2話
男の人は真っ黒なローブを着ていた。が、その下に簡単な鎧を着ているのが襟元から見えた。何この嬉しくない胸チラ。
男は僕に向かって何かを話し始める。聞いたことがない言語だったけど、なぜか懐かしい雰囲気がある。それに曖昧にだけど話している内容がわかるんだ。
えっと……確認するが、一応? かな?
男は自分の言葉が僕に通じていないのがわかったのか、困った表情で僕に背を向けた。
そこで気付いたんだけど男の後ろにまだ誰かいるみたいだ。
前に進み出てきたのは紺色のローブを着崩した女だった。纏っている雰囲気は気だるげだけど、その目つきは背筋が冷たくなるほどだ。
「なにをしている? 早く起き上がりなさい」
今度は何を言っているかはっきりわかった。相変わらず聞き覚えのない言語だけど。
女の人の声は本人の雰囲気とは違ってどこかわくわくしている感じだ。
「僕は……起き上がれないんだ。ずっと寝たきりなんだ」
実に二ヶ月ぶりに発した言葉は女の人の話しているのと同じ言葉だったことに驚く。後ろに立っている男も驚いていた。
「ほら、南部訛りじゃないと通じないと言ったでしょう。母音を短く区切るように話すのよ」
女の人はしたり顔で男に言葉をかけていた。僕はというと、完全に置き去りにされている。なんか想像してたのと反応が違う気がする。もっとこう、「オオー、ユウシャサマー! 我々をお救いくださいー」的な反応を期待してたんだけど。なんでこの人はドヤ顔してんの?
そりゃ、異世界の言葉が理解できるってのは確かにそれっぽいな、とは思うけど。ていうか僕寝たきりじゃん。どうやって世界救えばいいんだよ。
「ところで、なんであなたは寝転がったままなの? 今までそんな者はいたことがなかったのだけれど」
……。
もしかして、複数の人間が召喚されているってこと? じゃああれか、僕は特に選ばれし者でもない訳か。くそ、異世界に来てまでこんな扱いかよ。
頭を抱えて唸っていると、わくわくした様子で女が声を掛けてきた。
「別に選ばれてないわけではないのだけれど……。まあそんなことはどうでもいいわね。で、なんで寝転がってるの?」
そ、そんなことって……。あの男の人は、自分は関係ないという顔で部屋の隅に置かれた棚を覗き込んでいる。
「な、なんでって……あの、僕ずっと病気で入院してたから、それで寝たきりで……」
自分でも何を言っているかわからないくらいしどろもどろに答える。
「なんて病気だった?」
「えっと、原因とか、病名はわからなくて……」
一度にこんなに多くのことをしゃべるのはもう何年振りだろう。状態を起こす事が出来ていた頃はいろいろな人と話していた気がする。とはいってもほとんどが看護師さんか担当医だったけど。
「どんな症状が出たのかしら?」
歯切れの良くない僕の答えにかぶせるように女の人が言葉を繋いだ。彼女の口調は真剣そのものだったけど、自分の趣味であるゲームをやってる時の新鮮さというかなんというか、深刻さが足りてない感じだ。それがわかると、彼女の目の輝きの意味も違ったものに感じる。期待通りの反応を示した実験動物に対する視線とよく似ていた。
「症状……。あの、全身の筋肉に力が入らなくなるっていうのが主な症状でした。筋肉が萎縮したり衰えたりすることはなかったみたい、です……」
女の人の目と合わせられた視線をずらしながら答える。今さらながらとんでもない美人だ。
桃色がかった金髪をうなじの辺りで一本に纏めている。ローブは薄手の素材で作られていて、狭い研究室でも動きやすいように体に密着するような見た目だ。胸はそこそこ大きく、腰つきが丁度いい。
今まで女の人と言えば看護師さんくらいしか見たことがなかったんだけれど、これはなかなか、異世界に来たのも前向きに受け止められる気がした。二次元紛いの異世界万歳。具体的には、あの桃色がかった金の髪とエロい腰つきがいい。最高。
「なるほどね。予想通りだわ。それはあなた、マナがあの世界になかったからよ」
女の人は顎に手を当てて言葉を続けた。
「マナと言うのはこの世界の生物に必要なエネルギーのことよ。生物は大気中に漂うマナと体内のイドを反応させて生命活動を行うの。あなた、自分の母親は見たことがあるのかしら」
「母は、僕が小さい時に亡くなったと聞いています。僕と同じ症状が出ていたと父は言っていました」
「それはあなたの世界にマナがなかったのが原因よ。マナがなかったから、向こうの世界に行ったあなたの母親は死んだの」
普通の人間なら、ここで取り乱したりするんだろうけど、僕は至って落ち着いたままだ。きっと取り乱している自分が想像できないからだろう。黙って言葉の続きを待った。
「あなたは向こうの人間との混血だから死ぬことはなかったみたいね。とりあえず立ち上がってみなさいな。寝転がったままだと話しにくいわ」
簡単に言ってくれるけど、自力で起き上がったのはもう十年も前だ。どういう風に力を込めればいいのかすらわからない。