*起*
左腕が痛い。
いや、左腕だけじゃない。全身くまなく痛い。
鋭く長い針で突き刺されているように。何度も何度も貫かれるように。
熱い、とは思わない。
痛い、としか思わない。
火傷なんてそんなモンだ。熱いと感じるのは最初の一瞬だけ。
そうだ。これはただの火傷だ。
ちょっと炎を浴びただけだ。
だから、オレはまだ戦える。
戦わなくちゃならねぇ。
約束を――果たすんだ。
「も■■める■だ、チ■■ル■ん!」
は? 何言ってんだ、ヴィアン?
よく聞こえねぇよ。ちゃんと喋れよ。
つーか、手を離せよ。
「こ■以上■■理だ! 君■精神■死■■し■う! ■の子■夢か■出■■なく■る!」
うるせぇな。耳も痛いんだから騒ぐなよ。
つーか、そんなことはいいから手を離せよ。
くそ、なんで振り解けねぇ?
なんでこんなに右腕が重てぇ?
なんでこんなに身体が動かねぇ?
なんで――そこにオレの左腕が落ちてる?
「今日■退■■だ。相■が悪■ぎる」
ダメだ。
今日じゃなきゃ、ダメなんだ。
オレは、アイツを倒さなきゃならねぇんだ。
「ど■せ明日■は■■■ゃんは何■覚■■ない■だ」
……あ?
今、なんて言った?
なんて言いやがった?
ちゃんと聞こえるように、もう一回言ってみてくれよ。
もう一回言ってみろよ――。
「もう一回言ってみろよ!」
「おはよう、蒲原」
昼過ぎ。津々浦第二高校。教室。
何故か分からないが、クラス全員がオレのことを見ている。
何故か分からないが、二つ隣の席の結城はこめかみを押さえている。
何故か分からないが、目の前に国語教師・魚住愛海が笑顔で立っている。
「もう一回と言わず、何回でも言ってやるぞ。おはよう、蒲原。おはよう、蒲原。おはよう、蒲原――」
……………。
……頭の回転の速いオレの結論としては、オレは授業中に居眠りした上にガッツリ寝言を吐いたようだ。
しかも、よりによって魚住さんの授業で。
だから、言うべき言葉は一つしかない。
「蒲原じゃなくて薄原です。字は似てますけど全然違います」
「ほぅ、そのくらいは分かるみたいだな」
あまり教師とは思えないラフで若々しい(実際まだ二十代だけど)服装で、魚住さんは笑みを浮かべ続けている。
「えぇ、オレは違いの分かる男なんで」
「ほほぅ、お前はずいぶんとイイ男だったんだな」
「えぇ、まぁ。よく言われます」
「ほほぅ。じゃあ私は、イイ根性してるな、と誉めてやろう」
「いやぁ、そんなに誉めても何も出ませんよ」
「いやいや、出してもらわないと困るんだよ。特に、今の問題の答えを」
と言って、オレの目の前から横にズレる魚住さん。
それによって見える黒板。そこに書かれた白い文字(国語教師なのに意外と汚い)。完全完璧に見覚えのない文章。
一応、自分のノートを見てみるが、一字一句同じ言葉はない。それどころか『何者か』によって描かれた黒い一本の乱れた線が、ノートを縦断している。
おそらく、睡魔という悪魔の仕業だ。
くそ、次に会った時は必ず退治してやる。
………………。
まぁ、つまり、単純に、明確に、結論的に言えば――。
「分かりません」
「そうか、それなら仕方ないな――」
と、笑顔のまま魚住さんは、
「鉄拳制裁!」
オレの頭頂部目掛けて拳を放った。
「――いってぇ!」
すぐさま頭を押さえるオレ。いつも正確に髪のガードがないつむじを狙ってくる一撃は、地味な痛みがしばらく続く。
「私の授業で寝るからだ、阿呆。寝るなら次の田口先生の授業にしろ」
「いや、寝ること自体ダメでしょうよ」
――いや、今さっきまで寝てた自分が言うのもアレだけど。
確かに田口(世界史のおじいちゃん先生で、八割何言ってるのか分からない)の授業はほぼ寝てるけど。
でも、教師が言っちゃダメだろうよ、それ。
「ちなみに」
と、オレに背を向けて黒板に戻りながら、魚住さんは話を続ける。
「今は何一つ問題を出してねぇよ、蒲原」
「……………」
……ハメられた。
「それじゃ、あんな風になりたくないヤツはしっかりと授業を聞くように。特にココはテストに出やすいからな。というか、次は私が作るから絶対忘れんな。そしてクラスの平均点上げろ」
……いや、教師が言っちゃダメだろうよ、それ。
いくらこのクラスの担任でも。
という、オレのモノローグなど聞こえるわけもなく、授業を再開する魚住さん。
一年のときからの担任で、世界で二番目に逆らえない天敵(一番はもちろん姉ちゃん)。
そして何より、今回のお話の対戦相手・おぼれるマーメイドである人物。
――だけど、このときのオレはお約束通り、まだ何も知らない。