鎧、外套
皮膚に触れる為には皮膚に直接触ってはいけない。それはもうずっと昔から言われて久しいことだ。兎にも角にも、皮膚は固く閉じられていた。……何から? それは、物理的ではなく、一方で極めて物理的に機能する。あれは、あまりにも……。
皮膚は、外部のありとあらゆる刺激から内部を保護するためにある。異物を排斥し、そして、核を保護するために。そうだった。きっと。
交換は皮膚を、膜を介して行われているのではない。膜に浸透することによって内部と外部が交換されるのではないのだ。
外部が内部を、あるいは内部が外部を直接撹拌する。それらは膜を介して間接的に繋がっている訳ではなく、直接……そう、まさしく直接的に繋がっているのだ。膜とはドーナツの穴であり、内外はドーナツである。膜とは......墓標であり、記号であり、月であり、皮膚であり、夢であり、死者であり、煙であり、そしてドーナツ......ドーナツでもあった。ドーナツの穴であり、ドーナツであるということはどういうことか。穴は閉じている。閉じているときには空いていて、空いているときには閉じている。入口であることの出口であり、出口であることの入口である。
内部が変容する時、かつての外部は失われ、またそれと同時に内部をも消し去っている。それはまるで、一つの物質であるかのようだった。全く同じであるかのように振る舞っていた。それが真であろうが偽であろうが対して問題ではない。例の如く。
内部とは膜や外部によって規定されるものではなく外部そのものだった。内部と外部は即ち同じ事柄を指しているのであり、膜はそれが表出した一形態に過ぎないのだ。
膜が包んでいるものは内包している物質そのものではなく隣接している媒体そのもの。ひいてはそれらに先んじて、いや、先というよりもずっと後でそれらを柔らかく包み込んでいる。
膜は我々を規定するものというよりは、我々の面妖な存在そのものを下支えしている。皮膚は交換するための、内部を保護するための器官というだけでなく、無限定な我々の、すかすかな我々の、鎧から吹き込んでくる隙間風の通り道として明け透けかつ逆説的に機能している。




