそこにあるケーキを好きなだけ食べてもいいという意味さ、と言われることを期待していたが、美麗はまたしてもあっさりと裏切られた。
「その名の通りだよ。ここは、女の子しか存在しない世界なのさ」
乙女の楽園 = 女の子しか存在しない世界。
それが、世界の常識!
とでも言わんばかりに、美女は当然の顔で言い切った。
なんの迷いもためらいも、恥じらいすらも感じられない。
「はい?」
キラキラの笑顔をまだ顔に張り付けたまま、美麗は首を傾げた。
最高に意味が分からない。
分からなすぎて、ケーキのことも頭から吹き飛んだ。
「世界には、女の子だけがいればいい。そうは思わないかい?」
涼やかなクール美女は最高のキメ顔で、美麗にキラリとした笑みを送った。
思わねーよ。
速攻で思った。
思ったが、美麗は曖昧な笑みを浮かべるに留めた。
頭のおかしい人と二人きりの時に、真っ向から逆らってはいけない。
曖昧さは、日本人の美徳だ。
たぶん。
「え、と。そうでも、ない、こともない、かな?」
あれ? これは、肯定したことになるの? それとも、否定したことになるの?
内心で首を捻ったが、美女はあまり気にしていないようなので、美麗も気にしないことにした。というか、それは直ぐにどうでもよくなった。
今更ながら、思い出したように美女が名乗った。
ようにというか、実際、今、思い出したのだろう。
「ああ。そう言えば、まだ、名乗っていなかったね。失礼した。私は、Q。この世界を統べる女王だ」
「キュー?」
「そう。もちろん、クイーンのQだ」
美女が、何かキラキラしたものをまき散らかしながら微笑んだ。
もちろんって、何だよ。
とは思ったが、やはりもちろん、口にはしなかった。
「はあ。よろしく、お願い、します?」
よろしくお願いしている場合ではないというか、よろしくお願いしたらマズイのではと、心の片隅では思ったのだが。
何だかもう、脳の容量がいっぱいで溢れだしそうで、何と答えたらいいのか、他に何も思い浮かばない。
ここには、お巡りさんはいないんだろうか?
もう一度、周囲に目を走らせた。
助けを求めていたはずなのに、なぜか、宝石のようなスイーツたちで目が止まる。
そんな場合か!
と言う美麗と。
あれこそ、今の自分に必要なものだよ!
と叫ぶ美麗がいる。
両者が戦うまでもなく、疲れた脳には糖分が必要だという結論に達した。
女子にはスイーツが必要なのだ。
目の前の美味しそうなスイーツを、自由に食べることが出来ずして、何が乙女の楽園か!
「ところで。あそこに並んでいるケーキは、自由に食べてもいいんですか?」
本来。
聞くべきことや、やるべきことを。
すべて放棄した美麗の本能に忠実な質問に、女王は破顔した。
「もちろんさ。そうでなくては、意味がないだろう?」
分かっていらっしゃる!
美麗は心の中でガッツポーズを決めた。
三度目にしてついに、美麗は望む答えを得ることが出来た。
全てが解決した気になって、美女の存在を忘れて、スイーツが並ぶ長テーブルに突進する。
手近な丸テーブルに陣取り、五個目のケーキを食べ終えたところで、ようやく我に返った。
「あれ? そう言えば、結局、ここはどこ、っていうか。どうすれば、お家に帰れるんだろ?」
ケーキに夢中になっている間に、いつの間にやら女王様は姿を消していた。
乙女の欲望は満たされたが、肝心なことは解決どころか、ヒントすら掴めていない。
冷や汗を垂らしながらも、六個目にフォークを入れた。
柚子の風味のするチョコレートソースを味わいながら、他のテーブルの様子をそっと窺う。
美麗と同じくらいの年の女の子たちが、楽しそうに雑談しながら、ケーキを楽しんでいる。
あまり、というか全く。緊迫感は感じられない。
「・・・・・まあ、いいか」
とりあえず。
美麗はこのまま、乙女の欲望を満たし続けることにした。
自分の身に、一体、何が起こったのか?
この時の美麗はまだ、さっぱり理解していなかった。
まあ、その後。ちゃんと理解したのかと言えば、それもまた、大分怪しかったりはするんですけどね?