1話 人生とは何が起きるか解らないものだと。
題名は連載当時の友人からつけてもらいました。連絡先不明でこちらで掲載する旨の報告を出来ていませんorz
何が、一体どうなったのか。
「あや」は目の前を呆然と見つめることしか出来ず、おろしたてのロングコートの端を握った。
ああ、記憶が混乱している。
そう思って必死でこの状況に至るまでの確かな記憶を手繰った。
入学早々新入生交流合宿と銘打った、地元では名物となった一月に及ぶ長い移動教室がやっと終わり、久しぶりに家に帰る途中だったはずだ。
移動教室では使用禁止されていた携帯を解散後早速取り出し、つい先ほど「これから帰る」と家に電話したばかり。
移動教室で出されていた食事だって不味くはなかったけれど、でも母の料理がやっぱり恋しくて。
母も長く家を空けた娘は可愛いと見え、今日の夕飯の献立はあやの好物ばかりがあげられていた。
あやはそれを楽しみに、幼い頃から通いなれた道を、家に続く道を、明日から休みもなしに学校かぁ、なんて少しばかりの不満を頭の隅に浮かべながら、それでもさっき別れたばかりの友人達と無駄話に興じるだろう明日を楽しみに、歩いていた。
コンクリートの道、電柱と電線は夕焼けに染まって影になって。
すれ違った子供たちも家に帰る途中だったのだろう、明るい笑い声が通り過ぎていく。
それは当たり前に見慣れた光景。
過ぎていく何の違和感もない日常。
…だったはずだ。
なのに、何故。
目の前にはこんな、憶えのない光景が広がっているのだろう。
広い荒野だ。
地平線が見えるほど何もない、老人のようにしなびた木が砂埃を舞い上げる強い風に耐えてるのがまばらに見えるだけ。
背後にはやはり萎れた木が、今度は所狭しと乱立している。
きっと森なのだろう。
振り返って見てみれば、奥には緑をつけた木々も見て取れる。
奥深くは鬱蒼とした森林に違いない。
つまりここは荒野と森の境目。
頬をつねるようなお約束の反応はとうにしてみた。
ものすごく痛かった。
しかし、これが本当に夢ではない証拠になるのか、と問われたら難しいところだ。
あやの見る夢はいつだって色付きの、感覚までハッキリとある、言ってしまえば現実と区別がつかないようなものばかりだった。
といっても夢はそのかわりストーリー展開が無茶苦茶だったが。
それだって起きてからやっとおかしな内容だったと気付くようなもので、いつも夢の中でそれが夢だと気付ける人をすごいなーなんて思っていたのだ。
だから唯一おかしいのは、これが夢ではないかと疑っている自分。
夢を見ている自分はそれが夢だなんて絶対気付かない。
あやはこれまでの経験を持って断言できた。
と、するとこれは現実ということになる。
「え、あたし、何かしたっけ?」
非現実的な光景を前に、唐突に考え込む。
「前、親が旅行でいないことをいいことに眠いからって理由で早朝授業サボったから?それとも自由な校風をいいことに髪を染めたから?それともお母さんに内緒で高いコート買ったから?」
何かの罰だろうか。
「いや、そりゃないっしょ神様!あたしみたいなの一々罰してたらそれこそ生きてる人間全部に罰与えなきゃダメじゃん!」
あやは自分が善良で純粋で徳に溢れた人間だとは思ったことは一度もない。
が、だからと言って悪い人間だとも思わない。
ただ単純にどこにでもいる女子高生で、辿ってきた人生は平々凡々。
特別な才能がある訳でもなく、容姿に優れている訳でもなく、頭に関してはあまりよろしくないと自覚している。
あやは基本的に、成績の良し悪しと頭の良し悪しは比例しないと考えていて、実際学校の成績は上位から外れたことはない。
しかし範囲のあるテストは解けても応用には向かない。
つまりは典型的な日本人バカだと自覚している。
だからたまに本当に頭のいい人を見るととても羨ましく思うのだが、彼らは一様に成績のいいあやが言うと嫌味だと一蹴してしまうのだ。
とにかく何が言いたいのかというと。
「何で、『あたし』がこんな目にあってんの!!」
の、一語に尽きる。
「どう考えてもここ日本じゃないでしょ―――!?」
あやが住んでいた場所や行動範囲には思いっきり叫んで迷惑にならない場所などない。
暮れかけの太陽は今まで見たどんなものより大きく見え、それが一層ここが知らない場所なのだとあやに突きつけてくる。
呆然としている時。
あやはふと感じた違和に首を傾げた。
「あれ?今何か…」
そう言いかけると今度はハッキリと、今までなかった音が聞こえた。
「うっそ、ラッキー!叫んでみるもんだねぇ」
ガサガサと木を掻き分けながらこちらに進んでくる音は緊張から鋭敏になっているらしい耳にすぐに入ってくる。
その中に人の話し声が混じるようになって、もしかしたら獣か、はたまたファンタジー的な人外との出会いの可能性を考えて硬くなっていた体の緊張を解いた。
つまりここはやはり地球の、多分日本のどこか。
なにが起きたのかはわからないけど、事情を話せば助けになってくれるだろう。
助かる目途が立ったと、ほっと息を吐いた。
だが、それは大きな間違い。
近づいてくる人間は体格からして男。
しかも三人。
雰囲気が悪い。
つまり荒んでいる感じがする。
今さら沈黙していた警戒感が起動し始めてあやに嫌な予感を抱かせる。
格好がおかしい。
あれは鎧と言うのだろうか。
戦国の、雑兵が着ているようなものだ。
もう一つおまけに手にはなにやら物騒な武器。
錆付いた剣と、錆付いた矛と、泥の付いた鎌だ。
そこまで見えるようになって。
「うっそでしょ…」
口から出た言葉はそれだけだった。
ただの学生に、自分の身に危険など降りかかったことのない身に、他に何が出来るというのか。
「おお?異人か?」
あやはなすすべもなくあっという間に男たちに囲まれて、口笛を吹きながら言われた言葉に状況も忘れてあんぐりと口を開けた。
いじん…イジン…偉人?そんなわけないよね。
異人、かな?外国人ってことだよね。
どう見てもアジア系の顔に覗き込まれて言われる言葉が異人。
なんか、変。
格好も変だけど、言ってることも変。
髪の色はそりゃ金に近いけれども、染色なんて今じゃ日常茶飯事。
確かに国際交流が頻繁になった昨今では本当にこんな色している髪の人も沢山いるけれども。
この天頂のプリン頭を見れば一発で染めているなんてわかるはずなのだ。
「ええと、あなた方はなに人?」
聞いたのは「異人じゃないです」と言うには彼らが日本人かどうか確証がなかったからで、変なところで生真面目なあやの性格がよく出ている質問だった。
「あ?どういう意味だ?」
しかしその意図は全く通じなかったようで、男は顔を突き出して凄む。まるで粋がっている不良だと、警鐘を鳴らす頭の片隅で思った。
「いえ、あのお国を教えて頂きたかったのですが」
こういう場合は刺激しないように下手に出るべし。
友人がそう言っていた。
「ああん?んなもんあるわけねーだろ。あったらこんな所で追いはぎなんてやってねーつーの!」
男の言葉はあやにはかなり衝撃だった。
聞きなれない単語が頭を巡り、それらしい意味がはじき出される。
もっと回転の速い頭が切実に欲しいと、場にそぐわない感想を持った。
「…っ追、いはぎ!?」
意味が浸透するとあやは可愛いとは言いがたい悲鳴を上げて飛び上がった。
比喩ではなく本当に。
「なに今さら驚いてんだ?俺たちを何だと思ってたんだ、お前」
「つーわけだから動くなよ。」
「珍しい異人の娘だ。しかも言葉が喋れる。高く売れるな」
下品に笑いながら話す男たちの会話の内容に、あやはやっと現状を理解してザッと血の気が引いた。
突きつけられた剣が現実を直視させる。
何が起きたのか、今もよくわからなかったが、これは夢ではない。
喉元の剣から錆の匂いがした。
それはとても血の匂いに似ていて、勝手に喉が引きつる。
その感覚は吐き気に近く、無理やりに唾を飲み込んだ。
「ああ、久々の獲物だ。これで当分生きられる」
あやは、だがその次の言葉にこそ悲鳴を上げた。
「だが、その前に戦利品の味見だろ。」
舌なめずりする男の言葉の意味なんてわかりすぎるほどハッキリしている。
それは殺されるよりひどい現実のように思えた。
悲鳴はまるで自分の声ではないように遠くで聞こえる。
腹に衝撃が来たのは殴られたからだろう。
「うるせえな」
矛が腹の柔らかい肉を押す。
なんて悪夢。
歯の根が噛み合わずガチガチと耳障りな音を出しはじめた。
自分の意志でどうにかできるものなど何もない。
これが、恐怖。
敵意も、害意も、本当の意味で今まで受けたことはなかったのだと、初めて知った。
「怯えてんのか?」
笑う男の手があやの腕を掴む。
「大丈夫、商品に傷が付いちゃ大変だからな。優しく扱ってやるよ」
喉もとの剣が動き、あやはそれにあわせて顎を持ち上げた。
冷たい刃先は切れが悪そうで、いったん傷を付けられたなら雑菌のせいで酷く苦しむことになるだろう事は理解できる。
場合によってはそれで死ぬことだってあり得た。
その刃を受ける選択肢はない。
「ま、お前が抵抗しなきゃ、だけどな。」
なにがおかしいのか、そんな脅しの言葉を吐いて男は歯を見せて笑った。
腹にあたる矛が引かれたのはその行為に邪魔だったからだろう。
おぞましい手の感触がスカートの中の太股を這う。
何で今日に限ってズボンを履いてなかったんだろう。
ちらりと嫌悪の嵐の中そんなことが頭を掠めた。
「おい、次はおれにやらせろよ」
男たちの下卑た声は一生忘れないだろうと思う。
コート下の長袖シャツの裾からもう片方の手が伸び、胸元には男の獣じみた息遣いを感じる。
逃げなくちゃ。どうにかしなきゃ。逃げなくちゃ。どうにかしなきゃ。逃げなくちゃ。
ここはどこ、助けはどこ。
ここはいや、家に帰りたい。
はやく、はやく、はやく。
逃げなくては、どうにかしなくては。
自分でどうにかしなくては。
あやの頭に浮かんで消える語群。
それは流れていく思考。
意味はなかった。
この状況を打開するのに、何ら役には立たない。
ない、助けはない。
誰も助けてくれない。
だって、誰も、いない。
ここには誰もいない。
状況をただ認識するだけの思考が、段々と一つにまとまっていく。
相も変わらず何の役にも立たない考えは、それでも散漫することをやめ、集束を始めた。
助けはない。
そんなものは望めない。
だから、自分で自分を守る以外に道はない。
自分が、自分を助けるのだ。
思考は染まり、一つの答えを導き出し、そして回転は鈍化する。
危機に際して突然「生きる力」を覚醒させ、その場を凌ぐなんてことも人間には多々あるようだが、危機に立ったとき思考しないのは致命的。
あやの思考は巡るだけでなんら建設的な考えを示さない。
それはすなわち絶望に繋がる。
だが、奇跡は起きた。
眠れる真の力を発揮した、なんてことはない。
ただ、ついに思考が停止して、代わりにあやを動かしたものがある。
その根底は生への執着が本能を呼び起こし、さらに偶然という運が味方したモノ。
その行動は自覚してやったわけではない。
そういう意図はあっただろうが、意識してやったわけではなかった。
そうでもなければ男たちに早々に見咎められていただろう。
あやはコートの右のポケットに入っていた鍵についている小さなサバイバルナイフを立ち上げる。
それは何を考えたのか、高校の入学祝いに彼がくれた物だ。
別々の高校へと進むことになった彼が、一月の移動教室に付いていけないけど貞操は守れよ!と様々な機能の付いたこれをくれた。
あのときは一体この男は何を考えているのだろうと呆れたものだけど。
それから左のスカートに入れっ放しだった工作用のカッターの刃を押し出す。
それは移動教室の間に仲良くなった友人に貸して、今日別れ際に返すの忘れてた!と返された物だった。
鞄を開けるのも面倒くさくてポケットの中に突っ込んでいのだ。
「おい、お前何を」
男は最後まで言葉を言うことが出来ず、悲鳴を上げた。
何故、そんなことが出来たのか、いまだにあやは理解できない。
あやがこんなところにいるのと同じくらい不思議にそれは出来た。
両手に握り締めていた、凶器にもなり得る刃物。
それを引っ張り出す勢いのまま、剣を突きつけていた男の両手首を下から掠めるように綺麗に切り裂き、そのまま反応出来ずにいた両隣の男たちの顔面に振り下ろしながら、剣の男の腹を思い切り蹴飛ばした。
男はあやが聞いたことのない悲鳴を上げながらたたらを踏んで後ろに下がり倒れたが、あやはそんなことには目を向けず、顔面を切り裂いた残りの二人を地面に押し倒し、彼らの目に片方ずつナイフとカッターを突きつけた。
「視力を失いたくなかったら、動かないでよ」
発した声は我ながら感情のない、冷たい声だった。
「殺せ」
目覚めた男があやの顔を認めた途端、そんなことを言った。
怪我人だということを忘れて、つい手が出たのは仕方のないことだと思う。
「っいいい痛!」
あやはため息を付いて男たちを順に見渡した。
白い包帯が薄汚れた男たちから妙に浮いている。
ちなみに先刻の言葉、聞いたのは三度目。
殴られて悶絶している男を残りの二人は気の毒そうに見ていた。
彼らはすでにその鉄槌を経験済みだ。
回数を重ねるごとに強力になっていく拳の威力に関しては口を噤んで、いまだ地面をのた打ち回っている男に同情と安否を尋ねる言葉をかけてやっている。
美しい友情だ。
「労力かけてわざわざ治療したのを何で殺さなきゃなんないのよ!」
絵文字をつけるなら絶対に怒りマークが1個と言わず付いていただろう。
そんな心情で文句を言うあやの言葉に、最後に目覚めた剣の男は、今気付いたとばかりに自分の体を見まわした。
確認できなかったが何か刃物で切られたはずの両手首にはしっかりと布が巻かれていて、驚くほどの出血をしていた傷はそうとは思えないように沈黙している。
赤い色は滲んでもおらず、動かすと走る痛みだけがその傷の存在を主張していた。
ちらと見れば、仲間たちも同じように白い布が巻かれている。
それぞれ左右の目ごと傷を覆っていて、血は止まっている様だった。
女が言ったようにきちんと治療されたのだろう。
状況が飲み込めず、今は白い布に片目を隠され隻眼となった仲間に目をやると、彼らも困ったような困惑したような苦笑を返した。
「何故…」
答えを得ることが出来ず、結局そんな言葉しか漏れない。
「はあ?」
「何故助けた。お前は俺たちを殺せたはずだ。」
「ちょっと、何よそれ!さっきから聞いてればまるであたしがあんた達を殺さなきゃなんないみたいじゃない!」
男たちはあやの怒りを含んだ言動に更に困惑するしかない。
恐怖を感じていた分、それが転嫁されてなおさら怒りを抱いているあやの言葉を吟味する。
彼女が言っていることは正しい。
奪おうとして反撃された。
負けとは死だ。
自分たちは死んでいなければおかしいのだ。
なのにその事を指摘した自分たちが反対に怒られているのはどういう訳だろう。
当たり前に馴染んだ理が、常識がまるで通じない相手が不気味だった。
「大体!何であたしがあんた達のために殺人犯にならなきゃなんないのさ」
軽く聞こえるようにあやは不満げな顔で文句をつける。
さっき体中で聞いた肉を裂く音は今も体を震わせていた。
それは人を傷つけるような音はもう二度と聞きたくないと思うには十分で。
気持ち悪くて。
これでも女だから血は見慣れているが、あれだけ大量の血が流れると流石に怖れを抱く。
さらにこれを自分がやっというのだから驚き。
あの時は夢中で、彼らなんてどうなってもいいと、自業自得の正当防衛だなんて思っていたけど、今は生きていてくれて良かったと思う。
彼らの瞼を切り裂いた傷は眼球までは達していなかった。
剣の男も生きている。
自分でやったくせに安堵しているのがおかしい。
でも彼らの無事を確認してほっとため息が出たのは否定しようのない事実。
人を傷つけることはその人の人生や命を背負わなければならないと言うことではないか。
状況が状況だったからおかしくなっていたが、冷静になって考えてみれば、誰かを失明させるなんてかなり怖いことだ。
だれかを死なすなんて、すごく嫌なことだ。
もし教室でクラスメイトの片目を奪ったら?
街角で小学生を自転車で引っ掛けたら?
きっといくら謝っても足りない。
いくら後悔してもし足りない。
そんな思考を男の声が破った。
「殺人犯?どういうことだ?奪わなければ奪われる。殺さなければ殺される。当たり前のことじゃないか」
ひゅっと息を飲んだ。
それは驚きと同時にここが自分の知っている場所ではないと確信させるに十分な言葉。
そして、ここでは自分の今まで培ってきた常識や倫理ががまるで通用しない世界なのだということ。
殺し合いは当たり前で、それが罪だという意識は薄い。
略奪は日常茶飯事で、生きていくのが過酷な現実。
ゆるゆるとその事実が頭に染込んでくる。
「…あんた死にたかったわけ?」
突きつけられた現実に項垂れ、力なくあやは聞いた。
「そんなわけねーだろ」
脈絡のない質問に戸惑いながらも返す男はもしかしたら結構律儀な奴なのかもしれない。
どこかずれた事を考えて、あやは投げやりに言った。
「じゃあ、いいじゃない。助かったんだから。」
何故助けたのかと言う男の質問の答えにはなっていなかったが、あやはさっさとこの会話を終わりにしたかった。
現実を受け止めるには衝撃的過ぎてついていけない。
疲労がどっと襲ってきてとりあえず休みたかった。
何もかもを放り投げて、ひたすらに眠って、考えるのはそれからでも遅くはないし、どうせ自分のあまりよろしくない頭は許容量が一杯で情報を整理するにはオーバーヒート気味だ。
男に目をやると明らかに納得していない顔で、眉根を寄せている。
仕方なしにあやは重くなった口を開く。
「つまりあんた達はあたしに負けたわけだから、あたしにあんた達の殺生与奪権があるってことよね」
「ああ、そういうことになる。」
「当然だ」
左目を隠した矛の男が加わって同意する。
「と言うことは、生かそうが殺そうがあたしの勝手。」
すぐさま何かを言い返そうとした男を遮ってあやは続けた。
「今までは殺すのが当たり前だったかもしれないけど、あたしは違う。」
選択肢はあったのだ。
だけどこの場所の人はそれを選ばなかっただけ。
「あたしは自分から積極的に人を殺そうなんて思わないし、死にそうな人がいたら死んで欲しくないと思うし、助けたい人は助けるのよ」
そういうのが当たり前の世界にいた。
労力をかけて治療したから殺さないんじゃなくて、本当は死んで欲しくないから治療したのだ。
だけど男たちには理解されないだろう。
彼らはそういう風には生きられない環境で生きてきたのだろうから。
実際剣の男はよくわからなかった。
奪わなかったら奪われるのが理の世界で、自分だってそれを体験したくせに、自分に害をなそうとしたものを助けるとは。
どう考えても理解できない。
何故ならそんな「甘い」考えでは生きていけないと身を持って知っているから。
こんな考えを持った女が今無事に生きている事が信じられない。
この女の存在はどこかおかしく、世界と矛盾しているように見えた。
「変な奴…」
男が呟いた声にあやも思う。
変な世界…。
もうわかっている。
ここはあたしの知らない場所だ。
「これからどうしよう」
きっとここで自分は生きていけない。
あやにもそれくらいわかっていた。
自分の考えがここで生きていくには邪魔になるだろうこと。
自分の考えはこの世界では通用しないだろうこと。
ならば何かを失わなければならない。
そういう覚悟をしなければならない。
平穏な世界でしか通じない考え方を捨てるか、生を放棄するか。
男たちを助けてしまったあやには図らずもいつか出るだろう答えが見えているような気がした。
「お前旅をしてるんじゃないのか?」
剣の男があやの呟きを耳にし、意外そうに聞いてきた。
「違うわ。…いいえ、そう。」
即答してあやは訂正した。
どちらなのかわからない答えに剣の男は首を傾げたが、特に気にした様子もなく先を促す。
彼の目的にはあやの答えがどっちだろうと関係なかったからだ。
「目的地はあるけど、道を知らないのよ。」
「へえ、でもどっかにいくんだろう?」
「そりゃ、ここにずっとここにいるわけにはいかないからね」
あやはこれからのことを考えてため息を付く。
気が重い。
「って、なんでそんなこと聞くのよ。あんたに関係ないじゃない。」
うんざりして剣の男に突き放すような言い方をした。
この場所が日本ではないことは確か。
そしてもしかしたらどこにも日本なんてないかもしれない。
アジア系の人がいて、言葉が通じていて、酷い現状の、戦国時代のような服装をしている国なんてあやには心当たりがない。
全ての国を知っていて、その現状も把握してますとは冗談でも言えないが、それでも薄々感じていた。
きっとここはあたしが知らない場所で、知らない国で、知らない世界でもあるのだろうと。
「関係はある。」
「は?」
「お前は俺たちを助けた。だからお前には恩義がある。」
「はあ、えっと…つまり?」
「俺もお前についていく。」
ぎょっとあやは項垂れていた顔を上げて剣の男を振り仰いだ。
「言っておくが、お前に選択権はない。何故ならお前は俺たちを生かすことを選んだ。だから命の使い方を決める権利はもう俺たちに戻ってきたわけだ。俺は俺のしたいようにするだけだ。」
男は満面の笑みでそう言い切った。
多少強引、というか大分無理のある理論を展開したが、あやは勢いに押されて「はあ…」としか言えなかった。
一体この間抜けな台詞を今日だけで何度吐いただろう。
だが正直彼の提案はありがたかった。
この世界の常識も知らないあやでは生きる術もない。
だが死ぬつもりもない。
この世界のことを教えてくれる教師は是が非とも必要だ。
彼にはもうどこにも敵意は見つからない。
その考えが甘いというならそう言えばいい。
だがあやは彼の言葉に裏はあっても自分を害する目的ではないだろうと信じられた。
戸惑いながら彼を見据え、その真意を探るように目線を合わせてみれば、彼の目は表情とは別に存外真剣だったから。
「……」
しばし考え込んでからあやは地面の上で姿勢を正した。
剥き出しの膝に正座は正直痛かったが我慢。
答えを待つ男が少し緊張しているのに少し口角が上がる。
「よろしくお願いします」
頭を下げると戸惑ったような男の声が頭上から降ってきた。
土下座というものがこの世界にはないのだろうか。
あやは顔を上げて剣の男に向き合った。
「あたしの名前はあや。よろしく。」
にっこり笑えば焦ったように横槍が入る。
「待て、俺たちもついていくぞ、な?」
「おう」
矛と鎌の男が身を乗り出して言った。
こうしてあやの旅に三人の道連れが出来た。
まだ覚悟なんてモノはどこにもなかったけど。
なぜか言葉が通じる=ファンタジー要素その①