閑話 玄鳥最後の日
劉備たちと荒野で出会った場面から。
関羽といえば髭。
張飛といえばやっぱり髭。
美髯公と虎髭。
世にもくだらない情報がちらついてあやはついつい劉備の両脇に陣取る二人の大男を横目で窺ってしまう。
関羽の髭はまったく情報通りに艶やかで、手触りがよさそうだ。
張飛の髭は…たわしに使えそう。
まさしく髭兄弟。
とても本人たちには聞かせられないような感想を抱いた。
自分では密かに見ていたつもりだったのだが、思えば二人ともかなり居心地の悪そうな顔をしていた。
何度も咳払いをしていた関羽。
何度も馬に座りなおしていた張飛。
多分物凄くあからさま視線だったのだろう。
あの呂布に無言で頭を叩かれたから相当だ。
「ぃっだあっ!」
幾ら手加減しても呂布の力は強い。
首がもげそうな勢いで伸びた気がする。
文句を言おうとしたら、睨まれた。
後で憶えてなさいよ!?
負けずにそんな意味を込めて睨み返す。
呂布はまったく堪えた様子もなく表情も変えない。
憎々しい態度が勘に触ったので、最後の切り札を出してみる。
「貂蝉に言いつけてやる!」
「どこの餓鬼だ、お前は!?」
あっという間に呂布のポーカーフェイスが崩れて、あやは満足そうににやりと笑った。
小さく吹き出すような声が聞こえてあやははっとする。
しまったと思ってももう遅い。
我に返って振り向けば、劉備が笑いを堪えて、関羽は目を見張って、張飛はきょとんとしていた。
どこの世界に一番偉い人間が頭を叩かれる集団があるというのか。
呂布も額に手を当ててため息をつく。
どうにも最近反応が祁央に似てきた気がする。
あやは何だか一気に肩の力が抜けた。
気取ったって仕方がない。
どうせ彼らとは長い付き合いになるのだから。
あやは劉備に向き合ってへらっと笑った。
劉備は少し面食らってから穏やかに笑い返してくれた。
―いい人だ。
「相変わらず、この辺りは治安がいいですな」
「ああ、その節は留守にして居りまして、無駄足を踏ませてしまったようで申し訳なかったです。」
あやが呉にいる間に一度、彼らが玄鳥の村を訪れてくれたということは、白父に聞いていた。
彼らと顔を合わせたのは白父だけ。
あやと祁央は言わずと知れた呉へ。
左近も呂布も小競り合いに駆り出されていたという。
「で、今度は何の用だ。劉備玄徳。」
「おぬし!兄者に向かってその口の利き方は何だ!!」
呂布が口を挟んできた。
ら、髭兄弟がいきり立った。
ちなみに吼えたのは張飛ではなく関羽の方だ。
張飛が台詞をとられて口を開閉させているのをあやはのんびりと見ていた。
既視感。
この状況には慣れたものだ。
魏では自分が散々怒られたし、ついこの前までは玄鳥を訪れた口うるさい周喩が散々周りに噛みついていたのだから。
「おぬしとは因縁浅からぬ関係。しかし兄者の為にと黙っておったが…その態度大目に見るにはいかん!」
「はっ、昔のことなど今更知ったことか」
「なにい!?」
それでもなんだかいつもと違う言い合いの様子にあやはやっと引っかかりを憶えた。
…あ、しまった。
忘れてた。
呂布と劉備軍は浅からぬ関係があること。
何もかもこれから始まるものだと思っていたが、既に起こっている出来事もある。
劉備軍と呂布は何度かぶつかっているのだ。
そのことごとくを呂布が勝利している。
特に、徐州は劉備から呂布が奪ったといっていい状況。
それは怨みも深かろう。
「やはりおぬしとは決着をつけねばならんか!」
「…受けて立とう」
それぞれが互いの武器に手を伸ばす。
さすがにヤバイ。
「雲長!」
「赤兎!」
叫んだタイミングは同時。
だが、劉備はあやの言葉に驚いて勢いよく振り返った。
普通ここで呼ぶべきは呂布の名だろう!
と言外の表情が語る。
だって、赤兎の方が頭がいいんだから仕方がないじゃない!
さすがのあやもそれを口に出来なかった。
「行って!」
あやは赤兎に短く命じる。
赤兎は心得たかのようにあやに一度頭を振って、呂布を乗せたまま駆け出した。
行き先は玄鳥第一の村、金剛だ。
赤兎なら言わなくてもわかっている。
「赤兎!待て、止まれ!」
慌てる呂布の声があっという間に遠くなっていく。
「スイマセン、お恥かしいところばかりお見せして。」
「…いや、こちらこそ。雲長もいつもはこのように短気ではないのだが。」
「仕方ないですよ。色々あったようですから。むしろ劉備様は彼を恨んではいないのですか?」
「彼には何度も煮え湯を飲まされたことは確かだが、実を言えば私は彼のことは嫌いではないのだよ。この乱世では珍しい類の人間だからね」
これを言うと義弟たちが怒るのだが、そう言って劉備はまた穏やかに笑った。
後ろで劉備の台詞を聞きつけて大いに怒っている髭兄弟の喧しい声も、笑って気にした様子がまったくないところはさすが大物と思わずにいられない。
馬に跨って幾らか進むと山が見えてきた。
横断山脈。
玄鳥六村中、五村がこの山か、その周辺に位置している。
近づくにつれ、その地面が動いているような感覚に三人は目を瞬いた。
更に近づけば、それは山の麓にずらりと並んだ騎兵や歩兵だと認識できる。
にわかに髭兄弟が緊張と警戒に身を構えるのを感じてあやは二人に大丈夫だと声をかけた。
「歓迎してくれてるの、悠々と構えてて。」
そんな事を言われても、前に来た時にはこんな歓迎はなかった。
彼らは色とりどりの布を巻いて、堂々と四人を迎えた。
そして道を空ける。
あやたちはその兵たちの間に出来た道を通って山に入っていく。
モーゼの十戒みたいだ。
何でもないような顔をしているがあやとてこんな風に出迎えられるのは初めてだった。
皆、何か感じたのかな。
あやは少しだけ物悲しく、申し訳なく思う。
劉備はさすが大物。
大して驚いた様子もない。
しかし両脇を兵に囲まれているのだ、髭兄弟の目は尋常ではなく忙しく動き回っていた。
だが、だからこそ、その兵たちの中に多くの一般人が紛れていることに気がついた。
山に入って、兵たちの群れを抜けてもそこここに村人の姿が見える。
じっとこちらを窺っているようだ。
拒絶されているわけではないことは長年の経験からわかる。
だがあやの言った通りに歓迎されているようにも見えない。
どちらかといえば複雑な固い表情の者が多い。
「兄者、尻がむず痒いぜ」
つまり居心地が悪い。
「うむ」
関羽も張飛に言ってやれる言葉はない。
「あ、居た。」
あやは二人の会話を右から左に聞き流して、見えた姿に手を大きく振る。
「ただいま!」
原陽から降りてあやは村人たちよりもっと複雑な顔をしている祁央と、いつもと変わらない無表情の左近と、やっぱりいつもと変わらない顔でほっほっほと笑っている白父に声をかける。
「本当にお前は、碌な拾い物をしてこない…」
呆れ顔の祁央が指すのはきっと後ろの三人。
あの劉備玄徳と髭兄弟を拾い物呼ばわり出来るのは祁央くらいだろう。
「あ~、えっと紹介するね。こっちが多分一度会ってると思うけど、師白父。で祁央と左近。」
ぺこりと軽く頭を下げる祁央と左近の仕草はあやの癖が移ったものだ。
髭兄弟の眉がぴくりと動いた気がするが彼らは何も言わなかった。
「で、こちらが劉備玄徳様、でこの二人がヒゲ…じゃなくて関羽雲長と張飛翼徳」
劉備だけは何となく様付けも抵抗がない。
人徳の問題だろうか。
「ささ、長旅疲れたであろう。建物の中へお入りなされ、今暖かい茶を用意しておるでの」
「かたじけない」
建物の中に入り、劉備を入れた三人と玄鳥の四人は、最初はわいわいとやっていたのだが、互いに本題に入れず段々と会話が途切れがちになる。
何となく、無言が続いた。
白父の茶を啜る音だけがわざとらしく空間に響く。
動いたのは祁央だった。
がたんと席を外して関羽を引っ張り出し、続いて左近が張飛を引きずり出した。
白父に至っては、後は若い者同士で、なんて場所を間違っているとしか思えない台詞をおいて出ていった。
「えっと…」
何だかこの雰囲気本当にお見合いの席みたいだとあやは思った。
話題を探し、つい逃げ腰になる。
「…あ、そうだ。多分そろそろお風呂が用意できてると思うんです。長旅だったならゆっくりと体を温めてから」
「響彩殿」
「はい!」
呼ばれてあやは跳び上がるように返事をした。
あやだけが残った部屋。
そうなったら劉備は早かった。
「どうか、私の力になってくれまいか」
穏やかそうに見えてこの攻勢。
やはり彼は先延ばしにすることを良しとするような人ではないらしい。
あやはずばりと切り込んできた劉備にごくりと唾を飲み込んで背筋を伸ばす。
「…私のような小娘があなたの夢のお役に立てるとは思えませんが」
劉備は真剣な目線を緩めて笑った。
「やはり貴女は私の志を見抜いておいでだ。その慧眼だけでも恐れ入る。ただの筵売りだった私がどんな大望を抱いているのかなど、今まで誰一人思い至った者はいない。」
「……」
「雲長と張飛ですら」
劉備が語るまで気がつかなかった。
あやは劉備から目を逸らして俯いた。
別に見抜いたわけではない。
歴史的事実としてただ知っていただけだ。
思わずそう言ってしまいたくなったけど、あやは口を閉ざして顔を上げる。
「ちなみに、私が抱いているのがどんな望みか、言ってみてはくれないか?」
劉備が雰囲気を崩して言った。
あやも困ったように笑って、それでも答える。
「天下統一。漢王朝復活。」
「…やはりひとの口から聞くと恐れ多い気もする」
苦笑が劉備の口元に上った。
魏の曹操や呉の孫策のように国を持たない。
北の袁紹のように圧倒的な武力もない。
荊州の劉表や涼州の豪族、五斗米道、あるいは玄鳥族ですら持っている「拠って起つ地」もない。
「それでも私は心に決めた。だからどうしても貴女の力が必要なのだ」
あやは劉備の真剣な目に捕らわれて、言うべきことを決めた。
「…私は…天女と呼ばれています」
「『玄鳥天女響彩』」
「その通り。でも、私はただの人間です。何の特別な力もありません。それでもあなたは私を必要だと言えますか?」
「言える」
劉備は即答した。
あやはそっと胸を押さえる。
「貴女は貴女だ。天女と呼ばれるようになった行いがある。この地を守り、人を育ててきた志がある。何もせずに手に入る声望などこの時代にはない。だから、玄鳥天女響彩。その名は貴女のものだ。誇りなさい。」
あやは目を閉じた。
誇り。
初めて言われた。
重いと思ったこともあるその名。
そうか、誇るべきものだったのか。
「そして貴女の力は貴女が思うよりずっと大きいものだ」
あやは目を開けて劉備を見る。
その眼差しを見て、初めて『本当に』あやと目が合ったのだと劉備は気付いた。
強く、強く、劉備を映す瞳。
劉備はこれ程美しいものを見たことがなかった。
曹魏の都で見たどんな宝石よりも、贈られた金銀財宝より、それは劉備の心に残った。
劉備はあやが口を開くのをじっと待った。
劉備には長く思える時間だったが、実際にはそれ程でもなかったのだろう。
あやはゆっくり息を吸い込んで口を開いた。
あやと劉備が共に部屋から連れ立って出てきた。
部屋を出たはいいものの、気になって今か今かと二人が出てくるのを待っていた髭兄弟と祁央、左近。
「兄者!」
「おお、雲長、翼徳、休んではいなかったのか。」
「そんな、兄者が休んでない時に俺たちだけで休むなど!」
美しい兄弟愛が繰り広げられているのをあやは微笑ましいなと思いながら通り過ぎる。
「あや」
祁央と左近が待っていた。
あやは彼らの顔を見上げる。
答えを待っていた。
「…うん、決めた。」
「そうか。」
祁央がそれだけ言って、左近があやの頭を撫でた。
あやは眉を下げて笑う。
それから左近を見て、柱の影に立つ呂布を見て言った。
玄鳥天女の顔で。
「玄鳥に危険を招く可能性があるものは全て、持って行かせてもらう。」
悪いけど二人には選択権はない。
希代の豪傑、呂布奉先。
死んだことにはなっているけど、その存在が明るみに出れば玄鳥族は即座に攻撃の対象とされる。
夏侯惇と名勝負を繰り広げた近衛左近。
幻の英雄。
だけど現実に存在すると知られたらやはり脅威を周りに振りまくだろう。
「最初からそのつもりだ」
左近が答えて、呂布は答えの代わりに無言で姿を消した。
了承の意だと、皆がわかっている。
「…どうする?」
最後にあやは祁央を見た。
彼の名はこの辺りでは有名だが、表に出ているわけではない。
選択肢はある。
玄鳥に残る道が、彼には残されている。
「俺に選択肢など始めからないよ。」
あやと共にある道以外に選ぶものなど何もない。
「そっか」
穏やかに生きられる道。
きっと捨ててしまうと思っていた。
あやは祁央を説得しようとは思わなかった。
最初から、彼らは決めてしまっていた。
呉から帰ってきて、忙しく働くあやの意図に皆が気付いていたように、あやも彼が同じように準備をしていたのを知っている。
ここを起つ為の準備だ。
もう玄鳥は自分たちの手を離れてもうまく機能するだろう。
そういう風に動いてきた。
むしろこれからは自分たちの存在は邪魔になる。
「行こうか。」
あやは一人でないことを心強く思って、笑う。
また、旅が始まるのだ。
今度は長い旅になるだろう。
なぜ2話と同じ題名、同じ場面なのかと言えば、先にこちらを書いていてデータが飛んだという事情。
で、2話を書き直した後に半分復活したので、加筆して閑話として投稿しました。
執筆当時の話です。




