英雄戦のあとー
タブラスカの身体が、ゆっくりと前のめりに傾く。
だが――
完全には倒れない。
両膝が、再び地を捉える。
そのまま、静止した。
まるで時間そのものが、そこで止まったかのように。
空気だけが、重く沈む。
やがて――
タブラスカの全身を覆っていた紋様から、光が失われていく。
赤い輝きが、ひとつ、またひとつと消えていく。
そして――
魔王核。
そのすべてが、沈黙した。
完全に。
ベルは、その姿を見下ろしていた。
肩で、大きく息をする。
呼吸が荒い。
それでも、視線は外さない。
倒れることなく、そこに立ち続ける。
やがて――
異形と化していた右腕が、ゆっくりと元の形へと戻っていく。
膨張が収まり、黒い光も消えていく。
元の腕に戻るその瞬間まで、ベルはタブラスカを見下ろし続けていた。
そして――
静かに、言葉を落とす。
「やっと……止まりやがった……」
戦場に、静寂が訪れる。
残るのは、戦いの余韻だけだった。
ベルはゆっくりと呼吸を整えながら、タブラスカへと歩み寄る。
一歩ごとに、身体の疲労が重くのしかかる。
それでも足を止めない。
そのまま、タブラスカの胸にそっと手を当てた。
掌越しに伝わる、かすかな鼓動。
……まだ、生きている。
その事実に、ベルの肩から力が抜ける。
安堵。
ほんのわずかに、表情が緩む。
そして――
その場に、どさりと座り込んだ。
あぐらをかいて、空を仰ぐ。
「いやー……さすがに強かったぜ」
荒い呼吸の合間に、笑うように言葉をこぼす。
「死ぬかと思った……」
そう言って、ゆっくりと両手を前に持ち上げる。
指を開く。
視線を落とす。
そこにあるのは――
9個の指輪。
9つの、異なる意匠。
ベルはそれを、じっと見つめる。
戦いの中で何度も力を引き出したはずの指輪。
だが今、その数を――
どこか遠いもののように見ている。
残り一つ。
空いているはずの、その意味に気付くこともなく。
ただ、静かに指輪たちを見つめ続けていた。
ベルがようやく呼吸を整えた、そのときだった。
背後から、声がかかる。
「ベルさん……やったんですね」
ミリィだった。
振り返ると、遠巻きに見守っていた4人が、すぐそこまで来ていた。
その中で――
ミリィの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れている。
止めようとしても、止まらない。
その姿に、ベルは軽く笑った。
「……おぉ、やったぜ」
その一言と、その笑顔。
それだけで、ミリィの表情が崩れる。
安心したように、ゆっくりと歩み寄る。
涙はさらに大粒になっていく。
「ベルさん……私……私、ベルさんが死んじゃったと……」
声が震える。
それでも言葉を紡ぐ。
「よかった……」
両手を広げる。
そのまま、ベルへと駆け出そうとした――
その瞬間。
白い影と黒い影が、ベルに飛びつく。
左右から同時に。
「やったな!ベル!」
アダラが勢いよく抱きつく。
「超かっこよかったぜ!」
「ステキ〜かっこいい〜もう抱いて〜」
ビビも負けじと抱きつく。
両側からしがみつかれ、ベルの体が揺れる。
「お、おまてら、いてっ、いてぇって……」
身動きが取れないまま、苦笑するベル。
その光景を前に――
ミリィは、両手を広げたまま固まっていた。
「…………」
目を見開き、涙を浮かべたまま、ぽかんとした表情。
さっきまでの感動と安堵が、一瞬で置き去りにされる。
その場の空気だけが、妙にゆるく歪んでいく。
静かな戦場に――
少しだけ、温かい空気が流れた。
張り詰めた沈黙の中、足音が近づく。
ゆっくりと、しかし迷いのない歩み。
現れたハーミットは、ベルたちの前で足を止めた。
タブラスカの前に座る一行を見下ろし、淡々と告げる。
「そこ、どいてくれるらしら」
その手には――
確かな重みを持つ拳銃。
空気が一瞬で変わる。
ベルの視線が鋭くなる。
「あんた……何するつもりだ」
問いは短く、警戒は明確。
だがハーミットは揺らがない。
視線を逸らさず、静かに言葉を返す。
「聞かないで」
一拍。
そして、続ける。
「見なかったことにしてくれると、ありがたいわね」
その言葉と同時に、
銃が持ち上がる。
迷いなく、一直線に。
銃口はタブラスカの頭へと定まる。
空気が凍りつく。
ベルは一歩も引かない。
ただ、相手を見据えたまま、低く言い放つ。
「そういうわけにはいかねぇ」
戦場の静寂が、さらに深く沈む。
ベルは、即座に一歩も引かず言い放つ。
「そういうわけにはいかねぇ」
その言葉に、ハーミットの指がわずかに強張る。
だが、彼女は銃を構えたまま、静かに返す。
「止めないで」
「今日ここで終わらせるから」
その声には、迷いがない。
まるで、ここに至るまでのすべてを背負っているかのように。
「少しだけ黙って見ていてくれないかしら」
ベルは即座に応じる。
「俺は止めるぞ」
「おまえが引き金を引くより早く、俺なら止められる」
二人の視線が交差する。
一歩も譲らない意思と、決意のぶつかり合い。
しばらくの沈黙のあと――
ハーミットは銃を構えたまま、ゆっくりと目を閉じた。
深く、静かな呼吸。
やがて目を開き――
大きく息を吐く。
「……わかったわよ」
その一言とともに、
銃の構えが解かれる。
そして――
ハーミットはその銃を、躊躇なく地面へと投げ捨てた。
重い金属音が、静まり返った戦場に響き渡る。
ハーミットは銃を投げ捨てると、迷いなく一歩踏み出した。
そのまま、タブラスカの前へと歩み寄る。
ベルが低く問いかける。
「……何すんだ?」
ハーミットは振り返らず、短く答える。
「殺さないから、黙ってて」
一拍置いて、続ける。
「できれば見ないで。できないなら、今から見ることは忘れて」
その声には、強い決意と、どこか優しさが混じっていた。
そして――
ハーミットは右手をゆっくりと振り上げる。
空気が張り詰める中、その手が振り抜かれた。
ーピシャリ
乾いた音が響く。
タブラスカの頬に、確かな衝撃が走る。
だが、それはただの暴力ではない。
その一撃には、言葉では届かない何かが込められていた。
静まり返る場。
ベルも、ミリィも、誰も言葉を発しない。
ただ、その音だけが、戦場に残っていた。
ハーミットは一度だけで止まらなかった。
右手を振り上げる。
そして――
ーピシャリ
もう一度、同じ場所へ。
タブラスカの頬がわずかに揺れる。
それでも、ハーミットの手は止まらない。
再び振り上げ、振り下ろす。
ーピシャリ
乾いた音が、静かな戦場に何度も響く。
一定のリズムでもなく、感情的な乱れでもない。
ただ、確かな“何か”を刻むように、繰り返されていく。
そのたびに、ハーミットの口元がわずかに動く。
低く、途切れ途切れに――
呟き続ける。
ーピシャリ
「…なんなの…一体、なんなのよ…」
ーピシャリ
「私にあんなことして..」
ーピシャリ
「ほんと、いいざまね…」
ーピシャリ
「このまま…死ねばよかったのに..」
ーピシャリ
「くそぅ…ちくしょう…」
その声には途中から震えていた。
言葉ははっきりとは聞き取れない。
けれど、その一言一言に、重みだけは確かにあった。
ベルは止めない。
止められないのではなく、止めるべきかを測りかねている。
ただ、その光景を見ている。
ミリィもまた、目を逸らさずに見つめていた。
ハーミットの震える声と、頬を打つ音だけが、しばらく続いていた。




