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燕華の天女 河岸の覇  作者: 一集
第二章 呉編
32/83

1話 珍客で始める一年




「おう、見えたぜ。あれじゃね!?」


馬上。

男が野の端に見える山を指差した。


よく見れば山というよりは山脈のように長く連なる影が見える。


「まったく落ち着きのない…君からも何か言ってくれないか。」

「はは、私には何とも」


同行の男二人が何かを答える前に、さっさと駆け出していってしまった彼の姿はあっと言う間に遠い。


「君は彼に甘すぎるぞ」

「…人のことは言えないと思いますが」


穏やかな顔を崩さないまま、反論してきた男を思わず見やって、もう一人の男はため息をついた。


「君も言うようになった…」

「あの方のおかげです」


いつもにこにこと笑顔を崩さない男が、珍しくそれとわかる本当の笑顔を浮かべて答えた。

どんなに貴重な瞬間かをわかっていたから肩を竦めて反論はしない。


「…さて、私たちもあの暴走馬を追いかけることにしようか。」


かわりに諦観とも苦笑とも取れる音をもらし、賛成するしかない提案をする。


「はい」


二人は馬をの腹を蹴って、先行した男の後姿を追いかける。


目指すは横断山脈。

天女が住むという地。






「…………」

「…何だ、左近」


無言の訴えに先に折れたのは祁央だった。

向けられた視線にため息をついて、読んでいた書簡を下ろす。


「何か報告か?」


左近は頷く。


左近は密やかに世間には「三無の権化」と言われている。

それが数ある双つ名の中でも、玄鳥族の中ではもっとも浸透しているのだから、左近の普段の態度がよく伺えるというもの。


三無。

つまり、無口、無表情、無愛想。


これで無能だったら救いようもないが、生憎と玄鳥の中でもその評価は聞いたことがない。

反対に一般の民の間では、最も人気のある玄鳥として知られているというのだから、世の中わからない。


祁央はなかなか口を開かない左近を仕方なさそうに見て、ざわざわと煩い全役洞を出る為に腰を上げた。


慣れた人間以外の前では必要ない限り極力口を開かない左近だから、いつも知らせたいことがあると、手紙が届けられる。


お得意の鳥が羽ばたきと共にやってくることもあったし、左近自身が伝えたいことをしたためて持ってくることもあった。


もしくは一日が終わった後、祁央やあやの周りに人がいない時を見計らってやってくることもある。


大分労力の無駄のような気もするが、左近にはそれは譲れない一線らしかった。


だから、手紙でもなく、一日の終わりを待つでもなく、祁央の元に来たということは、早めに伝えたいことがあるということ。


「白父殿、ちょっと席を外すぞ」

「あいわかった。ついでに休んで来くるといい」


坊は働きすぎだと言って、後ろ手にひらひらと手を振る白父の声に、そういうわけにはいかないだろうと、心の中だけで祁央は呟く。

さっさと左近の話を聞いて、仕事に戻らなければ。


なんたってリミットはもう直ぐ。


かつて半年ほどこの地を留守にしたことがある玄鳥天女の代理を、見事務め上げた祁央の仕事はあやが戻ってきてどれほど経っても減らなかった。


特に、恐ろしい勢いで増えていく書類の山に埋もれる日々は、ここ半月続いてる。


ざかざかと仕事を増やしてくれる白父にも文句は言えない。

どう考えても自分のウン倍になるかわからない仕事を白父は毎日やっつけているし、あやですら同じ量を飄々とこなしている。


「仕方ないじゃない。師、走る、師走(しわす)だもの」


忙しい時期なんだから。

そう言ってあやはくすくすと笑った。


毎日毎日、授業と宿題とテストと、他にも部活動や委員会活動、校外では習い事や塾、現代の学生に必要なのは要領と効率。

それが出来ない人間が落ちこぼれていく中で、あやは常に成績優秀者だった。


だから本当は慣れているだけ。

昔取った杵柄。


祁央はそれを知らないからがむしゃらに、せめてあやくらいには仕事をこなそうと必死になっている。

そしてあやと白父しか、上しか見ない祁央は実はかなりの有能者だ。


『三十一日の夕方までに今年の仕事は終わらせること。』


毎年恒例の玄鳥天女からのお達しが今年も出た。

おかげで、毎日てんてこ舞いだが、その後に家族や大切な人と過ごす大晦日と、迎える新年はまた格別だと知っているから、誰も文句を言わない。


「で、どうした。手短にな」

「ああ」


やっと重い口を開いた左近に祁央は目を合わせる。


その右目は閉じられたまま、開くことはない。

かつて右近と揃いで縦一線の傷がトレードマークだった左近の右目はもう一年以上前に、十字の傷になった。


「毛色の変わった奴らがこっちに向かってきている。」


少し気になったのだと、左近が報告する。


「毛色の変わった奴ら…」

「ああ、馬に乗った三人組だ。どうやらここを目指しているらしい」

「金剛の村を?」


祁央は眉根を寄せて考え込む。


金剛は玄鳥の中心ではあるが、一般の者がそうそう来るところではない。

力のない時代に初めて作った村だから、山奥の入り組んだ場所に建っている。

単純に訪れ難いのだ。


「黄玉を通ったのが一週間ほど前だという。」


今は玄鳥の村も六村ある。

金剛を含め、他の五村は横断山脈に、もしくはその麓にあるが、黄玉は少し離れた平野に実験的に作った、一番新しい村だ。


玄鳥に連絡を取りたいなら、そこで十分なはず。


「それなりに地位があるやつに見えたと言っていた。」


左近の報告に、祁央は二年も前になる、あやが突然玄鳥の村から姿を消した時のことを思い出す。


「…あやは今どこにいる?」


考え込んで、何らかの指示を出すかと思われた祁央の第一声に左近は苦笑した。

こうも判断基準が変わらない者も珍しい。


「多分翡翠だ。餅つき大会に参加してるんじゃないか?」


玄鳥第二の村。

金剛の手前にある故に、金剛に来ようと思うなら必ずそこを通らなければならない。


年末。

仕事に追われる人がいれば、家を預かる者もいる。


彼らも大掃除と正月の準備で大わらわ。

だから仕事を分担して能率を上げる。


翡翠の村では今日が確か、餅を作る日だった。


そんなイベントをあやが逃す筈がない。


「だから午前中に必死で仕事を終わらせていたのか…」


祁央が、昼までは自分の隣で書類に向き合っていたあやの、いつも以上に真剣な様子を思い出す。

そういうときだけは無駄に手際がいい。


「どうする?」

「翡翠に行ってくる」

「あ?」


左近がつい漏らした間抜けな声は自分たち以外は聞いたことがないだろうなと、頭の隅で思って祁央はさっさと歩き出す。


「祁央!?」

「残りの片付けは頼んだ。」

「ちょ!」


っと待て!とは言えなかった。


どう考えてももう左近の声は聞こえていない。

左近は無駄なことはしない主義だ。


「おれが?あの山積みの仕事をやるのか…」


報告なんてしなきゃよかった。

左近はため息を吐いた。


あと数時間で終わるといいが…。


毎年、大晦日はあやと祁央、右近と過ごす。

時々は他にも増えることがあったけど、それ以下にメンバーが減ることはない。


きっと、今年もあやが搗き立ての餅を振舞ってくれるだろう。


それなりに走り回った日々だったが、思い返してみると静かな年だった。

外は騒がしく、天下が揺れ、遂に前哨戦が終わった天下取りが本格的に始まった。


だが、それでも南の地にまだ火の粉は降っていない。


左近は北を見た。


そこに広がっているだろう戦火。

今までになく大きな戦い。


今年始まった天下を占う大戦に大陸全土は緊張感に包まれている。

この戦に勝った方が、天への階段を一気に駆け上るだろう事は、誰にでもわかる明白な事実。


いいさ、夏侯惇。

お前さえ死ななければ。


決着を付ける前に死なれては困る。

左近はあれから人前ではほとんど抜くことのなくなった偃月刀を撫でた。


いつかこの地も無関係ではいられなくなる。

その足音が少しずつ大きくなってくるのを、左近は耳を澄まして聞いていた。






「こんにちは」


このパターンは覚えがある。

あやは既視感を憶えてそうっと振り返った。


「…こんにちは」


馬上の人を見上げて、挨拶を返すと男がにっこりと微笑んだ。


ま、眩しい!


あやはその笑顔に目が眩んで、とっさに顔を顰める。

太陽を直視した気分だ。


光の残像が、閉じた目蓋の裏にも残って、その強烈さを実感させられる。

目が痛い。


後から思えばすごく失礼だった。

人の顔を見て、顔を顰めたんじゃ、誤解されても仕方がない。


「ぶっ!」


眩しい笑顔の御仁ではなく、その隣から噴き出す音が聞こえてきて、あやはもう一度顔を上げた。


「お前の笑顔に落ちない女を見たのはこれで二度目だな!」


いいものを見たと、豪快に笑う男に親近感を憶えて、あやは光を放つ男を視界に入れないようにその男の方を見ることにする。


「あと一度は誰なんです?」


そうしたらもう一つ声が聞こえた。

が、そちらは振り向けば確実に眩しい男が目に入るので見れない。


「大喬に決まってるだろ!」


……聞き覚えのある名前だ。


「孫策、こんな所でまで惚気は聞きたくない」


憮然とした声が例の人から発せられる。


今、この人孫策って…。

ばちっと、向けていた目がそう呼ばれた男と合う。


「………」

「……」

「…ぎ、」

「ぎ?」


あやは歯の隙間から漏れた音を止めることは出来なかった。


「ぎゃ―――――~~~~~~~~~ぁあ!!」


男三人、耳を塞ぐ暇があるはずもなく、耳鳴りを引き摺る破目になった。


「…孫策、君も顔を見て叫ばれたのは初めてだろう」


いい気味だと、それでも先程笑われた怨みなのか、見目よろしい男が根性を見せて皮肉を言った。


「孫策…って、ええ?うそでしょ。ってことは、この歩く公害みたいな人は周喩?…確かに美形だけど!」


タイプじゃない。

がっくりと項垂れるあや。


文句を言いたいのは周喩の方だ。

初めて会った女に顔を見て嫌な顔をされ、名前を知られてがっかりされる。

こんな理不尽な事はない。


「あや!どうした!!」

「あら、祁央。早いね」


がさがさと草木を掻き分けて顔を出した祁央に、あやは驚きもせず声をかける。


「今の悲鳴は!?」

「…ちょっと予想外の人に会って驚いただけ」


あんな大声を上げて、祁央が駆けつけてこない訳もなく。

祁央がここにいることに何の疑問も抱かず、あやは説明する。


だが、ここは翡翠。

金剛にいる祁央にその声が届くわけもないことも、金剛からここに来るのに最短の道を馬で駆けても数時間はかかる事も、あやには特に気にする事でもないらしい。


「…何だお前たち」


祁央が呆然と事の成り行きを見守っていた男たちに警戒心も顕に武器に手をかける。

あやの大声を聞いたときに、本当は身に危険が迫るような大事でもないとわかっていたけど。


見た瞬間に左近の報告の三人組だと直ぐにわかった。


「待った、祁央。大丈夫。敵じゃないわ」

「…知り合いか?」

「……一方的に。」

「そうか」


じゃあ、と祁央はもう一度武器を構える。


「ちょ!何で引かないのよ!!」

「一方的な知り合いは、他人だろう!お前が敵じゃないって言ったって向こうもそうとは限らん!」

「そんなことないって!!例え敵でもこの人がいる限り騙まし討ちはないから!」


そういう人だった。

本の中では。


「この人?」

「その人。」


あやは指差す。


「誰だ?」

「孫策」

「…呉の?」

「そう、呉の」


祁央は指差されて、ぽりぽりと頬を引っかいている男をまじまじと見た。


「と、周喩。」


あやは孫策からきらきらしい男に指を向ける。


「…美周郎?」

「そう、孫策大好き友情男。」


だった。

あやの読んだ本の中では。


「…と、もう一人は?」


言われて初めてあやはもう一人の姿を見ていなかった事を思い出して、顔を向ける。


「あ。」

「…異人?」


あやが声をあげる。

続いて祁央が訝しげに声をあげた。


ブロンドと青い目。

どう見ても西の特徴。


あやが知る三国志の人物にこんな人はいなかった。


「こっちは播瑠。元行き倒れだ」


戸惑ったあやたちに孫策が助け舟を出した。


「初めまして、播瑠です。」

「ハル…」


カタカナの方がしっくり来る奇妙な音は、久しく聞かなかった外国名に当て字をしたからだろう。


その男がにっこりと笑った顔に、肌が粟立った。

身の内に何かが渦巻く。


この人、なにか…。


あやは祁央の着物の端を無意識に握った。


ごくりと息を飲んで、逸らした目線の先に孫策。

何だかほっとしてしまう。


そんなあやの様子に気付いたのか、孫策が笑いかける。


からっと笑う孫策に警戒が勝手に解けて、あやはいけないいけないと頭の中で首を振る。

彼は呉の君主。


…ん?

それってつまり。


「呉の…一番偉い人って事?」

「俺のことか?」

「そういうこと…だよね?」


恐る恐る孫策を上目遣いでみると、あっさりと頷かれた。


「ちょっとー!何でこんな所にいるわけ―――――――!?」


驚きに離されたあやの手に目線をやって、祁央は呟く。


「騒がしい一年になりそうだ」


静かだった一年は終わりを告げようとしていた。






一章本編ラストから一年半が経過しています。

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続きがどうしても気になる!と仰る奇特な方はHPの方からどうぞ。

完結済ですので、最後まで読めます。
ただし、夢小説(二次創作)サイトなのでご注意を。
なろう版は二次部分を誤魔化しています。

原版がどうしても無理っ!という方も多いと思いますので、あくまで自己責任でお願いします。
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*管理パスを紛失しているのでHPから送られたメールは読めません。申し訳ございません。
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