中編
いつもお読みいただきありがとうございます!
次で完結です。
エイデンにきっぱりもう一緒に勉強しないと告げて、一週間経った頃。
珍しく私より遅く図書館にやってきたエイデンの隣には、成績五位から七位あたりをうろうろする金髪の貴族令息が立っていた。もしや、お友達ができたと見せにきたのだろうか。
エイデンは鋭さを強調するような外見だが、金髪の貴族令息はやや軽そうで雰囲気が柔らかい。この二人のどこが合ったのだろう。
「やぁ、オルブライト嬢。俺も一緒に勉強してもいいかな」
「一体、どういうことですか」
この金髪の令息は、ドノヴァン侯爵家の次男のはずだ。名前はアイザック・ドノヴァン。彼と親交などないのに突然どういうことか。
「俺とエイデンと君とケイト嬢で勉強しない? 俺、ケイト嬢のこと好きなんだよね。だから簡単に言うと俺の恋路に協力してってこと」
ドノヴァン様は侯爵家の令息なのに、驚くほど明け透けだ。
まさか、エイデンも軽く見える男に頼まれたのだろうか。貴族相手なら断るのは難しいだろう。
「ドノヴァン様。私は学園に勉強しに来ているのです」
「もちろん分かっているさ」
「あなたの恋路を応援する時間はありません」
「うーん、でもさ、俺と仲良くしとくとお得だよ?」
「どのあたりがお得なのです?」
ドノヴァン侯爵家は婚約者の家と特に関係は悪くない。
仲良くして怒られることはないと思うが、もうおかしな噂は避けたい。
「君の結界魔法の研究に協力できるよ? ほら、エイデンも俺も攻撃魔法は得意だからさ。結界魔法の強度の訓練とかいつでもタダで付き合えるよ。君もケイト嬢も攻撃魔法苦手でしょ? それに君は他に友達がいなさそうだし頼める人あんまりいないでしょ」
最後の一言は余計だ。
確かに、私はケイト以外に友達と呼べる人はいない。
結界魔法の研究を進めるために、攻撃魔法が得意な人がいるのは正直助かる。これまでエイデンに協力してもらってはかどったのだ。あれがなくなるとなかなかに厳しい。
魔法の研究は必須ではないが、内容が良ければ成績に加算される。
しかし、研究という授業はなく各自でカリキュラムの合間などにやらなければいけない。協力してほしいならその相手が親しくなければ謝礼だって用意しないといけない。
正直、彼らの助力があれば私の研究ははかどる。
「俺、有望な生徒と仲良くなっときたいんだよ。次男は家継げないしさ、縁って大事じゃん。エイデンもこんなツンツンとんがってるからどうかなーと思って話しかけたんだけど、結構いい奴だったからさ。オルブライト嬢は俺に協力してるってことでどう? ほら、君のとこの特産品はうちの領地を通って出荷されるから嫌々従わされたって感じで周りに言ってくれてもいいし」
その建て前を持ち出すなら、もっと早い段階でも良かったはずだ。
私は一年生の時からエイデンと首位争いをしていた。二年生も半分過ぎかけている今、ドノヴァン様がこんなことを持ち出して近づいてくる理由は? ケイトに最近恋をしたということだろうか。
「……毎日は無理です。週に二回でどうでしょう」
「試験前は週三回にしてくれる? 俺、どうしても最高順位五位なんだよね~、五位の男って嫌じゃん?」
「分かりました、ケイトが許可をくれたら交渉成立で」
「わぁ、良かった良かった。あ、君の婚約者のことは知ってるよ。でも、四人で勉強するなら皆やってることだし大丈夫大丈夫。なんか言われたらさっきの建て前を出しといて。それにさぁ、有望な平民生徒の囲い込みなんて高位貴族は皆狙ってることなんだから、そんな委縮しなくていいと思うけどね。エイデンもドノヴァン侯爵家が後ろにいるって見せることで、ベッセル先生に湿っぽく言われないだろうし」
会話中に一言も喋らないエイデンを気にかけていたら、婚約者というワードが出て心が一気に冷えた。
私はいつまで婚約者に怯えて生きていかないといけないのか。
多分、一生だ。もしくは子供を三人産んだら解放されるのか。
それでも、有望な生徒を囲い込みたい貴族家は多いはず。私もその言い訳で、エイデンと二人きりではないので乗り切れるだろうか。
ふと視線を感じて顔を上げた。
エイデンが私の方を何か言いたげに見ていたが、結局彼は何も言わなかった。
ケイトが承諾したので、勉強会は図書館の自習室で定期的に開催している。
グダグダと雑談ばかりだったらどうしようと心配したが、ケイトもドノヴァン様も真面目に課題や勉強に取り組んで、しばらく時間が経ったらみんなで分からないことを質問し合うという健全な勉強会だった。
ドノヴァン様もチャラチャラしているのかと思ったら、学年五位の実力は本物である。
休憩の雑談の際に、ドノヴァン様はケイトとエイデンに将来の話を振った。
ケイトは実家の手伝いを続けると聞いている。それを聞いてドノヴァン様は残念がり、王宮魔法使いにならないのか等質問していた。
ふと前から視線を感じる。エイデンだ。
気のせいでなければ、彼から視線を感じる頻度が増えてきた。しかも、その視線にはなんだか温度がある。バカにした視線ではなく、少し熱を孕んだ視線だ。
「あんたは、どうするんだ?」
「結婚すると決められているから」
「結婚してる王宮魔法使いもいるって聞いたけど。あんた、研究好きそうだし王宮魔法使いにはならないのか?」
「私の場合はそうじゃないわ」
突き放すような言葉になってしまい、エイデンが息を呑む。
その表情を見て罪悪感が沸き上がってきた。これではただの八つ当たりだ。
学園の卒業までは待つが、必ず魔力の高い子供を三人産むように。仕事にかまけて達成されなかったら困るから、就職は認めない。子供を三人産んで、皆魔力が高ければ何かするのを認めてやってもいい。
そんな内容の取り決めだ。まぁ、要は私を逃がさずに支配するためだろう。
少し深呼吸して心を落ち着かせてから、エイデンに聞く。
「あなたはどうするの?」
「王宮魔法使いになる予定だ。そうしたら妹たちも貧しい暮らしから脱却できるからな」
「あなたならすぐなれそうね。特級とか」
「特級はいいよな。名前もカッコいいし」
案外、エイデンと私は環境が似ているのかもしれない。私だって、家族に困窮した暮らしなんてさせたくない。
やがて、試験が終わった。
ケイトとドノヴァン様は順位を上げ、私が一位でエイデンは二位だった。
五位の男を卒業して大いに喜んだドノヴァン様はお祝いをしようと、彼の実家が経営するレストランの個室を予約してくれた。エイデンは貴族パワーに驚いて及び腰だったが、おごりだとドノヴァン様に無理やり説得されていた。
金と白の装飾が眩い高級レストランに入ると、いつもの鋭さはどこへやら。生まれたての小鹿のようにエイデンはプルプルおろおろして挙動不審だ。
ケイトは裕福な商家出身で、食事会などによく招かれているため慣れており、ドノヴァン様のエスコートをさらりと受けている。
「あんた、なんでそんな平気そうな顔なんだ。ここ、いくらだよ」
「私もこんなお店は初めてだから緊張しているわ。とっても高いと思うけど聞くのは野暮よ」
「全然緊張してるように見えない」
「そりゃあ、貴族だから。びくびくしている貴族って見たことある?」
「……そっか」
美しい食事が運ばれてきて、エイデンはさらに挙動不審になった。カトラリーを前にまごついている。そして私に縋るような視線を向けてきた。
どうしよう、この人結構可愛い。
「外側からカトラリーは使っていって。私のを見て真似してくれてもいいから」
「わ、分かった」
エイデンは緊張のあまり、水を何度も飲んでいる。
「そのボウルの水は飲んじゃダメ。指を洗うものよ。飲み水はこっち」
「……そうなのか? こんな綺麗なボウルに入ってるのに」
「あ、ナフキンは膝に広げて使って」
「……なんか、悪い。俺だけマナーもなってないし汚いから帰った方が」
「王宮魔法使いになるなら、上司に高位貴族は多いはずよ。ドノヴァン様もそれを分かっていて連れて来て練習させているはずだから、好意に甘えたら?」
ドノヴァン様の方を見るが、彼はケイトと喋るので忙しいようだ。
私もこういうレストランは二人ほど慣れていないので、エイデンが困っているのを助けている方が気が楽でいい。
「あんたは綺麗な食べ方するよな」
異様に力を入れてナイフとフォークを持っているせいか、皿とカトラリーがこすれて音がする。エイデンは恥ずかしそうにしながらも、私たちを観察して食事を頑張って続けていた。
「幼少期から習っているから」
「あんたの家ってどこなんだ? 貴族のことはあんまり知らなくて」
「我が家には借金があるから、知らなくて問題ないわ。公爵家と侯爵家と裕福な伯爵家くらい覚えておいたら大丈夫」
「あんたの婚約者の家は? ドノヴァン侯爵家よりも上なのか?」
「えぇ、ゲナウ公爵家だから」
魚料理に四苦八苦しているエイデンにお手本を見せるようにゆっくり食事をする。ケイトとドノヴァン様は喋るのに忙しいから、食事ペースはちょうどいいくらいだろう。
それよりも、エイデンと婚約者の話をしたくなかった。美味しい食事を前にあんな人の話なんてしたくない。
「婚約者は学園の卒業生なのか? 年上?」
「そんなこと、あなたには関係ないでしょう」
まずいと思った時にはすでに冷えた声が出た後だった。
「あ、悪い。つい、貴族の婚約って平民と違うから気になったんだ」
唇を引き結んでエイデンを見ることできないでいると、彼は早口でそうまくしたててから魚をどう食べればいいのかを細かく聞いてきた。
彼に気を遣われている。そして、気を遣わせてしまった。
この楽しいはずの空間で、冷たい未来しかない婚約者の話をするのが嫌だっただけなのに。そして、エイデンに婚約者の話をしたくなどなかったのに。
そこから先は、胸が痛んで美味しいはずの食事の味はほとんどしなかった。
「相変わらずだな、ビアンカ」
魔法学園の出入りは案外厳重だ。
どんな高位貴族相手でも、決められた日程以外に生徒以外が学園に出入りするのを認めてない。
私はこの決められた日程が憂鬱だった。
この一週間は、生徒の親や兄弟・婚約者が申請すれば、魔法学園の中に入って生徒と面会できるようになっている。
以前、生徒の家族を装ったスパイが教師の研究内容を盗もうとした事件があったのでできた決まりらしい。
「お久しぶりです」
「相変わらず華やかさのかけらもないな」
「申し訳ございません」
「ナタリーを見習ったらどうだ」
「おっしゃる通りでございます」
婚約者が私に会いに来ることのできるこの日程が、私は一年で一番嫌いだ。私の心が一番冷たくなる日はおそらく今日だ。
面会が許される場所は、魔法学園の庭だ。
雨でも魔法で屋根が作り出される庭にはいくつものテーブルが並べられ、軽食やお茶が注文できるようになっている。
私の婚約者であるクラーク・ゲナウ公爵令息は、いつもと同じく女性を伴って現れた。繰り返すが、申請すれば面会はできる。この女性も申請をしていれば学園に入れるのだ。
ナタリーと呼ばれたその女性はおそらく娼婦だろう。婚約者にエスコートされて笑ってはいたが、目の奥には私に申し訳なさそうにする光が宿っていた。とても常識的な人である。
以前から、婚約者は私との面会の際に女性を伴って見せつけるようにしていた。むしろ私はそちらの方がありがたかった。彼と二人きりで会わなくて済むからだ。
「平民と随分仲良くしているらしいな」
婚約者がニヤニヤ笑いながらそう聞いてくるのを、張り付けた笑顔でかわす。大丈夫、まだ私は心を殺せる。この人の言うことに何も感じない。
「はい、どうにも他家が囲い込みそうでしたので。先に少しお話をして仲良くなっておければ将来のためになるかと」
生徒たちはほとんどが王宮魔法使いを目指すが、それは狭き門だ。王宮魔法使いになれなかった卒業生の中には、貴族のお抱えの魔法使いになって私設の研究所で研究をしたり、護衛をしたりする人たちもいる。優秀な卒業生はどこの家でも求められるのだ。
エイデンは扱いにくそうなのと、王宮魔法使いにおそらくなるだろうと思われているのでまだそこまで囲い込みをされていないのだ。あるいは、本人が意外と鈍いから気づいていないのか、知らないうちに断っているのか。ドノヴァン様がやっているのも囲い込みのようなものだ。
「まだゲナウ公爵家に嫁いでもいないくせに、公爵夫人気取りか。いやらしいな」
「申し訳ございません。出過ぎた真似をしました」
「ねぇ、お茶もいいけどケーキも食べてみたいわ」
婚約者の扱い方は、とにかく早い段階で謝ること。何を言っても難癖をつけられるのだ。私は常に下にいて、彼を上にして、ひたすら機嫌を損ねないようにすること。
ナタリーという女性が、空気を読まない振りをして婚約者にしなだれかかって話を逸らしてくれる。
「注文します」
私は空中に向かって手のひらを向ける。
ふわりと魔力でできた虹色に光るウサギが出現した。
「まぁ、ウサギ?」
「はい。伝言ウサギです。もちろん蝶でもリスでもできるのですが」
ウサギがたたっとカウンターのところまで走っていく。
ケーキの注文とテーブル番号を伝えに言ってくれたのだ。以前は魔法のパネルで注文できていたのだが、壊す面会者が続出したので生徒自身が魔法で注文しないといけない。
「凄いわね、魔法って」
「たかがウサギのどこが凄いんだ? それに、魔法が使えたってこいつの家は貧乏なんだ。あんなの何の役にも立たないだろ」
婚約者は公爵令息なのに著しく魔力が低かった。彼の祖父が反対を押し切って魔力の低い男爵令嬢と結婚したせいなのか、あるいは近親婚を繰り返してきた弊害なのかは分からない。
ほとんどの高位貴族が魔法学園に通う中で彼は魔力の低さがコンプレックスのようで、私に会うとひたすらこのように文句を言い募る。
でも、一理ある。
魔法が使えるからと、すぐお金持ちになれるわけじゃない。富は相変わらず元からあるところに集中している。
結界魔法が少し得意だからと、お金がすぐ溜まるわけじゃない。
「直近の試験は一位だったらしいな。まさか、色仕掛けが成功したのか?」
震えそうになる手を膝の上で握りしめる。
「予想通りの範囲が出ただけです」
「なんなら教師に色仕掛けでもしたらどうだ? 年寄りの教師なら、お前みたいな不細工でも若けりゃいいっていう奴がいるだろ」
「それは先生方に対して失礼です。優秀な先生方が私のようなつまらない女を相手にするわけありませんから」
婚約者にこんなことを言われ続けていると、恥ずかしいという気持ちはとうになくなった。他の生徒たちが家族と会っている中で、私は存在否定をされている。もう諦めた。この時間を乗り切れば終わりだ。そんな諦め。
「まぁ確かにそうだな。色仕掛けでもできるようになっていたら、俺もお前で少しは楽しめるのに」
「申し訳ございません」
彼の機嫌を損ねたら、貸した金を一括で返せとか酷いことを言われるのだ。この間の手紙の脅しのようなそれだ。
だから、私はひたすら耐えている。ナタリーは話を逸らそうと、空気の読めない女の振りをしていろいろと婚約者に話しかけてくれている。
不思議だ。初対面のおそらく娼婦である彼女から見ても、私は庇いたくなるほど不憫なのだろう。
「お前はうちの子供を産む道具なんだ。頭のいい魔力の高い子供をな」
「はい、分かっております」
「学園で一位を取ったからと調子に乗るなよ」
「はい、肝に銘じておきます」
従順に頭を下げていると、婚約者はナタリーを促して立ち上がる。
今日はこのくらいで終わったか。良かった。
婚約したての頃は、「なんでお前なんかが婚約者なんだ」と髪を引っ張られたり叩かれたりしていたから、学園に入って人目があるところで会えるからこれでも良くなった方だ。
そして、ナタリーはケーキを食べてくれたようだ。このギスギスした空気の中で味がしたかは不明である。
以前は見送りすると言ったらみっともないお前に見送られたくないと言われたが、今回はどうだろうか。
頭を上げていいと言われていないので座ったまま下げていると、頭に温い感触が落ちてきた。
その感触はポツポツと髪の毛を伝っていく。紅茶を頭からかけられたと分かったのは、少ししてからだった。
頭を上げると、首を伝って制服の中にも紅茶が入っていく。つうっと紅茶の雫が下着の中に入ってきて気持ち悪い。
あぁ、今日はここまでするのか。
「おい、誰が頭を上げて良いと言った?」
黙っていれば綺麗だと言われそうな婚約者の顔には、今日一番の面白がる表情が浮かんでいる。
「大変申し訳ありません」
私は再び頭を下げる。
油断していた。最近はずっと嫌味ばかりだったから、こんな風にされるなんてまったく思いもしなかったのだ。
悔しい? いや全然。ただ、むしろ、信じられない。
この人は同じ人間なんだろうか。
「俺の家に寄生しなければ生きていけない寄生虫ごときが。頭が高いんだよ」
「はい」
「ねぇ、クラーク様。私憧れていたことがあるの。舞台で見たのだけれど、貴族の施しを私もやってみてもいい?」
「あぁ、いいぞ。面白そうだ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ」
私の頭にふわっと何かがかかった感触がある。多分、これはハンカチだ。
「汚らしい顔をそれで拭いてしまいなさい」
「なんだ、ナタリーはわざわざいいハンカチを施してやったのか」
「だって、今の私はあなたの隣にいる貴族ですもの」
ナタリーのそんな声が頭上でする。
魔法で乾かせるし汚れも取れるから、こんなことをクラークに気を遣いながら演技でしなくていいのに。
そんなに私は可哀想だろうか。
これからの将来の方がもっと可哀想だから、紅茶をかけられるくらいどうってことないのだが。
「いくぞ、ナタリー」
「あら、もしかしてあの宝石店に寄ってくれるの? 嬉しい」
「はは、いいぞ。あの女はお前くらい素直だったらいいんだがな」
「ハンカチも買ってよね」
二人の足音が遠ざかるまで私は頭を下げていた。
これでも、最初の頃は婚約者に対して怒りはあった。
魔法学園に入るだけの魔力もないくせに偉そうにとか、私が勉強している間遊んでいるだけじゃないとか。高位貴族のくせに何あれ、あんな男の子供なんて産みたくない、とか。
でも、もうそんな感情もない。どうせ結婚は必須なのだ。
婚約者はあんなだから、私のようにお金で縛っていないと、他の魔力の高い令嬢は結婚相手として来てくれない。公爵家としては平民は嫌なようだ。
我が家には小さな弟がいる。
違約金が発生したら困るのは家族だ。私が逃げたら、ゲナウ公爵家は容赦なく家族に何らかの処罰を下すだろう。
家族全員で逃げても、きっと汚名は付いて回る。お金だけ借りて逃げたがめついオルブライト一家なんて汚名が。それに、領民だって新しい領主に重税を課せられるかもしれない。
汚れたテーブルクロスを魔法で綺麗しながら、私はただ疲れていた。
毎回、婚約者と会うとこの時間が早く終わってと思う。きっと結婚生活もそうなんだろう。
***
ちょうど庭を通りかかった時、見慣れた姿が見えた。
そうか、今日は面会で庭が解放されてるのか。
でも、ビアンカの雰囲気は異様だった。
向かいに座る男は、絵本に出てくる金髪王子みたいな男だ。非常に偉そうな態度なのは貴族らしいが、婚約者であるビアンカに会いに来たはずなのに彼は隣に商売女を侍らしている。
異様な様子にしばらく足を止めて見ていると、婚約者の金髪男はビアンカに紅茶をかけて笑いながら女と去って行った。むしろ女の方がビアンカを気遣っている。
「は? なんだよ、あれ……」
「エイデン、落ち着け」
「は? これが落ち着いてられるか! どこの誰が婚約者に笑いながら茶をぶっかけて帰るんだよ」
「帰るんだよ、ゲナウ公爵令息は。今行ったら余計に彼女の立場が悪くなるからやめろ。お前が行ったら『やっぱり平民に色仕掛けしてるのか』って平気で言う奴だぞ」
一緒にいたアイザック・ドノヴァンに制止されて、俺は渋々ビアンカの元に駆けだすのをやめる。いくら一位を取ってもここでも重要なのは身分だ。
魔法学園は平等と言っているようで、中は全然平等じゃない。成績はまだちゃんと機能しているが、差別なんて普通にはびこっている。
なんで、平民だからって好きな女を助けに行けないんだろう。
「なんで、あんな……貴族って意味分かんねぇ」
「言っておくが、俺も貴族だがあれは意味が分からん。劣等感が縦にも横にも三回転半してんじゃないか?」
視線の先では頭を下げ続けていたビアンカが頭をようやく上げた。彼女の綺麗なミルクティーのような色の髪から白い肌に紅茶の雫が滴っている。
それを見て居ても立っても居られず、また駆け寄ろうとしたのをアイザックが腕を掴んで本気で阻止してくる。
「行くな。お前が駆け寄って助けていたなんて噂になったら、またオルブライト嬢の立場が悪くなるぞ。お前とできてるとか言われる」
「散々一緒に勉強してる」
「それは四人だからだ。二人っきりなら周囲は好き勝手言うさ、実際言われただろ」
「でも、貴族連中は婚約者がいても他の異性と会ってる」
「面白ければいいんだよ。オルブライト嬢は成績優秀で目立つし、ゲナウ公爵令息の婚約者だしあの外見もあるしな」
「あの外見ってなんだよ」
「色気のある外見。平民風に言うとエロい外見」
「はぁ⁉ おま、そんな目で見てたのかよ」
「色気あるだろ。エイデンはああいうのがタイプなのかと思ってたが。ほら、唇の下にある泣き黒子とか、結構胸もあるし」
「お前、どこ見てんだよ」
「普通見るだろ、服の中じゃないんだから。まぁ、俺はケイト嬢みたいな可愛い系が好みなんだけどさぁ」
「誰もそんなこと聞いてねぇよ」
「エイデンに恋敵とか思われたくなくってさ」
眺めていると、ビアンカは魔法ですぐにテーブルや制服を綺麗にし始めた。
わずか数秒で元通りにすると、椅子を戻して立ち上がる。
先ほどあんなことがあったなんて微塵も感じさせない態度だ。
俺にはむしろ、その態度の方が胸が痛かった。
慣れ切った対応。これまで何度もあんなことをされている証拠だ。
「俺は今、行かない方がいいのか」
「そろそろいいけど、行ってどうすんの。抱きしめる? オルブライト嬢としても反応はしづらいだろ。大丈夫って絶対言いそうだし、そもそも相手は公爵家だ。どうせこの扱いが結婚しても続く。もっと酷くなるかもな」
彼女はもう、寮の方向に歩き始めていた。
側に行きたい。背筋を伸ばして歩いている彼女を後ろから抱きしめてしまいたい。
なんでそんな平気そうな顔してるんだよ。貴族だから? あんなことされたのに何で泣かないんだよ。何で、俺に何も話してくれない? 勉強だってあれだけ一緒にしてるのに。
「……このくらならいいだろ」
魔法でピンク色のウサギを作り出す。さっき彼女がウサギを作り出していたから、好きなのかと考えたのだ。
側の花瓶に入っていたバラを一本拝借してピンクウサギの口にくわえさせて、ビアンカの元へ走らせた。
「うわー、エイデンって見た目によらず気障だね」
「気障じゃないだろ。ただ、笑ってほしいだけだ」
「それを気障って言うんだよ」
ウサギがビアンカに追いついて、ビアンカの進路をふさぐようにぴょんぴょん跳ねる。
彼女は驚いて足を止めると、ウサギを抱き上げた。そしてバラを受け取って微笑んでいるのがウサギの目を通して魔法で見える。こちらからはビアンカの背中しか見えない。
でも、笑ってくれたなら良かった。
さっきの彼女は全てを諦めているように見えたから。
ビアンカ・オルブライトという女子生徒に成績で負けてから、彼女を意識し始めた。どんな人だろうかと思っていたら、よく図書館で一緒になる女子生徒だった。
綺麗な人だなと思っていたが、ベッセルの野郎に難癖つけられた時に助けてくれてからはもう女神になった。あんな風に助けられたら誰だって好きになる。図書館にいることも、レポートの剽窃なんてしてないこともはっきり言い切ってくれたんだから。
アプローチしたいが、相手は伯爵家の令嬢だ。平民の俺では絶対に無理。
でも、接点だけは持っておきたくて一緒に勉強してさらに好きになってしまった。
俺の方言をバカにしないところとか、いつもはクールなのに結界魔法について早口で怒涛のように喋るところとか。攻撃魔法を見せた時に、彼女は興味津々で近づいてきすぎて良い香りがした。
彼女には婚約者がいて一緒にもう勉強しないと言われたわけだけど。俺は貴族のことなんて何にも分かっていなかった。
そこに近づいてきたのが、このアイザック・ドノヴァンだ。
ケイト嬢が好きだとかなんとか言って、俺に四人で勉強しないかと持ち掛けてきた。「ついでにドノヴァン侯爵家に近づいとくとお得だよ」と言いながら。珍しい、貴族はもっと偉そうで上から目線なのに。こんなに軽い男がいるのか。
二人きりで勉強はダメだが、四人ならいいらしい。
アイザックの軽さを警戒していたが、勉強会での彼は真面目だった。ケイト嬢のことも本当に好きなようだった。
でも、これでは良くない。側にいたらビアンカをどんどん好きになるのに、彼女と自分は住む世界が違うと嫌でも毎日突きつけられる。食事の仕方一つとっても、喋り方一つとっても俺は全然ダメだ。
それに、彼女には婚約者がいる。
クズだが、爵位が高い金のある婚約者。
彼女の家が困窮し、ゲナウ公爵家が援助した際に結ばれた婚約らしい。だから卒業後すぐに彼女は結婚して公爵家に入る。そして、子供を三人は産まなければいけない。高位貴族の間では最近魔力の低下が顕著になっており、魔力の高い令嬢と早いうちから婚約して囲い込むのだそうだ。
ゲナウ公爵家の令息の魔力はかなり低く、それを嘆いた当主によってビアンカの婚約は決められたんだとか。貴族にはよくある話らしい。ケイト嬢のことが好きだとアプローチしているアイザックの方が少数派なんだそうだ。
ビアンカの背中が完全に遠ざかるまで俺は眺めていた。
「ねぇ、エイデン。オルブライト嬢のことそんなに好きなんだ? でも無理だよねぇ、何の力もお金もない平民と婚約者持ちの伯爵令嬢じゃあね。それに相手はゲナウ公爵家だ。さすがに俺でも公爵家はどうともできない」
隣でとうに分かっていることを囁いてくるアイザックを無視していると、彼は気にせず続けた。
「それでも俺、彼女を手に入れる方法を知ってるけど興味ないんだ? まぁ、ここからは完全にエイデン次第だけど」
俺がうっかり釣られてアイザックの方を見ると、彼はにんまり笑った。
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