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4.La Fate di fiore

冬の少し手前の午前中。暖かい陽光が差し込むサンルームで一人紅茶を嗜む。こぽこぽと音をたてて、デイジーの描かれたお気に入りの白磁のカップが琥珀色で満たされる。ふわりと香る甘い香りに思わず頬が緩みそうになる。私の国と違って、ここでは紅茶は取れないらしいけれど、山が多い地形と冷たい気候のせいか水が美味しいのと、原産国から直接輸入しているだけあってこの国で飲む紅茶はどれも美味しかった。特に今日の紅茶はサンドロがプレゼントしてくれたものだけあって、濃い水色で香り高く美味しそうだ。何でも、原産国から輸入した特上の早摘みの茶葉に東洋のコンペイトウという小くてカラフルな星屑を思わせる形の可愛らしい砂糖菓子をブレンドした特製の品なのだそう。舶来の茶葉に舶来の砂糖菓子、とっても贅沢な組み合わせに溜め息が出る。私の国も貿易で栄えていたけれど、この北国の方が王の権利は強く、何でも揃うみたい。


「ふう……」


今日、サンドロは午後から来る予定だった。ダンスの授業と馬術の稽古があるらしい。いかにも、王族らしい授業に稽古だわ。……もう、私にはどちらもできないけれど。ドレスの下できちんと揃えられた太ももを撫でる。私の病気は年々、脚が悪くなる病気だ。左側の脚はほとんど麻痺して感覚がない。まだ辛うじて歩くことはできるけれど、たまに脚が床に吸いついたように動かなくなったり、突然膝からがくりと崩れたり、最近では眼がよくかすんで見えずらなくなったり、療養にと北に来てからも回復の兆しは見られず、日に日に悪くなっていくばかりだった。

本当は、あのオペラホールでサンドロの姿を一目見たときから彼のことが気になっていた。私の国では珍しい光を受けて輝く金色の髪、故郷の凪いだ海のように透き通ったサファイヤ色の瞳、熟れた果実のように瑞々しく鮮やかな頬。

まるで職人が丹精込めて造り上げた人形のような容姿の少年が、甘美な表情でこちらを見つめていたのだ。目が合うと、恥ずかしくなって思わず逸らしてしまった。それはもう、手もとのワイングラスを一息で空にしてしまうほどに。

本当は、舞踏会への誘いだって嬉しかった。けれど、歩くことも満足にいかないこんな脚では踊るのなんて到底無理な、夢のまた夢だった。誘いをふいにしたときも、男性に誘われるのなんてもうこれっきりないと思っていたから少し悲しかった。だって、南で戦争中のお父様や従者たちは本気で治ると思っているようだけど、私はこの療養先から戻れないままきっと病気が悪化して死んでしまうから。それなのに、そんなことは知らないサンドロは山間のこの館まで会いに来てくれた。知ってもなお、私の隣に居させてほしいと言ってくれた。大切なものができるのが、恐かった。それなのに、心のどこかでは求めていたのだろう。


私にとってサンドロは、先の見えない闘病生活に見えた一筋の光だった――――。


今、彼はダンスの授業中だろうか。脳裏にワルツを踊るサンドロの姿が浮かぶ。彼が腰に手を添えている女性は―――私じゃない。胸がチクリと痛む。

こんな脚で、彼と踊れるわけがない。でも、それでも、私以外の女の人に触れてほしくない―――――。

麗しい彼が『雪原に咲く金色の薔薇』なんて異名で呼ばれているという噂はこの山奥の館までも届いていた。王子という立場と女性なら誰もが見惚れてしまうその容姿で、彼は国民の注目を一身に集めている。彼の身辺についたメイドは、一度は彼に恋をしてしまうという。

サンドロのことは信用しているけれど、彼にその気がなくたって寄ってくる女性といのは山ほどいるはずだ。……彼のことを、独り占めしてしまいたい。誰の目にも触れさせず、私だけのものにしてしまいたい。――――私が、もし死んだとしても心だけでも私のものにしてしまいたい。


ちりちりと胸を焦がす嫉妬の炎を振り払うように、ポットの脇の小さな笛へと手を伸ばす。歪な少し大きい卵形をしたその笛には、無数に不揃いな穴が開いている。赤や白でデイジーが描かれた、素焼きの素朴な笛は私のお気に入りだった。もとから身体が強くなかった私の、子供の頃からの唯一の楽しみはオカリナを吹くことだった。


「~♫♪~♪」


国の景観と神の加護を歌った旋律。武運を願う意味の込められた歌だというのに、どこか繊細さと朗らかさ、優美さをも感じさせるその旋律は、私のお気に入りだった。だけど、私がこの音楽を奏でるのは何も自分が気に入っているからというだけではない。今、私の国では戦争が起こっているからだ。私の身体が悪いのは、今に始まったことではない。けれど、半年ほど前に始まった戦争の直後から悪化しているのもまた事実だった。お父様は、私の体調と戦禍に巻き込まれることを心配してこの北国に療養に出したのだった。

……今頃、お父様はどうしているかしら。私の国は街の中に大小の水路が巡らされていて、慣れ親しんだ者でさえうっかり迷ってしまうほど入り組んでいる。それに、貿易で栄えてきた国だから、海上戦ならばきっと普段は苦戦することはないのだろう。でも、昨年流行った伝染病や飢饉で国民は前の戦争のときほど数がいない。それに、私の国は貿易では栄えているから銃火器や武器には不自由ないだろうけど、造船技術や医療技術はそこまで高いとはいえないし、神学者ばかりで兵法や戦法に通ずるものは少ない。今回ばかりは、勝てるかどうかは分からなかった。

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