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神殺し  作者: 松井海帆
1/1

第一章その1 はじまりの空

はじめまして。神霊ものが好きで、こんなタイトルの現代ファンタジーとなりました。今後シリアス風味に向かっていきますが、その1ではそこまでじゃないはず…です。

また登場人物は、実在の団体とは関係ないフィクションです。一部物語の構造上、リアリティの欠ける部分がございます。ご了承ください。



 五限目の授業はどうしてこうも眠いのか。

 窓の向こう――空に飛び交う自衛隊の航空機をひとつ、ふたつと数えていた須佐良和は、こみ上げてきた欠伸をかみ殺した。

 初夏と言っても風はまだ冷たい。でも、窓から差し込む日差しは心地の良いぬくもりを届けてくれ、ひっきりなしに「眠れ眠れ」と囁きかけてくる。窓際の特等席。夏にかけての運をすべて使い切ってしまっても良かったと思える瞬間だ。

(あー、ねむ)

 眠気を追い出そうと目頭を揉む。はっきり言って無意味だけど。

 あちらこちらで聞こえる寝息――良和の後ろからも聞こえる――の中、「声はかっこいい」ともっぱらの評判のバリトンは、今日も絶好調だった。

「ジャンヌは皇太子シャルルの戴冠を……」

 世界史教師、高野太一の淡々とした低音は、まじめにノートを取る気力さえ奪い取って、クラスの大半を夢の世界に誘っている。なんとかそれに抗っているのは、この間の席替えで運悪く一番前の席を勝ち取ってしまった木村浩一と十利上水貴、それに家入弘くらいだ。あの三人は根がまじめだから、あの位置で眠ることなど出来ないだろう。

(かわいそうに)

 良和は心底同情した。

 大学受験にはほとんど関係ない中世をねちねちとやり続ける教師に、とっとと見きりをつけている人間も多い。ジャンヌ・ダルクなんてもはやファンタジー小説の世界だろう。神様からの天啓で長い戦いを終わらせた少女は、最後に火あぶりにあう。火あぶりにあわせるために神は少女を選んだというのだろうか。

(神様って、理不尽だよな)

 助けないなら与えないで欲しい。願いなんて自己満足だろう。たとえ彼女が人々を救いたいと願ったとして、それを真に受ける必要はなかったのだ。

(ほんと、理不尽)

 板書を写す気力もなくして、良和は再び窓の外に目を向ける。

 この明神高校の近くには自衛隊基地があり、週に一回は花形のパラシュート部隊に降下訓練を見る事が出来る。教科書にのっている第二次世界大戦の頃からある歴史ある基地は、パラシュートだけれども陸上自衛隊。ただそれがここ最近、妙に航空機が飛び交っていて、近隣住民はじめ、学校側も講義するか議論中だ。この近くは小・中学校もあるので、大事になったら大変だから、らしい。

(そう簡単に堕ちない……よなあ)

 ついつい疑問符が浮かんでしまう原因は、今日も健在だった。

 また一機戻ってきたのだが、随分と機体が不安定に左右へと揺れている。どうも綺麗な隊列で飛行できないようなのだ。見てるこっちが怖い。

(しかしこれで十二、か…)

 今までの最高記録は十三機。まだまだ遠くに見える機影に、この分だと新記録になりそうだ。すでに正の字が完成しているノートの右隅を指でなぞって、遠く聞こえるエンジン音に耳を澄ます。

 幻聴のように脳髄を揺さぶるその音は、燃え上がる炎を連想させた。



「今日はここまでだな」

 キーンコーンというチャイムの音に、高野がチョークを置く。

 生徒達は現金なもので、白くなった指先を几帳面に手ふきで拭う教師の姿を寝ぼけ眼で確認すると、いっせいに起床する。おかげで十分見た目は「まじめ」なクラス、だ。

 クラス委員長の富田が立ち上がって号令をかける。

「ありがとうございました」

 終礼が終われば、今まで机に突っ伏していた生徒達が賑やかな声を上げて廊下に飛び出していく。固まって出て行く女子の群れを横に見て、良和は身体を反転した。そうすれば見慣れた顔がにやりと笑う。額は見事なまでの真っ赤だが。

「おはよ」

「はよ。はいノート」

「さんきゅ」

 諏訪隆史は恭しく良和が渡したノートを受け取る。

 その姿に「おー敬え敬え」とちゃかして言おうとしたのに、こみ上げる欠伸に遮られる。

「寝るわ〜。ノートよろしく」

「次数学だぞ」

「うげっ」

 残念ながら数学は、世界史のような教科書とノートを読めばなんとかなる授業ではない。

 睡魔と攻防を繰り広げる良和の側で、諏訪は気にした風はなくぱらぱらとノートをめくっている。今日の分はどれほどかと確認しようとしているのだろう。

 諏訪は高校に入学して、最初に出来た友人だ。須佐と諏訪で席が前後なのとなぜか「さ行」は女ばっかりなのもあって、消去法で仲良くなるしかなかった男だが、友人とするにはもってこいの奴だった。必要以上に馴れ馴れしくなく、一定の距離を持って人と付き合う諏訪は、二年経ってもこうしてつるんでいられる貴重な存在だ。スズキがいなくて良かった。

「カズ、またか?」

 諏訪が呆れたようにノートを突きつける。

「あー、それはごめん」

「ごめん?」

「ん?」

 てっきり後半の板書が抜けている事かと思ったのだが、反応がおかしい。重い瞼を上げて親友が指差しているところを見れば、規則正しい「正」の文字。

 ああ……と、頷きつつ「最高記録」と口角を上げた。

「聞いて驚け、なんと二十三機だ」

「二十三、って……前の記録、十三じゃなかったか?」

「ああ。一気に十も記録更新」

「ふーん、なんかあんのかね」

 案外律儀な諏訪が数学の教科書を取り出しながら呟く。この律儀さをも凌駕するのが高野の世界史の恐ろしさだ。

 四つの正の字を人差し指でとんとん叩く。

自衛隊機もパラシュート部隊も日常風景にとけ込む窓だから、あまり深く考えていなかった。確かに今日は異常かもしれない。

(演習でもあんのかな)

機関銃を持って基地入り口に立つ迷彩服を思い返す。身近でも、やはりあの門の先は別世界なのだ。良和達が触れているのは、ほんの一端に過ぎない。

そうこう考えていた時、がらっと前扉がスライドする。

「おー座れ~」

 間延びした声でそう言ったのは、担任の相模だ。

「あれ? まだ六限残ってるよな?」

 時計とその下に貼られた時間割の紙を交互に見やる。

「次は松田さんで間違いない」

諏訪は机の上の教科書を叩く。

「だよなあ…」

どうして相模が来るのだろうか。

松田教諭とは昼休みにすれ違ったので、休みではない。だとすると急用ということになるが、だったらその時点で誰かしらからその旨が伝わってくると思うのだが。

 どうやら皆も良和と同じ疑問を持っているようだ。困惑したような視線が、相模に向けられている。クラスが一団となって、教壇に立つ担任の一挙手一投足に気を集中させていた。

「先に言っとくが、自習じゃないぞ」

 その一言に、静まっていた教室内が喧騒に包まれる。

 ……どういうこと?

 なんだろう。

 ――周囲のクラスメイトたちが交わしあう囁きに、良和も後ろの諏訪を窺う。勘のいい彼のことだから何か気付くことでもあるかと思ったが、無言で首を横に振った。

 仕方なく姿勢を正して相模の次の言葉を待つ。騒ぎ収まってきたのを見計らい、担任は手に持った名簿で肩をとんとんと叩いた。それはこの担任が嘆息する前に行う癖で、一、二年と同担任の生徒をしている良和には見慣れた仕草だ。

「おまえら、さっさと帰り支度しろ。今日はこれで終わりだ」

 ちなみに全部活動も活動禁止。さっさと家に帰れよ。

 黒板に「完全下校14:50」と書いて、チョークで汚れた指を白衣で拭う姿はあまりにも自然で、一瞬これから物理が始まるのかと思った。

「……終わり?」

 思わず零れた声は誰のものだったか。

 話は終わったと背を向ける相模を呆然と見やっていた良和は、「先生っ」と呼ぶ声に意識を戻される。見れば最前列中央に座す水貴が白く長い腕をぴんと伸ばして相模を見つめていた。

 呼び止められた方の相模は、面倒くさそうに振り返り「なんだ」とまた名簿で肩を叩く。

「今日は短縮ではなかったはずです。それに完全下校が十五分後なんて、急です」

「そうだよっ! 理由を教えろよ」

 水貴に続くように小林が噛みついた。逃がさないと白衣の裾を掴む腕に、深々と息を吐いた相模は、「職員会議になったんだよ」と疲れたように言う。

「俺もよくは知らん。五限目が終わって職員室に行ったら、教頭が突然言い出してな。理由を知りたかったら明日にしろ」

 以上、俺のためにもさっさと帰れすぐ帰れ、と教室を出て行った担任の背中。隣のB組担任吉川女史も出てきて、相模と並んで足早に特別棟へ去っていった。

 何だったんだ。

 目をぱちくりとさせている後ろで、椅子を引く音がした。見れば、諏訪が数冊のノートと教科書を鞄に詰めている。まるでそれに続くように、皆が鞄を持ち上げて荷物を乱雑に詰め始めた。その中、横の佐々木はいっそ清々しいまでに筆箱だけを放り入れ、さっさと後ろの扉から消えて行く。

 こういうところを見ると、やはり進学校なのだなと思う良和だ。皆、物わかりが早い。廊下はすでに、昇降口へ向かう生徒でごった返していた。

「もうちょい待つか?」

 良和も宿題を出された教科分のみが入った鞄を肩にかけ、諏訪に問う。うーんと一瞬考えた彼は、そうだなと机に腰掛けた。

「数学が無くなったのはラッキーだったけど、これじゃあな」

「確かに」

 苦笑する諏訪に同意を示す。まったくはた迷惑なことだ。

そろそろ夏季大会予選が近づく季節。明神高校はあまり部活に力を入れていないが、それでも野球部は「めざせ甲子園」と謳っているし、吹奏楽部も日々練習に励んでいる。明後日は県内でも強豪と呼ばれる北央高校との練習試合だと言っていた野球部の木村は、やはり浮かない顔で出て行った。授業が無くなるくらいなのだから、部活ができないのもわかる。が、納得できるだけの理由は訊きたい事だろう。

 かく言う良和も剣道部に所属し、団体戦のメンバーを目指して素振りをする毎日である。部活でなくとも稽古は出来るが、やはり実際人と打ち合う以上の練習はない。しかも今日はせっかく主将の日宮が相手になってくれる約束だったのに……。なんて間の悪い。

「どうしたんだ?」

 暗い表情に気付いた諏訪が首を傾げる。

 それに「今日は日宮先輩と練習だったんだ」と力無げにいうと、ご愁傷様と肩を叩かれた。

「どうしたの?」

「十利上」

 ひとりふたりと帰っていくクラスメイトの波に逆らって、一番前の席から十利上水貴がやってくる。膝丈の紺スカートに白いセーラーをきっちりと着こなした古風な美少女は、柔和な笑みを良和と諏訪に向けた。

「良和くん諏訪くん、帰らないの?」

「こう人がいっぱいじゃな」

「水貴こそ帰らないのか?」

「今日、須佐さんに呼ばれているのよ。聞いてなかった?」

「親父が?」

 聞いていないと首を振る。と、同時に「あの親父……」と心の中で悪態をついた。

 良和の家と水貴の家は、大雑把に言うと大家と借り主の関係になる。十利上家はこの明神地区の氏社の宮司家系であったのだが、水貴の祖父・真之介が亡くなった後、神職に就ける人間がいなくなってしまったのだ。そこで多くの神社に倣い、宮司を雇うこととなった。そうして派遣されたのが良和の父・憲一というわけだ。

 現在良和親子は十利上が管理する明神神社の社務所を間借りして生活している。その関係で、家主の娘である水貴には衣食住において多大な援助を受けていた。主に男ふたりが不得意とするもろもろについて。

 そういえば今朝、どこかに電話をかけているようだったが……それが水貴だったとは。

 驚くが、しかしすぐに納得する。つまりはそう、あの恒例行事がやってきたのだ。

「大掃除か……」

「もちろん手伝ってね」

 にっこりと笑う彼女に、諏訪が「またかよ」と呆れた声を出した。

「もう少し、日頃から片づけを心がけられないのかお前ん家は」

「諏訪氏は男のふたり暮らしの悲惨さを知らないんだっ」

 びしっと指を突きつける。

 良和は物心つくかつかないか位の時に母親を亡くした。それからというもの父子ふたりで生活してきたのだが、そこはやはり男所帯。家事というものが疎かになっていくのは仕方のないことだろう。

「掃除洗濯家事親父、そのすべてを面倒見てくれるというお母さん。そんな人が家にいたら、こんなことにはならないさ」

「そうか? 俺一人暮らしだけどそんなこと思ったことないぞ」

「へー、一人暮らし……って、一人暮らし!?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「私も初耳」

「なんで教えてくれなかったんだよ!?」

「……訊かれなかったから?」

 とぼけたように笑う諏訪に、良和は天を仰ぐ。

 良和と同じく、一年の時からの付き合いである水貴までもが驚愕の声を上げたので、おそらく級友の誰も知らない衝撃の事実だ。

 この諏訪隆史という男。他人に干渉し過ぎないところが長所だが、その反面自分のこともあまり話さない。まさかそんな事実を隠し持っていたとは。

 興味津々の態のふたりに、諏訪は困ったように首筋を掻く。「明日だ、明日!」と相模よろしく言い捨て、もう三人しかいない教室を足早に横切る。それに追いすがり、納得がいかないと唇を尖らせた。

「なんだよ。相模の真似か?」

「ちげーよ。てかもう47分だぞ? さっさと出ないとまずいだろ」

「あら本当……急がなくちゃっ」

 廊下はもう人も疎らになり、しんと静まりかえっている。その所為で、ばたばたとかける三人の足音が嫌に響き、なぜだか悪いことをしているような不安に駆られた。喩えるなら映画館で食べるポップコーンの咀嚼音。小さい頃は当たり前で気付かなかったのに、年齢がかさむに連れちょっとしたことが気になって仕方ない。

 良和達の教室は、幸い昇降口に近い三階階段付近だったので、下駄箱にはまだ複数の生徒の姿があった。と言ってもそのほとんどが新造された別棟に隔離されている三年生で、二年で残っているのは良和達のようだ。

 慌ただしくローファーに履き替え、門番の国語科講師の伊達に「さよなら」と声をかけてそそくさと昇降口を飛び出した。

 校門を出てしばらく、教師の気配が無くなったのを確認し、良和は詰めていた息を吐き出す。それは長々と、憤りの混じったものだった。

「ったく、何なんだよ」

 眉間に皺を避け、けっと悪態をつく。

「ていうか見たか、伊達の般若面」

「カズは、伊達さんに嫌われてるもんな。これ黒くすればいいんでない?」

 日に当たるとより色素が薄まる栗色の髪を引っ張る親友の手を、鬱陶しいわと振り払う。

 良和の両親は標準的な日本人で、髪はもちろん黒だ。それなのに息子の自分は全体的に色素が薄く、顔立ちも西洋的なものを彷彿とさせるものだった。昔はこれでいじめられた経験もあるので、たとえ裏で「かっこいい」と囁かれていたとしても、正直言って忌々しい。先祖に外国の血でも混ざっているのだろうか。

 良和は半眼でにやにやとした笑みを貼り付けた諏訪を睨み付けた。

「嫌だよ、わざわざ染めるとか。そもそもうちの学校って染めるの禁止なのにおかしいだろ」

「良和くんはそのままで良いと思うよ。綺麗な色じゃない」

「水貴……!」

 まるで後光が射した菩薩のごとく、柔らかに笑う水貴に、良和は手を合わせた。

 ちなみに、そう言う彼女はとても綺麗な黒色だ。幼い頃から祭りの際は巫女として家業を手伝っている水貴の髪は綺麗に腰で整えられ、その頭部を天使の輪が飾っている。以前髪を切りたいと思わないかと訊ねたときは、髪型は切らなくとも変えられるとあしらわれてしまった。おそらく、彼女の中で神職に就くということは決定事項なのだろう。なりたいかは別として。

そう考えると雇われ宮司の息子は気ままなものだ。

何かになる必要はない。ただ毎日お守り袋を作っては、誰かの夢が叶うことを願う日々。きっと一年後には参考書を買って、どこかの大学に入る。そうしてまた、なりたい自分を探す四年間が始まるのだ。

ただその将来でも、水貴が横にいないかなと淡い期待を抱いていることは秘密だけれど。

水貴の綺麗に編まれたおさげが風に踊る。

ついつい見惚れていた良和は気付かなかった。「あ」と思ったときには腹の所にどんと衝撃が起こり、続いて左脛が悲鳴を上げた。

「~~~っ!!」

「前方不注意は危険だぞ」

 聞こえてくる位置とは裏腹に、刺々しい物言いが耳に刺さる。

 じんじんと痛む脛を抱え座り込んだ正面には、小学二年生くらいの少年が立っている。ただその表情は遊び盛りの子供とはかけ離れた無表情で、背負っている古びたランドセルの方が異質に感じる気配を放っていた。

 悲しいことに、良和はこの子供が誰だか知っている。否、子供と呼んで良いかはわからない。もはやここにいる誰よりも付き合いの長いそれに、涙の膜を隠しもせず喚き散らす。

「……ここ、あの弁慶さんだって泣いちゃうところなんだぞ!? 泣いちゃうんだぞっ」

「そうか、なら泣け」

「ひでえっ! それが兄貴分に言うことかよ」

「おまえは弟分だろう」

 さらっと言ってのけるそれはとどめとばかりに額を指で弾く。所謂デコピンは反論する気力を奪い、良和を地に沈めた。

「――何度見ても、哀れだなあ」

「えーと……瑞薙くん? 良和くんが動かなくなっちゃったんだけど」

「ふむ。道の真ん中で迷惑な。起きろ、良和」

「…………誰の所為だよ」

 イタタタタ……。

 先程良和は父親とふたり暮らしだといったが、一つ誤りがある。それは、良和の腰ほどしかないこれだ。名を八頭瑞薙。外見年齢八歳。烏の濡れ羽色に似た黒髪に、赤みを帯びた瞳の兄弟分である。しかしどちらが兄で弟かは、両者の間で一致していない。

 八頭瑞薙。初めてこの名を聞いたのは、もう十年近く前になる。それまではこれを別の名で呼んでいた。けれども今は、「ちーちゃん」なんて可愛らしく呼ぶ自分は考えられず、通り名である「瑞薙」の方を使っていた。

 ちらり、と瑞薙と雑談をしている水貴を横目で窺う。

 お菓子いる? と差し出されたチョコレートを頬張る姿は、外見年齢相応だ。

 けれどもこれは、そういう存在ではないのである。

「で、どうしてここにいるんだよ」

 押しつけられたランドセルを片手に、身軽になった瑞薙に詰問する。対する瑞薙は意味ありげに諏訪と水貴を見上げた後、ひと言「迎えに来た」と告げて背を向けた。

「迎え?」

 迎えとは何だ。小学校の頃ならいざ知らず、この年になって付き添いをしてくるなど今まで無かった。緊急の職員会議といい、今日はいったいなんなのだろう。

 前半はともかく、後半の疑問は諏訪も抱いたらしい。「小学校も短縮だったのか?」と瑞薙に訊ねている。

「ああ、そのようだ。明神地区の小・中・高は全て生徒を家に帰している。普段放課後学級に所属する子供も対象だ」

「それじゃあ、その子達どうするのかしら?」

 心配そうに頬に手を当てる水貴に、大丈夫だと少年はどこで手に入れたのか非常に問いたい内容で補足を入れる。

「親に連絡を取る配慮をしていた。つかなかった子供は、友人宅にて遊んで待つことになっている」

「……なんだか大がかりだな。まるで町全体が避難訓練でもやっているみたいだ」

 ぼそりと呟く親友の言葉にどきりとする。あながち間違いとも言い切れない。そんな形のない不安が良和の中に膨れあがってきた。

「最近地震も多いし、何かあるのか」

「そういや今日は自衛隊の航空機も多かったよな」

 同意を求めてくる顔が強ばって見える。否、強ばっているのは自分の顔だろうか。どうしてもっと気楽に考えられないのか、そう自問するが目前の靄は晴れなかった。

「何を難しく考えている。兎にも角にも今日はまっすぐ帰宅することだ。寄り道したらそこら中にいる警察官に補導されるぞ」

 ほら見ろと、瑞薙が顎で示した先には確かに青い制服姿の警官が立っている。道路を走るパトカーも、普段より多いような気がする。

「仕方ない。コンビニで弁当買って大人しくしてるか……。じゃ、カズ、十利上また明日」

「気を付けろよ」

「バイバイ」

 信号を渡って向かいのコンビニへ走っていく諏訪の後ろ姿を見送る。

「私たちも行きましょうか」

「そうだな」

「それなのだが……」

 歩き出すふたりの前に回り、瑞薙が脇道を示した。

「今日はこちらから帰ろうと思う」

「は?」

 指が示す方向を見れば、小高い山がある。と言っても、かつて良和が住んだことのある山間の町と比べたら、あれを山というのは憚れよう。それでもかつて馬の放牧場として名高く、天皇への献上馬を何体も産出したこの地域にとって、そんなことは些細な問題だ。青々とした常緑樹と、薄緑の落葉樹。斑模様の山の木々を遠くに眺め、良和は口元が強ばる。隣の水貴も笑顔を引きつらせていた。

「ちょい待て。神社はあの反対側だぞ」

「それにね、あの山に降りたって神様がうちの御祭神で、だからよっぽどのことがない限り踏み入れちゃいけないっておじいちゃんが」

「大丈夫だ、問題ない。ちゃんと許可は取っている」

「誰の!?」

「もちろん、あ」

「いや、いい。聞きたくない」

 頭が痛くなってくる。水貴とふたりで頭を抱えている姿は、まるで「赤ちゃんはどこから来るの?」と訊ねられた親のようだが、残念ながらそんな微笑ましい悩みではなかった。

 わかっている。これが大丈夫だと言うのなら、おそらく大丈夫なのだろう。もしそうでなくとも天罰を受けるのはこれだ。良和達に危害はない。それでも曲がりなりに神職の側に身を置く人間として、神域に入るなんてそんな罰当たりな事をして良いのか逡巡するのは当然だ。それを瑞薙はわかっていない。

「……私、おじいちゃんからお山に入るなって、口を酸っぱくして言われて育ったんだけど」

「無理しなくていいぞ。水貴まで付き合う必要はない」

「駄目だ。十利上も来い」

「瑞薙くん?」

 水貴の困惑する気配が伝わってくる。常日頃から瑞薙は高圧的な物言いをするが、それも家族限定。こんかいのような事は滅多にない。

 良和自身、戸惑いを隠せぬまま「おい、どうしてだよ」と問い返す。

「なんでもだ。行くぞ」

 有無を言わせず、すたすた歩いていく小さな背。

 隣の水貴と目を見合わせて、普段は行かない道へ進む瑞薙の姿を追う。

 結局、結論なんて最初から出ているのだ。良和が瑞薙の決定に対して否を唱えることなど出来ない。それは幼い頃からの習慣であり、教訓だ。まだあの手を大きいと感じていた過去、幾度と無く助けられた言霊の絶対的信頼が、良和の背を押した。

「……ったく。行こう、水貴」

「でも」

「大丈夫だよ、あいつが言っているんだから」

 魂が宿った言葉に、偽りなどあり得ない。そしてそれを蔑ろにすることは、危険を呼び込む事となる。

 躊躇いに瞳を揺らす彼女の手を取って、良和は瑞薙の後を追った。




 時刻は少し遡る。

大日本国が誇る自衛隊、その中でもエリートが集う陸上自衛隊第三空挺団明神基地内は、突然の事態に混乱を極めていた。T―4を用いた飛行訓練中、十機のF―22が乱入してきたのである。少なくとも操縦桿を手離す愚か者は出なかったが、体勢を崩した航空機が続出。果ては基地から「演習中止。ただちに帰投せよ」と言ってきた通信機を叩きつけ、空挺教育隊隊長・桐谷茂は「帰投だ」と、ひよっこパイロット達に怒鳴る事で、なんとか腹の虫を抑えた。

 三十分も早く帰投したT―4の後ろで、所属不明のF―22が次々に着陸していく。忌々しいその機影を睨め付けていると「桐谷さん」と馴染みの声が肩を叩いた。

 振り返れば、自衛官にしておくには惜しい柔和な笑みとぶつかる。

「比叡か。どうなってるんだ、これは」

 迷彩服をきっちりと着込んだ優男――比叡徹は、困ったように眉尻を下げた。

「それが、こちらも情報が入ってこなくて。ただ、今回の判断は防衛省からの通達によるもののようです」

「防衛省?」

 防衛庁が防衛省になってすでに久しく、天降り禁止法案が可決されてからは背広組との対立も少なくなっていたのだが……だからといってこんな無茶は本当に腹立たしい。

 まだ配属されたばかりのひよっこ達は、倉庫前で青い顔して蹲っている。それもまた、桐谷にとっては頭に血が上る要因であった。

 かつてそこらに転がる新米のひとりであった比叡は、かつての教官、現在の上司の心内が手に取るようにわかり、やれやれと肩をすくめる。本来空挺団の本職となるのはパラシュート降下であり、戦闘機の操縦ではない。だが航空自衛隊出身の桐谷はそれを良しとはせず、いったいどういったコネを使ったのか、旧型の練習機を譲り受けて、航空自衛隊のまねごとを行っているのだった。

 後々になればこの経験を意味あるものと位置づけられるが、入隊したばかりの彼らはどうしてこんな事をしなければならないのかと思っているだろう。自身にも経験のある感情なだけに、同情の色が浮かんでしまうのは仕方のないことだった。

 そんな部下の心情も、もちろん桐谷は熟知している。それでもやめようとしないのは、桐谷という男の信念であるからだ。守るのも助けるのも、分担していては極限状態では役に立たない。

 だが今はそんなことを言っているときではないのだ。主戦闘機F―22から降り立つのは何者か見定めねばならない。

 桐谷と比叡は共だって滑走路に向かった。居並ぶ野次馬は皆、空挺団が誇るトップエリート達。その先頭に立つのは第三空挺団団長・海原克典。桐谷の上司であり、明神基地を任される猛者である。

 上司と言っても桐谷と海原は防衛大学の同期で、仕事を終えれば気の置けない飲み仲間だ。航空自衛隊で燻っていた桐谷を引っ張ってきたのも、空挺団団長に就任したばかりの海原だった。

 その海原が、緊張に身体を強ばらせている。紛争地に降下する際も表情を変えない鉄のような男が、だ。

(いったい何が来たってんだ。化け物か宇宙人でも出てこないことには納得できんぞ)

 桐谷は唖然と口を開けている比叡の脇腹を突いて、普通科連隊長の横に並ぶ。腕を組んで待っていると、一番手前の戦闘機の扉が開いた。

 出てきたのは、自衛官が着用を義務づけられているはずの迷彩服ではなく、黒のボディスーツにロングコートを羽織った優男だった。ただそれだけなら桐谷の背はこんなにも汗をかかない。男を異常――化け物じみた存在にしているのは、その目に捲かれた漆黒の包帯だ。

(まさか、あの状態でここまで操縦してきたってのか?)

 後から続く影のない機体に、桐谷は頭が痛くなった。

コンピュータの音声誘導だって限界がある。だというのにあの男は、こうして無傷のまま地面に降り立った。

(化け物か?)

 桐谷は航空機の操縦において重要なのは、己を過信しないことだと思っている。曲芸のような操縦。卓越した判断力。それが出来る技術を、人は時に神業と呼ぶが、そんなものは所詮操縦桿を握ったことのない人間の戯言だ。パイロットとは常に、己を、レーダーを疑うことが重要であり、才能は死をもたらす甘言である。

だがどうだあの男。己やレーダーを疑うどころか、何も見ていない。……これぞ、本当の神業ではないか?

何年ぶりかに感じた鳥肌を、桐谷は腕に力を込めることで意識の外へ追いやった。

海原が一歩前に踏みだし、包帯の男へ向かって声を上げる。

「ようこそ第三空挺団へ……神林出雲大佐。私はこの基地を預かる海原克典陸将補であります」

 敬礼を取る海原にならって、桐谷も慌てて右手を挙げる。――大佐だって? 米軍基地かテレビの中でしか聞かないその階級に、桐谷は困惑を深めた。

 神林出雲なる男はまるで桐谷達が見えているかのように首を動かすと、静かに頷いた。

「急な要請に痛み入る。我々は」

「も~う! そんなバカ丁寧に挨拶しなくたっていいじゃん。いっちゃん真面目すぎ」

「は?」

 思わず漏れてしまった声は自分だけではなかったらしい。

 口元を抑えている同僚達が何とも言えない表情で顔を見合わせる。

 横から神原の言葉を遮ったのは、まだ高校生に見える少女だった。身体を覆うのは神林と同じ黒。金色の柔らかな巻き毛を一つに纏めた頭部には、時代遅れのゴーグルが光を受けて輝いている。

「……大佐、そちらの方は」

「すまない。私の部下のナンナ・フジシマ少尉だ。――フジシマ少尉、挨拶を」

「…………ナンナ・フジシマ少尉デス。ヨロシク」

 いかにもやる気のない声。敬礼せず、ぶらつかせている腕。防衛学校なら腕立て三百回か、校庭二百周のペナルティとなるだろう。もちろん自衛官になってそれなら、階級章をむしり取ってさっさと放り出すレベルである。

 しかし海原は硬い表情のまま動かない。その行動の真意がわからないのもまた、桐谷達を不安にさせていく。

「大佐」

 自衛官とは異なるデザインの迷彩服に身を包んだ男が、神林の耳元で何やら囁く。神林は一つ頷いて、海原に向き直った。一分の迷いもなく。

「話はすでにいっているとは思いますが、しばらくこの基地の一角を我らが使用いたします。演習場にキャンプを張りますが、よろしいですかな?」

「――演習場で、よろしいので?」

「ええ。星がよくみえますので」

 そう言った盲目の男は、踵を返して去っていく。少女も慌てて走り寄り、男の腕を掴む。

 その先を見れば、残りの機体から次々に物資が運び出されていた。戦闘機になんであんな物を積んでいるんだ、という疑問は、神林達の異様さに押し隠されてしまった。

「なん、だったんだ……」

「さあ……」

 梅雨前線が近づく明神基地は、雨よりも早く嵐がやって来たとの如く、自衛官達の身体に稲妻を走らせ、消えた。

(なんだってんだよ!)

 ただ桐谷の無言の声だけが、滑走路に木霊していた。


「神殺し」第一章、その1でした。

ついついwardを開くたびに前から修正してしまって、いっこうに続きが書けないので、こうして投稿してみる事にしました。色物なので、最後まで読んでくださった方はいるのか…。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

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