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「亜也子、眉間に皺寄せてちゃせっかくの美人が台無しだよ」
薫は美味しそうに今日のお勧め定食の鯖の味噌煮を頬張る。
「誰のせいだと思ってるのよ」
私は食欲がわかなくて箸が止まってる。
「私のせい… なの?」
「大半は常務だけど薫にもある」
私が言い切ると彼女は少し大袈裟に謝罪の言葉を口にした。ちょっと、ううん凄く白々しい。
「謝ってるように聞こえないよ、薫」
「うん。だって悪い事したなんて思ってないもの… あっ、亜也子、鯖食べないんだったら私もらったげる」
「食べるわよ! 悪くないって、常務に余計なこと一杯言って。私の悩み事を増やしてくれたじゃない」
「別に悩む必要ないんじゃない。この一ヶ月うまくいってたんでしょ。ならきっとこの先もうまくいくわよ」
薫は本気で私と常務をくっつけようとしている。ま、まさか社長からワイロでも貰っているのか?
薫の箸は休むことなく皿と口を往復する。
「あー美味しかった」と言いながら薫は食べ終わり、ほうじ茶に手を伸ばした。
「ねえ亜也子、確かに常務の女性関係は褒められたものじゃないけど、でもそれは女の方にも非があるのよ」
「えっ… 」
「亜也子だったら経験あるでしょ、外見だけで交際を申し込まれたこと。あれってある意味失礼な話よね」
うん、確かにそうね。
見た目は人を判断する基準にはなる。でも、人を好きになるのはその人の内面の方がよっぽど重要だと思う。
「常務の場合、容姿、頭脳、社会的名声、全てにおいてトップクラスでしょ。それを目当てにした女性たちがうじゃうじゃ寄ってくるわけよ」
あっ、なんか想像しちゃった。綺麗な牡鹿を狙ったメス豹の群れ… みたいな。
「自分の内面を見ようともしない、しかも下心みえみえの女性に対して本気にはなれないでしょ」
うーん、それはそうかもしれない。常務の境遇には同情の余地はある。だけど…
「本気で好きになれないのなら、付き合わなければいいじゃない」
「それはそうだけど。常務も生身の健康男子だし、据え膳されたら食べたくなっちゃうってことでしょ」
それは絶対同意できない。やっぱりそういうことって好きな人としかしちゃダメでしょ!
「薫、どうしてそんなに常務の肩を持つの?」
「一緒に仕事をしていると仲間意識が芽生えるでしょ… 常務自身そんな悪い人じゃないしね。ほら身近な人には幸せになってもらいたいじゃない」
「私の幸せはどうなってもいいわけ?」
「モチロン、亜也子の幸せも願っているわよ。当たり前じゃない。あっ、私もう行くわ」
そう言って彼女はトレーを持って、さっさと食堂を後にした。
なんだか余計に食欲がなくなった。私は溜息を一つ吐いて冷めてしまったお勧め定食に箸を入れた。
夜、寝る前にカズ君に“お休みメール”を送った。
論文が終わるまで会わないと言われてしまったので、お誘いメールは出来ない。なのでその日あった出来事をつらつら書いて送っている。
今、私とカズ君を繋いでいるのはこの一日一回のメールだけ。それもカズ君からは返信は来ない。
なんて細くて不確かな繋がりだろう。
カズ君を意識しだしたのは高校一年の二学期。
高校生になって初めての文化祭に、張り切りすぎた私はクラスの皆から反感を買ってしまい、クラスの雰囲気を悪くしてしまった。
それをカズ君が上手くまとめてムードを盛り上げ、おまけに文化祭の出し物も大成功させたのだ。
いつもは自分の意見など滅多に口にせず、やる気も見せたことのない彼のどこにそんなパワーが?
それからカズ君の事が気になり始めたんだ。
そして三学期が終わる頃には興味が好意に変わっていた。
特進クラスの中で飛び抜けて成績が良くて、そこそこスポーツが出来て、なかなかのイケメンだったカズ君は女生徒に人気があった。
告白も結構されてたけど“今は勉強に集中したいから”と言ってみんな断っていた。
告白して断られたら今までどおりカズ君に接することが出来なくなる。そんなの嫌だ! でもこのまま何も言わずにいるのも嫌だ…
カズ君は(まああの頃は二宮君と言ってたけど)私の事ただのクラスメートとしか思ってないんだろうな。いや、でも、もしかしたら少しは特別に思ってくれているかも。
また女の子に呼び出されてる。もしかしたらその子の告白にOKして付き合いだすんじゃないだろうか。
あの頃もいろいろ悩んで、ハラハラして、切なくなって、でもちょっとした事で幸せな気分になって… 思えば青春してたよね。
カズ君に片思いしていた時も晴れて恋人同士になってからも、ずっと悩んで不安な気持ちでいる。
それはカズ君が私の事を好きだという確信が持てないから。
カズ君は私に優しい。でも他の人にだって優しい。
カズ君は私を大事にしてくれる。だけどそれだって私だけじゃない。
私が『好きだよカズ君』と言うと『僕もだよ』と言う。
私が『カズ君、私の事好き?』と聞くと『もちろん』と答える。
それは恋人としての“好き”でいいんだよね。
カズ君は私のこと恋人だと思ってくれてるんだよね。
それとも私があまりにしつこく粘ったから、断るのが面倒になって付き合ってくれたのかも。
だって好きって言うのも、喧嘩して別れるって言うのも、もう一度やり直したいって言うのも、みんなみんな私から…
私はカズ君がこの世の中で一番好き。
カズ君は私のこと、好き?
もしかしたら高校の時から今までずっと私の片思いだったのかな…
今日は日曜日。この頃恒例となりつつある強制デートの真っ最中。
常務はあてもなく車を飛ばすのが好きらしく、いつの間にか高速に乗り、とある高原までやって来た。
緑豊かな景色を楽しみながらサイクリングをして、素敵なハーブ園でお茶を飲み、今は牧場に来ている。
牛や羊が放し飼いになっているのを、木陰にあるベンチに座ってボーっと見ているのだが、なんだか気持ちが穏やかになってくる。
常務は牧場特製のアイスクリームを私に手渡すと隣に腰を下ろした。
「常務って意外とアウトドア派なんですね」
「…… 」
「えーと、成瀬さんは体を動かすのが好きなんですか?」
「… まさかと思うが、亜也子は私の下の名前を知らないのか?」
「知ってますよ! 会社の重役の名前は全員フルネームで覚えてます」
常務が馬鹿にしたような目つきで言うものだから、ついむきになって余計なことまで言ってしまった。
「なら何故呼ばない。お互い名前で呼び合おうと提案したはずだが」
「えー、あのー、まだそれ程じょ… 成瀬さんに親しみを感じられないというか、恐れ多いというか… なんとなく気恥ずかしいと申しますか…」
あれ、何これ。自分でも何が言いたいのか、何を言っているんだか分からないや。
案の定、常務に笑われた。ふーん、常務も声を上げてこんな風に笑うことがあるんだ。
「まあいい。今はそれで許そう」
それきり会話がなくなってしまった。
とりあえずアイスクリームを食べる。でもすぐに食べ終わってしまう。
ここは私から何か言うべき?
「アイスクリーム美味しかったです。ごちそうさまです」
「ああ… 」
「えっと、気持ちいい所ですね。さっき見たハーブ園もいい雰囲気でしたし。ここも落ち着くというか、日頃の憂さを忘れられます」
常務がじっと私の顔を見る。
こんな美形に見つめられるとさすがに私の心臓もドキドキしてくる。まずい、顔まで火照ってきた。
誤魔化すために私は話を続けようと思うのだが、頭が真っ白になってしまった。
「そうか、それは良かった。最近元気がないようだったからな。いい気分転換になればと思ってここに連れて来た。私もここが気に入っている。仕事で嫌な事があると気晴らしによく来る」
私が落ち込んでいることを常務は気付いてたんだ。上に立つ人はよく見ているんだなぁ。
それに常務にも嫌な事があるのか… まっ、そうだよね。人間だもの。
「ここは乗馬も体験できるんだが後で行ってみようか?」
「えっ、馬に乗れるんですか。面白そう、ぜひ!」
何故か常務がニコリと笑った。
うわっ、凄いですその笑顔。胸に何かが打ち込まれたような気分になります。
「ようやく笑ったな亜也子。楽しんでいるようで、私も嬉しいよ」
何だ、この甘くて思いやりがこもった言葉は。どうした常務、今までと態度が全然違う。
『結婚を前提に』『その男より自分を好きにさせる』 あれって本気だったのか!
私も常務も、社長の陰謀で(大袈裟)仕方なく付き合い始めた。
先週のデートで結婚を前提にした付き合いに変更すると言われたけど、あくまで前提。
普通のお見合いなら“この人とならいいかなぁ” って気がするから交際を続けていきましょう… というトコロだよね。
それに、これは普通のお見合いじゃないし。
お見合いって、結婚を前向きに考えている男女が出会いを求めてするものよね。
私、まだ、結婚に焦ってないし(強がり)
あれは社長に嵌められてしてしまったわけだし。
お見合いだと、それも相手が常務だと知っていたら絶対に行かなかったし。
だって私は常務と結婚する気なんてサラサラない。
というか、常務のこと嫌いだもの。
たとえ優しい言葉をかけられて頭がボーっとしたとしても。
熱い視線で見つめられて顔が火照ったとしても。
とろける様な笑顔を向けられて胸がときめいたとしても、それは常務を好きになったわけじゃなく、常務の持つ恋愛スキルが高いせいに決まってる。
重要だからもう一度言う。
私は常務のことが嫌いなんだもの、だからこれは恋じゃない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで書いてきて『地味で盛り上がりのない話しだな… これって面白いのかな』と不安になってきました。
いや書きたくて書いてるんですけどね。
出来れば皆様の声を聞かせていただきたいです。
少し弱気になっている作者にご意見、感想などよろしくお願いします。