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*転*


「マーメイド」


 例によって例の如く、ヴィアンは開口一番そう言った。そして続けて、

「何度も言うようだけど、僕は専門家じゃないから正確な情報じゃないかもしれないけど、それは承知しといてね」

 と、お約束の前置き。

「マーメイド、つまりは人魚。半人半魚の美しい女性の姿で、特に童話の『人魚姫』が有名だね。まぁ、男性の場合は魚人というカタチになるんだけど、こっちの方は美しいとはとても言えない。……確かに、船乗りの男の目撃例が多いから“美しい女性”って要素が重要だったんだろうね。ちなみにマーメイドの正体は、ジュゴンやらイルカってのが有力。日本に伝わる人魚伝説には体長十一メートルなんてのもいるから、おそらくそれはクジラで間違いないだろうね」

 それはまさに『立て板に水』といったような喋りだった。しかし――。

「オレが聞きたいのはそんなことじゃねぇよ。魚住うおずみさんに宿った人魚が、魚住さんに何をしてるのかが聞きたいんだ。意識が戻らないのは、そのせいなんだろ?」

「うーん。意識の方はともかく、呼吸困難は間違いなくマーメイドの影響だろうね」

「呼吸、困難……」

 下を向く。そこには公園のベンチに横になった魚住さん。その息は相変わらず絶え絶えで苦しそうだ。

 ……あれから。

 あれから、大神おおがみさんは助けた女の子を慌ててやってきたお母さんに引き渡した。そして急いでこっちに駆け寄って、

薄原すすきはらくん、先生は大丈夫かい!?」

 息一つ切らさず尋ねた。

「いえ、何度呼んでも意識が戻らなくて……」

 対して腕の中の魚住さんは、激しく荒い息しかしていない。

 ――まるで、溺れているかのように。

「それに、コレ……」

 そう言って、オレは魚住さんの腕を見せた。指先から肘の辺りまで青い鱗に覆われた右腕を。

「これは……病院、というわけにはいかないようだね」

 さすがは狼男に変身した経験がある大神さん。一瞬だけ驚いたが、すぐ冷静にオレと同じ結論を出した。さらに続けて、

「確か、近くに公園があったはずだ。とりあえず先生をそこに運ぼう。この天気なら誰もいないだろうから、人目を気にすることもない」

 言うや否や、大神さんはするりと魚住さんを背負い、そしてすぐさま歩き出した。一足遅れてオレもその横を歩く。……なんの手伝いもできないが。正直、オレじゃ大神さんみたく軽々と魚住さんを背負って歩けないし、二人で担ぐのもバランスが悪い。ホント大神さんがいて良かっ――。

「そういえば大神さんはどうしてあそこに?」

 こっちは大神さんの家の方向じゃないし、ここは学校の近くでもない。いくらなんでも都合が良過ぎる登場だ。

「実は、匂いがしたんだよ」

 歩みを止めず、頭だけオレに向けて大神さんが答える。

「匂い?」

「あぁ、匂い。うまく言葉で説明できないのが残念だが、きっとこれは“彼ら”の匂いなんだと思う。僕と同類の匂いを感じるんだ。多分、後遺症の影響だろう」

 ――さすがは狼の嗅覚。妖怪アンテナならぬ妖怪センサーといった感じだ。

「その匂いを学校を出るときに感じて、追ってみたら薄原くんと先生がいたというわけだ。おそらく、匂いの元は先生だろう。現に今、非常に強く感じるしね」

 と、大神さんは背中の魚住さんをチラリと見た。未だ意識は戻っていないし、呼吸も荒いままだった。

「そんなことよりも薄原くん、ヴィアンちゃんに連絡を」

「あ、スイマセン。今電話します」

 慌ててケータイを取り出し、家に電話を掛ける。雨が嫌いなアイツは多分いるはずだ。

「ところで、公園の場所は分かるかい?」

 コール中、そう訊かれたので、

「大丈夫です。約束の公園なんで」

 そう答えた。

 ……………。

 ……で、今に至る。

 電話にはヴィアン本人が出たから、すぐに大体の経緯を話し、そして公園に来るように言った。公園はウチの近く。オレたちが着いたときにはヴィアンはもう既にいた。

「とりあえず、ここに寝かせてあげて」

 公園内の屋根のある休憩所に案内すると、ヴィアンは自然に自分の上着をそこのベンチに敷いた。雨で濡れてないとこを選んだのと、そういう行動はさすがに大人だった。……悔しいが、オレにはできない。

 それでね、と専門家“もどき”は説明を続ける。

「マーメイドに対する願いは美貌や美声なんてのもあるけど、彼女の場合は最もポピュラーなヤツだね」

「ポピュラー? なんだよ?」

「呼吸、さ。魚のように水中で息がしたい。そして思うままに泳ぎ回りたい」

「呼吸……」

 視線を再び落とす。そこには変わらず息苦しそうな魚住さん。さっきより悪化している気がする。

「でもね。人体の構造上、そんなのは無理なんだよ。イルカやクジラならまだしも、魚になんて人間はなれはしない」

 ――なのに願った。だから中途半端に叶った。

「人間の肺で魚みたいな呼吸。魚には濃過ぎる空気で息がままならず、人間なのに地上で溺れてしまう」

 所詮はマーメイド“もどき”なんだよ、と吸血鬼“もどき”は静かに笑った。

「で、どうすれば魚住さんを助けられる?」

「助ける? それはマーメイドを退治するという意味でイイのかい?」

「当たり前だ。それ以外の意味はねぇよ」

「……マーメイドの力の表面化が弱過ぎるから、僕がここで咬みついても効果は薄い。だから先生の夢に入り込んで本体を叩く、ってのが有効手段だろうね」

「『夢神楽(ゆめかぐら)』か……分かった。準備するぞ」

 と、オレは落ちていた石ころを拾った。休憩所の地面はコンクリート。石ころでも白線くらいは書ける。『舞台』さえ整えれば、オレにはそれで十分だ。

 しかし、対するヴィアンは全く動かなかった。動く気配すらなかった。その代わり、

「本当に」

 と、口を動かした。

「本当に、助けに行くのかい?」

 ヴィアンが言った。いつもの小馬鹿にしたような、ヘラヘラとした顔はそこにはなかった。

「本当に、彼女の夢に入るのかい?」

 ここでようやく、質問されてるんだと気付いた。語尾に『?』が付いてることが分かった。だけど、その意味はまだ理解できてない。

真実まみちゃんは幼なじみ。大神くんはやむを得ず。だけど先生は?」

「……は? 何、言ってんだ?」

「ただの学校の先生だろう? 君にとってそれだけの――」

「てめぇは相手を選ぶのかよ!!」

 オレは怒鳴りながらヴィアンの胸倉を掴み掛かった。かなり大声だ。人が来ないかの見張りで、少し離れたところにいる大神さんさえ振り返るほどだ。

 だけど、ヴィアンは眉一つ動かさなかった。それどころか口元だけ笑って、

「選ぶさ――守るべきもののためなら」

 そう言った。その目は、笑っていなかった。

「正直言って」

 と、ヴィアンはオレの手を振り解いた。とても戦わない男とは思えない手際の良さで。

「マーメイド化の進行が早過ぎる。普通は、もっとゆっくりなんだ。だから明確には言えないけど……おそらく三十分」

「三十分……」

 ヴィアンの言葉を繰り返す。それが何の時間か分からずに――いや、本当は分かってる。次になんて言うかくらい分かってる。だけど、その予想を否定したい自分がいる。

「あと三十分以内に、彼女の呼吸は停止する。文字通り、息絶える」

「……………」

 予想は、当たりだった。当たってなんかほしくねぇのに。

「もし、夢に入り込んでいる間に彼女が死んだ場合、君の精神も同時に死ぬ。ここには肉体という抜け殻だけが残る。そうなれば、君はあの子との約束は果たせない。それでも、先生を助けに行くかい?」

「……………」

 言葉が出ない――いや、出せない。答えを、出せない。……違う。答えなら出てる。とっくに分かってる。

 死ぬのは怖くねぇ、とかカッコイイことは言わないし、言えない。普通に怖い。オレはロボットのパイロットでもなければ、海賊でも忍者でもない。所詮、少し普通じゃないだけの高校生だ。当たり前に怖いもんは怖い。

 だけど、それ以上に約束を果たせないのが怖い。アイツを、助けてやれないのが怖い。

『チル兄ちゃん――助けて』

 アイツは、この公園でオレにそう言った。

 だから、約束したんだ。たとえ、もうアイツが覚えてないとしても。

 助けてって言われたんだ。だから、助けるんだ。


『お、女の子……お……溺れ、て……そ、そこ……』

『た……助け、て』


 ……………。

 ……なんだよ。魚住さんも言ってたんじゃねぇかよ。

 女の子が流されそうなときに。自分も大変なときに。

 魚住さんは、確かにそう言った。

 助けて、って言った。

 多分、女の子のことだ。だけど、それは大神さんが果たした。

 だから――次はオレが。

「約束、する」

 ようやく、口から言葉が出た。答えが、決意に変わった。

「約束? 何のだい?」

「魚住さんを助ける。アイツも助ける」

 二者択一。だったら――。

「オレは二人とも必ず助ける」

 一人で二つ選んだってイイじゃねぇか。

「オレは、オレ自身にそう約束する」

「……………」

 堂々と“宣言”を果たすと、ヴィアンは黙った。そして黙ったまま笑った。

「いやぁ、いつにも増して利己主義者(エゴイスト)だねぇ、君は」

「……悪いかよ?」

「いいや。人間はそう在るべきだよ」

 ――そう在ってこその人間さ。

「さて、それじゃあ先生を助けますか」

 そう言って、ヴィアンも自分の足元の石ころを拾った。

「なんだ? お前も来るのかよ?」

「ん? そうだよ。だって、家族みんな揃わないと晩ご飯食べられないでしょ」

「……オレはその程度の存在かよ」

「いやいや、大事なことだよ。僕にとって空腹は万死に値するんだから。いくらお腹が減っても死ねないなんて、地獄以外の何物でもない」

 だから、とヴィアンは続ける。

「もし、これ以上は無理だと判断した場合、あの時みたいに君を連れ帰るよ」

 ……あの時。アイツを助けてやれなかった時。オレがどうしようもなく力不足だった時。

 だけど――。

「大丈夫だ。その必要はねぇよ」

 もう、あの時のオレとは違う。もう、繰り返したりしない。

「それにさ。お前、知ってるか?」

 そう言ったオレの顔は多分、意地悪く笑ってると思う。


「約束守れない男は、嫌われるんだぜ」



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