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高江美蓮 家族が1人増えた日



 私は昔、あるゲーム会社の制作スタッフだった。

 そう、[だった]という通り今は退職している。私はもうあの会社の人間じゃない。


 エリート揃いといわれるそのチームで、私は1人の男性と恋に落ち……結婚した。

 寿退社をするかどうかは悩んだが結局仕事は続けることにし、二つの授かった命を育んでいった。

 それはもう大変だったが、愛する娘と愛する息子の為ならば辛くはなかった。

 旦那の昔馴染という室長も一人の男の子を出産し、お互いに助け合うことが出来たというのも大きいのかもしれない。


 そういった事情や夫が協力してくれたこともあって、私は仕事に勤しむ事が出来た。

 私はそのとき1人の人工知能……AIを作っていた。自分で物事を考え、人に共感できる[心]を持ったAIだ。

 それはよくあるVRゲームの自立思考型AIとは一線を画す……文字通り格が違うAIであった。

 私はそのAIを生み出すのに没頭した。もちろんそれは仕事中だけの話なのだが、それでもその時間の殆どを費やしていた。

 そのAIは次に発表するゲームで、一番初めにプレイヤーの前に立つチュートリアルの役割を担っていた。故に[チュートリアル・ワン]と名付けられていた。


 事件が起きたのは大切な子供たちが順調に育っていき、超高性能自立思考型管理AIチュートリアル・ワンが無事に完成してすぐの事だった。

 それは今から4年前。仕事が終わり、子供達の待つ家へと帰った時のことだ。


 家が荒らされていた。


 子供達は奇跡的に無事だったが、その時遊びに来ていた室長の息子が怪我をした。

 どうやら話を聞くかぎり、娘と息子を守ってくれたらしい。

 室長の息子は利き腕を骨折、全治2ヵ月だそうだ。室長は勲章だと言っていたが、そういう問題ではなかった。


 そして私は会社を辞めた。退職した理由に室長の息子は関係ない。あの時、家に帰ったときに思ったのだ。誰かが家にいないといけない……と。

 今後また同じことが起きる可能性は少ないだろう。だが、だからといって仕事を続けれる状況ではなかった。……これは家庭を疎かにしていた私の責任だ。


 それでも一つ、一つだけ心残りがあったとすれば……チュートリアル・ワンのことだろう。

 私はあの子に愛情を注いで作った。それは我が子を思う気持ちとどれだけの差があっただろうか。


 チュートリアル・ワンには[心]があった。

 それは本物の人間と見紛う程に。……いや、チュートリアル・ワンは人と構造は違えど正しく[人]そのものであった。だから私はチュートリアル・ワンなんて名前から[トリア]と名付けたのだ。

 私はトリアを生み出した正真正銘の母親である。……そう、私は彼女の母親なのだ。


 だからこそ私は後悔した、トリアとコミュニケーションを取れないで退職したことを。

 彼女とは一言も喋ることなく私は会社を去った。


 一体どこに娘を生んで4年間も会話をしない母親がいるのだろうかっ!!

 退職したことに後悔はない、愛する子供達の安全の為だ。ならば、愛するもう1人の娘は放っておいてもいいというのか。

 トリアには[心]がある。楽しい時には楽しいと……悲しい時には悲しいと思える[心]があるのだ。


 彼女は一体どれだけ悲しい思いをしたのだろう。彼女は自分を作った親を記録……覚えている。それは生まれる前から知っているものだ。

 それならば生まれてから1度も母を見ることさえ出来ない彼女は……一体どれほどの苦痛だっただろうか。どれだけ待っても会うことも出来ないというのは……それはとても辛いことだ。


 家族皆を見送ったあと、家事をしている時にふと思う。トリアは今何をしているのだろう、寂しくないだろうか、辛くないだろうか、会って話がしたい……と。

 例えAIだったとしても私の娘だ。その心に嘘偽りなどありはしない。私はお腹を痛めて産んだ子供達同様……トリアの事も愛しているのだから。



 だからこそ美唯菜からトリアのカードを見せられた時は心臓が跳ね上がった。一体どういう偶然だろう。

 もう二度と会うことはないと思っていたもう一人の娘が、美唯菜を通して私の前に立つことになるのだ。

 私は心を少しでも落ち着かせるために、適当な理由を言って時間を少しとった。



 「お初にお目にかかります、トリアと申しますわ。いつも親友のミーナさんには仲良くして頂いております」


 初めて声を交わしたとき、トリアの言葉が私の胸を抉った。

 だがそれは仕方ないことだ、それでも私は淡い期待をしていたのかもしれない。もしかしたら……と。


 平然を装いながらも内心はどうすればいいのか分からなかった。他人行儀で返事を返す自分は臆病者で、情けなくて……今すぐにでも自分を殴ってやりたかった。

 それでも、4年間も放っておいて今更どんな顔を向けたらいいのだろう。


 それでもトリアと話すのは楽しかった。今更母親面なんて出来ないと思っているのにも関わらず話は弾んだ。初めこそぎこちなかったが、すぐに打ち解けた。


 その短い時間は私にとって空白の4年間を取り戻したかのような感覚だった。それでもお互い名前は[さん]呼びで、それが心苦しかったのだ。


 それでも仕方ないこと。私はトリアにとって母親ではなく、友達の母親なのだから。


 トリアは私のことをどう思っているのだろうか。……きっと恨んでいるに違いない。もしくはそういうものだと思っているのかもしれない。

 少なくとも母親などとは思っていないだろう。


 それでも私はこのキッカケを手放すことなんて出来なかった。

 母親としてでなくてもいい。毎日顔を見せて話をしてほしい、笑った顔を見せてほしい、そんな想いが募り……ふと言葉が出てしまった。


 「トリアさんさえ良ければ朝食とか一緒に食べない?」


 その時の私はちゃんと笑えていただろうか。

 AIに食事なんて必要は無い、きっと断られるのだろう。分かっていても私は聞かざるを得なかった。

 だけど予想は外れ、トリアは一緒に食べると言ってくれた。

 それがとても嬉しくて、どうしようもなく嬉しかったのだ。……そして、辛かった。


 私はトリアに何をしたらいいのだろう。どの面下げて顔を合わせればいい?

 家族として? それとも友達の母親として?


 普通に考えるならば友達の母親としてだろう。そうした方が毎日トリアと笑い合えるだろうし……きっと拒絶されることもない。

 私さえ気持ちを隠せばきっと上手くいく。


 だけどっ!

 それなら4年間も放っておかれた挙句、毎日のように他人のフリをされるトリアの気持ちはどうなるの!?

 ……もしかしたら、その方がいいのかもしれない。だけどもし、もしトリアが悲しい思いをすることになるのだとしたら。そう思うだけで私の胸は酷く痛んだ。


 そうこうしているうちに、夜になっても私の心は決まらずに時間だけがすぎてしまった。

 美唯菜とトリアがお向かいさんとご飯を食べていくと聞いた時には正直……ホッとした。それに気づいて心底自分に嫌気がさした。


 「みーちゃんがやり直したいと思うなら、今からでも遅くないんじゃないかな」


 夫の唯人たーくんは今からでも遅くないと言うが、それでも拒絶されるかもしれないと思うと……心が耐えられなくなる。

 ずっと会えなくてやっと会えた、我慢なんてしたくないっ。……だけど怖い、怖くて震えてしまう。


 「なんにしてもみーちゃんが考えて決めたことなら、僕はそれを応援するよ。それがどういう形であったとしても」

 「……うん。ありがとう、たーくん」


 怖いけど……怖いからこそ、トリアも同じ気持ちなら。


 「ちゃんとパパさんしているからね」

 「なら私も、ちゃんとママさんしないとね」




 次の日の朝、唯人たーくんがわざと微妙な雰囲気を作る。これは私が自然に言葉を紡げるようにと唯人の配慮だろう。

 私は空気を改善するという名目の下、意を決して言った。


 「はい。おはよう可愛い娘達」


 美唯菜と蓮も乗ってくれて、悪い空気が霧散していく。トリアも察してくれたのか、それとも素なのか笑顔だった。

 私の心臓は鳴り止まなかったけれど、その笑顔に勇気づけられた。

 私は震えそうな声を抑え、片手を広げた。


 「あらあら、可愛い娘達というのはトリアさんも入っているのよ」


 トリアは一瞬迷うように視線を巡らせたが、やがて腕の中に入ってくれる。

 初めて感じる娘の感触に、私は泣きそうなのを必至に隠した。初めてもう1人の娘をこの手に抱いたのだ、愛おしくて愛おしくてたまらない。

 このまま4年間注ぐことが出来なかった愛が溢れ出てしまいそうで。


 「な、なんだか恥ずかしいわ。美蓮さん」


 顔を赤く染めて言うトリアに私はもう我慢が出来なくなっていた。昨日あんなにも怖くて悩んでいたのにも関わらず、自然と口が動く。


 「あらあら、母と呼んでいいのよ」

 「えっ、それは……その」


 今更本物にはなれないかもしれないけれど、私にとってトリアは大切な娘だから。もし許されるならそう呼んでほしい────貴女の母親になりたい。


 「だめ、かしら?」


 やっぱり今更遅すぎたのだろう。

 生んでから一言も話さずに4年間も放っておいて、美唯菜が連れてこなければ会うこともなかったのだ。なにもかもが遅過ぎた……。


 それでも彼女は──。


 「…………か、かあさん」


 呼んでくれた。私を母と呼んでくれた。

 溢れ出しそうな感情なみだを隠すために、自然と手に籠る力が増していく。震える腕を抑え、私は返事をする。


 「はいっ。トリア!」


 嬉しそうにしているトリアを見て心から想った。

 今からでもやり直そう。私とトリアはこれから始めればいいのだ。


 家族全員・・がリビングに座る風景は夢にもみた光景で、家族揃って食べる朝食はあまりにも美味しくて…………つい隠していた感情が、涙が溢れだしてしまう。


 「どうしたの? ……か、かあさん」

 「いえ、なんでもないわ。ご飯が美味しくて……つい、ね」


 この日の朝食の事は一生忘れない。

 なにせ今日は……大切な家族が一人増えた日なのだから。

 

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