#03
空の青さが視界を覆いつくしていた。
まぶしい。見上げた俺はつい手をかざしてしまうが、この太陽を見続けても目が焼ける事はない。だが体感する迫力や空気感は本物に近い。
辺りを見渡せば、まず古びた一棟の倉庫が目に入った。
作りは貧相だが、かなり大きい。三回建てのビルくらいの高さがあり、中に収まるのが車やボートのサイズでないことを想像させる。
少し先には小規模な町並みが見える。あとにはどこまでも乾いた大地だった。
現実には世界のどこにも存在しないこの光景も、俺にとっては見慣れたものだ。
ここにいるという確かな体感があった。
アイゼン・イェーガーの人気の理由として、奥深いロボットアクションも勿論あるが、こういった背景の作り込みも評価されている。
「戻ってきてしまった……」
ついこの間の決意は、いったいなんだったのか。
不可抗力があったとはいえ、早くも自分を裏切っていることに不安を覚える。
「お、お待たせ」
聞き覚えのある声に、振り返る。
先ほどまでだれもいなかったところに、軽装な少女がいた。
探検隊のようなショートパンツにすその短いタンクトップ。薄手のジャケットは腕をまくっている。
デフォルトのアバターだけあって、初期のフィールドに似つかわしい姿だった。
彼女に視線を合わせてプロフィールを閲覧すると、『Iyo』と表示された。
「どうかしたの?」
イヨはなにやらもじもじと居心地悪そうにしている。
「なんだか、この格好……」
むき出しのへそや脚を隠すように手を動かした。
イヨ――伊予森さんは、こちらをジトッとにらんだ。
「これって、遠野くんの趣味?」
「! ち、ちがうって。いや、それは、デフォルトのアバターがそういう格好なだけで! いやもちろん変えることはできるし、ただそれにも資金が必要だから、すこし待ってくれれば、」
「冗談だってば」
イヨがおかしそうに笑う。
ありふれたアバターのものと同じはずだが、それはどこか特別なものに見えた。
「えっと、遠野くんのはなんて呼べばいい?」
「シー……シルト、で」
「うん。私はイヨ。よろしくね、シルトくん」
儀礼的な自己紹介をして、イヨがにっこりと微笑む。
ああ、いい。
まったく、ゲームは独りでやるものではないよな、ほんと。これだからゲームを独りでやるものだと思っている旧世代の連中は……。
「あ、クリスちゃんもきた!」
イヨと同じように、突然その場に人影が現れた。
イヨと似た格好の女キャラクターのアバターだった。
鮮やかな赤色の髪。本人と同じく身長が高く、胸も、やはりでかかった。
本人を連想させるそれを、思わずじっと見てしまう。
「……なにか?」
「な、なんでも」
危ない危ない。アバターの胸を見ていたなどと伊予森さんにバレたら、俺の社会生命に加えてネット生命も終了してしまう。
キャラクターネームは『Chris』。
本人そのままというのはわかりやすい。
なぜか嬉しそうに手を合わせて再会を喜んでいるイヨと困惑しているクリスに、俺は遠慮がちに話しかけた。
「それで、困ってるのはどういうこと?」
クリスを見た。
見るからに消沈したクリスは、やがてぽつりと口を開いた。
「……嫌がらせされてるんです」
「嫌がらせ?」
「いま、アイニ山岳のフィールドを攻略してるんですけど……」
かなり序盤のフィールドだ。
たしか最後にはボスとして、多脚型の大型戦車が出現する。
「途中で、いつも襲われるんです。いつも同じ人、っていうか猟機ですけど。すごく強くて、みんな必ずやられちゃいます。そのせいであんまり友達も集まらなくなってきて、ぜんぜん先に進めなくて……」
「そんなことできるの?」
イヨが俺に問いかける。俺はすこし違和感を覚えながらも、
「うん。それは、このゲームにはそういうシステムがあるから」
攻略中のプレイヤーに戦闘をしかける――つまりPvP(対人)要素は、アイゼン・イェーガーのゲームシステムとして備わっているものだ。ただでさえNPCのエネミーに苦戦しているときにさらにプレイヤーの操縦する猟機の襲撃を受けると、クエストの成功率はぐんと下がる。
その緊張感も含めて、このアイゼン・イェーガーの魅力だった。
「でも、普通はそうはならないはずなんだけどな……。プレイヤーのレベル差が大きいと、攻撃行動に処理がかかってダメージが発生しないようになるはずなんだけど……」
「レベル?」
イヨの問いに、俺は自分でやりながら説明する。
「メニューでステータス、開いてみて。そこの一番上に表示されてるドライバースキル、ってところ」
「…… Lv.1って、なってる」
「それが簡単に言えば、『どれくらいアイゼン・イェーガーをやり込んでいるか』の目安になるんだ。それが離れすぎている相手から襲撃を受けることはないように設計されてる。お互いが承認して行う決闘――デュエルマッチはべつとして、プレイヤーへの一方的な襲撃行為はレベル差があると一方的な蹂躙にしかならないからね」
オープンワールドであるアイゼン・イェーガーの世界では、初心者が高いレベルのプレイヤーと同行してフィールドに出ることは可能である。それはひとつにキャラクターのステータスが強さに直結するRPGとはちがい、Lvが高ければ敵に与えるダメージが三倍にも四倍にも開くというわけでないからだ。
もちろん、高性能な機体や強力な武装を用いることで、初心者よりも有利な立場で攻略を助けることはできるが、それでゲームバランスが崩壊するという類のものではないのだ。
だがPvP要素に関しては、プレイヤーのモチベーションやゲーム世界内の風紀に影響してくるため、さきほど言ったような制限措置がシステムに組み込まれている。
「じゃあ……これは相手も同じくらいのレベルの人、ってこと?」
「だとは思うけど、ただ何回もはそうならない、はず。……クリス、のチームは、その相手に負けたんだよね……?」
「……はい」
クリスが悔しそうにうなずく。
「だとすると、相手は経験値を獲得してレベルが上がるはずなんだ。対人戦の経験値は普通にNPCの敵を倒すより大きいから。で、負けた方は当然なにもない。だからそうそう同じ相手から襲われるってことは自然となくなる……はずなんだけど……」
説明を兼ねてそこまで口にしてみたが、同じ相手に襲われているということは、実際にはそうはなっていないということだ。
「なんか、悪いことしてるんじゃない?」
イヨが怒った表情を浮かべる――正確にはVHMDが検知した伊予森さんの感情反応に連動して、アバターの表情が変わる。
「どうだろ……。ゲームの運営に通報とか、問い合わせはした?」
「しましたけど、なにも変わらなくて。その、いま、お兄さんが言ったみたいなことがメールで返ってきただけで……」
イヨがなぜか俺に非難の視線を向ける。
「い、イヨさん?」
「あ。ご、ごめんなさい。……でもひどくない、それ?」
「うん……ただ、たぶんそう返ってきたってことは、べつに不正をしてたりするわけじゃないってことだと思う」
「そんな……!」
不正ではない。そうなると、考えられるのは、
「レベルを調整してるのかな。たぶん」
「どういうこと、ですか?」
「ドライバースキルのレベルは基本的には下がることはないんだけど、かなり後半のフィールドで、全滅するとレベルが下がるところがある。そこは毒ガスが充満している朽ちた研究都市、っていう設定なんだけど、そこで敵エネミーに撃破されるとそういったペナルティが発生するんだ。敵も強いし、あそこは俺も苦労したっけ……」
遠い目をしていた俺を、ふたりがじっと見ている。
「と、とにかく、そこでわざと全滅してレベルを下げるってことは、できる。システム上は、べつに不正をしているわけでもないから、強制的にやめさせるってことは難しいかもしれない」
「そう、なんですか……」
クリスの声は力なく沈んでいく。
口には出さなかったが、俺はだいたい状況がわかってきていた。わざわざそんなことをやる理由はひとつしかない。
これは初心者狩りだ。
それだけならまだしも、特定のプレイヤーを追跡して狙うのは、明らかに度をこしている。悪質な行為だといっていい。
「やめてください、って言いにいこ。直接言えば、わかってくれるかもしれないし」
「え? ああ……まぁ、たしかに」
呆気にとられたものの、たしかに、それは一番穏便な解決策だ。
さすが伊予森さん。
「クリスは、その人たちのキャラネーム、わかる?」
「……知りません。知りたくもないです」
イヨが困ったように俺を見る。俺はすこし間を置いて、
「履歴に残ってるから、そこから調べられるよ。メニューのコンタクト履歴ってところで見れる」
うつむいたままのクリスに、俺は言った。
「会いたくないのはわかるけど。なんとかするから」
俺の楽観的な言葉に、クリスは不思議そうに顔を上げた。
なんとかする。
そんな自信ありげな言葉を吐けたのは、単純な理由。
ここが現実ではないからだ。
「……はい」
クリスがログを確認するのを待った。しばらくして、
「見れました。K-KAZUKIって、書いてます」
キャラクターネームで検索する。一発で出てきた。
「いま、セントラルストリートのパーツショップにいるみたいだ」
「じゃあ行こっ」
イヨが元気よく手を挙げる。
メニューを呼び出す。「フィールドの移動」を選択。「セントラルストリート」を選択。実行。一瞬で世界が転移した。
*
大災害により高度文明が崩壊した後の世界。
人々はかつての国家や科学技術を失いながらも、高度文明の産物が残る『遺跡』と呼ばれる場所を探索し、そこから資源を発掘し、かつての繁栄を取り戻そうとしていた。
だが遺跡や焦土と化した未開拓地には、旧時代文明の半永久機関を搭載した機械が野生化し、人々を襲うようになっていた。
『ガイスト』と呼ばれる、人類の発展を阻む存在である。
ガイストに対抗するため、人々は遺跡から発掘した資源と技術から、対抗する兵器を造り上げた。
それが人型陸戦兵器「猟機」だ。
いまや猟機とそれを操る猟機乗りたちは、人々をガイストの脅威から守り、世界の開拓にとって欠かせない存在となっていた――
これが、アイゼン・イェーガーの世界設定だ。
「おっきぃ……」
イヨが感嘆の声を上げる。たしかに初めて見る人は圧倒されるだろう。
ウエストユーラシア第001解放区域・首都ミッテヴェーグ
そこは巨人の街だった。
車が数十台は並べられる幅の道の両脇に、飛行機のガレージような巨大な建物が並び立ち延々とつづいていた。
ここに立つと、まるで自分が小人になった気分になる。
「ここはなんなの?」
「猟機用のパーツショップが集まった町なんだ。猟機に関するもののほとんどがここで揃うから。人はいつも集まってる」
このサイズ感は、実際に巨人、つまり猟機用のパーツを売っているためだ。
「たしかに、なんか、いろんな人がいるけど……」
行き交う人ごみには、なぜかときおり侍や騎士の姿のアバターまでいる。たしかあんなコスチュームもショップで売っていたな、と思い出す。現実ならあんな姿で猟機の操縦席には入れないだろうが、そこはゲームならではだ。
「それで、どこ?」
検索して出たショップの方角が頭上に矢印で表示される。
「あっちだ」
俺は二人を連れて、猟機の武装を専門に売っているショップに入った。
店のフロントの前に集まって話しているプレイヤーたちがいた。
そのうちの一人のプロフィールを覗く。
K-KAZUKI 。あれだ。
「あの人です……」
クリスが指差したそいつは、砂漠色のジャケットに身を包み、いかにも主人公然とした、かっこいい見た目をしている。
近づいて立ち止まると、向こうもこちらに気づいた。
「なに?」
「あ、えっと……」
俺は言葉に窮する。
ネット上だからといってコミュニケーションが上手くなるわけではない。俺にとっては多少は現実よりマシ、という程度だ。
いま思うと、過去のチームメンバーは希有な仲間だった。
もっとも連携をあまり取らず個人プレイにばかり執着していた自分は、打ち解けていた方ではなかったが。
「あのっ」
伊予森さんが率先して話しかける。さすがだ。
「この子のこと、付け回してひどいことしてますよね?」
「はぁあ?」
K-KAZUKI――カズキは、大仰に聞き返した。
周りの仲間も同様に、呆れ顔をしている。
「俺たちが? なに言ってんの?」
しらを切っている。
俺でもわかるほどに、カズキの態度は不遜で刺々しいものだった。だが伊予森さんはまったく引かない。
「そういうの、よくないと思うんですけど。もうやめてください」
ネット上とはいえ、初対面の相手にここまではっきりと言えるのは、すごい。
彼女は可愛いだけの女の子ではない。強い芯を持っている。
だが相手の反応は冷ややかなものだった。
「あのぉー。リア友でもないのにぃ、いきなり干渉しないでもらえますー?」
仲間が面倒そうに言った。
「つうか、なに、あんたら」
カズキが俺たちを、正確には俺を見て、あざ笑った。
アバターを見ると、どの程度プレイ歴があるかはだいたい予測がつく。
特定のフィールドを攻略したり、ある敵を撃破しなければ得られないアイテムもある。それにアバターの服装のような、猟機の性能に影響がないものに資金を投じるのは、ある程度攻略が進んだプレイヤーだ。
完全に初期状態のままのアバターの俺は、いかにも「今日はじめました」という初心者に映るのだろう。
「チュートリアルからやった方がいいんじゃないの」
「ふざけないでください!」
イヨが声を上げる。
だがカズキと仲間たちは、ケラケラと笑い合うだけで真剣に聞こうとはしない。
「つうわけで、そういう保安官ごっこは対人ができるくらいになってから言ったほうがいいな。じゃ、そういうことで」
相手が言いたい事を言い終えるのを待って、俺はようやく口を開いた。
「じゃあ、やります?」
「……なに?」
「対戦」
俺の言葉は、そこにいる人間たちにゆっくりと浸透した。
だれもが驚いているなか、イヨが、
「と……シルトくん、いいの?」
「べつに。デュエルマッチで、どうですか。俺が勝ったら、やめてもらえないですか」
「……へぇ、おもしれえ」
カズキが凶暴な笑みを浮かべた。
その言動と表情に、さきほどの主人公めいた雰囲気はもうない。
「ああ、いいよ。あんたが勝ったらやめてやる」
「ども」
「ついて来いよ。どこがいい?」
デュエルマッチの舞台となる戦闘フィールドを聞いているのだ。
「どこでも」
イヨとクリスは、不安そうにこちらを見ている。
「シルトくん……」
「大丈夫。俺と一緒に、移動して」
メニューを呼び出しフィールドを選択。俺は転送を開始した。




