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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP01/ 第1話 天使の依頼
6/93

#05

「兄貴、彼女できたの?」

 夕食の席で篤士が言った。

 俺は味噌汁を吹き出しかけた。また気管に入り激しくむせる。

「あっ、篤士、おまえなに言って、」

「うそ! そうなの、盾?」

 さっそく母親が嬉々として食いつく。やめろ。この手を話を母親とだけは断じてしたくない。

「……黙秘する」

「って、そんなわけないわよねー。この子に彼女なんて、宝くじを当てるより無理ね。やぁ~っとひきこもってゲームするのをやめてくれたけど、まだ彼女なんて、ハッ」

 ちゃんちゃらおかしい、みたいな顔で母親が俺を嘲笑する。

 あなた、実の親ですよね?

「でも詩歩見たんでしょ? すごい綺麗な人だったって」

「ちが、あれは、」

「そうなの詩歩?」

 詩歩は良い姿勢で茶碗を持ちながら、

「ええ。今日のお昼頃、兄さんが連れ込むのを見たわ。二人。ひとりは黒髪のロングヘアーの美人で、もうひとりは金髪の子。モデルみたいだった」

「連れ込むっておま、」

「金髪って、まあ、不良?」

「外人? ハーフとかなんじゃないの?」

「うわっ、インターナショナールゥ♪」

 きゃっきゃわいわい。

 口を挟む間もない。三人は俺を差し置いて勝手に盛り上がっている。父親が帰ってきていれば、これが四人に増えるだけだ。

 まったくもってステキな家族だ。くそっ。

「いやぁ、兄貴にも彼女できたらぜひ会いたいなー。オレなんかこの前リコちゃんと別れちゃったしさー」

「……なに?」

「ん? だからリコちゃんと喧嘩別れしちゃってさぁ。いやー短かったなぁ。まだ三ヶ月だよ?」

「あら、そうなの? いい子だったのに」

 母親と弟ののほほんとした会話は、俺にはまったく穏健ではない。

 愕然と俺は弟の顔を眺める。

「つうか、え、なに。おまえ彼女いたの……?」

「べつにいたっておかしくないっしょ? オレだってもう中二だよ」

 世界は狂ってる。

 無性に、無性に腹が立ってきた。

「滅びろ……」

 俺は震える手で箸を握りしめた。

 


 学校はいつもと変わらなかった。

 教室は騒がしい。高校といっても、中学とたいした差はない。

 相変わらず、俺の席は孤島のままだった。一番前は好きではない。早く席替えしたかった。いや、しかしそうすると、伊予森さんと離れてしまうかもしれない。それは嫌だ。

「遠野くん」

 伊予森さんの声に振り返る。

 伊予森さんもまた、いつもと同じく、親しげな微笑を浮かべている。

「昨日は、ありがとね」

「あ、ああ、うん……」

 ――付き合ってるって、誤解されちゃうかもね。

 周りに会話が聞かれないか、一丁前に気になってしまった。

 誤解する人間は、まずいないだろうが。

「クリスちゃん、すごい喜んでたよ。あと、かっこいいって褒めてた」

「そ、そう……」

 素直に喜んでいいのか微妙だった。「パソコンの大先生」と同じ匂いがする褒められ方のような気がする。

 いや。

 ここは文面通りに受け取ろう。

 どのみち自分が人のためになにかできるとしたら、本当にそれくらいなのだから。

「わたしも、その、思ったよ」

 俺の脳は、またしても思考を停止した。

 なにか口にしかけたときには、遅かった。

 伊予森さんはすでに背を向け、自分の席へと戻っていく。すぐに周りにクラスメイトたちが集まってくる。

 それを呆けたように眺めながら、俺は立ち尽くす。

 もしも。

 万が一にも、これが彼女と仲良くなれるきっかけになってくれたのだとしたら。ドブに捨てた中学生活も、悪くなかったのかもしれない。

 その日、俺は初めてこれからの高校生活に希望を持てるような、そんな気がしていた。


 *


 学校からの帰り道。

 住宅地ど真ん中のこの通りでは、小学生の姿もよく見かけた。どうやら近くに小学校があるようだった。 

 自転車をこいでいたとき、通りの先を歩く人影に、視線が吸い寄せられた。

 キャップの下の鮮やかなブロンドヘアー。

 無意識のうちにスピードを落としていた。

 やがて向こうもこちらに気づき、立ち止まる。

 やはり、あの真下クリスだった。

 この前とはちがいスカート姿だ。すらりとした立ち姿は、やはり中学生とは思えないスタイルだ。そして彼女は、なぜか赤いランドセルを肩にかけていた。

「あ、やあ。こんちは」

 とりあえず声をかけてみたものの、クリスの反応は芳しくなかった。

 というより、なぜか目を丸く見開き、口をあわあわさせている。

「……い」

「え?」

「ご、ごめんなさい。……その、お礼を、なにも。なにか、しないとって、思っ……」

 最後は消え入る。

「あ、気にしないで。俺は、たいしたことしてないし、べつに」

「そんなことない!!」

 大音声が、静閑な住宅街に響き渡った。

 クリスははっとを口をおさえる。

 見る見るうちに、顔が赤くなっていく。

「ほんとに、あの、あたし、感動して……。あんな風に、助けてもらえて、友達とも、また一緒に遊べて、すごく」

 クリスはたどたどしく語る。

 俺はただ、あっけにとられていた。俺から目をそらし、頬を染めるクリスに、なぜかこちらまで恥ずかしくなってくる。

 気まずい沈黙が横たわる。

 なんだ? こういうとき、なにを言えばいい?

 とにかくなにか話題を――

 ふと、彼女が左肩にかけたランドセルに目がいった。

「えっと、それは、妹さんのとか?」

「?」

 手で指す俺に、クリスはきょとんとしている。

「あ、だから、なんでランドセルなんか持ってるのかなって。妹さんとか、だれかのか……」

「妹なんか、いませんけど」

「そ、そうなんだ。じゃあ、だれの?」

 なんだこのへたくそな会話は。俺だってそのランドセルが誰のものかなんてどうでもいい。ただ話題が他に思いつかないだけだ。

「だれの……って、わたしのです」

 クリスが困惑しながら答えた。

「あ、なるほど」

 なにを当たり前のことを。そうに決まってる。ランドセルを背負っていれば、それは当然の、

 彼女の顔を見た。

 そのとき、俺はどんな間抜けな顔をしていたのか。

 意味がわからない。 

 わたしの?

 混乱した頭がひとつの答えを導き出す。

「……きみって、何年生?」

「小6、ですけど」

 まばたきする。

 彼女の歩いてきた方向に、大きな小学校の校舎が見えた。

 つまりは、そういうことだ。

 金髪碧眼でスタイル抜群の少女が、もじもじと身体を揺らしている。

「あ、あのぅ。シルトさんって……」

「俺は遠野なんだけど……」

 俺の使い捨てアバターの名前を口にしながら、クリスはどこかぼうっとした表情で、こちらを見ている。

 俺はすっかり動揺し、混乱していた。次はなんだ。実は男なんです、とかか。やだ。こわい。もうやめてくれ。

「付き合っている人とか……いますか……?」

「い、いない、けど」

 クリスがぱっと顔を明るくする。

 その表情は実に子供らしく、純粋なものだった。たぶん彼女本来の元気の良さを取り戻したクリスは、瞳をきらきらと輝かせながら、言った。


「じゃああたしと、つ、付き合ってくれませんか!」


 その日、そのとき。

 生まれてはじめての告白というものを、俺はされたのだった。

 ――小学生から。


 伊予森楓。

 真下クリス。

 そして、俺、遠野盾。

 このときの俺は、まだなにも知らなかった。

 彼女が俺に頼んできた、本当の理由も。

 彼女が抱える、もっとずっと大きな事情も。


 自分がまた、あの鉄と熱砂の戦場に舞い戻るということを。



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