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燕華の天女 河岸の覇  作者: 一集
第一章 魏編
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2話 風雲、急を告げる




「おい、孟徳(もうとく)。」

「何だ、元譲(げんじょう)


不機嫌そうに振り向いた曹操(そうそう)夏侯惇(かこうとん)はそれよりも更に不機嫌な顔で対応する。


「景気の悪そうな顔だな。どうした」


民が見たらそれだけで裸足で逃げ出しそうな顔も曹操には見慣れたものだ。

不機嫌な夏侯惇の声を聞いて、一応ポーズとして気取っていた自分の厳しい表情も早々に撤収させる。


「…いや、」


そう言って夏侯惇は深いため息を吐いた。


「何だ、珍しい。歯切れが悪いな。」

「…そうもなるさ。」


夏侯惇は額を押さえながらチラリと原因である報告書に目をやった。

自分に報告に来た文官もこんな心境だったのだろうかと今さら考えて、結局怒鳴ってしまった己の行動を少し後悔してみる。


とりあえず、曹操の機嫌を損ねないように遠回りでいこうと、変化球な質問を投げてみた。


「天玄党って知ってるか?」


曹操の反応は予想通りだった。

曰く、


「何だそれは。黄巾の仲間か?」


面白くなさそうな顔は、そんな案件を自分にまで持ってくるなと書いてある。


「…どう…なんだろうな」


夏侯惇とてこんな曖昧で訳のわからないものを曹操の下にまで持って来たくはなかった。

しかし、もう一度細かく調査して詳細を記した報告書を待つには見過ごせない箇所がこの報告書には存在する。


「ええい、はっきりしないな。何が言いたい!」

「新興勢力になり得るかもしれんやつがいる。」


曹操が驚きの表情を見せたのは一瞬。

眉根を寄せて夏侯惇に向き直った曹操はさっきまでの気だるげな雰囲気をかなぐり捨てて、その目は爛々と輝いていた。


「話せ」


静かな声が夏侯惇の背を震わせる。

何度この声に壮大な夢を見たことか。


「遠い地の話だ。脅威になるにはまだ時間がかかる。」


しかし、と続けようとした夏侯惇の言葉はあっさりと曹操に取られてしまった。


「そんな御託はどうでもいい。どういう奴だ?」


どんな小さな芽でも覇道の妨げになるものは許さないとでも言うように、今や大陸でも知らぬものはいない程の力をつけてなお、彼の目には野心が宿り、油断と慢心は曹操の影すら踏んでいなかった。

夏侯惇はそのことに満足そうに口の端を上げてもう一度報告書に目をやった。


「その数は不明。黄巾との繋がりもわからん。だが、どうやら宗教団体ではないようだ。ここからは対極にある、益州(えきしゅう)永昌郡(えいしょうぐん)で主に活動しているらしい。」


曹操が支配する()が北東にあるなら件の場所は南西。

辺境もいいところだ。


「ふん、南蛮か」


かの地域は歴史的に見ても独立勢力を生みやすい土地柄で、しかも険しい山々に囲まれた天然の要塞が攻略を阻み、目の届きにくい辺境ということもあって独自の文化を刻むことが比較的容易な場所だ。

いや、漢王朝の勢力範囲の中では一番容易い場所だと言えるかもしれない。


「厄介だが、それでは今までの南蛮勢力と変わらん。…おぬしがここまでするということは何かがあるんだろう?」


入れ代わり立ち代わり、南蛮には覇者が生まれ、そして消えていく。

互いに潰し合ってくれるのなら曹操にとってこんなに楽なことはない。

彼の地の勢力は須らく、曹操にとって何ら懸念をもたらさない程度の連中だったはずだ。

今までは。


夏侯惇は曹操の言葉にはっきりと頷いた。


「その通りだ。嘘か真か俺では判断がつかぬし、戯言だと捨て置いていいものでもないだろう」


その長々とした前置きに興味を引かれたのか、曹操は片眉を上げて先を促す。


「武で最強を誇り、その知識は深く、文化は都に劣らぬ。」


曹操が眉根を寄せたが、何も言わないのを見て、夏侯惇は自身が信じられなかった報告書のくだりを読んだ。


「地域の識字率は三割を越し、彼ら自身は七割超、本当だとしたら驚異的だ」


一番文化水準の高い魏の都、この許昌(きょしょう)ですら識字率と言われたらそこには届かないだろう。

ため息を付いて顔を上げ、曹操の様子を伺うが、曹操は俯いたまま肩を震わせている。


「くっくっく、おもしろい!!」

「真実か否か、どう思う?」

「そのようなことは問題ではないわ。頭の痛い黄巾が片付いたと思ったらまたかと思うたが、こういうのなら歓迎だ!」

「待て、まだ問題は残っているんだぞ、五斗米道も涼州も呂布も!」


夏侯惇が曹操の言わんとすることを遮り、これ以上厄介事を抱え込んでたまるかとばかりに目の前の問題に曹操の目を向けようとする。


魏は大きい。

しかし大陸は更に大きいのだ。

この国などちっぽけに見える程に。

天を掴むにはいまだ長い道のりを必要としている。


「だからだろう、脅威になる前にどうにかせねば。といって遠征するには遠い、情報も不足している。これでは動き様も、判断のし様もない。そこでだ。」


上機嫌に膝を叩く曹操に、夏侯惇は嫌な予感に顔を険しくした。


「元譲、おぬし行って来い」

「孟徳!ふざけた事をぬかすな!」

「ふざけてなんぞおらんが?」

「これがふざけてなくて何と!?この糞忙しい時に、遊びも大概にしろ!」


夏侯惇の激昂に曹操は目を細めて口を開いた。


「…元譲、これは、必要なことだ。わかるな?」


夏侯惇は思う。

文句は言えども結局この低い声と熱を孕んだ目には逆らえないことをこの男はとうに知っていて、それを有効利用しているのではないかと。


「行って、探って来い。なに、直ぐに戻って来いとは言わんさ。休暇だと思ってゆっくりして来たらいい。」

「…一人、天玄党の手の者を連れて、すぐに帰ってこよう。…それでいいな。」

「真面目だな。つまらん」

「それでいいな!?」


これ以上は無理と見て曹操は渋々了承した。







「あっ!」


少年が見張り台で何かを見つけて声を上げた。


「あや姉達が帰ってきた~!」


下にいた人々に叫んで、自分もするすると地面に降り立つ。


「こら!自分の持ち場を簡単に放棄するんじゃない!!」

「今日は勘弁してよ!」


駆け出していく少年に、周囲の大人は苦笑を隠せない。

少年の後をついて何人かの子供たちが走っていく。


「仕方がない、誰か見張りを代わってやってくれ。他のものは宴の準備だ。」

「はい!忙しくなりますね!!」

「そうだな。だがこんな忙しさならいつでも歓迎だ。」

「違いない!」

「手が空いてる者は迎えに行ってもいいぞ。」


一斉に慌しくなった村の様子が遠目からも見て取れて、あやは目を細めた。


「帰ってきたな」


あやの心情を代弁するかのように背中で声がした。


祁央(ぎおう)もそう思う?やっぱりこの雰囲気があると帰ってきたー!って実感するよねぇ」


振り返り、自分より大分高い位置にある顔を仰いだ。

祁央は慣れた物で、馬の上で身動きするあやがバランスを崩さない様に無意識にコントロールする。


「お風呂入りたーい!頭がかゆい~!」


砂埃でくすんだ髪の毛を両手で掻きむしりながらあやが叫ぶ。

あやの風呂好きは誰もが知っていることで、きっと村人たちもあやの姿が見えた途端、彼女のためのお湯を用意していることだろう。


苦笑しながら祁央はあやが両手を離しても平然と馬に乗っているのを見て、ふと昔の一場面を思い出す。

馬の首根っこに力の限り掴って大絶叫を上げるか、絶句しているかだった頃が懐かしい。


どうにもこうにも馬に馴れず、祁央が前に乗せてやる日々が続き、いつの間にか一人で騎乗が可能になってもこうして祁央の前が定位置になってしまったのは祁央が甘やかしすぎたからだろうか。


「なーに笑ってんの。いやらしい」

「いや、昔を思い出してな。」

「…会った時のこと?」


少し顔を曇らせたのは多分、祁央に今も残る傷を思っての事だろう。

勘違いではあるが、気にしなくていいと言い続けて早三年、いまだに忘れてないあやの綺麗なままの心が嬉しかった。


「いや、髪が随分伸びたなと思って。」


両の手首に残る傷跡は祁央にとってはあやとの縁の始まりであり、別段厭うものではない。

だがそれを素直に言うのはかなり憚られたので、祁央は話を逸らした。


「ああ、そうかも。会った時くらい?にはなったかもね」


あやはその話に乗ってくれた。

あやの金色に近い髪を切ったのは祁央だった。

髪は女の命と聞くが、あやは目立つから、という理由だけでばっさりと切ってしまったのだ。

それはもう豪快に。


『完璧にベリーショートね。こんなに短くしたのは生まれて初めてかも』


元の色に戻っていた部分だけ残して全て切ってしまったため、それは祁央よりも短くなった。


『でもまあ、ここじゃ簡単にお風呂とか入れなさそうだし、丁度いいじゃない』


あやはその髪も気に入ったようで、祁央たちが痛ましそうに見る度に笑い飛ばしていた。

その内祁央達も気にならなくなり、少年のような髪もいつの間にかここまで伸びていたことに、祁央は毎日その後頭部を眺めているのに気がつかなかった。


「祁央?」


あやの髪を一房掴んでそのまま黙ってしまった祁央にあやは振り返る。

不安に似た焦燥が胸を掠めたのは一瞬だったが、敏感に察してしまったらしいあやを誤魔化すように、当時の思い出を口に出す。


「よく少年と勘違いされてたよな。実際都合よかったけど」

「確かにー!」


あやの笑い声が馬上で響いた。


「治安悪かったもんな。女ってだけで危なかったからな、あの頃は。」

「右近…。あんたが言っても何だか納得いかないわ。」


話に入ってきたのは祁央たちの右側で同じように馬を操っていた男だった。

左目の上を縦に一直線に走る傷は彼のトレードマークとなっている。


「な、なんだよ。オレだけに言うなよ」


この話題には右近は弱い。

疚しい所があるからだが、こう素直に反応してくれるのは右近だけであるため、あやもつい何かにつけからかってしまう。


「あや、村の連中が迎えに出てるぞ」


四苦八苦している右近に助け舟を出したのは、あや達の左で黙々と馬に乗っていた男。

右近とは反対の右目に同じような傷が残っていて、右近と併せると左右対称、まるで一対に見える。


「サンキュー、左近」


あやの意識が逸れると右近は小声で反対側にいる男に声をかけた。

左近には右近を助けるという意図はなく、ただ偶然のタイミングだったのだが、それをわざわざ言う必要もないだろうと、素直に受け取っておく事にする。


祁央はそのやり取りに苦笑を感じざるを得ない。

いつの間にかあやが使う言葉にも馴れてしまった。

右近などは人の影響を受けやすいらしく、今では日常的に使う。


『右近、女子高生みたい…』


あやのその呟きを聞いていたのは祁央だけだったが。


あやと出会ったのはほぼ三年前。

目立つ場所で、見つけてくれと言わんばかりに大声で喚いていた。

女が一人で立って、危機感なんて欠片も持ち合わせていないような格好をして、見たこともない髪色をしているような、とにかく変わった女だった。


当時の過酷な環境では真っ当な生き方は難しかった。

彼女が、追いはぎなんぞに身を落としていた祁央たちの目に留まるのは当然で、最初あやを食いものにしようとしていたなど、今考えると当時の自分たちを殺してやりたいと思うほど薄ら寒い行動だ。


右近だけでなく、表に出さないだけでこの話題が出ると祁央は恥で喚きたくなる。

右近と祁央がこうなのだから、あまり顔色を変えない左近の心情も似たり寄ったりなのだろう。


あやは不思議な娘だった。

彼女は何も言わなかったし、祁央たちもなにも聞かなかったが、きっとあやは空から落ちてきたのだろうと、そう納得してしまえるくらいにあまりにも無知で、優しく、そしてしなやかに強かった。


襲った男たちを助け、人を傷つけることを厭う。

少年のような格好も抵抗なく、時々意味のわからない言葉を使う。

祁央が切った髪は伸びてきてももう元の金色に戻ることはなかった。

それから見たことのないようなモノをたくさん持っていた。

あれは天上世界の道具なのだろう。


三人で始まった旅はいつの間にか連れが増えて、悪党の間で「玄鳥賊(げんちょうぞく)」と恐れられるようになるのはそう時間はかからなかった。


賊を喰う賊。

襲い、奪う。

その行為は賊以外の何ものでも無い。

だがその対象は必至で正道を行こうと生きている人々を襲う賊ども。

それがあやの考えと命を秤にかけて妥協できるギリギリの境界線だったのだろう。


彼ら賊の出自については誰一人口に出さなかった。

あやにだってわかっていたはずだ。

彼らも元はただの農民や村民であっただろうこと。

賊に身を落とさなければ生きていけなかったであろうこと。


そんな事実に雁字搦めにされて身動きが取れなくなる前に、あやは決めた。

線引きを。

生きるために。

きっとあやの中では罪と認識されているだろう事実。

けれど人間としてなに一つ間違っていない生き方だと祁央は思う。


あやの選択はいまだ善良に生きている人々にとって福音だったに違いない。


決して村に害をなさず、各地を駆け、賊を放逐していくあやたちを村人は「玄鳥賊」に掛けて敬意を払って「玄鳥族(げんちょうぞく)」と呼ぶようになった。


増える道連れと放浪に疲れた仲間のために村を作ろうと言い出したのはやはりあやだった。


地に根を張れば、文化が生まれる。

特に玄鳥族の成長速度は半端ではなく、様々な要因が重なった結果とはいえ、今やこの地域一帯では一番の文化レベルを持つに至っている。

それは祁央から見ても中央にも負けないものだと自負するほどには。


その技術を惜しげもなく放出するあやには閉口したが、それをして玄鳥の名は更に広がり、人々は全幅の信頼でもって答えてくれるようになった。


「いつの間にか派遣会社みたいになちゃったね」


技術者を育て、派遣して人々を助けるその行為はどちらかと言えばボランティアやNPOに近かったが、あやはそう言って満足そうに笑った。


血に拠るよりも、地に因って起て。

それはあやが初めから言い続けていることで、今は三つに増えた玄鳥の村だけでなく、玄鳥族と触れ合った人々がみな心に刻んでいることでもあった。


『玄鳥とは最強の武を誇り、最高の知を知り、清廉なる心を持つ者』


そんな風に言われていると知った時には鳥肌が立ったが、あやを見て思い直した。

そうあろう、と。


玄鳥には天女がいる。

人に在らず、人に似て、混沌の大地に降り立った天よりの使者。

玄鳥天女の威光は遥か遠く、強く鳴り響いている。


祁央は気取るのが大嫌いで、敬われることを嫌がり、天女などと呼ぼうものなら本気で鳥肌を立てる、あやの頭を撫でた。


今もあやは一人になると時々祁央たちには見えない場所を見て、人前では見せない顔をする。

故郷を持たず、放浪の人生を送ってきた祁央には理解できなかったが、それは言葉にすれば郷愁というものが一番近いのかもしれない。


降り立ったというよりは、足を滑らせたかなんかして間違って空から落ちてきたのだろう、と確信できるくらいには長く近く、共に過ごしてきた少女は安心しきったように祁央の胸に体を預けている。


中央から遠く離れた辺境中の辺境。

だから今日まで無事でいた。


だがもはやその名声は広まり続け、権力者たちの耳に入るのも時間の問題のように思える。


嵐の予感がする。


「祁央?」


くだらない人生の果てに出会い、あやは新しい人生と名前をくれた。

右近と左近も同じ穴の狢。


もし、あやが許すなら彼女に絶対の忠誠と命を捧げていた。

それは叶わなかったけれど、今も彼女が一番だからわかる。


嵐はきっと来る。


怒涛のように、逃げることも出来ない力でもって、あやは巻き込まれるだろう。


「はっ!」


祁央は一言のもとあやの到着を待つ村人たちの元に馬を走らせた。


どうか嵐の中でもこの手が離れてしまわぬように。

どうか自分たちを救ってくれたこの少女がいつも、いつまでも幸せでありますように。






もし昔読んでいた、なんて方がいらっしゃったらうれしい。いないと思うけども。

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この小説は更新無期限停止中です。
続きがどうしても気になる!と仰る奇特な方はHPの方からどうぞ。

完結済ですので、最後まで読めます。
ただし、夢小説(二次創作)サイトなのでご注意を。
なろう版は二次部分を誤魔化しています。

原版がどうしても無理っ!という方も多いと思いますので、あくまで自己責任でお願いします。
RED CloveR+
トップページの右上、dreamより小説に飛べます。

*管理パスを紛失しているのでHPから送られたメールは読めません。申し訳ございません。
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