13話
「あー、とりあえずプリントを配るぞ」
横山先生はそのままプリントに手を伸ばそうとして止めた。そのまま掴んだら紙に先生の泥が付くからな。
「あー、触れんのか。浮遊」
先生が一瞬光ると、プリントが浮かび勝手にクラス全員の机に向かった。便利なものだ。
関係ないけど先生は風呂に入ったらどうなるんだろうか。
「先に今年の修学旅行の話をするぞー、とりあえず──」
授業は問題なく進み休み時間。
先生に群がるクラスメイトを見て過ごす。
珍しそうにしているけどあなた達も十分珍しいですよ? 人族じゃない時点で。
2時間目も終わり次は体育の時間だ。
男は別の教室で着替えるのだが……。
「根元はどうすんの?」
「うん。どうしようか」
入口の近く、みぃの机の近くまで来て話す。
根元は元男で体は女なのだ、第3の性別なのだ。
戸籍上は男でも、体は女になっているのだ。
流石に男子と一緒に着替えるのも、女子と一緒に着替えるのもアウトだろう。
「別に男子の視線を浴びながら着替えてもいいんだけど」
「……言い方」
「おっとじゃあ……劣情を催した眼で視姦されて興奮するから是非男子と同じ教室で」
「あほか!」
いい笑顔で言う根元をはたいて止める。
ほら、周りの男がこっち見てるだろ。僕? 僕はいいんだよ、ダチなんだから。
「あー、根元は別教室用意したからそっちに行けよー」
「はーい、じゃ相馬くんも早いこと行きなよ」
ヘドロ先生、じゃなくて横山先生が教室の入口から言って去っていった。根元も返事をすると横山先生について行く。
周りを見ると男子はいなくなって僕だけになっていた。これは危険だ、早く退散しなければ。既にみぃを入れて着替え始めている子が2人ほどいる。
「じゃまた後でな」
「うん」
着替えて運動場に行くとゴリラがいた。
ゴリラが服を着ている。
「遅いぞー! もうすぐ授業始まるからな!」
どうやらゴリラは喋ることが出来たようだ。
「体育教師だからな」
……確かにそれっぽいな。
つか根元それは。
「根元お前ブラ着けてねーのか!」
大黒の叫び声でクラスの男子がこっちを向く。
「そんなに視線貰ったらなんだか興奮」
「するなし! つか皆どんだけ飢えてんだよ」
このネット社会でそこまで露骨になれるのか?
いやいや無いだろう。
「相馬は高江がいるから言えんだよ! 独り身の俺らには豊満なブラ無しが救いなんだよ!」
「ぼ、私照れちゃうなー」
「根元もノらんでいい!」
クラスメイトの叫びに根元がノッて……本気なのか?
「私も……照れる」
「みぃまで!?」
今さっきやって来たみぃまでも照れている。
もう訳が分からない。
チャイムが鳴り授業が始まる。
男女別で整列するのだが、根元は男子枠じゃなくて女子枠らしい。
ゴリラ先生が音楽を付けると広がって体操をする。
みんなが根元を見ようとして止めてる、そりゃ女子に睨まれるわ。元男だからって遠慮というものが抜け落ちている気がする。
その後は男女混合の2kmの長距離走だ。
「いけるか? みぃ」
「よゆー」
走っている最中にみぃに声をかけたが大丈夫なようだ、みぃの頭に手を当ててからすぐに追い抜いていく。
このクラスにも僕以外の天族がいて、低空飛行して済ませようとした奴がいた。あっ、見事にゴリラ先生に叩き落とされた。
「あれ? 根元はもう終わったのか?」
走り終わり、休憩しようとして根元を見つける。
そんなに走りが速かったかな。
「あぁ、ゴリ先生に止められたんだよ。走りたかったんだけどなー」
「ちゃんとブラ着けたら走れると思うぞ」
「それじゃ意味がないじゃん」
一体何を言っているんだ。
「ま、まぁ今度買いに行くとするよ」
「そうするといい」
「手伝っ──」
「わたし、てつだう」
走り終わってやって来たみぃが根元を遮ぎるように言う。
「おつかれ」
「あり」
みぃとハイタッチをして横に座らせる。
ピコピコと動く耳が愛らしくつい手を伸ばしてしまう。
「んにゃ」
「本当に仲がいいね、ふたりは」
「羨ましいだろう」
「あぁ、ほんとにね」
その後も何事もなく授業は終わり、4時間目も終わると昼休みになる。
「相馬ー! はやく購買行こうぜー!」
「ああ、今行く」
各々(おのおの)集まって食べたりするなか、大黒が僕を誘ってくる。
一瞬だけ根元とアイコンタクトを取り、すぐに教室からでる。弁当はないから早くしないとな。
購買は喧騒に包まれ、様々な種族が行き交ってい……ない。閑古鳥が鳴くように閑散としていた。
「いつもここは空いているよなー、あんパンとカレーパンとコッペパンとチョココロネを一つずつで」
「うるさいよ! 好きで空いている訳じゃないさね。はいコレね」
購買のオバチャンは豹の獣族だった。
ひょ、豹って! ポッチャリ体型でそれは……! なんでそれをチョイスしたんだ。
「ぼ……フフッ、僕は」
「私を笑うやつには売ってやるものかい。水でも飲むがいいさね」
「いや、ちょっ! ごめんって」
「謝ったって知らないさ、さっさと教室戻んな!」
そっぽを向くポッチャリ系しわ寄せ豹族。
「笑ってんじゃねーさ! このあんパン売ってやるからさっさと帰んなっ」
このオバチャンはいつも親しみやすくて、少し馬鹿にしたような軽口を言っても嫌な空気にならない様な人なのだ。
キツそうな外見で案外優しくて、唯一売ってくれたあんパンは僕がいつも買っているやつだったりする。
「……また来るさね」
消えるような呟きを聞こえないふりして廊下を歩いていく。ポッチャリ系ツンデレ豹族。
教室のドアを開けるとみぃが目の前で座っているから、みぃの前の席を借りて座る。
「あーん」
「ん、あーん」
あんパンを開ける最中にみぃからの玉子焼きを食べた。急だったけど迷いはない。しっとりふわふわで今日も美味しい。
「おいしい?」
「凄く美味しい」
「んっ」
みぃは弁当から唐揚げをつまんで僕の前までもってくる。
「あーん」
「あむっ」
うむ、時間を置いているはずなのに肉汁が溢れて口の中が幸せになる。
「おいしい?」
「最高」
「んっ」
満面の笑みを浮かべるみぃは凄く可愛いくて……反則だ。
みぃは弁当の中にあるハンバーグを半分に分けてつかむ。
「はい、あーん」
「あーんっ」
「いつまでやってんのっ?」
みぃの隣に座る根元がツッコミをいれる。
幸せ空間なんだ邪魔をしないでくれ、あ〜ハンバーグ美味しいー。
「二人とも夫婦みたいだよね」
「ふう…ふ」
真っ赤になるみぃ、でも夫婦なら毎日このご飯が食べれるのか。
みぃの手を取り目を合わせる。
「みぃ……結婚しよう」
「……うん」
熟れたリンゴの様に顔を赤くして答えるみぃ。
よし! そうと決まれば今すぐにでも役所に行かないと。
「やめぃ! こっちが恥ずかしいわ!」
ツッコミ役の根元は教室から出ようとする僕を抑えようとする。
だがしかし、そんなものでは僕は止まらない。いや、僕たちは止まらない!
「僕は今すぐに役所に行かないといけないんだ! 離してくれ根元!」
「わたし、行く!」
「ちょっ! 高江さんまで!」
印鑑も用意しないと!
一刻も早くしないと!
「お前らー、本鈴なったから早く席につけ」
「先生! 僕は婚姻届を役所から貰わないといけないんです!」
「です」
「馬鹿言ってないでさっさと席につけ!」
無念、怒鳴る先生の前になす術はなかった。
そしてアンパンは袋が空いたまま食べる事はなかった。
5時間目は国語である。
教師はヘドロ先生、なんでも国語の葉名先生は体調を崩してお休みだそうだ。
「梨子ちゃんお休みなのー? 私、梨子ちゃんの方がいいんだけどぉー」
葉名先生は少しキツめな先生なのだが、クラスでは結構人気だ。人気……だよな?
「ちゃんと授業内容は聞いている、いいからさっさと始めるぞ」
「はーい」
そうして始まった国語の時間、いつもの葉名先生ならこんな事にはならないのだが……
「次、高江」
ヘドロ先生は気遣いも出来ないみたいだ。それは授業も後半を過ぎた頃だった。
みぃをあてるなら朗読じゃなくて違うものであろう。みぃの症状は知っているはずで、理解ある先生ならこんなことさせないだろうに。
席を立って庇おうとしたのだが、それよりも早くみぃが席を立つ。
下を向きながら、震えながら、意を決したように喉から声を絞り出した。
「こう、し…う。こ、この、やまや、ま…と、くち……うは」
「何言ってるか聞こえないんだけど! 大きな声で喋ってくださーい!」
飛んでくる野次の声。
……ふざけるな。今すぐにでも立ち上がり、止めさせようとする衝動に駆られる。だけど、深くズボンを握りしめなんとか抑え込んだ。……みぃがまだ口を開いていたから。
「や、まゃまの、きふ、……せんの」
「聞こえませーん! ちゃんと朗読も出来ないんですかー?」
同調して笑う一部の輩。
溢れそうになる涙を抑え、声を絞り出すみぃ。
ああ……だめだ。そろそろ限界。
「へん、にむ、なしい、な、だらか、さに」
「あーうぜぇ! さっさとよめ──」
「だま」
「うるせぇ! 授業の邪魔だ! 村田ぁ、やる気が無いなら今すぐに出ていけっ!」
僕が言葉を発した瞬間、ヘドロ先生の怒号が響き渡った。
言いたいことを言われて釈然とはしないが、それでも周囲は静まり返った。みぃが頑張ってる朗読の邪魔をしたくなかった。みぃが頑張って読んでいるなら、言い合いになる可能性のある僕が怒鳴って場を荒らげてはいけない。……分かっていたんだが。
クラスが静まり返る中でみぃが再び教科書を読んでいく。そしてみぃが読み終わると、ヘドロ先生は一人の生徒へと視線を向けた。
「次、村田。いいと言うまで読み続けろ」
「はぁ!? ふざけんなし! 誰がそんなこと」
「読め」
「…………チッ、御坂峠、海抜千三百メートル。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって──」
それはチャイムが鳴る前まで続いた。
授業が終わるとすぐにみぃの所まで行く。
抱きしめたくなる気持ちを抑えて、ゆっくり頭を撫でた。
「よく頑張ったな」
「んっ」
そんなに無理やり笑顔を作らないでいいんだよ。
でも泣きたくなんかないんだよな、仕方ないよな。
「かなと、ありがっ、と」
「あぁ」
今は無理して喋らなくてもいいよ、喉がつっかえて涙が出そうになってるだろ。
みぃの目まで指を持っていき溢れそうな雫を取ってあげる。
「だいじょうぶ」
「わかった」
チャイムの音が鳴り、撫でるのを止め少し笑って離れる。
6時間目は何事も無く進み、HRを終えて放課後。
早くみぃと帰るためにカバンを持って振り返るが…………そこにみぃは居なかった。