4話 余興という名の予兆
「呂布がここにいるってことは、もしかしてさ、近衛左近っての居たりするのか?」
「……なんで知ってんの」
少々の沈黙で驚きを表現して、あやが問い返す。
孫策はそれを答えと受け取って、複雑な顔であやと目を合わせた。
「あー、やっぱりいるのか…。結構有名だぞ」
下邳の戦いで夏侯惇と互角に戦ったという、謎の男。
盲夏侯の名と共に噂はあっという間に広がっていった。
「あともう一人、名前は…え~と、右近、だっけ?…って、あれ?あいつか!?」
あやと一緒にいた陽気な男の顔を思い浮かべて、孫策は先に一人で納得してしまう。
こちらは確か新しく曹操の下に降った武将、張遼から広まった噂だ。
曹操・劉備軍の者ではなく、なのに呂布と戦った男がいたという。
呂布が最後の戦いで連合軍の前に姿を現さなかった理由を問われて、張遼はそう答えた。
仲間の裏切りかと思いきや、呂布軍に呂布と遣り合うような実力の持ち主はいないとの返事。
結局、呂布の死体も見つからず、本当かどうか疑わしい噂と謎が多く残った戦だった。
少なくともその多くは真実だったわけだ。
やばい奴らの巣窟じゃないか。
玄鳥の村とやらは。
孫策は頬を引き攣らせた。
「…また酒か?」
うんざりとした声音を隠さない周瑜がそう呟く。
「おい、もっと喜べよ。俺たちの歓迎会だぞ」
「まあまあ、周喩は二日酔いだから仕方ないって」
注意を促す孫策と、それをかばっているのかいないのかいまいち判断の付きかねるあや。
「そうそう、お前たちを口実に宴会したいだけなんだから気にすんな」
開けっ広げに言って、最後に笑う右近をあやは胡乱気に見る。
本当にそう思っていたとしても言ってはいけないこともあるということを彼に教えなければならないらしい。
「右近、デリカシーに欠ける!『口実』なんて言うもんじゃありません!周喩は孫策が大好きなんだから、孫策を蔑ろにされたって怒るわよ?」
あやの言葉を受けて、右近が周喩をまじまじと見るものだから周喩は怯んで否定の言葉を口にする。
本当のところはあやが先に口を開かなければ、あやが言ったこととほぼ変わらない内容を怒鳴ろうと思っていたのだけれど、最早口には出来ない。
「わ、私はそんなに心の狭い男ではない!」
「と、周喩からもお許しが出たことだし、今日は忘年会新年会を兼ねた正月祝いプラス呉の客人の歓迎会ね」
あやが手を合わせながら周喩の言葉を受けて、宴の主旨を簡潔に伝える。
結構自分たちは優先順位が低かったのだなと思いながら、周喩は一つため息を落とした。
「じゃあ、石英の記念堂でまた。」
開催場所を告げてひらひらと手を振るあやに噛み付きもせずに見送る。
彼女の前では、簡単に乗せられてしまった自分を悔やむ気力も湧いてこない。
それで終わってしまうところが、彼らがこの調子に慣れてきている証拠だろう。
玄鳥第四の村、石英。
夕暮れの中で佇む建物には多くの人が群がっている。
そこには玄鳥最大の建物がある。
記念堂。
続々と人が集まってくるのを見て、孫策と周喩は感心する。
「すごい人だな、どこから湧き出たんだ?」
湧き水に例えるかのような孫策の物言いに隣で播瑠が苦笑している気配がした。
少々表情に乏しい播瑠は、主と仰ぐ孫策とその親友周瑜だけの旅に同行してからは随分と感情が表に出るようになった。
広く浅くより、狭く深く、を地で行く男。
多くの人の目にさらされる呉ではその頑なな態度から敬遠されがちだった故に、孫策は彼も同行者に加えた。
判断は間違っていなかったようだと少し嬉しくなる。
ここで繋いだ絆を足掛かりに、国に帰ってから、彼の心許せる場所が広がればいいと思う。
悪い奴ではない、ただ、人に慣れるのに時間のかかる男なのだ。
「玄鳥の村で来れるやつは皆集まってくるからな。近くの村人にも開放されてるし、これからもっと増えるさ。オレとしては大歓迎だぜ。なんたって飲食が増えるからな」
いわゆる持ち寄りパーティーなのだが、呉の人々には理解できなかったようだ。
普通宴は招待するものが全ての用意を整えるもの。
まして、権謀術数の中で口に入る物には気を配らなければならない身分を持つ孫策や周瑜である。
「随分と近代的なシステムですね」
播瑠が説明を聞きながら感心したように感想を述べた後に、ふと気付いたように周りを見渡して右近と左近に聞く。
「あやさんはどこに?」
「あ~あいつは多分村の女たちに捕まってるんじゃないか?」
「捕まる?」
「あいつビラビラした格好好きじゃないからな。祁央は付き添いだ」
「?」
「…その内、来る」
左近があやの様子を気にする三人が面白くないとばかりに話を終わらせてしまう。
孫策らもそれ以上追及したい事柄でもなかったので、話はそこで終わった。
「とりあえずオレらも中に入ろうぜ」
右近の言葉に頷いて、孫策たちは講堂の中に足を踏み入れる。
途端に右近たちの存在に気付いた人々が一斉に騒ぎ出す。
「近衛様、陽明様、明けましておめでとうございます!」
「今年もよろしくお願いします」
「無事一年が終わりました。近衛様たちのお陰です!」
その声にも慣れている様子で右近はいちいち答えを返し、左近は目線だけで頷く。
「…すごいな」
「本当に玄鳥の偉い方たちだったんですね」
その迫力に押されて一歩下がったところから呉の三人組がその様子を見守る。
自分たちが呉ではどういう立場の者なのか、彼らは知らないのだろう。
でなければこんな隅に追いやられているわけがない。
周喩はそう自分を納得させながら彼らの様子を見ていたが、その時に飛び込んできた会話に耳をそばだてた。
「響彩様はいついらっしゃるのですか?」
「今日は響彩様もお見えになられるのですよね」
ぴくりと反応を示した周喩に他の二人も気が付いた。
「響彩…この玄鳥の長の名前ですよね」
「ああ、何でも人ではないとか」
播瑠と周喩の会話に珍しく孫策が加わらなかったことに周喩は気が付いていたが、その事に特に注意は留めなかった。
「天女かどうかはともかく本当にいたのか」
そういう存在の者が。
周瑜は意外な事実に小さな驚きを混ぜて言った。
噂はよく聞く。
だがそれは真実とは信じられない事柄ばかりで、周喩は初めからその存在を疑ってかかっていた。
民衆たちに作り上げられた架空の英雄。
その方がよほど真実味がある。
「ということは、名高き玄鳥の創始者、玄鳥天女本人に今日会えるのですね」
播瑠の言葉に孫策は何を言うべきか悩む。
もう会っていると言っても、特に周喩は信じないに決まっている。
やはり目の当たりにしないと駄目だろうと孫策は口を噤む方向で決めた。
まさかあのあやが音に聞こえた玄鳥天女などと、現時点では嘘くさいにも程がある。
「あ、宴が始まるようですよ」
「…しまりのない始まり方ですね」
「仕方ありませんよ、聞くところによると主催者とかそういうことは関係ないようですから」
一斉に音頭などとって乾杯などしない始まり方に違和感がある。
女子供もいれば、しわくちゃの老人もいる。
なんだかごった煮のような光景だ。
「孫策、周喩、ハル!お前たちの席はこっちだ」
思い思いに立ったまま、あるいは適当に座って話に興じている者が多いから、席なんて決まっていないと思っていたが、どうやら一応はあるようだ。
それとも客の扱いだからだろうか。
「ここだ、座って好きなだけ飲め。そして存分に食え!」
右近が隣にどっかりと腰を下ろしたところを見ると、ここが一番の上座なのかもしれない。
そうは見えなかったが、気を遣ってもらっているようだ。
見た目を裏切って甲斐甲斐しい右近が色々と飲食物を運んできてくれたので、孫策たちは言葉に甘えて箸を取る。
ここでは自分たちは命を狙われるような身分ある者ではない。
ただの客人だ。
毒の心配もなく、幾年ぶりかの温かい食事を口にした。
「……旨い」
「そうだろそうだろ。ここいらの食材は最高級だからな」
そんなどうでもいい事を話している内に、いつの間にか人々が壁際に寄って広間に幾つかの空間が出来ていた。
「余興か?」
「ああ、お前たちもやるか?」
どういうことかと思っていると、余興は順番が決まっているわけではなく、思い思いに輪の中に飛び入りで参加している。
この日のために腕を磨いてきたのだろうと思うほどの者もいれば、せいぜい数人の前で披露するのが限界だというような芸もあった。
しかし観客たちはそのどれもに惜しみない拍手を送っている。
観賞に夢中になっている内に、やがて幾つかあった輪が段々と統合されていって自然、最後には広間の真ん中に大きな輪が一つ出来た。
「誰でも参加できるんだけどな。一応暗黙の了解ってのがあって、後のほうは上級者が多い」
当然と言えば当然の流れだ。
「へえ~」
孫策が感心したように頷きながら、顎に手を当てて何事かを考えている。
周喩は何となく悪い予感を抱いて、孫策に声をかけようとしたが遅かった。
気が付いた時には孫策が輪の真ん中に飛び込んで行っていた。
「そ、孫策!?」
孫策は多くの視線にもたじろぐことなく堂々と構えてお辞儀を一つ。
観客の多くは見覚えのない顔に興味を引かれて何をやるのかと静まり返る。
孫策はいきなり静まってしまった周りに目立ちすぎたかと思いながら、下げていた剣を構えた。
この村では、武器すら取り上げられることがなかった。
自分たちを尊重し、信じてくれた彼らに、それを以って感謝を伝えたい。
お?
剣を振る前の一瞬に、目が合った。
にやりと笑うと彼女は苦笑を返して、集中しろと無言で訴える。
孫策は剣を一閃して宙に舞った。
それは剣舞。
力強く、空気を凪ぐ、誰もが見惚れる誇り高き王の舞。
まるで地を駆ける熱風だ。
あつい。
そんなわけがないのに、真冬の空気すら熱するような覇気が周囲を満たす。
あやは自然に口を開いた。
剣を奮い、人の命を奪う以外に出来ること。
語ること、歌うこと、奏でること。
あやはそれが好きだった。
紡がれる旋律は反発することなく空気に溶け込んでいく。
それは風に似て、あまりに自然で、多くの者があやが歌っていることにすら気が付かない程。
口を開くことすら憚られる雰囲気の中で、金色の旋律と孫策の舞だけが交じり合って昇華されていく。
孫策は舞いに集中しながらも、あやの歌声を聞いていた。
まるで神の祝福だ。
力が漲るような感覚が体を押し上げる。
すごいな。
神風に乗っているようだった。
たんっと床に足を着いて孫策は四方にゆっくりと頭を下げる。
終幕だ。
呆然と魅入っていた剣舞が終わったのだと理解した観客から、この日最大の拍手がおきる。
それに機嫌よさそうに陽気に手を振りながら応えていた孫策がふと笑って、もう一度頭を下げた。
観客にではなく。
今日の本当の主役に。
演奏をありがとう。
そういう意味を込めて。
孫策に笑い返すことで応えたあやは珍しく裾の長い布を無駄にたっぷりと使った服を着ていた。
その姿は正しく天女のようで一瞬見惚れたが、同時に孫策はあやが言った言葉を思い出す。
―あたしの名前はそれでもあやよ。
だからなんでもないように、玄鳥天女ではなくあやに感謝の意を示す。
孫策の行動につられてあやの存在に気付いた人々からざわめきが生まれる。
「響彩様」
ざわめきの中にそんな名を見つけて、周喩は改めて遠目に見える孫策と共演した女に目をやる。
孫策の剣舞の途中から歌が加わったことは気付いていた。
だが、孫策の剣舞の邪魔をしないその歌声には感心しても、孫策から目を離そうとは思わなかった。
もう幾度も目にしているというのに、やはり君は王だと、確信に胸を熱く高鳴らせるのは毎度のこと。
だが、今は別だ。
あの女が、玄鳥天女。
目を細めて彼女の姿を値踏みするように見る。
その女は確かに周りから浮いて見えた。
豪奢な着物のせいかもしれないし、人があっという間に彼女のために道を開けて、敬う様子を見せたからかもしれない。
「だがなるほど、美しいな」
「はい」
周喩の言葉に播瑠が同意した。
隣では右近がいつも通りはしゃぎ、左近もいつも通り黙り込んでいる。
「あれは相当嫌がったんだろうな」
無言の中にも苦笑する気配を読み取って、右近は左近にさらに言い募ろうとした。
しかし、その行動を止めてもう一度広間の真ん中に立つ孫策を彼の意図した通りに見る。
孫策が手を叩き、逸れた皆の意識を戻していた。
「さて皆さん、音に聞く名高き玄鳥の中に、これ以上のものを見せることができる者はいますでしょうか?」
それは挑発的な言葉だったが、これが宴の余興と理解している観客たちは一瞬ざわりとしてから、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
誰それなら大丈夫だろう。
いや、何某の方がいい。
そんな怒鳴り声のような議論が場を支配する。
幾つもの名が上がり、それを否定するものがいる。
だが段々とその中に一つの名が広がり、いつしか広間はひとつの意見で纏まった。
「「「火王!火王!火王!」」」
観客の中から誰かが押し出されてくる。
あやは苦笑する。
それは彼の真実の名ではない。
鍛冶場にいる大男。
それだけで単純に人々が呼び出した名だ。
むっつりと、観客に背を押されて見上げるほどの男が輪の中に立った。
こんなことに駆り出されるのは本意ではないとばかりの仏頂面だ。
それでもあやはその様子にほのぼのと笑ってしまう。
随分と丸くなった。
人に強制されて何かをやるような人物ではなかったのに、今ではこんなことにも嫌々ではあるけれど拒否の色はない。
そして周りの人々も、彼にもう怯えることはないのだ。
その背を叩き、肩を寄せ、声をかけて彼に期待を寄せる。
もう一人、彼の傍に観客の中から押し出されて立つ人物がいる。
彼ほど大きくもない彼女はもみくちゃにされたのか、髪が乱れていた。
しかしその美しさは損なわれることはない。
周りの老若男女関係なく、ほうっとため息が聞こえてきた。
彼女はあやにひとつ頭を下げて、口を開く。
「私が演奏させて頂く許可をお願いします。孫策様に貴女様の歌声では贔屓が過ぎるかと」
「許可など取る必要はないよ。彼の舞にはあなたの歌妓がよく似合う」
そうでしょう?
貂蝉の名を一度だけ呼んで、あやは孫策がそうしたように手を叩いて皆の注目を集めた。
「さて、皆さん。玄鳥最高の武舞と歌を以って客人の言葉に応えることにしましょう。同時になかなか巡ってこない機会です。存分に楽しんで下さい。」
一瞬歓声が響き、それはすぐに収まった。
孫策に負けず劣らずの、力強い暴風のような舞が場をさらっていく。
「よ、どうだ。この余興は」
「孫策……」
席に戻って周喩に声をかけた孫策は、自分の名を呼んだきり黙り込んでしまった周瑜に肩透かしを食らったような顔をした。
文句を盛大に言われると思っていたのに。
と言うよりは先程見たときは確かに怒りがその顔に浮かんでいたから、絶対に説教されるだろうと覚悟を決めて戻ってきた。
しかし周喩の目は広間の中央に向けられ、孫策を映さない。
「馬鹿な…ありえん!」
「周喩様?」
呆然と呟く周喩に、訝しげに播瑠が声をかける。
孫策にはなぜ彼が驚いているかには存分に心当たりがあったから、さてどう彼を納得させようかと思考を巡らせ始めた。
「方天画戟…」
広間の中央で、孫策と同じように始めに男が戟を一閃させる。
その武器。
知っている。
あの蛮勇を馳せた男にしか使えない巨戟。
それに似たものを、誰かに似た男が簡単に振り回している。
誰かに似た?
否、否、否!
見覚えがある。
あの体躯。
全身で武を現していた、無双の名に相応しい豪勇。
純粋な強さを比するなら、誰もがその名を最強と口にする。
力強く、空間を切り裂く、万人が圧倒される無双の武舞。
孫策が熱風なら、彼の舞は炎だ。
赤く猛り狂う炎だ。
「…呂布、奉先」
もう口にすることもないだろうと思っていた、天下を一瞬だけ彩った男の名。
周喩はそれを否定する術がなく、認めるしかない事実に驚愕を隠せなかった。
孫策は周喩の様子に困ったように、どうしようかと考え込んでいて、右近も左近も相変わらず素晴らしい舞と歌を披露する呂布と貂蝉に見入っていたから気が付かなかった。
「呂布…あれが!」
隣で獲物を見つけたように鋭く目を細めた男の変化に。
周喩の呟きを受けて、それ以上に目を見開き、呂布を凝視する。
「本当に生きていた」
だが、もしその呟きを耳にしても誰にも意味はわからなかったかもしれない。
同じような言葉は周瑜の口からも漏れていた。
その違いを見分けろと言われても、無茶だとしか言いようがない。
悲劇は回避する術をいまだに知らず。
「正しくない…この歴史は修正しなければならない」
呟いて背に隠した黒光りする鉄の塊に手を伸ばす。
「周喩、播瑠。」
「…何だ、策」
「何ですか、孫策様」
周喩の声はたった数分で随分憔悴したように聞こえる。
播瑠はいつも通り、孫策の呼び掛けにだけはいつだって笑って答える。
「あれは呂布奉先じゃない」
「何を言っている。あれはどうみても…」
「呂布は死んだ。そうだろう?」
逆らうことの許さない声音で孫策が疑問という形の命令を下す。
孫策の目をのぞき込み、その真意を逃がさないとでも言うように鋭く見つめていた周瑜が根負けしたように深いため息をついた。
「…君がそう言うならそうなんだろう。なあ、播瑠」
「はい。」
手を膝に下ろし、何でもないように広間に目を戻す。
納得したふりをして余興を見る。
死んだ?
ではあそこにいるのは誰だ?
生きた呂布だ。
そう、死んでなければならない人物。
――いいさ、まだ、幾らでも機会はある。
続き、遅くなりました!申し訳ありません!




