第二章 陽炎に潜む者 3
「要するにや、前の通り魔の事件はあの女が裏で糸を引いとったんや」
「あいつをけしかけて、事件を起こしてたということか?」
「いや、あの女の言い分やと童女をけしかけたんやのうて、どちらかといえば「手伝った」と言うとったで? あの子がやりたがってたことを、ただお手伝いしてあげただけやとな」
道中で受けた説明は、一連の事件の黒幕についてだった。黒幕というにはあまりにもお粗末な話だったが、どうやらの着物の女が関わっていたらしい。
あの童女との戦闘があった日。実のところ陣内は夜鷹や春奈たちが張り込むずっと前からあの周辺に結界と人払いの術を施し、通り魔である「霊的存在」を炙り出そうとしていたらしい。そして、そこになぜか人払いが効かなかった夜鷹と春奈が侵入してきて、あの一件が起こったというわけだ。あの時陣内の結界内にいた「霊的存在」は全部で二人。一人は夜鷹が戦ったあの童女、そしてもう一人は先ほどまで対峙していた着物の女である。
「彼女は特殊な能力を持っとってな、そのうちの一つが自身の霊気を偽装し、まやかしを見せる能力や。これで姿や声を変えて、あの童女と二人で通り魔を起こしていたらしいで。まぁ、実行犯は童女の方やろうけど」
そういって烏は飛びながらも器用にその羽を肩のようにしてすくめた。
あの時、春奈が最初に見つけた女の子こそあの着物の女だったということらしい。道理であの時、すぐに霊気を見失ったわけだ。霊気を偽装していたのなら、未熟な陰陽師程度なら簡単に姿をくらませることができる。そのあとすぐに童女との戦闘になったのも一因としてはあるだろう。
だが、夜鷹は騙せても陣内は騙せなかった。当然待機していた陣内と楓は女を修祓しようと戦闘に突入したのだが、しかし二人がかりでも着物の女は祓えなかったらしく、夜鷹達に危険が迫っていたということもあってまんまと逃げられてしまったというのが、あの事件の真相のようだった。
「えらい強うてな、さすがの僕でも逃がしてしもうた」
と、陣内がたいして悔いた様子も見せず言った。陣内程の実力者が取り逃がしたとなると、やはり相当な強者なのだろう。それこそ夜鷹のような半端ものが生き残れたことは奇跡としかいいようがない。
「せやけど、こうなるとはさすがに予見できんやったわ。あのちょっと時間に君の才、というかそれを見抜いとったなんて、あれはもともと「見鬼」持ちやったかもしれんな」
「不肖の弟子の力は比較的に珍しい、というより陰陽師としては異端であり、異常なる能力ですから。あの女狐、もとい雌猫が興味を抱くのも一理あります」
「この前の子といい、夜鷹君はほんまに妙なものに好かれるなぁ」
呆れと笑いが混じった声で烏がうそぶく。両方とも人じゃねえから嬉しくねえんだが、と夜鷹は眉を寄せた。二人が人間であれば間違いなく、春が来た、とも思わなくないだろう。だが、生憎二人は「霊的存在」でありいわば幽霊なのだ。そんな存在に好意を、邪悪な好意を抱かれたからといってこれっぽちも嬉しくはない。複雑すぎる思いだった。
「さてさて、ここからが本題や」
目的地であるグラウンド中央に到着し、烏が楓の肩に乗った。邪魔な羽をたたみ、奇妙な仕草で首をかしげながら言葉紡ぎはじめた。
「結界で閉じ込めたいうても、一時的なもんや。君も感じるやろ? この歪な霊気の乱れ」
確かに先ほどからなんだか肌をぴりぴりと刺すような感覚がある。これが結界から漏れ出した、彼女の霊気だとするならば結界が破られかけているという証拠だ。もう数秒もすれば、結界は崩壊する。「今、そっちに向かっとるんやけどな、少し離れたこっちでも感じるでこの異様な霊気」
「どうするんだ、これから」
「僕が到着するまで君ら二人で何とかしてもらうしかないな。せやかて、僕が来たからって事態が好転するとも限らん」
「……俺にはもう略符もねえ。かといって、式神もないんだ。戦闘術が使えるとはいえ、幾らなんでも無謀すぎる」
冷静に自身の実力を吟味した結果、夜鷹は自分がこのまま戦闘に参加するとかえって足手まといになるという結論に達した。事実、一連の事件の際に起こった戦闘でも、たいして夜鷹は役に立っていない。それどころか、二人に助けられっぱなしだった。式神も呪符もない陰陽師は、無力と言っても過言ではないのだ。
それでも「いや、夜鷹君にも参加してもらう」と陣内は譲らなかった。なぜだと、夜鷹が問い返す。
「呪符の事なら心配せんでええよ、楓に充分な量を渡しとるからな。式神はどうにもならんけど、楓がおったら並の式神を連れてるよりも安全や。なにせ、鬼強いからな」
「では夜鷹さんの夕食は抜きということで」
「なんで俺の!?」
楓が滅多に名前で呼ばない夜鷹の事を名前で、しかもさん付けで呼んだあたり先の一言は彼女の地雷らしい。確かに彼女は絡繰りということを考慮しても、常人の域をはるかに逸脱した強さを持っている。それは陣内に及ばずとも遠からずといったものだ。それに夜鷹が師匠として師事しているのは陣内ではあるが、夜鷹の教わった呪術や陰陽師としての心得はどちらかといえば楓のスパルタ教育によって叩き込まれたものだった。つまり楓は夜鷹の事実上の師匠となるのだ。そして、彼女は陣内家において家事全般とその他金銭管理、陣内に対する依頼の管理と処理といったことを一手に引き受けている。そういうこともあって、陣内も夜鷹もこの楓には頭が上がらなかった。
「それに、君へとっておきのプレゼントも用意しとるしな」
「プレゼント?」
こんな時にか、夜鷹は口に出そうと噤んだ。また口を挟んで話が余計な脇道にそれることを防ぎたかったからだ。
烏がその紅い眼をぎょろりと動かし楓に向ける。楓はその視線を受け頷くと、女中服の腰の部分に巻き付けてあった何かを取った。
それは拳銃のホルスターのようだった。見ると本当に二挺の拳銃がそこに納まっていた。呪符が入っているケースもそのホルスターに付属されている。
「僕の知り合いの絡繰技師に頼んで拵えてもらった夜鷹君専用の呪具、二丁拳銃……その名も『白連装』や」
楓から『白連装』を受け取る。自然と手に馴染んだ。まるでずっと昔からこれと一緒にいるようだった。銃にさほど詳しくない夜鷹でも「おお……!」と感嘆を漏らしてしまうほど、それは美しかった。白銀のボディーが、夏の太陽に照らされて淡く輝いている。
「君の霊気をそれに送り込むと、呪具が自動的に霊気を圧縮して弾丸として撃ちだすちゅうのが、そいつの仕組みや。君は霊気の量だけは底がしれんからな、うってつけの呪具やで」
自動拳銃にも、回転式拳銃にも似つかぬその銃は、見るだけで他者を寄せ付けぬある種の神々しさを備えていた。グリップを握る手が自然と震えた。武者震いだった。呪具を与えられたことで、自分もようやく一人前として認められたような気がした。ようやく自分も戦える。夜鷹の口角が自然と釣りが上がった。
そんな夜鷹を見て、陣内は安心したように使い魔である烏を羽ばたかせた。「それじゃあ、僕はこれで戻るけど、くれぐれも無茶せんといてくれ。僕が到着するまで時間稼ぐだけでええから」そう言い残し、烏の姿が消え、一枚の形代がひらひらと宙を滑っていく。
「主はああいってますが、さて私たちにそのような余裕があるかどうか」
肩を落とすような仕草をしながら、彼女は視線を移した。そこには既にあの着物の女が優雅に屋上から飛び降りている光景があった。タイムリミットがゼロになったのだ。
もう一度、『白連装』のグリップを握り直し、その感触を確かめる。初めて握るのに、こいつとならやれるという絶対的な信頼と安心感が胸にみなぎってくる。
「しかし、不肖の弟子。あなたは強い。あの女に負けないぐらい」
突然放たれた言葉に夜鷹はなんと言い返していいのか分からなかった。
「確かに、技術や霊力の質は貴方ははるかに劣ります。ですが、貴方には私の教えた技と持って生まれた力がある。あの雌猫には負けません。師匠である私が保証します。負けた場合、さらに修行を厳しくしますが」
それが彼女なりの激励だということを知っていた。なんやかんやで不器用なのだ彼女も、陣内も。そんな楓に夜鷹は力強く頷き、その顔に不敵な笑みを張り付けた。
感情が高ぶる。それは前回の時とは何もかも違っていた。前に感じたのは恐怖だった。敵の圧倒的な霊気に屈服し、自身の弱さを露呈させた。だが、今は違う。楓がいる、『白連装』がある。たったそれだけなのに、負ける気がしなかった。
あの時、沈みかけていた意識で見た陣内の戦い。凄まじかった。呪術とはああまで暴力的で、綺麗だったのかと思った。だが、同時に悔しい想いもあった。
『助けて。死にたくない!』
あの時、童女の叫びが夜鷹には伝わった。燃え盛る炎の中、彼女は叫んでいた。熱い、助けて、と。声ではなく、魂がそう叫んでいた。悲痛な、哀しみに満ちた痛哭だった。
「霊的存在」は理から逸脱したゆえに、そこに戻ろうとして自らを破滅させる。バグは正常には戻ることはない。正常に戻すためにはバグを除去し、修正しなければならない。それが世界で、現実だ。辛く、厳しい、この世界の掟だった。
だから、助けてやろう。自分勝手な思想かもしれない。はた迷惑かもしれない。だが、夜鷹は止めない。魂を視る彼の「見鬼」は、感情を読み取る。ダイレクトに伝わる「霊的存在」の想いと思いは、いつも怒りや悲しみにあふれているからだ。せめて、自分が彼女らを救い、安らかにしてあげたかった。
「さすがにあの結界は妾でも、少しばかり危なかったぞ……さすが、と言っておくかのう」
「光栄です」
お互いに社交辞令的な言葉を交わし、睨みあう。
着物の女も同じだ。彼女もまた魂が訴えている。だから、助けてあげよう。自分がやれる精一杯のことで、彼女の魂を救済しよう。
「さて、妾も少しばかり遊びすぎた……そろそろ本気で行ってもいい頃合いか」
女から霊気がとめどなく溢れてくる。空気がびりびりと振動し、まるで実態を伴っているかのように霊気の突風が夜鷹の身体を揺らす。
「おい、女」
霊気の波に晒されながら、夜鷹が叫んだ。女の細められた瞳がこちらを射抜こうとする。それを夜鷹が正面から受けた。高らかにそれを宣言する。
「今からお前を俺の〝式神〟にする!」
「お馬鹿様」
表明した瞬間、隣から躊躇なく鳩尾へ片膝が飛んできた。避けることはさすがに出来なかった。肺の空気がいっぺんに押し出され、夜鷹はその場に崩れ落ちた。肺胞に酸素を取り込もうと、何度も何度も繰り返し息を吸い込むが相当強く蹴られたのか、上手く吸い込めない。「なに……するんですか……」と途切れ途切れの言葉を吐くことしか出来なかった。
楓の視線が急激に冷めていった。痛い子を見るような目つきだった。
「不肖の弟子がまったく意味不明なことを口走ったから、制裁を加えただけです」
なおも蹲って呻き声をあげる夜鷹。まさかの戦闘開始直前のダウンに楓も思わず、ため息をこぼした。
「霊的存在」を式神化するというのは並大抵のことではない。酷く危険が伴う。それが敵の強さが上がれば上がるほど、その危険度は増していく。ましてや今回の相手は楓や陣内ですら手を焼く大物だ。式神にすることが出来れば頼もしいことこの上ない存在だが、それにしてもリスクが高すぎる。それに夜鷹はまだ半人前で、ろくに戦闘経験も「霊的存在」を式神化する術すら会得していない。そんな状態でどうやって、あれを式神にするというのだ。楓から見れば、無謀もいいところだった。
だが、同時になぜ彼がそんなことを言い出したのか見当はついていた。それならば、式神化の術式を知らなくとも「霊的存在」を式神化させることは出来る。それは夜鷹だからこそ、いや夜鷹にしかできない荒業だ。ハイリスクだが、それを無視できるほどのリターンがある。夜鷹はそこに目を付けたのだろう。
だが、「『魂の憑依』を使えば、術者自身も多大な危険にさらされるということは貴方本人がよく理解しているはずですが」
「……理解してるさ。だが、時間がねえ。俺は強くなりたい。もうあんな惨めな思いをするのは御免だ。俺には才能がないからな、ちょっと他より無理しなきゃ強くなれないんだよ」
顔を苦痛に歪めながら立ち上がり、夜鷹が言う。その言葉には揺るぎない決意が込められているように、楓は感じられた。
もう一度ため息をつき、視線を前へと移す。
「――――――責任は取りませんから」
「よっしゃ!」
決まりだった。
「なんだか面白そうな話になっとるのう…………じゃが、妾は誰のものになるつもりはないのでな、妾を物にしたかったら見事妾を満足させてみせい」
「上等!」
女の背後に再びあの龍が出現するのと、夜鷹が駆けだすのは刹那の差だった。火行の力を帯びた龍が、激烈な炎を吐き散らしながらその口で夜鷹をとらえる。
反射的に、右手の人差し指で引き金を引き絞った。銃口から撃ちだされるは白銀の光、霊気の弾丸。それが炎の顎で夜鷹を喰らわんとしていた龍に命中、霊気そのものを穿ち、爆散させた。
「なぬ……!?」
これにはさすがの女も目を見開いてた。驚愕に染まったその顔が、なんとも滑稽たるや。夜鷹はこみあげる笑いを堪え、さらに地を駆ける速度を上げた。
しかし、なんという威力だ。夜鷹は自分で撃っておきながら、そんな感想を抱いていた。想像以上の威力だった。あの龍は少なくとも楓が水の呪術で相剋してようやく消せるようなレベルの術だ、それをたった一発で消し飛ばせるなどその破壊力たるや心底驚かされる。正直、女の驚愕よりも夜鷹の驚きのほうが勝っていたかもしれない。それほどまでに凄まじい威力だった。
眼前に女の驚愕に染まったままの顔を見る。ギリギリまで肉薄し、その薄い胸板にぴたりと銃口を当てた。間髪入れず、射撃。女の身体が中央からくりぬかれたように、ぽっかりと孔をあけた。直後、彼女の身体が徐々にゆらゆらと揺らぎ始めたのを見て、夜鷹が舌打ちした。偽物だった。
「惜しいのう」
ぞくりという悪寒が背中から全体へと広がる。やばい、と思った時には反射的に動いていた。
右足を軸にして、回転。そのまま敵を視界にとらえると、狙いもへったくれもなく無差別にトリガーを引いた。出鱈目に放たれる白銀の弾丸が、一斉にばらまかれた。弾幕に等しい数の霊気が撃ちだされ、そのうちの数発が背後にいた女の頭や足や腕を消し飛ばしていた。
だが、それも違った。
次は「見鬼」の才が、右後方に霊気の奔流を感じた。しかし、今度は弾幕も間に合いそうにない。少々無理な体勢だが、「翔歩」で飛ぶしかなかった。そう決断し、実行に移そうとしたとき前方からもう一つの霊気を感知した。指向性を持った水の塊が夜鷹めがけ、突っ込んできていた。「ちょっ、ちょっと待っ」と慌てふためく暇もなかった。水の激流はあっさりと夜鷹を飲み込み、ついでとばかりに右後方から迫ってきた霊気も相殺してしまった。
濁流にも近い水の流れが治まったときには夜鷹の姿も、先ほどまでいた場所から幾何か離れた場所にあった。制服が水を吸って、重たかった。
「大丈夫ですか」
「制服がびしょ濡れ以外なこと以外、大丈夫です」
ぴっちりと肌に張り付く嫌な感触に顔をしかめながら、皮肉を口にする。楓の先の攻撃が後ろから術に対して、対処が遅れた夜鷹を助けるためだと分かっているからこそ言えた言葉だった。「『魂の憑依』が接近しなければ使えないということは重々承知ですが、あまり無茶をすると術を使う前に死にます」駄目出しが胸に突き刺さる。経験の差が如実に出ていた。これでは無駄に戦場を引っ掻き回しているだけではないか。もうちょっと慎重に動こう。
「次は私がサポートします。死角は任せてください。間違って、不肖の弟子ごと攻撃するかもしれませんが」
「……出来るだけ当てないでください」
「承知。では、次は出しゃばることだけではなく、周りのことも意識したほうがいいです。いい機会ですから、実戦でしか出来ないことを身に染みて感じてください」
「了解」
家で修行をしているときとまったく変わらぬ声音と表情。それが逆に頼もしかった。一人ではない、仲間の事を意識して戦う。これが課題ということらしい。陰陽師は何も一人で戦うというわけではない。陣内にしても、大抵のことは一人で済ませるが、大きい獲物や複数体の修祓の依頼が来た時に限っては楓を連れて行っていた。一人より二人、それは陰陽師界にとっても変わりはない。
今度は狙いをつけ、撃った。数十メートル先の女に命中したが、あっけなくその姿は形を失っていく。そしてまた現れた女に向け弾丸を放った。女の影を消すたびに、次から次へと影が現れる。ついには数人まとめて現れ始めた。分身のようだった。さらに困ったことにどれが本物か見分けがつかなかった。魂を視る「見鬼」なら判別もつこうが、生憎ここからの距離では微かな霊気しか感じ取ることが出来ない。近づこうにも、本物がどれか判らない状況では、また数刻前の二の舞になる。迂闊に近づくよりも、まずは対処法をどうにかしないといけなかった。
「ふむ、サポートするといった矢先に飛び出していくと思っていましたが…………正しい判断です。五十点」
正しい判断にも関わらず、なぜ半分しか点数がないのか。「狙いが甘い。索敵に時間とられ過ぎで、敵の術中にはまりすぎ」辛辣なのはいつものことだ、気にするようなことではない。思案するような声で後ろから採点を述べていた楓は「なるほど」と何やら閃いたように、ぽんと柏手を打った。「今から位置を割り出します。見つけたら、一撃で仕留めてください」そう言うと、楓は目を瞑った。口の中で呪を唱える。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!」
光明真言の一節。それを聞いて、夜鷹も咄嗟に目を手で覆った。光明真言がもたらすのは、その名の通り光。つまりは発光、目くらましである。太陽がそこに出現したとか思うほどの眩さが、瞼の隙間から夜鷹の瞳を焦がした。だが、それも一瞬だった。咄嗟に目を守ったことが功を奏したのか、目がくらんだのは数秒も経たず回復した。
「今です!」
楓が叫び、夜鷹は慌てて瞼を開けた。声に押されるように夜鷹は空を滑った。どれが本物か分かっていないままだった。
どれだ、と目と「見鬼」の両方で探すと、それは案外あっけなく見つかった。何体か存在する女の中で、一体で不自然な体勢を取っていた奴がいた。目を細め、手で覆っている。まるで眩しがっているようだった。夜鷹とは違って、まともにあの光を見てしまったのだろう。光明真言が放つ光明は聖なる力が宿っているという。要は不浄を浄化してくれるらしい。その光をまともに受けた女は、今まさに目が焼き焦げるような痛みに襲われているはずだった。
「あああぁあ、眼がぁあ…・…妾の眼が……!」
もだえ苦しむ姿が妙に某大佐を彷彿とさせたが、夜鷹は気にしなかった。
「直射日光は目の天敵ってな―――――『霊砲』!」
無防備な腹部へと放った『霊砲』の霊気の奔出が、悶え苦しむ女に更なるダメージを負わせた。肺の空気が押し出され、口から細い声が漏れた。力なく女の身体が宙を舞い、地面に落ちる。光による眼へのダメージは深刻なものだったようだ。つい先まで余裕をかましていた女の表情から、笑顔が消え去っていた。
「やりましたね。これでほぼ無力化したも同然です」
疲れを見せない涼しい顔が、倒れる女を見下しているように見えた。そんな横顔を一瞥し、夜鷹は仰臥している女に歩み寄った。ぎょっとした。今までの余裕然としていたものとは違った、笑みがそこにはあった。諦観しているような、また観劇が終わった観客のような茫然として表情だった。
「妾の負けじゃな。意表を突かれた。まさか光とはのう、眼が痛いぞ。どうしてくれる」
「直に治る」
「つっけんどんな言いようじゃ。もっと女子を労わらんか」
力なく笑って、その目が虚ろに泳いだ。
「さすがの妾もあの一撃をもろにくろうてふらふらじゃ。これでは、おぬしとのお遊びにも興じれぬ。余興が過ぎたかのう」
「余興?」
不穏な単語が出てきた。どういうことだ、と尋ねかけて不意に体に何かが巻き付いてきた。蔓草だ。蔓草が夜鷹の身体を巻き取り、勢いよく空中へ放り投げたのだ。「な、なんだよ、一体……!」わけもわからず受け身で着地し、夜鷹は楓を睨んだ。楓の顔は厳しかった。そして、その意図を悟った。
急激に女の身体から「瘴気」があふれ出していた。
「おいおい、どういうことだ。レベル3ってのは、「瘴気」をコントロールできるんじゃなかったのかよ」
「いや、あれは――――――」
「正確には抑え込むことができる、じゃ夜鷹よ」
楓を遮り、むくりと立ち上がった女が言葉を挟む。「妾たちは「瘴気」を抑え込むことで、魂の汚染を防ぎ、この世での真の意味での安定を手にしたのじゃ」
「だがのう、多くのレベル3は抑え込むこと〝だけ〟しか出来ん。いや、「瘴気」など触れとうもないと思っとるじゃろうなあ。なにせ触れたら汚染される」
独白のようにゆっくりとゆっくりと言葉が紡がれ、同時に「瘴気」も吐き出されていく。
「しかし、惜しいとは思わんか? 折角ある自分の力を殺して、生きていくというのは。妾はつらいぞ。面白くないからのう。この身になってもう随分となるが、やはり面白いことがあると胸が躍る。生きているという実感がある。この世に生を受けて心底よかった思う瞬間じゃよ。そして、今ここ数百年間味わえなかった高揚が再び巡ってきた――――――ならば、それには全力で応えなければなるまいよ。妾の流儀に誓ってのう!」
何が流儀だ、と胸の内で吐き捨て夜鷹が引き金を引き絞った。白銀の弾丸は一直線に女に向かい、弾かれた。「ちっ!」
「ああ、この感覚じゃ。楽しい、寂しくない、悲しくない、笑っていられる。妾にはこの世界が共にいてくれる」
「瘴気」に侵された「霊的存在」に見られる異常な興奮と精神の不安定化。そのどちらともが兆候として出始めていた。手遅れだった。みるみると魂が禍々しい何かに浸食されていく。魂が汚染されている。
「ナウマク サマンダボダナン インダラヤ ソワカ――――――!」
「急急如律令!」
夜鷹と楓が同時に呪術を放った。夜鷹の持つは五枚の略符、そこから噴き出すのは邪気を祓う水気の渦。そして、楓が唱えたのは帝釈天の真言。「比和」により高められた水気と、天から放たれる神速の雷撃が女を焦がしつくさんと、一挙に女へと押し寄せた。
一刻の猶予もなかった。式神云々どころの騒ぎではない。この女を今すぐにでも仕留めなければいけなかった。校内にはまだ生徒がいる。そんな中で「瘴気」を振りまきながら暴れられでもしたら、さすがの楓でも対処できない。さすがの夜鷹もこれに気付いたのか、行動は迅速かつ的確なものだった。もし、これが緊急の時ではなかったら、楓は皮肉たっぷりの褒め言葉を遣わしていたことだろう。
水流と雷撃が同時に女に到達する。落雷の耳をつんざかんばかりの轟音とそれにかき消されかけている水流の音が混じり合い、奇妙なデュエットを奏でた。
「……やったか?」
夜鷹が緊張した面持ちで呟いた。咄嗟にしたとはいえ、自分に出来る最大限の一撃をかましたつもりだが、果たしてどうなのやら。基本的に水の呪術と雷の呪術の相性はいい。「比和」が同じ属性同士でその威力を合わせて倍々にするのなら、これは違うもの同士が掛け合わさってそれぞれの威力が倍々になる。それに彼女の属性は火行で水行とは相剋の関係だった。順調にいけば、この一撃で終わるはずだ。
だが、現実はそうそう思い通りにはならないのが常である。
「後ろです!」
「なっ!?」
楓が叫び、夜鷹は後ろを振り返る暇もなく前方に向かって跳躍した。背部にかすかに何かが通った風が起こり、冷や汗が出た。
前転の要領で受け身を取りながら、夜鷹は両手に持つ『白連装』の銃口を背後に立つそれへと向けた。
「おいおい、化け猫って……まさか」
「どうやら、あれが彼女の本気のようですね。変化とは、まったくどこまでも面倒な」
戸惑う夜鷹に楓も面倒くさそうに肩をすくめ、ため息をこぼした。
そこにいたのは、あの化け猫だった。着物の女が一度能力で作り上げた張りぼての化け猫。四肢に炎をまとわせ、尾は二つ、巨大な牙を口から覗かせている。猫又、と言われる妖怪だった。「詳しくは知りませんが、やはり大物だったのですね」と楓も納得したように頷いていた。