17話 『夢』過去の軛
夢を見た。
それは一年前の夢。
『えーそうなんだー』
『うんうん、だよねー』
『わかるー!それ私も今思った!』
その頃の私は薄くて軽くて……吹けば飛ぶような人間だった。自分の意思なんてまるでない、ただ長いものに巻かれているだけの私。人と話すのに『逃げて』いた。
心から笑い合える友達なんていなくて、ただただ作り笑いを並べていた。のけ者になるのは嫌だったから。
奏は今とは違って少し冷たい印象を周りに与えていた。
他人とはあまり交わらず、かといって一人という訳ではない。それなりに仲がいい友達もいたし、意志を持って行動していたはずだ。
私だけが前に進めなかった。
私と奏は学校ではあまり関わらない。下校時のバスと、降りて家までが二人の時間だった。奏は素っ気ない態度を取っていたけど、この時間だけは私は私でいられた。
夢の場面が変わる。私がトイレにいった時のある出来事だった。
上から水が降ってきた……聞こえてくるのは大きな嗤い声。古典的でいかにもテンプレな、それでいて効果的なやり方だ。私の心はどんどん冷えていくのを感じていた。
理由はなんだっけ……あぁそうだ。確か否定したんだ、当時からその立場を確立させていた村田さんの言葉を。
でも……どうしてもソレに嘘はつけなかった。私の中に唯一残った意志のようなものだから。
『私ぃ、結構相馬くんの事が気になってんのよー! 皆も協力してほしいなってねー』
『そうなんだ! 相馬くん結構カッコいいもんねー! もちろん私たちも協力するよー! ね!みんな?』
『うんうん! 私たち友達だもんね! ありがと!! 佐鳥!』
『わ、わたしも協力するよー』
『も、もちろん私も』
『みんなもありがとー!』
そう、私は。
『わ、私はちょっと無理かも』
『…………え?』
『実は私もかなっ……相馬くんのこと好きで』
『そっかー、じゃあ私達ライバルだね!』
『う、うん』
この頃から少しずつ変わっていった。
だけど急に態度は変らなかったし、周りとの付き合いも出来ていたはずだ。
それでも周りの環境が変わったキッカケは、私の悪い癖が原因。
少しずつグループから離れ始めていた私は気付けなかった、村田さん達が私以外の奏に気を持っている人をターゲットにしていたことなんて。
廊下で皆が遠巻きに見ていたことを知らずに声をかけた。体が勝手に動いたんだ、泣きながら倒れている所を見てしまったから。
けれど彼女は。
『触らないで!!』
そういって私の腕を振り払った。
でもその時に私は見えてしまった……彼女の顔につけられた大きな切り傷を。だから私は咄嗟に振り払った手を掴んだ。
『いやでも今すぐに保健室にいかないと!』
『ひっ!!』
彼女が呻いたのは私を見てじゃない。彼女の視線を辿って振り向くと……村田さんが私の後ろで佇んでいた。
『あれ? 高江じゃん。……ふーん、そう。そーゆーつもりなんだ』
村田さんはそれだけ言って去っていった。
もし知っていたら変わっていたのだろうか、いやきっとそれでも私は──。
それからは急激に変わった。まず女子からは全員無視された、男子も一部分は目も合わせようとしなかった。
物は無くなるから学校には置けなかった、机の落書きや凹凸が出るのはいつもの事だ。階段は押されるからなるべく1人で行かないといけない。教科書はよく投げられた。昼ご飯はたべない、お金は取られるし弁当は投げられるから。他にも色々。
いつしか私は喉が掠れていった。奏が違うクラスだった事と、奏に気付かれないようにしていた事が唯一の救いだった。……きっと奏に知られると立ち直れない。
辛い分だけ帰りは幸せだった。奏と一緒に帰る時間。ちゃんと喋ることが出来ていたし、笑えた。
それでも様子がおかしいことは気付いていたんだと思う。よく学校の話になっていた、私は誤魔化すのに精一杯だった。
村田さんは奏と学校で会話する仲にまでなった。
周りにお膳立てされていたのだ、ならない方がおかしい。
私は相変わらず標的だった。それでも私が学校に来れたのは奏がいたから、奏と下校する時間が大事だったから。……何よりも大切な時間だから。
目撃されたのは紅葉が地面を彩る頃。
瞬く間にその情報は広がった……そしてソレは激化した。
先生は私の机が無くても授業を始めた、椅子なんて元より無かった。罵声が止む事は無くなった。怪我を隠すのが上手くなった。冷え込み始める季節での冷水はやや冷たすぎた。服も乾かなくなった。
辛かったし、悲しかった。……怖かった。
そしてついにソレは起きてしまった。
その日、バケツいっぱいにかけられた水はいつもより冷たく感じた。だけど全身にくる震えはその冷たさからではない。
必死に声を出そうとするも喉が掠れて喋れない。今の状況を誤魔化すような言葉なんて見当たらなかった。
『みな……で』
「見ないで」。出てきた言葉はそれだけ、掠れて消えてしまうような声でただ懇願する。
知られてしまうのが怖かった。こんな惨めな私を見ないでほしかった。
──どうしても奏にだけは知られたくなかった。
『毎日相馬くんの帰り道に出しゃばって鬱陶しかったでしょ? 私が懲らしめてあげたか、ら』
見なかったことにしてほしい。忘れてほしい。こんなの見たらきっと私のことなんてもう見てくれない。
……怖い。怖い怖い怖い。止めて。嫌、だめ。お願い、お願いだからもう……見ないで。
奏は村田さんの言葉に反応せず私の元へ歩いてくる。
一歩一歩がやけにゆっくりと感じた。奏の目を見れない、その目に失望の感情が出ていたら……きっと失望しているに違いないから。近付いてくる奏を見たくなくて私は大きく目をつぶった。
ふわりと優しい感触がした。
驚いて小さく目を開けるとブレザーが私に掛けられていた。そしてすぐさま奏の物だと気付く。
『立てるか? 美唯菜』
奏は私に優しく言葉をかけてくれる。
それでも私は奏に見られたことでいっぱいで、身体が震えて心まで凍って……抱きしめられた。
『大丈夫。大丈夫だから』
そう言って背中を優しく撫でてくれた。
温もりが私の震えを抑えてくれる。
『よく頑張ったな』
奏は私が立てないことを察すると、私を抱き上げてから強く抱きしめてくれた。
『なんで?! どうしてよ! この状況みたらどうすればいいかなんて分かるでしょ? そんな女なんてほっておきなさいよ!』
『……分かるからこうしたんだ。どんな状況だろうが美唯菜を選ばない選択肢は存在しない』
『なんで……なんで私じゃないのよ! 私なら──』
『目障りだ』
短く一言だった。
私は奏の腕の中で言葉につまる村田さんの横を横切り、教室をあとにした。
保健室へ運ばれて初めて奏が濡れていることに私は気付いた。奏は大丈夫だと言ってくれたけど、私にはとても寒そうに見えて。
『美唯菜はずっと耐えていたんだな、気付いてやれなくてごめん』
違う、そうじゃない。私が……私のせいで。
『美唯菜は悪くないよ、思えば気付ける所はあったんだ』
そういう奏は悔しそうで、悲しそうで。それでも決意を秘めた瞳で。
『これからは僕がいる。────から』
★
目が覚めるとそこは知らない天井だった。
とりあえずここから動こうとして引っ張られるように倒れた。見てみると手足が縛られていた。
ふと隣を見ると葉名先生が縛られている状態で倒れていた。
これは……少しマズイかもしれない。