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阿蘇惟豊と甲斐宗運の謀議

作者: 蓑籤

天文十九年三月 肥後国益城郡浜の館

阿蘇惟豊 阿蘇大宮司・阿蘇氏当主 57歳

甲斐宗運 御船城城主・阿蘇氏重臣 42歳

入田親誠 津賀牟礼城城主 大友氏重臣 惟豊と同年代でその娘婿


天文十九年(1550年)三月、肥後国・浜の館へ、阿蘇惟豊の娘婿、入田親誠が豊後大友氏より逃れてきた。阿蘇氏当主と重臣筆頭が今後の対応について論じ合う。


・惟豊、亡命者を迎え入れて曰く


惟豊

「津賀牟礼城はすでに落ち、火がかけられ、家人も多くが殺されたと聞く。彼はこの私を頼ってきてくれた。そして彼には他に行く場所はない。彼のために落ち着き先を確保しなければならない。私の娘や孫もともに連れているのだから、それが然るべき対応だろう。」

宗運

「本日は、その件にて進言いたしたく参上仕りました。結論から申し上げますと、親誠殿へ情愛を持って接したその日のうちに彼を処断するべきです。そして処断した事のみを、豊後府内の嫡男義鎮殿に示すのです。」

惟豊

「彼は私の娘婿である。例え彼に罪があろうとも、そのような事はできないだろう。」

宗運

「親誠殿に罪があるかどうかはこの際問題ではありません。親誠殿の命を奪う事で、次代の大友氏へ貸しを与えることができます。」

惟豊

「それはなぜだね。詳しく聞かせてほしい。」

宗運

「今回、豊後府内で起きた異変にはいろいろな流言が付きまとっています。先代義鑑が廃嫡に陰謀をめぐらせしくじったとか、真の黒幕は嫡男義鎮殿である、または周防の大内殿である、など。いずれにしても耳をそばだたせ、眉をひそめさせる類の醜い事件です。その現状、府内を抑えている嫡男義鎮殿が親誠殿を謀反人として手配しているということは、親誠殿が事件の首謀者である可能性に加えて、仮に親誠殿が首謀者でない場合、明言すれば、嫡男義鎮が首謀者であった場合、他家に漏れては不都合な事情を、親誠殿は知っている可能性があるのです。お館様は傷心の親誠殿に情をかけ心を尽くされますように。そして必要な事情を得たのち、私が彼を処断いたします。」

惟豊

「それで、大友に対し密かな強みを持ったまま、恩を着せる事で阿蘇氏は安泰になるというわけだね。」

宗運

「その通りです。」

惟豊

「しかし、今回の変事で豊後は今、乱れている。嫡男義鎮は家中を抑えられるだろうか。」

宗運

「今回の事変で最も得をしたのは、嫡男義鎮殿であることは間違いなく、彼は余勢を駆って大望を持ち家中を平定にかかるはずです。仮に、彼が首謀者であるとした場合、父を殺し、義母を殺し、異腹の弟を殺した事になります。誰かにその責任を押し付けねば家臣団の支持を失い、彼の拠って立つ地盤は無くなります。ここ浜の館にまで聞こえる流言通り、父と家老の親誠殿に変事の責任を押し付ける形になれば、家中に競争者はいなくなります。十分に抑えられるでしょう。」

惟豊

「その話を聞くと、嫡男義鎮の真の狙いは父義鑑殿の命であったように思える。」

宗運

「仮に、嫡男義鎮殿が首謀者であったとするならば、まず間違いないところでしょう。」

惟豊

「恐ろしい事だ。息子が父を殺すなど、まさにあってはならぬこと。しかし、仮にそうだとして、嫡男義鎮はなぜそのようなことをしでかしたのかな。親子が不仲であったという噂は私も知っているが、それだけでこんな大それたことができるだろうか。」

宗運

「一つは、先代義鑑の外政が行き詰まりを見せていたからではないでしょうか。もう十数年前ですが、幕府の主催により、大友と周防大内氏とは和睦し、これは未だ破られてはおりません。大内氏に養子として送り込まれた先代義鑑の次男坊は、先方に嫡子が誕生した結果送り返されていますが、こんな不合理が為されても戦にはなりませんでした。和議を尊重したためです。さらに、義鑑の娘が嫁いでいる土佐一条家では、先年その婿が狂い死にしました。肥後では一族の裏切り者・菊池殿を討ち果たすことができず、また、筑後では秋月氏が大友氏に謀反を起こしています。大友氏を取り巻くこれらの閉塞感を打破するために、いわば家中のために先代義鑑を除いたのでないでしょうか。今回の鮮やかな事後処理を見ると、同調する家臣にも不足はしていない様子。一見、堅牢に見えた先代義鑑の治世も、内実はほころんでいたのです。そして父の排除に成功した以上、解き放たれた新たな首脳陣は、周防と争い、四国に進出し、筑後・肥後を確固たるものにするために動き出すでしょう。そうすれば、大友氏はより裕福になり、威勢はさらに轟くはずです。仮に義鎮が動き出すとしたら、まずは最も脆弱なこの肥後を狙うでしょう。すると、我らが阿蘇氏の領地もただではすみません。このようなときに旗色が不鮮明では大いなる災いを招きます。それよりも、嫡男義鎮殿に恩を売った方がいくらもよろしいはずです。」

惟豊

「今日のそなたは大変に饒舌だな。こう話を聞くと、先代義鑑殿も立派な人物だったが、その父義長、祖父親治には及ばないように思える。嫡男義鎮はかねてより粗暴だとの評判であったが、その器量はどうだろうか。」

宗運

「今の仮説に従えば、閉塞を打破する為に今回の変事を起こした事になります。先代義鑑の死を契機に、肥後で菊池殿による反乱が起きています。夏までに鎮圧のため出兵をするでしょうから、そこで器量云々をするのが良いでしょう。上手くいけば、家中は一つにまとまり、そうすれば先代義鑑の頃より他国に対してより積極的に出てくるのは間違いないところ。然るに彼は確かに粗暴には違いありませんが、先々の事を考えているようにも思えます。」

惟豊

「秋には来るか。大友の兵が筑後を通過せずに肥後隈本城を目指すなら、阿蘇を通るだろう。我らが通過を許可せねば嫡男義鎮と戦になるな。菊池殿と嫡男義鎮と、どちらにつくべきだろうか。」

宗運

「菊池殿がすでに隈本城に入ったという報があります。飽田・詫麻等肥後中部の諸勢力はこれに従うでしょうが、山鹿・菊池等肥後北部の連中は、菊池殿を憎んでいますから嫡男義鎮殿に従うでしょう。また、筑後の諸勢力は毎度のことですがほぼ半分に割れ伯仲するでしょうから、我らが大友の兵を妨害すれば、戦の長期化は免れません。すると勢力の保持に成功した菊池殿と嫡男義鎮殿の狭間で阿蘇氏は苦しみ続ける事になります。一方で、嫡男義鎮殿の肥後攻略を支援し、菊池殿を討てば、大いに恩を施すことになり、阿蘇領はしばらく安泰です。まだ嫡男義鎮殿は若いので、順当にいけば、豊後と二十年もの間、和を維持していられるでしょう。」

惟豊

「なるほど。阿蘇の事を考えればそれが正解だろう。私も子らのために、落ち着いた領国を残してやりたい。だがそうなると婿殿の命はあるまい。」

宗運

「嫡男義鎮にお味方することは、親誠殿の首を差し出すという事と同義です。親誠殿を生かし匿ったまま義鎮に誼を通じても、疑念を残すだけです。この厄介な亡命者が逃げ込んできた時点で、阿蘇氏は今回の変事とも、嫡男義鎮殿との関係も始まっているのです。ここは是が非でも、親誠殿にはここ矢部の地で死んで頂かなくてはなりません。」



・惟豊、娘婿の諸行について考えるに


惟豊

「そなたは無意味だと言うだろうが、もう一つ考えてみたい。それは府内から逃げた後、豊後津賀牟礼城に入り、追討軍が迫った後、ここ矢部に逃げ込んできた我が婿殿の事だ。」

宗運

「彼に関する罪の有無を考えてみても、なにも始まりません。すでに罪人として討伐を受ける身です。」

惟豊

「いや、彼が真に有罪か無罪かを判断する事で、転じて義鎮の素性もわかろうというもの。あながち無駄ではないはずだ。」

宗運

「なるほど、その通りかもしれません。私が知る限り、入田親誠という人物は、先代義鑑からは特に信頼を受けていたようです。この主従は年齢も近く、嫡男義鎮殿の傅役に任命されるほどに関係は良好でした。しかし、当の義鎮殿との関係は芳しくなかったという噂もあります。それを裏付けるように、異変の後、親誠殿は府内を去っています。一方で、吉岡、吉弘、佐伯など義鑑に冷遇されていたと言ってよい家臣が義鎮の周囲に集まりつつあります。これがただの突発的な事件でなく、緻密に練り上げられた政変であったことはこの点からも間違ありませんが、大友家中にある同紋・他紋の軋轢は関係ないようにも見えます。」

惟豊

「いや、勢力争いもそうだが、そうではなく、後継者争いがあったという件だ。婿殿は嫡男義鎮を退け、異腹の兄弟を家督と願った先代義鑑殿の命で画策していたという。これは事実だろうか。そなた、この館に当の本人が居るのだから本人に聞けば良い、という顔をしているが、公正な目で見た場合、どうかという事を考えてみたいのだ。婿殿の話を一度でも聞けば、私はきっと彼の言い分を腑に落とすだろうから。」

宗運

「普通に考えれば、元服するまで傅役を務めたのですから、親誠殿は嫡男義鎮殿の与党であるはずでしょう。だから、仮に先代義鑑から噂のような打診があったとすれば、大いに反発するはずです。また、先代義鑑も、反対される可能性の高い人物にそんな危険な打診をするとは思われません。ここで、嫡男義鎮殿と親誠殿が不仲であったという前提で考えてみます。当然、その噂は先代義鑑の耳に到達するでしょう。そうすれば、傅役を誰か別の者に任命しなおすのではないでしょうか。そうではなかった以上、単なる噂であったという判断もできます。私がこのように申しあげるのは、人と人との関係は結局他者には伺いしれないという事の為です。実際は不仲でありながも、表面上は良い関係であることを顕しつづけたとしても驚く事ではありません。これは家中の秩序を維持するために、阿蘇氏においても多くの者が為している事でもあります。とすれば、公正に、状況の判断から彼の罪を判断する事は大変難しい事です。」

惟豊

「やれやれ、公正など望むべくもないという事か。だが私が婿殿に聞いたところで、否定するに決まっているだろうさ。」

宗運

「ではなぜ彼が矢部に逃れてきたかを考えてみましょう。」

惟豊

「妻の父親である私の助けを求めたからだろう。」

宗運

「その通りです。お館様と親誠殿のご関係故に逃れてきたのです。あと、自領から近かった、というのもあるでしょうが、これらは全て、大友氏と阿蘇氏の比較的良好な関係があってこその賜物です。」

惟豊

「その通りだな。」

宗運

「ただもう一つ、心にやましい事がないから矢部に来た、というのもあるでしょう。本当に嫡男義鎮殿に対して許されざる行動をとっていたとすれば、その手勢によって豊後が制された後、阿蘇氏へ身柄の引き渡しの依頼があるかもしれない、と考え、いくら親戚筋であるとはいえ阿蘇氏を頼っては来ないのではないでしょうか。肥後隈本城に走り菊池殿に仕えて、嫡男義鎮殿に対して断固戦うのが武士たるもののあるべき姿です。今、親誠殿を見ていても、そのような気配は見られません。最も、密かに菊池殿と連絡を取り合っているのであれば、今後、お館様に嫡男義鎮殿に対して兵を出してくれるようもちかけてくるかもしれませんが。」

惟豊

「では、婿殿は無実か。」

宗運

「そういう見方もあるという事です。無罪だとも言い切れませんが、有罪である証拠もありません。」

惟豊「婿殿を処断するとしよう。阿蘇の家中にも、彼と親しい者たちはいる。誠に有罪であればともかく、明らかでないのにそのようなことになれば、彼らはきっと、私に不満を抱くに違いない。そのようなことはなるべくして避けたいものだ。」

宗運

「親誠殿が無罪である証拠は、直ちに消されつつあります。すでに先代義鑑の近習格であった斎藤、小佐井、津久井、田口の四名はみな死に、彼らと有力家老をつなぐ親誠殿すら国を追われたのです。今回の異変は、また別の視線で見れば、惣領と近習の力の増大に対して、有力家老達が反発してその力関係を逆転させたようにも見えます。そして現在、豊後府内にて嫡男義鎮殿の指揮の下、粛清が進行中です。親誠殿も家老たちと同格のはずですが、あまりに先代義鑑と密接であったが故、助命などはなされなかったため、戸次の率いる隊によって追われてきたのでしょう。聞くところによると、親誠殿の娘婿でもある戸次は現在嫡男義鎮殿の筆頭家老のような地位にあるようです。この状況は親誠殿が有罪であると信じたい側にとっては極めて好都合です。」

惟豊

「死人に口なしということか。だがそれでは、婿殿を斬れば嫡男義鎮の親殺しの罪に加担するということになってしまうのではないか。天の咎め、大いに覚悟せねばなるまい。」

宗運

「あるいは先代義鑑もなんらかの罪があり、天の咎めで息子に殺されるという末路を迎えたのかもしれません。」

惟豊

「ああ、家族が家族を攻めて追うという醜態は我が阿蘇氏をも悩ませたことである。これに勝る混乱はないから、私が婿殿を殺せば、嫡男義鎮は大いに喜ぶことだろうな。天はいつの日かこの者に罰を与えなければならないだろう。」



・宗運、阿蘇氏の行く末を進言して曰く


宗運

「さて、お館様。そろそろ親誠殿を処断する決意が固まったかと思います。どうぞ、親誠殿とご対面され、ねんごろなお言葉をお授けください。そして処断の御下知を。」

惟豊

「そうだな、婿殿に会うのは気が重いが・・・いや、まだだ。もう一度考えたい。つまり、婿殿の首を差し出せば、当面、阿蘇氏と大友氏の仲は安泰になるだろうが、その後はどうなるだろうか。親直よ、考えてみるのだ。今や大友氏家督は豊後、筑後、肥後三国の守護でもある。包囲される形になり、大友の意には逆らえなくなるのではないだろうか。そなたは先ほど阿蘇と大友の和は二十年保たれるとしたが、そのような不利な情勢で、私の後継者たちは所領を守っていけるだろうか。」

宗運

「すでに、先代義鑑の時代から、それは定まってしまった事です。義鑑の前の代からの大友氏が肥後国の混乱を焚き付けたのは百年の計があったからです。それに対して、阿蘇氏は数年前にようやく同族争いに決着がついたのです。氏の持つ力に大きな差があるのです。また、大友は源頼朝の血縁を誇る氏でもあるため、他国を攻めとる事を厭わないでしょう。そこが、我ら阿蘇氏とは大いに異なる点です。」

惟豊

「その論では、阿蘇の領地も危険であるという事になるぞ。」

宗運

「ここで私が期待したいのは、我らが肥後の国情です。この国は広く、守護家である菊池の嫡流が滅びている今、麻のように乱れるのは明白です。これを鎮めるには、守護自らが肥後領内にて統治をしなければ覚束ないでしょうが、大友にとって喫緊の課題である周防との筑前の奪い合いに決着がつかない以上、そうしている余裕はありません。それはつまり、大友義鎮と言えども、肥後北部の赤星、隈部、城、中部の我ら、南部の相良、名和らを懐柔するのが得策であるというです。彼らにとって結局肥後は他国です。その統治のために家を危険にさらす価値があるとは思えません。彼らの不真面目な統治の結果、この国は乱れ続けるでしょう。他国に領土を攻め取られないよう、勢力を扶植する余地は十分にあります。」

惟豊

「果たしてそうだろうか、私にはわからないが。だが、先代義鑑も肥後に来て自ら訴えを聞くということはしなかった。したくてもできないのだろうか。」

宗運

「人や物の往来はできたとしても間に山脈がそびえている以上、肥後隈本と豊後府内はやはり遠いのです。肥後に腰を据える余裕のない嫡男義鎮殿は必ず代理人を送り込んでくるでしょうが、その代理人も喧しい土豪が勢ぞろいしている肥後で、真面目に政務に取り組めばきっと破滅を免れません。嘲笑讒言にまみれ、善意から反逆に追い込まれ、惨めに殺されるのがいいところ。他国人である彼らには、この肥後を統治できない確固たる理由があるのです。すなわち、この国は周囲を俯瞰して、優先すべき順位において高くはないという事です。」

惟豊

「優先すべき順位が高くない、それは莫大な富を生む博多や門司と比べてということか。なるほど、そうかもしれない。かつて菊池殿が豊後を統治する兄に反逆したのも、そのあたりに理由がないわけでもないのだろうな。」

宗運

「しかし今回の菊池殿の反逆はその成否が当家次第であります。きっと共闘を訴える矢の催促があるでしょうがもちろん耳を傾けてはいけません。期待をもたせ、黙殺するのです。」

惟豊

「わかった。全て納得した。そして、もはや婿殿に助かる道などない事も承知した。それでは、これから婿殿を大いに慰めてこよう。ただ、彼の妻子らは私の子孫だから、全てが終わったのち、人を付けて逃がすようにいたそう。恭順の意を示せば、そこまで罪は及ぶまいから。その後の事は全て親直、そなたに任せよう。それでよいのだね。」

宗運

「ご英断、恐れ入ります。」



・宗運、大友氏の使節と面して曰く


宗運

「というわけで、阿蘇氏は大友様に従い隈本城までの道のりについて万事ご案内いたします。その隊は私が率いております故、きっとお役に立って見せます。それから、件の裏切り者の首もこちらにお持ちしました。我が主、阿蘇惟豊は、娘婿と言えども卑劣な裏切り許すまじ、と烈火の如く怒りを現しておりました。残った妻子にも謹慎いいつけております。ご希望とあらば、人質として府内へ送りましょう。ところでいかがでしょうか。今回、豊後の殿がご所望されましたもの、全てこのように取り揃えました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。我ら甲斐党も、大友様の肥後統治のために大いに働いてまいります。またなにかありましたらいつでもお声掛けくださいますよう。新たなる大友様の世に良きことありますように!」


(了)


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