満月の日の新人着任編 1-10 「満月の夜が過ぎて」
10月26日 月曜日 午前5時
白川県警察本部 8F 警備部 戦対第一課
「 … というわけで、俺の右腕は魔法生体工学を応用して作られた義手なんだよ。分かってくれたかな、茂原さん?」
「うぅ … だったら、なんでもっと早くに言ってくれなかったのよ~!!」
茂原水奈は椅子に座りながら、疲れきった表情で机に突っ伏す。
そして目だけを動かして、向かい側のソファーに座っている鎌ヶ谷拓真をジロリと睨みつけた。
一方、彼女に睨みつけられている鎌ヶ谷拓真はというと、苦笑いを浮かべて彼女から視線を外している。
「あたし、本当に鎌ヶ谷君の腕が喰い千切られちゃったって思って怖くなって … 物凄く心配したんだよ?」
「心配かけて … 悪い」
ショッピングモール:ビッグタウンにて、透怪物のウルフィークに右腕義手を喰い千切られた拓真であるが、現在は新しい義手に交換してあった。
その新しい右腕義手を、水奈がムスッとした表情でジーッと見つめている。
「それにしても鎌ヶ谷君の右腕が義手だったなんて … びっくりだよ。今見ても本物の腕にしか見えないもん」
「まぁ … 人工皮膚で覆われているからな」
「ねぇ … 触ってもいい?」
「ああ、別にいいけど」
すると水奈は拓真の隣に移動し、拓真の右腕を手に取ってベタベタと触り始めた。
「うわぁ~、手触り感も本物だし、ほんのりと温かーい!」
「・・・・・・・・」
女の子にベタベタと腕を触られて拓真は恥ずかしそうにしていたものの、満更でもない顔を浮かべていた。
そこへ拓真の耳に、拓真にしか聞こえないあの声が入ってくる。
『拓真さん、よかったですね!! 女子高生に腕をベタベタと触られて!!』
少し殺気を含んだミーサの声が耳に入ってきた。
拓真が顔を上げると、天井付近に守護神ミーサがフワフワ浮いているのが目に入る。ミーサはニコニコ笑っているが目は笑っていなかった。
水奈にベタベタ右腕を触られつつ、ミーサからの冷たい視線に耐えていると、戦対第一課の部屋に2人の人間が入ってきた。戦対第一課課長の船橋影朗と拓真の上司である木更津雪穂である。
「鎌ヶ谷君、水奈ちゃん、ただいま~!」
「ああ、おかえりなさい … って、ええっー!? 木更津さん、どうしたんだよ、その腕!!」
木更津の右腕がギプスで固定してあった。
それだけはない。頭から足までのいたるところが包帯とガーゼだらけの満身創痍だったのだ。
見た目はとても痛々しいが、当の本人はヘラヘラ笑って元気そうに振舞っている。
「あっ、これ? ちょっと骨折しちゃったんだよねー。でも大丈夫、大丈夫!! へーきへーき!」
「大丈夫そうには見えないんだが?」
「見た目はこんなんだけど、本当に大丈 … 痛っ!!」
そう言っている途中で木更津は顔を顰めてフラつき始めた。
倒れそうになった木更津の身体を、隣にいた船橋がそっと支える。
「おい雪穂、無理をするな。重傷を負っているのだから、今日のところはベッドに横になって安静にしていろ」
「うぅ … 影ちゃんがそう言うなら … 」
「分かってくれたならいい。でもな、プライベート以外では『影ちゃん』と呼ぶのはやめてくれないか?」
「はーい、影ちゃん」
まったくこいつは、と呟いて船橋は呆れてみせる。
「仲が良いですね」
拓真の何気ない言葉に、船橋と木更津は互いに顔を見合わせて頬を赤らめた。
「ゴホンッ! … これから俺は雪穂を仮眠室に連れて行くが、ちょっと鎌ヶ谷と話したいことがあるから、鎌ヶ谷は後で作戦会議室へ来るように」
「分かりました、船橋課長」
木更津の肩を抱えながら去っていた船橋を見送り、拓真はソファーから立ち上がる。
「茂原さん、俺は船橋課長に呼ばれているから、そろそろ作戦会議室に行ってくるよ。それまでの間、ちょっと待っていてくれ」
「えっ … あっ、そっか。うん、行ってらっしゃい」
「おう」
◇
戦対第一課の部屋の向かい側に位置する作戦会議室にて、鎌ヶ谷拓真は船橋影朗がやって来るのを待っていた。
窓からは地平線の彼方から昇ってきた太陽の朝日が差し込んできている。
一方、会議室内をフワフワと浮遊しているミーサは眠たそうに目を細め、小さく欠伸をしていた。
そんな自分に憑りついている長年の付き合いである霊体の相棒:ミーサを見つめ、拓真は暇つぶしにも考え事をしていた。
(今、欠伸をしたのを見たけど … ミーサって幽体なのに眠気を感じるんだな)
時々、「お腹空きました~!」やら「久しぶりに運動したら筋肉痛になっちゃいました!」とか霊体らしからぬことを口にすることがあるので、本当に霊体なのかと疑問に思うこともある。
普段から接しているから分かる事だが、ミーサも普通の人間の女の子と何ら変わりないように見える。
(ミーサって … 霊体になる前は、普通の人間の女の子だったのか? それとも … ずっと霊体のままだったのか?)
あの航空機事故をきっかけに、ミーサに憑りつかれて付き纏われることになって早々13年が経つが、拓真は一度もミーサの過去について彼女に直接尋ねたことはない。
ミーサは自身の過去を話したくないのではないか、と思ったからだ。
ミーサのことについてあれこれ考えていると、作戦会議室内に戦対第一課課長:船橋影朗が入ってきた。
「遅れてすまない。雪穂の奴がいろいろとうるさくてな」
「いえ、別に構いません」
「そうか」と呟き、船橋は拓真の向かい側の椅子に腰掛けた。
「それで … 俺に話と言うのは?」
「ああ、今回出現した透怪物について、ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
やはりそうか、と拓真は頷いた。
任務内容の出来事は報告書にまとめて課長に提出するというのが決まりなのだが、その課長が直々に話を聞いてくるということは何か重要な話があるということを意味している。
船橋課長は硬い表情を浮かべながら口を開いた。
「今回、県内三カ所に出現した透怪物はいつもと違っていた。それは君も分かっているだろう」
「はい、俺が相手した透怪物:四級怪物ウルフィークは、神話のケルベロスみたいな形態に変化しましたから」
「うむ。木更津が相手したのは三級怪物クラーオクト、館山兄妹が相手したのは三級怪物ツァフログ。この3件の事案全てに共通することは、どれも第3形態に変異したことだ」
基本的に今まで確認されている透怪物の形態は、次のように分けられている。
一つは基本的な姿である第1形態。二つ目は満月の夜に凶暴化・巨大化した姿である第2形態。しかし、今まで第3形態に変異した姿は一度も確認されていないのだ。
「これは今まで確認されたことがない新形態だ。これが白川県内だけで起きた出来事なのかどうかは、明日、警察庁で行われる戦対定例報告会議で分かることなのだが … とにかく今日本で何か大変なことが起きようとしていることは確かだろう」
もしこの透怪物の第3形態が日本中で確認されているのならば、今日本で大変なことが起きようとしていることを示す。
日本で大変なことが起きようとしている、という船橋の言葉を聞いて拓真はふと思い出した。
「船橋課長、俺 … 前に聞いたことがあるんですが、今から20年前に世界各地で大規模な災害が起きたらしいですね?」
「ああ、『一一五災害』のことだな」
『一一五災害』とは20年前の11月5日、日本・アメリカ・イギリス・ロシア・オーストラリア・ブラジル・エジプトの七ヶ国で発生した大規模災害のことである。
七ヶ国の死傷者数は合計約200万人以上。その内、日本では富士山が大噴火し、死者9532人・負傷者4110人の犠牲者を出したという。
「俺、噂で聞いたんですけど … 実はあれは災害ではなく、魔法絡みの事件だったとか … 」
木更津雪穂はオカルト好きで、特に都市伝説が好物である。
拓真は最初、木更津からこのことを聞いたとき、『一一五災害』の噂はいつものただの都市伝説だと思っていたのだが、それは違っていたようだった。
拓真が質問した直後、船橋の表情が変わり、瞳を見開いて身を乗り出してきたのだ。
「おい鎌ヶ谷、その噂は誰から聞いた?」
「えっ … 木更津さんから聞いた噂ですけど」
「ちっ … 雪穂の奴、余計なことを … 」
拓真は船橋の反応を見て確信した。
「やっぱり『一一五災害』の噂は本当なんですね。そして、その『一一五災害』と今回の件には何か関係があるのでは … 」
「鎌ヶ谷、その辺にしておいた方がいい。世の中には知るべき情報と知らなくてもいい情報がある。これ以上、俺は何も答えることはできない」
「 … ということは、機密情報ってことですか」
拓真の問いかけに、船橋は無言で頷いた。
「今は知らなくてもいい情報だが … いずれ知るべき時が来るはずだ。君が成人を迎えた時にな」
「課長、俺 … 今年で20歳になったばかりなんですけど」
「ああ、そうだったのか。なら今年中に知ることになるのだろう」
そう言うと船橋は元の冷静な表情に戻り、ずり下がった眼鏡を手で押し上げて元の位置に戻した。
これ以上『一一五災害』については触れたくないらしい。
「話を戻すが、今回の透怪物の第3形態を受けて、今後何か対策を取らなければならなくなるだろう。ただでさえ満月の夜は第2形態に変異して厄介だというのに、それを上回る第3形態を相手しなければならなくなるのは痛いからな。まぁ、その辺も明日の戦対定例報告会議で話し合われるのだが。ところで鎌ヶ谷、任務中で他に何か変わったことはなかったか?」
「変わった … ことですか?」
「そうだ。少しでも変わったことがあれば、何でも言ってくれ」
任務中で変わった出来事 … 拓真には1つだけ心当たりがあった。それはウルフィークを倒した後に現れた、歳は10代後半ぐらい、亜麻色の短い髪、白のカッターシャツと紺の長ズボンという服装をしていた謎の少年のことである。
謎の少年は、拓真が構築していた結界の中に足を踏み入れてきた。しかし、魔力を持つ者しか入ることができない結界に入ってきたというのに、少年からは魔力の反応はなかった。
それに霊能力がある人間でも見ることが出来ない、拓真にしか見ることが出来ない守護神:ミーサの姿を、謎の少年は見ることが出来た。
これらの謎の少年に関することをすべて船橋に話すと、船橋はまたもや目を見開いて驚く。
「その謎の少年の特徴 … たしか雪穂の奴も見たって言っていた少年と似ているな」
「なっ … 本当ですかっ!?」
「ああ、だがおかしい。鎌ヶ谷が担当だったショッピングモール:ビッグタウンは柿ノ木市西区不知火町、雪穂が担当した白川鉄道小和田線播摩駅は小和田郡海林町にあったハズだ。柿ノ木市と海林町とでは距離約30km離れているのだが … 偶然や見間違いか?」
「でもソイツ、魔力保有者ではないみたいでしたが、俺の結界内に入ってきました。仮に結界の方に問題があったと考えてもショッピングモール内は立入禁止になっていたので、一般市民が迷って入ってくることは出来ないハズです。少なくても一般人ではないのは明らかです」
それを聞いて船橋はしばらく深く考え込んでいたが、「うむ」と頷いて顔を上げた。
「分かった。その謎の少年に関してはこっちが調べておく。その他に何か変わったことはなかったか?」
「いえ、特に何も」
「そうか。ところで新人の茂原水奈との相性はどうだった? 今回が彼女にとっての初実戦だったのだろう?」
「えーと … よかったと思いますが、その茂原水奈のことについてちょっと相談が … 」
「ん、何だ?」
拓真は茂原水奈が使用したという魔法について説明することにした。
「任務中に茂原水奈が魔法を使用したのですが … 」
「おお、そうか。どんな魔法だ?」
「それが … 『素粒子変換』という素粒子を操る無属性魔法だったんです」
「なん、だとっ!?」
船橋は目を丸くして驚いた。
「それは本当なのか? 素粒子系の魔法を使用する魔力保有者は、世界中で1人も確認されていないハズだぞ?」
「ええ、でも確かに俺はこの目で見たんです」
船橋は辺りを警戒するように見渡し、小声で拓真に尋ねかける。
「このことは、まだ誰にも言ってないな?」
「まだ言っていません」
「なら良い。くれぐれも … 茂原水奈が素粒子系の魔法を使用するという情報は、我が警察本部の戦対第一課所属以外の外部の人間には話すな。下手に情報が洩れれば、彼女の身が危険に曝される可能性があるからな」
「それは分かっています」
「頼んだぞ。後は彼女が立派な魔力保有者になれるよう、これからも指導してあげてくれ」
「はい」
「君も疲れているだろうし、今日はこの辺にしておこう。ゆっくりと身体を休めておくように」
◇
「あっ! 鎌ヶ谷君、おかえり!」
戦対第一課の部屋に戻ってくると、茂原水奈が笑顔で出迎えてくれた。
成田明海から貰ったのだろうか、テーブルの上には美味しそうなケーキが並んでいる。
「ケーキ、こんな朝方からよく食えるな」
「だってお腹空いちゃったもん! だから成田さんから貰っちゃった。鎌ヶ谷君も食べる?」
「いや、俺はいいわ」
任務で体力と魔力を盛大に使ってしまったために、随分とお腹が減っていたのだろう。
水奈はテーブルの上に置いてあったケーキ数個をみるみる内に平らげていく。
「茂原さんって、小柄な割にはよく食べるな」
「えっ!?」
何気なしに拓真がそう口にした直後、最後のチョコレートケーキ一切れを口に運ぼうとしていた水奈の手が止まり、恥ずかしそうにして俯いてしまった。
「あっ … いや、鎌ヶ谷君、これは違うの!」
「いや、別に恥ずかしがる必要なんてなんじゃないのか? ほら、女の子が美味しそうにデザート沢山食ってる姿って可愛いと思うし」
『拓真さん、ならあたしもいっぱい食べます!』
「お前は霊体だから何も食べなくても平気だろ」
拓真は途中で割り込んできたミーサにそうツッコミを入れる。
水奈は恥ずかしそうに俯きながらも、フォークに突き刺さったチョコレーキケーキ最後の一切れをパクッと口に入れた。
ケーキを無我夢中に食べているところを見られて恥ずかしがっていた茂原水奈。この戦対第一課にスカウトされるまでは、ごく普通の女子高生として暮らしてきたであろう。
しかし、そんな彼女は今では魔法を使うことが出来る魔力保有者である。それも世界で唯一、素粒子を分解・構築する魔法を使用する魔法使いだ。
拓真は船橋に言われた言葉を思い出す。「茂原水奈が素粒子系の魔法を使用するという情報は外部には漏らすな」と。
船橋が言った言葉は正しい。
世界には1万4452人もの魔力保有者が存在しているのだが、世界中の軍隊相手と闘えるほどの戦力となり得る人物は存在していない。
しかし、茂原水奈にはそれが可能である。
例えば自分の半径1km圏内にあるものすべてを素粒子に分解したり、人類が開発した最も強力な兵器である核兵器でさえも無効化、下手すれば地球そのものを丸ごと分解するなど、人類を1人残らず根絶やしに出来るのだ。
そのことが世界中に知れ渡れば、彼女は人類の脅威になりうるという理由で抹殺されることもありうる。あるいは国連の監視下に置かれて、無人島の隔離施設などに収容されてしまうかもしれない。
要するに、それほど茂原水奈の魔法は危険であるということである。
(まぁ … たとえ何があったとしても、そのときは俺が守ってあげるけどな)
常識的に考えても、茂原水奈が人類に刃向うことはないと思うのだが、異質なものを排除したがるのが人間の心理である。
万が一のことも考慮して、このことを彼女に伝えておくべきかどうか迷っていると、ふと水奈が小さな欠伸と共に眠たそうに目を擦り始めた。
「ねぇ … 鎌ヶ谷君、ちょっとソファーで寝てもいい?」
「ああ、いいよ」
無防備にもソファーに横になった水奈の姿に、ドキッと一瞬だけ拓真の胸が高鳴る。
『拓真さん、水奈さんを寝ている隙に襲うのはダメですからね! くれぐれも理性を失わないように!』
「襲わねーよ、バカ!」
拓真は慌てて、制服のスカートから露わになっている彼女の太股から視線を逸らした。
このままでは彼女が寒そうなので、拓真は何かないかと室内を探していると、いつも木更津が使っているブランケットを見つけたので、それを水奈の足元にかけてあげた。
「鎌ヶ谷君、ありがとう」
「おう」
「ねぇ、あたし今はまだまだ未熟だけど、いつか鎌ヶ谷君みたいな立派な戦対第一課の捜査官になれるように頑張るから … そのぉ、これからも指導、よろしくお願いします!」
「分かったよ。だから、今はゆっくり休んでおけ」
「うん」
「じゃあ、俺も今から寝てくるから … おやすみ」
「おやすみ」
拓真は自分の座席に座り、机に突っ伏して寝ることにする。
『拓真さん、今日はお疲れ様でした』
「 … お疲れ」
『あたしも眠たくなってきたので、そろそろ寝ますね。おやすみなさい、拓真さん』
「おやすみ」
そう言ってミーサは拓真の身体の中へと消えて行ってしまった。
「はぁ … 疲れた」
そして拓真も瞳を閉じ、夢の世界へと旅立っていくのであった。
満月の日の新人着任編 完