小咄 微睡み
あやが呼ぶ。
「祁央、祁央…」
「何だ、あや」
答えると、あやは安心したようにまた目を閉じた。
数日前はその声を久しぶりに聞いたと思っていたのに。
もう耳に馴染むほど。
あやは祁央の傍を離れない。
あやは帰って来た。
だが、あやはずっと不安定だ。
昔のように。
かつて、出会ったばかりの頃。
あやは人の死を知らなかった。
人の命を奪うことを嫌悪していた。
この世界に怯えていた時、あやはやっぱり祁央の傍から離れようとしなかった。
世界を拒否するように、目を閉ざし、耳を閉ざし、心を閉ざそうと。
多くの時間を微睡みに費やしていたその頃によく似ている。
あやが世界を受け入れたのは、彼女が初めて人の命を奪った時。
それは祁央のせいだった。
あやは祁央の命を選び、誰かの命を奪うことを選んだ。
多分、とっさの行動だったんだろう。
あやは血に染まった自分の手を見つめて、それからその手を空にかざした。
何かを掴もうとするかのように。
届かない何かに手を伸ばすように。
「…覚悟、忘れてた。」
しなくてはいけなかったのに、ないまま、罪を犯した。
それから、呆然としていた祁央を振り返って笑った。
「ねえ、無意識の行動って本音が出ると思わない?」
「え、ああ、そうだな」
「…あたし、自己中になる。」
知らない誰かより、身近に居る人のほうが大切だ。
勝手に動いた体が、そう示した。
答えを出して、自ら選んだわけではなかったけど、その時にあやはこの世界に足をつけたのだ。
「あや?」
そして微睡むあやは目を開けない。
夢を見て、手を伸ばして飛び起きて、祁央を呼んで、また眠る。
あやにとって祁央の知らない半年は、どんなものだったのだろう。
祁央はあやの寝顔を複雑そうに見つめた。
あやの様子は哀しそうだったけど、半年の時間を後悔しているわけではない。
そんなのはあやの目を見ればわかる。
自分が傍にいない間に、彼女は何を見て、何を感じてきたのか。
まだ時々感じる違和感は、あやがふとした瞬間に知らない顔を覗かせるから。
祁央は少し悔しく思う。
あやがこの世界に来てから、一番近くにいたのは自分だという自負があったから。
でも。
祁央はあやの手を取る。
あやはここにいる。
そして、いつか、目を開ける。
祁央の手を借りずとも、あやはやがて一人で立ち上がる。
自分の役割は今、あやの傍にいて。
やがて走り出す彼女の傍にもいて。
変わらず、そこにいること。
それだけだ。
微睡みです。




