表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: K.K.
第4章ーミリィの独立戦争ー
64/128

ー私は行動するのですー

地下に隠された帳簿室。


男が書類をめくる手を止めた。


机の上に置かれた魔導印章が、赤く点滅している。


「……何だ」


契約記録の一部が、突然揺らいでいた。


数行。


消えている。


男の顔が強張る。


「誰だ……触ったのは」


奥から部下が慌てて駆け込んでくる。


「上層から照会が入りました!」


「警察です!」


空気が凍る。


男は舌打ちした。


「早すぎる」


机を乱暴に叩く。


「記録を焼け」


「拠点を三つに分散しろ」


部下が震える声で答える。


「しかし……ミリイの契約情報がまだ――」


「間に合わないなら諦めろ」


男の目が冷たく光る。


「奪われる前に、こちらから動く」


影が慌ただしく動き始める。


帳簿室の灯りが次々と落とされていった。


――


大陸警察支部。


通信室。


魔力の幕がゆっくりと消える。


静寂。


マリーナはしばらくその場に立ち尽くしていた。


耳に残る言葉。


「銀髪の少年に」


「愛してると伝えてくれ」


小さく息を吐く。


「……余計なことを言ったかもな」


誰に向けた感情かは分かっている。


仕事と分かっていても、完全には切り離せない。


それでも――


迷いは一瞬だけ。


すぐに表情が戻る。


机に広がる資料を手に取る。


契約記録。


資金流動。


奴隷商の組織図。


赤い線を一本、引く。


「裏で繋がっている」


低く呟く。


椅子を引き、立ち上がる。


「逃げられると思わないことだな」


通信装置に視線を向ける。


次に動くのは――


通信が終わる。


魔力の幕が静かに消え、支部の通信室に静寂が戻った。


ベルは深く息を吐いた。


ミリイは隣で、まだ少し緊張した表情のまま立っている。


「……ここに長居する理由、もうないね」


ベルが小さく言うと、ミリイは頷いた。


「はい」


二人は支部を出る。


街の外へ。


そして――


馬車に乗り、別の都市へと移動した。




数時間後。


馬車が石造りの門をくぐる。


車輪の音が、ゆっくりと街のざわめきに溶けていく。


潮の匂い。


荷を下ろす商人の声。


布を広げる露店の気配。


ベルは窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。


「……ここなんだね」


隣に座るミリイが静かに頷く。


「はい」


「今回の拠点になる街です」


馬車が緩やかに速度を落とし、石畳の通りへ入る。


人の流れ。


色とりどりの商品。


行き交う視線。


ミリイは自然な動きで外の景色を見渡した。


その目はただの観察じゃない。


記憶を辿る目。


でも――


恐怖は滲んでいない。


「あそこが市場区です」


ミリイが指差す。


「生活用品や食料が集まっています」


ベルは横顔をじっと見つめた。


「詳しいね」


声は柔らかい。


からかいじゃなくて、本当に感心している響き。


ミリイの指が一瞬だけ止まる。


「……昔、外に出られた時間がありましたから」


静かな答え。


それ以上は続かない。


ベルはそれを深追いしない。


「そっか」


ただ、それだけ。


馬車が止まる。


御者が扉を開ける。


「到着です」


ベルはゆっくり地面に降りる。


石畳の冷たさ。


でも――


すぐに振り返って、ミリイに手を差し出す。


「大丈夫?」


強制じゃない。


確認。


ミリイは少し戸惑いながらも、その手を取る。


「……はい」


ベルは手を握り返す力をほんの少しだけ強くする。


安心させるみたいに。


二人は並んで立つ。


人の流れの中。


ベルは周囲を見渡してから、ミリイに視線を戻した。


「ねぇ」


「どこから行こうか?」


問いかけは命令じゃない。


一緒に決めよう、っていう声。


ミリイは少し考えて――


ゆっくりと通りの奥を指す。


「まずは……商人区です」


その声は少しだけ低くなる。


「契約や記録の調整は、あの辺りで行われます」


ベルはその横顔を見つめる。


記憶の重さを抱えているのが分かる。


でも、黙っている。


代わりに、ふわっと笑う。


「じゃあ案内、お願いしていい?」


優しいお願い。


ミリイは一瞬目を見開き――


小さく微笑んだ。


「……はい、ベル」


そして歩き出す。


ベルはその隣にぴったり並んで、ゆっくり足を揃えた。

く押し付ける言い方じゃない。


ただ、願うみたいに。


ミリイは一瞬だけ目を見開き――


やがて、小さく頷いた。


「……はい、ベルさん」


建物の影が長く伸びている。


人の声は少し落ち着き、代わりに商談をする低い話し声が増えた。


ミリイは歩きながら、無意識に視線を建物の入口へ向ける。


その一つ一つを、確かめるように。


ベルはそれに気づいていた。


「……ミリイ」


名前を呼ぶ。


優しい声。


ミリイは小さく振り向いた。


「はい」


ベルは少しだけ迷ってから、ゆっくり聞く。


「ここ……」


「怖い?」


ミリイの足が止まりかける。


でも、すぐに首を横に振った。


「怖く……ないです」


「ただ」


一拍置いて、視線を地面へ落とす。


「思い出すだけです」


静かな言葉。


ベルは隣に並び直し、そっと問いかける。


「何を?」


ミリイの指先がわずかに震える。


「……契約の確認をされた日」


「名前を書かされて」


「“商品番号”を渡された日」


言葉は淡々としている。


感情を押し殺すみたいに。


ベルの胸の奥が、きゅっと痛む。


でも同情で包み込まない。


ただ――


一緒に受け止める。


「そのとき」


「一人だった?」


ミリイは少し驚いた顔でベルを見る。


そして、ゆっくり頷いた。


「はい」


「護衛みたいな人が、横に立っていました」


「でも……誰も味方ではありませんでした」


その一言が、空気に沈む。


ベルはしばらく何も言わない。


やがて、小さく息を吸ってから言う。


「じゃあ」


「今は違うね」


ミリイの目が揺れる。


「……違いますか?」


ベルははっきり頷く。


「うん」


「私、ここにいるよ」


静かで。


でも絶対に離れない声。


ミリイの唇がわずかに震える。


「……ありがとうございます」


言葉はか細い。


でも、確かに重みがあった。


二人は再び歩き出す。


商人区の入口が、ゆっくりと近づいてくる。


ミリイは一瞬だけ足を止め――


小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……あの日とは、違う」


ベルだけが、その言葉を拾う。


何も言わず。


ただ、隣で静かに立ち続けた。


商人区の入口が目の前に迫る。


建物の影が重なり、通りの空気が一段と冷たくなる。


ミリイは無意識に足を止めた。


その横顔が、ほんの少しだけ強張っている。


ベルも歩みを止める。


「ミリイ?」


名前を呼ぶ。


ミリイはすぐには返事をしない。


視線を地面に落としたまま、指先をぎゅっと握る。


沈黙。


やがて――


か細い声が零れた。


「……本当は」


ベルは何も言わず、続きを待つ。


ミリイの肩が小さく震える。


「怖いです」


絞り出すみたいな声。


「ここに入ったら」


「また……あの頃の自分に戻る気がして」


言葉が止まる。


呼吸が浅い。


「名前を呼ばれて」


「書類を渡されて」


「“商品”みたいに見られる瞬間が……」


そこまで言って、唇を噛む。


ベルの胸が強く締まる。


でも、すぐに動かない。


まず――受け止める。


ベルは一歩だけ近づき、ミリイの視線を逃がさない距離に立つ。


「ミリイ」


優しい声。


「それ、もう終わったことだよ」


ミリイの瞳が揺れる。


「……でも」


ベルは小さく首を横に振る。


「でもじゃない」


そして、ゆっくり続ける。


「今のミリイは」


「私の隣に立ってる」


「誰かに渡される存在じゃない」


言葉は強いけど、包み込むみたいに柔らかい。


ミリイの目に、じわっと水が滲む。


「……ベルさん」


無意識に名前が漏れる。


ベルはふっと笑う。


「うん」


「怖いなら、私が一緒に怖がってあげる」


「逃げたくなったら、手、引っ張るから」


その言い方が少しだけおどけていて。


ミリイは思わず小さく笑った。


涙を含んだまま。


「……ずるいです」


ベルも笑う。


「そう?」


そして、静かに手を差し出す。


「行こ」


ミリイは一瞬迷って――


今度は自分からその手を握った。


強く。


確かめるみたいに。


二人は商人区へ、一歩踏み出した。


商人区を抜け、広い広場へ出る。


噴水の水音が静かに響いている。


人の往来。


契約書を抱えた商人。


身分証を確認する列。


ミリイはその景色をじっと見つめた。


視線の奥に、微かな緊張。


ベルは隣に立ちながら、広場を一度見渡す。


そして――


ゆっくりミリイへ視線を戻した。


「ミリイ」


名前を呼ぶ。


ミリイが小さく振り向く。


「はい」


ベルは少しだけ言葉を選んでから、柔らかく続けた。


「もし……」


「思い出したくないなら、答えなくていいんだけど」


ミリイの表情がわずかに変わる。


ベルは急がない。


視線を合わせたまま、静かに言う。


「ミリイって」


「貴族だった頃、どんな家だったの?」


一拍。


「今ここで無理して話さなくてもいいよ」


「ただ……知りたいだけ」


好奇心じゃない。


詮索でもない。


隣に立つ人を、ちゃんと理解したいっていう声。


ミリイはすぐには答えない。


広場の水音がやけに大きく聞こえる。


やがて――


小さく息を吸って。


ミリイは視線を噴水へ向けたまま口を開いた。


「……小さな家でした」


静かな語り出し。


「名家ではありません」


「でも、古くから続いていた家系で……」


指先が、無意識に袖を握る。


「礼儀と誇りだけは、厳しく教えられました」


ベルは黙って聞く。


途中で遮らない。


ミリイの声が少しだけ震える。


「……でも」


「家は、守れませんでした」


その一言。


重いけれど、逃げていない。


ベルはそっと一歩だけ近づく。


「守れなかったんじゃないよ」


優しいけれど、はっきり。


「奪われただけ」


ミリイの目が揺れる。


ベルは微笑む。


「だからさ」


「ミリイが悪いわけじゃない」


静かな断言。


ミリイの唇が震える。


そして――


小さく、かすれる声で。


「……ありがとうございます」


その言葉には、少しだけ。


ほんの少しだけ。


肩の重みが減っていた。



ベルが静かに待つと、ミリイは少しだけ視線を落とした。


やがて、ゆっくりと言葉がこぼれる。


「……家族は」


小さな息。


「父と母がいました」


広場の水音が、背景みたいに流れている。


「父は口数が少ない人でしたが……私のことをよく見てくれていました」


「勉強の時間も、剣の稽古も」


淡々と。


でも記憶をなぞる声。


「母は優しくて……いつも私の手を握ってくれました」


一瞬、指先がわずかに震える。


「怖いことがあれば、すぐ抱きしめてくれて」


ミリイはそこで言葉を区切る。


ベルは何も挟まない。


ただ、静かに聞く。


ミリイは続ける。


「それから……執事の人が一人」


「とても厳しかったです」


「礼儀作法や、家の歴史を何度も教えられました」


少しだけ、口元がかすかに緩む。


「でも……守ろうとしてくれていました」


「最後に」


ミリイは少しだけ表情を緩める。


「少し年上のメイドさんが一人いました」


その声が、ほんの少し柔らかくなる。


「よく一緒に……」


一瞬、懐かしむように視線が遠くなる。


「いたずらしたり」


「お屋敷をこっそり抜け出して街に遊びに行ったり」


小さく笑いが混じる。


「二人で一緒に、お説教されました」


言葉の最後で、ふっと息が漏れる。


その記憶は――怒られた出来事なのに。


なぜか温かい。


ベルは黙って聞いていた。


そして静かに言う。


「いいね」


ミリイが少し驚いた顔をする。


ベルは微笑む。


「怒られるくらい、本気で遊んでたってことでしょ?」


ミリイの瞳が揺れる。


「……はい」


その“はい”は、少しだけ誇らしさを含んでいた。


ミリイは家族の話を終えたあと、少しだけ沈黙した。


ベルは急かさない。


ただ隣で待つ。


やがてミリイが、ゆっくりと口を開く。


「……父と母は」


一度、息を吸う。


「没落のあと、領地を手放しました」


淡々とした事実。


「その後は……別々に生活していると聞きました」


「今も、どこかで生きているはずです」


その言葉の奥には――


会えていない時間の長さが滲んでいる。


ベルは静かに問いかける。


「会えてないの?」


ミリイは小さく頷いた。


「はい」


視線を地面へ落とす。


「……私が奴隷として扱われてから」


「連絡する手段も、手紙を出す方法も」


「全部、ありませんでした」


淡々とした事実。


感情を乗せすぎない言い方。


「届けたいと思っても」


「場所も、相手の居場所も分からなくて」


声がわずかに細くなる。


「……届きませんでした」


それは“会いたくなかった”ではなく――


“届かない状況に閉じ込められていた”という現実。


ベルは静かに息を吸う。


「そっか」


短い言葉。


でも理解している響き。


ミリイは小さく続ける。


「だから」


「会えないのは……私の意思ではありません」


その一言は、過去の自分を否定しないための確認だった。


ベルは少しだけ微笑む。


「うん」


「分かってるよ」


その声は優しく、断定していた。


ミリイが静かに立ち尽くしている。


その横顔には、まだ消えきらない不安と――小さな願いが混ざっていた。


ベルは少しだけ考えてから、口を開く。


「ねぇ、ミリイ」


名前を呼ぶ。


ミリイが顔を上げる。


「はい」


ベルは柔らかく続けた。


「さっきの話」


「ミリイの家族のことなんだけど」


一拍置く。


「今、マリーナさんが調べてくれてる」


ミリイの瞳がわずかに揺れる。


「……調べる?」


ベルはうなずく。


「うん」


「お父さんとお母さん、それから執事さんやメイドさん」


「どこにいるか、今どうしてるか」


「一週間くらいあれば、何か分かるかもしれないって」


“かもしれない”


断定しない。


でも希望は消さない。


ミリイの呼吸が一瞬止まる。


「……本当、ですか」


声が震えている。


ベルは静かに笑う。


「うん」


「まだ確実じゃないけど」


「でも、何も分からないままより――ちゃんと探してくれてる人がいる」


ミリイの目に、ゆっくりと光が戻る。


「……私のために?」


ベルは首を少し傾ける。


「違うよ」


「私がやりたいから」


その言葉は軽く聞こえるけど。


本気だった。


ミリイの唇が震える。


そして――


「……ありがとうございます」


深く。


心から。


ベルはふっと微笑んだ。


「まだ終わってないよ」


「もしかしたら、会えるかもしれない」


「だから――少しだけ、待とう?」


その声は優しく。


未来を置いていくみたいだった。


ミリイは静かに頷く。


「……はい、ベルさん」」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ