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高江美蓮 優しい朝


 朝。ぐっすり眠る女の子のそばに、影が一つ。


 こそっと忍び足で入る様子に犯罪臭が漂う。

 ふと視線を感じて向かいの家を見ると、青年と目が合った。

 暫くの沈黙の後、そっと視線を逸らされる。どうやら見なかった事にしたみたいだ。


 もう一度気を取り直して愛娘を見ると、またもや目が合ってしまった。


 「……何やってるの、母さん」


 随分慣れた様子で母と呼ぶ姿に、若干の嬉しさと寂しさを抱えながらも影の正体である高江美蓮(たかえみれん)は微笑んだ。


 「あらあら、もう恥ずかしがってはくれないのね」

 「は、話を逸らさないでほしいわ……騙されないわよ」


 小さく響き渡るその声に、もう1人の愛娘が仰け反った。

 慌てて口を抑える銀髪の娘に美蓮は小さく微笑む。


 「ふふっ、美唯菜が目を冷めないうちに要件を済ませましょうか」

 「用って私に?」

 「ええ、来てくれるかしら」

 「え、えぇ」


 多少困惑気味ではあるが、美蓮の言う通りに布団から出ようする。

 だが途中で動きを止めた。それを不思議に思った美蓮がトリアを見ると、隣で寝ている美唯菜がトリアの動きを察知したかのように服を掴んでいた。


 「とりあー」


 寝言である。

 掴んでいた裾を離したと思えば、トリアは抱きつかれて布団に戻されてしまう。


 「み、ミーナ?!」


 思わず声を荒らげてしまうトリアであったが、返答は無し。抱きつく力が強くなっただけだった。


 「ごめんなさい、母さん。要件はまた後でいい?」


 美唯菜に抱きつかれたまま困り笑いで聞くトリアに、美蓮は笑って返す。


 「もちろんよ。ごめんね、急に押しかけたりして」

 「いいのよそれくらい別に……美唯菜が学校に行ったあとでいいかしら?」

 「そうね。せっかくだから美味しいお菓子でも作っておくわね」


 ここ数日で、トリアが食に興味を持っていることに気付いての言葉だ。

 狙い通りにトリアの目が光り始めたのを見て、内心よし!っとガッツポーズをする。もちろんその心はおくびにも出していないが。


 「それじゃ珍しくお寝坊さんな美唯菜の為に、今日は私が一肌脱ぐとしますか」


 手を振って部屋から出る美蓮に、『大丈夫かな?』と少しだけ思うトリアであった。今までは美唯菜が作っていたから尚更である。


 「でも、ちょっとだけ楽しみだわ。……ちょっとだけ、ね」


 誰も聞いていない中で一人呟く。

 布団に潜り美唯菜の温もりを感じながら、再び眠りについた。


 ……これは大音量のアラームが部屋に響き渡る数分前の出来事。



         ☆



 「……ふぅ、たまには娘にいい所を見せておかないとね」


 テーブルには朝食がズラリと並べられていた。

 オカズは朝なのに肉だ。こんがり焼いたジューシーな肉である。


 「……みーちゃん。朝から胃が重くなりそうだよ」

 「あらあら、精がつくわね」


 ニコりと笑って旦那である唯人(ただひと)を封殺すると、キッチンに戻ってサラダを取ってきた。


 「たーくんも年をとったのね」

 「ありがとう、みーちゃん。久しぶりのみーちゃんの手料理だから、嬉しくて今日一日頑張れそうだよ」

 「上手いこといっちゃって」


 本当に頑張れそうだと思っている唯人に、眉を下げて微笑む美蓮。

 そんなゆるい空間の中、ドタドタと騒がしい足音が木霊した。

 勢いよくドアが開き、そこから美唯菜が顔を出す。


 「べんとうっ」


 目の前にある朝ごはんよりも弁当の方が大事のようだ。

 美蓮は急ぐ美唯菜の首根っこを掴み、キッチンに行くのを止めた。


 「美唯菜、先にご飯食べなさい。それからでも間に合うわ」


 美蓮の言葉でテーブルを見ると、美唯菜が作っていないのに朝食が並べられていた。出来立てなのはひと目で分かり、美唯菜が弁当を作り終えるまでに冷めてしまうのも分かった。

 そしてトリアは既に椅子に座っている。朝食を見た瞬間に尋常じゃない速さで着席していた。


 「ほら、ミーナ。早く食べるわよ」

 「う、うん」


 美蓮の笑みとトリアの気迫に押され、促されるがままに椅子に座る美唯菜。

 と、そこへ息子の(れん)もやってきて家族全員が揃う。


 「うわ、すげぇ。姉ちゃん朝からこんなの作ったのかよ」

 「ううん。わたし、じゃない……よ」

 「え、じゃあ……」


 蓮の視線は泳ぎ、胸を張る母親の所で止まった。


 「母さん飯作れんの?」

 「……蓮は朝食いらないみたいね」

 「え、いや。じ、冗談だよ冗談。アメリカンジョークってやつで」

 「蓮?」

 「すいませんでした」


 自らの失言を謝る蓮。久しぶりすぎて母が料理出来ることを忘れていたのだ、今ではしっかり思い出している。ただしこの状況で冷や汗たらたらだが。


 「はい、よろしい。冷めるから早いこと食べましょう」

 「はい!」

 「あっ、そうね……。蓮、ちょっとこっちで食べなさい」


 料理が冷めるというよりも、トリアが待ちきれなさそうなのだが。

 不思議そうな顔をしつつも、言われた通りに蓮が美蓮の横にいく。そして動かされた自分の皿付近をみて固まった。


 「……母さん。箸、無いんだけど」

 「ええ、無いわね」

 「食べれないんだけど」

 「そうね」


 笑顔の美蓮。

 なにせ箸を取ったのは美蓮である。


 「じゃあ食べましょうか、いただきます」


 「い、いただきます」

 「いただきますわ」

 「いただき」

 「…………」


 皿を見て無言の蓮。

 このまま手づかみで食えというのか。やむを得まいと手を伸ばそうとした所で、隣から箸がやって来た。

 その箸は蓮のオカズを綺麗に掴み、蓮の口元の前で止まる。


 「蓮、あ〜ん」

 「……………………かあさ、ムゴッゥ」


 母さん、何これ。そう言おうと口を開いたが最後、母親に“あ〜ん”されるという屈辱を味わうことになる。

 モゴモゴと強制的に入るオカズ、口の中が食感と旨みで満たされていく。思考は乱され、美味い美味いと思いながらオカズを飲み込んだ。そして我に返る。


 「ちょっとかあさ、ムゴッ」


 抗議の声を上げようとして、口の中にお米が侵食する。家族に見られながら母親にあ〜ん。顔を真っ赤にして、それでも口は止まらない。……美味しい。

 その様子を隣でマジマジと見ていた唯人。物欲しそうな顔で美蓮を見る。


 「パパもママにあ〜んされたい」

 「あら? パパはお箸あるじゃないの」


 そう言って唯人の願いは崩れ落ちた。それを見て見ぬふりをして蓮の口にオカズを入れていく。

 蓮はいますぐにでも変わってやりたいと思ったことだろう。だがしかし現実は残酷である。


 「蓮。はい、あ〜ん」

 「ムゴッゥ!」


 羞恥に耐えながら口の中に入る物を咀嚼していく。

 唯人(パパ)は凄く悔しそうな顔である。だが一度願いが叶わなかっただけで諦める唯人(パパ)ではないのであった。


 「あぁー! はしがおちてしまったー」


 やや大げさに自分の箸を落とす唯人。

 そんな唯人に美蓮はニコりと笑う。


 「台所ならあっちよ、それくらい自分で洗えるわよね」


 ……トボトボと台所へ歩く唯人であった。

 台所で箸を洗い戻ろうとすると、美唯菜が(から)になった食器を持ってきた。


 「あれ、美唯菜もう食べたんだ。もう少しゆっくりしても時間の余裕はあると思うけど」


 美蓮が朝食の用意をしていたから、美唯菜が多少寝坊しても学校には問題なく間に合うはずだ。

 そう思ってのことだったが、あとでリビングに来てすぐの行動を思い出す。


 「そっか、美唯菜は弁当を作るんだったね」

 「うん」

 「それじゃあ美唯菜の分の洗い物はパパがしておくから」

 「いいの?」

 「早く弁当を作らないとね」

 「うん!」


 唯人は美唯菜の食器を受け取って洗い出す。

 隣で美唯菜は急いでコネッキングとコンロをリンクさせていた。健気に弁当を作る姿に、唯人は自分用じゃないんだろうなと一人悲しい気持ちになったのだった。



 一方、母の手料理を味わいながら食べているトリアは美蓮にお代わりを所望していた。

 美唯菜が食べ終わるのだ、トリアの皿はもちろん空である。


 そして美蓮が動かざるを得ない今、『チャンス!』と逃げる算段をつけた真っ赤な顔の蓮。


 「あらあら、困ったわねぇ」


 そう言いつつ蓮の口元にオカズを持っていく美蓮。


 「か、母さん。お代わりは私が──」

 「ね、姉さん! 俺の分で良かったらあげるよ!」

 「ね、ねえ……さっ!」


 見事なファインプレー。自分でお代わりをごうとするトリアに会心の一撃。

 咄嗟に姉さんと呼んでしまったのだが、それにより驚きながら照れるという器用なリアクションをとっていた。姉さんと呼ばれるのが嬉しいみたいだ。

 これで自分の分を食べてくれるなら、母からの拷問といってもいい羞恥から逃げることが出来る。そうでなくても美蓮が動くことになるだろう、そうすればその間に箸を取ってこればいい。


 ……トリアが断って自分でご飯を注ぎにいくとは考えてもいなかった。


 「そ、そうね。ね、姉さんにくれるかしら」


 だが姉さんと呼ばれて舞い上がったトリアに拒否という選択肢は無かった。きっと蓮のことが物凄く可愛く見えていることだろう。


 「そ、それじゃあ残り物で悪いけど全部あげるね!」


 ここぞとばかりに残っている朝食をトリアの方へ持っていこうとする蓮。流石の美蓮も「あらあら」と困った様子だ。


 トリアも受け取ろうとして蓮が歓喜する直前……奈落に突き落とされたかのような顔をした。

 蓮が見たのは台所から戻ってきた唯人だった。……両手に米とオカズを持って。


 「トリアが足りないかなって思ってね。それに美唯菜の弁当を作るのに邪魔になるといけないから」

 「あらあらそうね。それじゃ蓮の分は蓮が最後まで食べないとね。はい、あ〜ん」


 絶望して開いた口が塞がらない蓮を、米とオカズが容赦なく蹂躙する。

 美蓮は凄く楽しそうだ、蓮は凄く辛そうだ。


 「それじゃトリアはお代わりいるかい?」

 「え、えぇ。ありがとう」


 姉さんと言ってくれた蓮の好意じゃなくて少し気分が下がったが、量は唯人の持ってきた分の方が多い。

 少し複雑だが、やっぱり量が多いのは嬉しいトリアだった。母の味、大量摂取。その胃袋に上限はない!


 「ほら、あ〜ん」

 「あーん!」


 もうやけくそになって口を開ける蓮。さっさと食べてしまった方がいいと今になって気付く。

 唯人は羨ましいそうに見ながら、自分の朝食を食べるのだった。


 「ごちそうさま! もう行くから! 行ってきます!」

 「気をつけて行ってらっしゃい〜!」


 早々と食べ終わり、蓮は走る勢いで家を出る。食べ終わったあとの食器はそのままに、ガチャンと玄関のドアが閉まった。


 「あらあら、可愛い息子だわ」

 「ママもあまり蓮で遊ばないで」

 「……あらあら嫉妬してるのかしら?」

 「そ、そんなこと!」


 ──あるけど。

 それは言葉よりも顔に出ていた。美蓮はそんな唯人を見て吹き出し、顔を背ける。


 「ちょっ、みーちゃん! それはひどいって」

 「ごめんなさい、たーくん。だってたーくんが」


 「ふふふっ、二人とも凄く仲がいいのね」


 なおも笑う美蓮にトリアが微笑む。さっきまで朝食に夢中だったが、周りを見ていないわけではないのだ。

 お代わりによって増えたご飯が終盤に差し掛かっているのは気にしてはいけない。


 「もちろんだよ、トリアとも……もっと仲良くなりたいと思っているんだよ」

 「……えぇ、ありがとう。父さん」

 「お礼なんて必要ないさ、僕たちがトリアと本当の“家族”になりたいだけなんだから。…………ちなみに美唯菜みたいにパパって呼んでくれても」

 「それは遠慮させてもらうわ」


 トリアの即答にズーンと落ち込む唯人。美唯菜には言えないが、パパ呼びは恥かしい。

 「ママと呼んでも」っと言おうとした美蓮は、口にでかかった言葉を飲み込んで押し黙ったのだった。


 「ごちそうさまでした。蓮の分も洗っておくわ」

 「あら、いいのよ。置いておいても」

 「ううん。姉さんだからね」


 トリアは終盤に差し掛かっていたのもあり、すぐに食べ終わった。途中で美蓮と唯人を見てすぐ顔を引っ込め、朝食を平らげたと言った方が正しいのだが。


 照れ隠しのように急いで食器を重ね、蓮の食器も持っていった。姉さんと呼ばれたのが嬉しいのか、はたまた“家族”らしいことがしたかったのか。


 「……たーくん」

 「ん? なにゅ……んっ」


 呼ばれて美蓮を見るとお箸が忍び寄り、返事の途中に口の中にオカズが侵入した。

 突然の美蓮からの“あ〜ん”に戸惑いながらも、頬を緩ませながら飲み込んだ。

 今までより美味しく感じるのは味よりも気持ちの問題かもしれない。


 「ありがとね」


 それだけで察したが、敢えて唯人はとぼけることにした。


 「なんのことかな? 僕は何も特別なことなんてしてないよ」

 「…………ふふっ、それもそうね」


 私の旦那はそういう人だ。優しくて、皆に気を回して、誰よりも私達を思って、それなのにお礼一つ言わせない。……ほんとずるい人ね。


 「はい、たーくん。あ〜ん」

 「あ〜ん」


 酸味の強めなドレッシングを混ぜたそのサラダが、唯人は何故か甘く感じたのだった。 



トリア「私も……あーん、してほしいわ」

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