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*結*


「なんだ、ここ?」

 オレは思ったままを口にした。

 そこは、津々浦つつうら第二高校の屋外プール。全体を囲うフェンスこそないが、確かにここはウチの学校のプールだった。そして、きっちりとした長方形のその縁にオレは立っていた。

 しかし、それが存在する場所が異常だった。見渡す限りの穏やかな青い海と、太陽の煌めく雲一つない青い空。正直、どこが水平線なのか迷うような光景。そんな世界の真ん中に、まるでどこからか切り取って、貼り付けたようにプールがあった。

「おい、ヴィアン――」

 この風景にはどんな意味が、と言おうした瞬間、隣にヴィアンの姿がないことに気付いた。アニメ的にいうなら点線で表された残像。

 前に目をやる。

 ヴィアンは――溺れていた。一切の抵抗なく、ただ静かに目の前のプールに沈んでいっている最中だった。

「――なっ、何やってんだよ、バカ!」

 慌てて手を水の中へ突っ込み、ヴィアンの襟を掴む。そしてそのまま勢いよく引き上げた。なんとなく小学校の学芸会の『大きなカブ』(ちなみにネズミ役。もちろん身長の関係ではない)を思い出す動作だ。

「ぶはっ……はぁはぁ、死ぬとこだった……」

 オレの横に這いつくばる水浸しの吸血鬼“もどき”が、息も絶え絶えにそう吐いた。いつになく真剣な目。どうやら本気でヤバかったらしい。

「まさか踏み込んだ瞬間に水中とは……さすがの僕も予想してなかったよ」

「つーか、なんでお前だけ落ちてんだよ?」

 『夢神楽ゆめかぐら』を完成させ、オレたちは同時に魚住うおずみさんの夢に入り込んだ。つまり今ここは魚住さんの夢の中。この異常で異様な景色が、深層心理に宿る想い。

 ちなみに、大神おおがみさんには残ってもらった。

 意識のない人間が公園に三人も横たわっているのはさすがにマズい、というのと「精神世界(あちらがわ)は“僕ら”がより完全に近くなる場所だ。ウルフマンがまだ宿っている君を連れていくことはできない。もし暴走でもされれば、今度こそ誰も助からない」という理由で見張り兼お留守番だ。

「……多分、歩幅の問題だよ」

 と、濡れた長い髪の水分を両手で弾きながらヴィアンは言った。

「僕とチルチルくんとは脚の長さが、根本的に身長差が――」

「うるせぇ、黙れ、溺死させるぞ」

「……うん。それは冗談にならないから素直に黙ろう」

「つーかさ、もしかしてお前、泳げねぇの?」

 そう訊くと、ややあってからヴィアンはゆっくりと視線を周りに広がる海へと逸らした。

「ち、違うんだよ。ほら、今の僕は“ほぼ”吸血鬼だから、せ、聖水とかの本来の弱点が有効化されているんだよ」

「へぇ……ふぅん……そぉ……」

 どうやら、この“ほぼ”吸血鬼は聖水じゃなく塩素消毒水でも殺せるみたいだ。

「火もダメ、水もダメってホント使えねぇな」

「……返す言葉がございません」

 と、未だ海から目線を外さないヴィアン。おそらくだが、それはカメラ目線ではない。

「つーか、溺れた場合、お前は死ぬのか?」

 ――死ねないヴァンパイアでも。

「うーん。『死ぬ』というのとは少し違うかな」

 ヴィアンが顔をこっちに戻す。話題が変わったことを察知したようだ。

「呼吸ができずに死に続け、その度に生き返る。復元されてしまう。空腹と一緒さ。無限の地獄を“死ぬまで”味わうことになる」

 だから僕は火も水も空腹も怖いんだよ、とわざとらしく嘆いた。そしてもう一度海を、周りをぐるりと見渡した。

「……それにしても、すごい景色だねぇ。絶海の孤島ならぬ絶海のプールといったところかな」

 四方八方水責めだ、とヴィアンが笑う。

「まさに待ったなしの逃げ場なし。僕にとっても――彼女にとってもね」

「どういう意味だ?」

「それはね――」

 と、ヴィアンが語り出そうとしたときだった。ジャブンという水の音が聞こえたのは。

「――っ!?」

 反射的に音の方向を、プールを見る。そこには同心円を描く波紋だけが広がっていた。

「さぁ、いよいよマーメイドのお出ましみたいだね」

 そう言って立ち上がったヴィアンの身体は、もう濡れていなかった。……そうだ。精神世界(こっちがわ)は“ほぼ”なんでもアリだ。人も、物も。読者が付いていけないような場面展開も、時間軸を無視した突然の回想シーンだって。

「さて、頑張ってよチルチルくん。今回はなかなか手強いからね」

 ――なんたって。

「相手は――トラウマだ」

 今度はザバンというド派手な音と豪快な水しぶきと共に、オレのすぐ近くの水中から影が一つ、宙に飛び出した。ガキの頃見に行ったイルカショーを思い出す映像だ。

 そして鮮やかにプールの縁に座り込むように着地すると、第一声――。


「お兄ちゃん、遊ぼうよ!」


 無邪気な笑顔で、彼女はそう言った。

 ……………。

 ……曲線美。

 彼女の姿を目の当たりにして、オレはその意味を理解した。

 曲線美とは、女性のためにある言葉なんだ、と。

 陶磁器のように白く、力加減を誤れば折れてしまいそうに細く、だけどしなやかな強さのある首筋。

 熟れた果実のように丸々と、スイカやメロンというよりグレープフルーツみたいな、決して重力に負けることのない胸元。

 ひょうたんや砂時計を彷彿させる、まるで反比例のグラフのように、しかしあくまでも自然なラインを描く腰回り。

 熱帯魚さながらの鮮やかな青い鱗に包まれた、イルカのように滑らかな下半身――というか尾ビレ。

 そう、彼女は人魚だった。

 しかし、一般的なイメージとは大きく違う。

 下半身は魚で、上半身は人間。これは合っている。だけど人間の部分に問題があった。

 貝殻的なモノでなく、競泳用水着を着ているのだ。

 よって、肌の露出は極めて低い。見えるのは肩から下と、首元から上だけだ。

 だがしかし、どうだろう? これはこれで。

 隠れているとはいえ、曲線美と言うに相応しいそのボディラインははっきりと見えている。

 下手に露出しているより、想像力が働く。

 その黒光りする布キレの向こう側への、好奇心が騒ぐ。

 得体の知れない感情が、心の奥底から沸き上がってくる。

 ……もしや? もしかして?

 もしかして、これが?

 もしかして、これが男子高校生なら誰しもが秘めているという、あの有名な感情なのか?

 その名も――。


「おい、ミチル。何勝手にモノローグ語ってやがる」


「あれぇ? バレちゃった?」

 そんな声は、当然のように足元から聞こえた。

 そこには――オレがいた。上半身だけ床から生えていた。……いや、正確には床に落ちたオレの影から、だけど。

「でも安心して。ボクらは声も一緒だからモノローグ入れ替わったって問題ないよ」

「問題大アリだ。そんなことしたらオレはこの世界にいられなくなる」

 ここにきて主人公交代なんてできるか。

「え? それってアレ? 『説明口調のツッコミが、オレのこの世界での立ち位置なんだよ。それこそ、オレがオレである理由だよ』ってヤツ?」

「……………」

 ……ハズい。

 オレ、そんなこと言ってたのか。しかも全く同じ姿のミチルが言うから余計ハズい。さらにコイツのことだから口調まで完コピだろう。

「ねー、ねー、ねー、ねー! 遊ぼー、遊ぼー、遊ぼー、遊ぼー!」

 ペチペチと床を尾ビレで叩きながら、輝く目でオレを見る人魚――いや、その顔も身体(体格的に。変な意味はなし)も魚住さんだった。

「プールの中でできる遊びなら、なんでもいーよ! 何する? 何する? 何する?」

 しかし、その口調は身体に合わない幼児的なモノ。むしろ身体の方が中身に合っていない感じがする。

「劇的な進行速度と、この閉ざされた世界。それに加えて精神年齢の低さ。彼女は間違いなくトラウマから生まれたマーメイドだ」

 人魚から視線を外さず、ヴィアンはオレに言った。

「トラウマ? アイツのとは違うのか?」

 オレも人魚を見ながら訊く。

 似たような状況なら、オレも知っている。どうしようもなく知っている。忘れることが許されないほどに。

「あぁ、あの子のとは全くの別物さ。事が起きる前の対応と、起きた後の対応。何も覚えていないのと、何も忘れられないという違い。……だけど、どちらにも共通するのは根源的な強い想い――願い。そしてその強さは即ち“僕ら”の強さになる」

 ――だから、彼女は手強いよ。

 と、言い切る直前、

「ねーねー、むずかしい話しないでー。アタシ分かんなーい」

 口を尖らせて分かりやすく拗ねる人魚が、会話に割り込んできた。その表情と口調はいつもの魚住さんと大きなギャップがあり、そのせいで軽く萌――いや、なんでもない。

「はぁい。今終わるから、ちょっと待ってねぇ」

 子どもをあやすように、体操のお兄さんのように、ミチルがそれに答える。その姿は未だ上半身だけ生えている状態だが、人魚が特別それに驚く様子はなく、「はーい、アタシちょっと待ってるー」と明るく元気に返事をした。

「……つーか、この人魚はなんでこんなにガキっぽいんだ?」

 身体は……ミチルの言う通り、確かに大人の『曲線美』なのに。

「おそらく生まれたときから、トラウマになった出来事から時間が止まっているんだよ。要は先生の心が前に進もうとしてないってこと」

 ――まぁ、だからこそのトラウマなんだけどね。

 と、ヴィアンは苦々しく笑った。

「で、さっきから言ってる『トラウマ』って何なんだよ?」

 そう質問すると、一瞬首を傾げてから、何か閃いたように「あぁ、それはね」と口を開くヴィアン。

「トラウマ、心的外傷。外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的ショックを――」

「そんなんを訊いてんじゃねぇよ。そのくらい分かるっつーの」

 いや、ちゃんと詳しくは知らないけど。

 だけど、そんな説明を求めているんじゃないことくらい、コイツにだって分かっているはずだ。だから時間も惜しいことだし、礼儀正しいオレはしっかりとしたお願いをする。

「お前、沈められるなら海とプール、どっちがイイ?」

「……、……ごめんなさい」

 うん。やっぱり人間、素直が一番だ。まぁ、コイツは吸血鬼“もどき”だけど。

「……でもまぁ、入るならどちらかと言えば海かな。なんたって――トラウマの原因を本人から聞き出せるからね」

 そう言うと、ヴィアンは海に向かってしゃがみ込み、その手を海面に近付けた。すると途端に、

「だめ! 海に入っちゃだめ! プールにしよ!? プールにして! 海は、海は――」

 静かにしていた人魚は慌てて制止した――いや、制止しようとした。

 ――ちゃぷん。

 だけど、そんな静かな音を立ててヴィアンの指先が海の中へ入った。

 その瞬間、何の前触れもなく唐突に、予想すらできないほど突然に、世界は表情を変えた。


「海は、溺れちゃうよ!!」


 荒れ狂う灰色の海と、冷たい雨を降らす暗い空の中、彼女はそう泣き叫んだ。



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