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人影がまばらになった社員食堂で、ちょっと遅めの昼食をとっていると、見知った顔がやってきた。
彼女も今からお昼のようだ。お勧めの日替わり定食を手に私の前の席に座ると、唐突にしゃべりだした。
「で、亜也子。昨日の首尾はどうだった?」
私は思い出したくなくて、その言葉を無視する。
「ねえねえ教えてよ。社長ジュニアとお見合いだったんでしょ」
「…つまり昨日のアレがお見合いだと知っていたわけね」
彼女は悪びれることもなく、ケラケラ笑って答えた。
「もちろん。だって私、常務の秘書だもの。上司のスケジュールはちゃんと把握しているわ」
「それなら私に教えてくれたらよかったのに」
「あら、お見合いですと言ったら、絶対行かなかったでしょ。だから、口止めされたのよ。社長自ら頼まれたら断れないでしょ… それで、どうなった?」
絶対嘘だ。社長に言われたからじゃなく、面白がってるだけでしょ。
でも、仕方ないか。彼女が同じような目にあったとき、私もおもいきりからかったものね。『常務と結婚なんて凄いじゃない。ゆくゆくは社長夫人だね。羨ましいわぁ… お祝いのスピーチなら任せてね。笑いと感動を織り交ぜた、完璧なスピーチをしてあげるから』 私は彼女を焦らすように、食後のお茶をゆっくり飲む。そんな私を彼女はニマニマしながら見てる。
「どうなったかなんて、簡単に想像がつくでしょ」
「あはは。まあね」
私、吉野亜也子と彼女、佐久間 薫は秘書課に勤務する同僚であり、友人である。
私達が勤める成瀬興産は、誠実で堅実な経営を信条とする社長のおかげで、業界でかなりの知名度を持つ優良企業だ。
社長は多少腹黒なところもあるが、上司としても男としても尊敬できる人なのに、その息子は…
社長の息子。この会社の常務、成瀬晃輝は公人としては素晴らしい人である。
アメリカの大学に留学してMBAを取得、その後外資系の大手企業に就職。そこで武者修行してから親が社長を勤めるこの会社に入社してきた。いきなりの部長職で批判の声も高かったが、そんな周囲を捩じ伏せるような見事な業績をあげ、あれよあれよという間に、常務に出世した。
頭が切れて、仕事もできる。そして社長の息子という肩書き。おまけに大変な美形。
だから、まあ、しょうがないよね。性格が俺様でも…
けれど、許せないのは女性との交際の仕方だ。
好みの女性とみるとパクリと食べる、そしてポイっと捨てる。今のところ何も起こってないが、いつか刺されるんじゃないかと思う。というか、刺されてしまえ!
そんな彼も苦手な女性がいる。私のようなタイプだ。言いたいことは、男だろうが上司だろうがズバッと言ってしまう気の強い女は、食指が動かないそうだ。
以前、『顔は好みなのにその性格がね… 』 と、面と向かって言われたことがある。
“こっちだって、あんたみたいな男はお断り。天地がひっくりかえってもありえない” 心の中でそう毒づきながら『それは残念です』 と微笑んでみせた。
さて、この御曹司。今年で35才になるというのに、いつまでたっても醜聞が絶えない。そのことに危機感を覚えた社長は、最近彼の花嫁を探し始めた。
直に常務の口から、対象外と言われていた私は、対岸の火事とばかりに傍観していたのだが、今回白羽の矢が立ってしまったのだ。 接待だと言われて行ったのだが、今思えばおかしい事だらけだった。日曜の昼間、料亭に現地集合だったし、外国のお客様だから着物で来るように指定されたし、相手のお客様の基本データどころか名前すら教えてもらってなかった。
女将に案内されて、襖を開けてビックリした。
そこには社長とその奥様と私の両親が座っていたのだ。
そして、私と同じように驚愕の表情の常務。
そのまま怒りに任せて、回れ右をすればよかった。しかし、私の社会人としての良識が働いてしまったのだ。それからの数時間は忍耐力を鍛える、修行の場になった。
「貴重な休日がパアになったわ」
「まあまあ。普段お目にかかれないような、ご馳走をいただいたんでしょ。これも仕事の内って思えばね… それに」
不自然に言葉を切って、薫は日替わり定食を食べ始めた。さっきの私への仕返しとばかりに、ゆっくり食べる。
「それにって、何?」
私はなんだか気になって、続きを促がした。
「えっ、うん。常務とお見合いしたって言ったら、あの残念な彼氏も、真剣に将来のこと考えるんじゃないかな」
薫の言葉に私はつい反応してしまった。
「カズ君は、人間と結婚するつもりはないわね」
「じゃあ、なにと?」
「…魚」
「それって、太刀打ちできないライバルだね」
私と彼の事情をよく知る薫は、実に楽しそうに私をいじる。
「それに今、付き合ってないし」
「えっ。またけんかしたの? 彼、今度は何やらかしたの?」
興味津々の薫は、箸を止めて私が話し出すのを待った。
「両親に紹介したんだけど 「いつの間にそんな展開に! まっ、いいわ。続き続き 」魚の話しをえんえん三時間したあげく呼び出しがきたって、挨拶もそこそこに飛び出して行っちゃった」
薫は盛大にふきだすと、そのまま食堂に響き渡りそうな大声で笑い転げた。
「相変わらずだねぇ、君の彼氏は。ははは」
「だから、今は彼氏じゃないし」
「どうせひと月もしないうちに、元鞘でしょ。いったい今まで何回、同じことを繰り返してんのよ」
薫があきれるのも仕方が無い。
私と彼… いや元彼は、初めて付き合いだしてからこの七年間で、付き合って喧嘩別れして、でもいつの間にか元鞘に… それを幾度となく繰り返してきた。
そして今回も、きっと薫の言うようになると思う。あの日から一週間しか経ってないのに、既に恋しくて淋しくて何度もスマホを手に取った。その度に、カズ君から謝ってくるまで、決して許さないと誓ったんだと、踏みとどまっているのだった。
「なら、尚更いい機会じゃない。社長命令で社長ジュニアとお見合いしました。このままだと結婚させられそうです。断るにも、それなりの理由が必要で… そこまで言えば、いくらなんでも気付いてくれるでしょうよ」
そうかな… そうだといいけど。
私の彼氏… 元彼、二宮和臣は超が付くほど鈍感なのだ。
付き合いだして七年が過ぎた。まあ、何度か危機的な状況になったが、それでもずっと恋人関係を続けてきた。
それなのに、結婚のケの字も口に上ったことはない。
それなら外堀から埋めていこうと、ちょっと強引に私の両親に会わせたのだが、散々な結果となった。
私の両親の彼に対する印象は、最悪なものとなったに違いない。
私ももう27才だ。そろそろ結婚に対して真剣に考える年齢になった。
最近、周囲… 特に母親が口煩くなった。彼女曰く “私があなたの年頃には、既にあなたを産んでいたわよ”とか、“結婚はいくつになっても出来ると思ってるんでしょうけど、男は若い女の子が好きなのよ。若いってだけで値打ちがあるの!” だそうだ。
私だって結婚したいよ。幸せな結婚生活を夢見てるよ。
カズ君と結婚しても、きっとうまくいかない。そう思って、別の人と付き合ったこともある。けれどカズ君じゃなきゃダメだと思い知らされた。
魚オタクで、世間一般の常識がなくて、女心を理解する気のないあいつ。K大学海洋生物学の助教という、肩書きはそれなりだけど、給料は私より少なくて。しかも、その給料も、研究の為なら湯水のごとく使ってしまう経済観念0の男。おそらく、結婚相手としては、最低ラインを切っているであろうに、私はあいつのことが好きなのだ。
「だって、私が常務との結婚を打診されたの… って言っただけで、あんなに煮え切らなかった健二の態度が、コロッと変わったんだから」
ああそうだったね、薫。この幸せ者!
薫には年下の彼氏がいる。いや、もう入籍したから旦那か。
二十歳を少し過ぎたばかりの彼は、まだまだ結婚する気はなかったみたいで、その話になると、のらりくらりとかわしていたそうだ。薫も私と同じで微妙なお年頃。でも、焦ってるって思われるのも嫌で、あまり強くは言えなかったらしい。けれど、常務の花嫁候補に名前が上がったのを切っ掛けに状況が一変した。
常務との話しがあったその日にプロポーズされて、その足でお互いの実家に挨拶に行き、あっという間に入籍した。
あまりの素早さに、皆唖然とした。本人も驚いてたし…
披露宴は彼が勤めるフレンチレストランを借り切って、親しい人達だけでお祝いした。(もちろん私も出席しました)
非常に羨ましい展開だ。
私がお見合いしたと伝えたら、彼はどんな反応をするだろう。
薫みたいに即行プロポーズ、入籍は無理でも、結婚を考える切っ掛けくらいにはなるだろうか。
午後一の社長室。社長と第一秘書の井上主任と私とで(私は社長の第二秘書なのだ)この後のスケジュールの打ち合わせをしていた。
ほぼ確認が済んだとき、突然社長が昨日の話題を振ってきた。
「吉野君。昨日はご苦労様だったね」
“大変苦労いたしました”と思いながら「いえ…」とだけ答えた。
「昨日の着物姿、とても綺麗だったよ。いや、今もとても美しいがね。晃輝も思わず見惚れていたしな」
あれは見惚れていたんじゃなく、睨んでいたと思います。
「終始、和やかな雰囲気だったしな」
和やかだったのは親同士で、私と常務は険悪な雰囲気でしたよね。
「家内が君の事とても気に入ってね、御両親も感じの良い方だったし、この話を進めたいと思っているんだ」
「社長。話しを進めたいのは社長だけで、肝心の常務の御意思ではないように思われますが」
「いや。そんなことは…」
「もう一つ言わせていただきますと、私の意思も無視しておられますよね」
「晃輝と結婚する気は無いと言うのかね」
「はい」
「理由を教えてくれないか」
この狸親父。息子の悪口を親に向かって言えというのか。普通ならオブラートに包んで、やんわり断るんだろうが、この際だ。
「常務はとても魅力的で多くの女性の憧れの的です。そして常務も沢山の愛情を持っていらっしゃって、一人の女性では満足出来ないようです」
「あっ、いや、それは…」
「私は広い心を持ち合わせておりませんので、大勢の女性と浮気する夫を持つことはできません」
常務の女癖の悪さについて、ハッキリ言われると思ってなかったのか、社長はその場で固まった。お見合いの話しになった時から、存在感を消していた井上主任は顔を引き攣らせていた。
そんな二人を残して、私は一礼し社長室を退出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
新しい連載を始めました。今回は不定期更新になりそうです。
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