ー森の朝、負けて逃げた後に残るのはー
翌朝 ― 西方外縁林 入り口
朝日。
鳥の声。
昨夜の殺気は消えている。
だが――
地面には。
焦げ跡。
巨大な抉れ。
凍りついた土。
折れた木。
戦場だった痕跡だけが、静かに残っている。
その中心。
ベルは、横たわっていた。
まぶたが震える。
「……ん……」
ゆっくり起き上がる。
そして――
視界に飛び込んできた赤。
「……え?」
身体。
服。
真っ赤。
乾いた血がべったりと染みついている。
布は裂け。
袖は破れ。
肩はほぼ露出。
「え、え、ええええ!?!?」
一気に飛び起きる。
その瞬間、
布がずるっと滑りかける。
「ちょ、待って!!」
両腕で胸元を全力で押さえる。
顔が真っ赤。
耳まで赤い。
「なにこれ!?!?!?」
慌てて自分の身体を確認する。
指で肌を触る。
痛み――なし。
傷――なし。
「……怪我、してない……?」
ほっと息を吐く。
だが。
服は血まみれ。
鉄の匂い。
べったりと付着した赤。
手で触れる。
ぬるり。
「これ……」
喉が鳴る。
「アイツの……血?」
昨夜。
断片的な記憶。
炎。
氷壁。
茨。
無数の刃。
巨大な影との衝突。
しかし――
途中が抜け落ちている。
「ギルドの依頼で森に来て……」
「それから……」
「何があったらこんな状況になるのよぉ……」
困惑。
そして少しの恐怖。
もし自分が――
もし自分の中で何かが暴走していたら?
考えかけて、
首をぶんぶん振る。
「やめやめ!!怖いこと考えない!!」
でも身体は自然と小さく縮こまる。
周囲を確認。
誰もいない。
――よし。
そう思った瞬間。
風が吹く。
裂けた服がふわっと揺れる。
「ひゃっ!?」
慌ててさらに身体を抱きしめる。
ほとんど見えそうな胸元を
必死に隠しながら、
草の上にしゃがみ込む。
「……見られてないよね……?」
小声でつぶやく。
でも。
足元。
巨大な足跡。
引きずられた痕。
そして――
深く抉れた地面。
ベルはそれを見つめ、
さっきまでの“可愛い慌て”が
一瞬だけ消える。
静かに呟く。
「……終わってない」
でもすぐにまた、
顔を赤くして両腕で隠す。
「と、とりあえず服……どうにかしなきゃぁ……」
ベルが草の影で
両腕を必死に胸元へ押し当てていると――
「――現場確認!」
遠くから声。
鎧の擦れる音。
足音。
複数。
ベルの肩がビクッと跳ねる。
「……え?」
草むらの向こう。
数人の人影。
ギルドの紋章入り外套。
調査隊だ。
魔導具を構えながら、森へ踏み込んでくる。
「巨大な魔力反応を確認!」
「戦闘痕跡あり!」
「高エネルギー暴走の可能性!」
ベルの顔が一気に青ざめる。
「うそでしょ……」
今の姿。
全身血まみれ。
服はボロボロ。
ほぼ半裸。
隠れている場所は――
倒木の影。
だが。
角度が悪い。
見つかる可能性大。
「やばいやばいやばい……!」
声を押し殺してしゃがみ込む。
さらに身体を丸める。
両腕でぎゅっと隠す。
「見つかったら絶対説明地獄……!」
調査隊の一人が魔導具を掲げる。
光がゆっくりと広がる。
地面の残留魔力を読み取っている。
そして――
魔導士が眉をひそめる。
「……この血痕」
しゃがみ込む。
「異形種のものだ」
周囲がざわつく。
「討伐されたのか?」
「いや……撃退?」
ベルの心臓が跳ねる。
(やばい……!)
もしここで
“本人”がいると気づかれたら――
説明。
記録。
検査。
最悪、拘束。
ベルはさらに身体を小さくする。
「お願い……気づかないで……!」
その瞬間。
調査隊の一人が――
ゆっくりとベルが隠れている方向を見た。
「……あそこ」
足音が近づく。
草が揺れる。
ベルの呼吸が止まる。
「……誰かいる?」
心臓がドクンと鳴る。
影が――
すぐそこまで来る。
ベルは目をぎゅっと閉じる。
「終わったぁぁぁ……」
次の瞬間。
別の隊員が声を上げる。
「待て!魔力残滓の反応が強すぎる!」
「迂闊に近づくな!」
足音が止まる。
距離が少し離れる。
ベルは薄目で様子を見る。
助かった……?
だが――
魔導具の光が
草の隙間を通って
ベルのボロボロの服を照らす。
「……?」
隊員の視線が止まる。
「あれ……?」
ベルと目が合いそうになる。
空気が凍る。
翌朝 ― 西方外縁林 入り口
調査隊の魔導具の光が、
草むらの奥を照らす。
隊員の一人が目を細める。
「あれ……?」
視線が――
ベルに固定される。
「……誰かいる」
足音が、ゆっくり近づく。
ベルの心臓が
ドクン。
(やばいやばいやばい……!)
一瞬で思考が回転する。
――バレる。
――終わる。
――説明地獄。
その刹那。
身体が勝手に動く。
「……っ」
力を抜く。
その場に――
ぱたん。
倒れた。
地面に横たわる。
両腕はさりげなく胸元へ。
顔は横向き。
目を閉じる。
呼吸を浅く。
「……」
完全に“気絶している人”のポーズ。
⸻
足音が近づく。
魔導士がしゃがみ込む。
「……女性?」
魔力感知をさらに近距離で行う。
光がベルの身体を照らす。
全身血まみれ。
服ボロボロ。
だが――
傷はない。
魔導士が眉をひそめる。
「外傷なし……だが強烈な魔力残滓」
「この場所で戦闘に巻き込まれた可能性大」
別の隊員が呟く。
「生存者か?」
ベルの心臓が爆速。
(頼む……!喋らないで……!)
魔導士がそっとベルの首筋に手を当てる。
「脈あり」
「意識不明だな」
ベルの内心。
(よし!!!)
隊員たちが顔を見合わせる。
「保護対象として回収だ」
「救護班呼べ」
「まずは安全圏へ」
ベルの身体が――
持ち上げられる。
「……っ」
思わず力が入りそうになる。
でも必死で脱力。
(運ばれる運ばれる……!)
隊員の一人が呟く。
「この血……異形種のものだ」
「この子……一体何を見たんだ?」
ベルの耳がピクリと動く。
(いやそれ……)
(あいつが戦ったやつなんですけど……)
だが――
今は黙る。
静かに。
完全に“被害者”モード。
担架の上で、
ほとんど見えそうな胸元を
両腕でさらに押さえながら、
ベルは心の中で叫ぶ。
(早くこの場から離れてぇぇぇ!!)
調査隊はベルを囲み、
森の外へゆっくり移動し始める。
戦場だった場所が、
静かに遠ざかる。
だが――
森の奥。
何かが。
ゆっくりと。
再び――
動いた。
街 ― 馴染みの宿
ベッドの上。
ベルはぐったりと座り込んでいる。
「……はぁぁぁ……」
深いため息。
「ひっどい目にあった……」
怪我はない。
でも身体は重い。
その背後で――
ミリイが正座し、小さな櫛を握っている。
ベルのボサボサの髪をそっとまとめ、
丁寧にとかし始める。
「……じっとしててくださいね」
小さな声。
「絡まってます」
「うん……お願い」
櫛がゆっくり通る。
静かな時間。
ミリイは少しだけ迷いながら、
ぽつりと聞く。
「……あの」
「昨日……森で……」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「大変なこと……あったんですよね?」
ベルの手が一瞬止まる。
「うん……まぁ」
曖昧に笑う。
「調査隊が来て、気づいたら倒れてた」
ミリイは後ろからじっと見つめる。
「……血、すごかったです」
「服、真っ赤でした」
ベルは肩を少しすくめる。
「それね」
「多分……アイツの血」
ミリイは首をかしげる。
「……戦った、んですか?」
ベルは少し考える。
そして――
「たぶん」
「でもさ、わたしも正直よく覚えてなくて」
ミリイの手が少し止まる。
「……」
小さな声で続ける。
「もしかして……」
「すごく強い相手だった、とか?」
“推測”。
断定じゃない。
ベルは目を閉じたまま答える。
「うん」
「たぶん強かった」
「一人じゃきついレベル」
ミリイはさらに慎重に言う。
「……じゃあ」
「守るために……」
言い切らずに止まる。
ベルが少しだけ振り返る。
「うん?」
ミリイは慌てて首を振る。
「い、いえ……!」
「勝手な想像、ですけど……」
「誰かを守ろうとして……」
「無理、したのかなって」
ベルはその言葉を聞いて、
少しだけ黙る。
そして――
ふっと笑う。
「……かもね」
その一言は、
肯定でも否定でもない。
ミリイは安心したように、
また丁寧に髪をとかす。
「でも」
小さく付け足す。
「ちゃんと……帰ってきてくれました」
静かな部屋。
戦いの真相はまだ語られない。
ただ――
“何かあった”という曖昧な影だけが、
二人の間に残っている。
街 ― 馴染みの宿
ミリイが丁寧に髪をとかしている。
櫛がゆっくり通る音。
静かな時間。
ベルは少しだけ表情を変える。
「……ちょっと」
「状況、ちゃんと知りたいんだよね」
ミリイが手を止める。
「え?」
ベルはゆっくり両手を開く。
そこに――
10本の指輪。
それぞれ意匠が違う。
古びたもの。
鋭い輝きを持つもの。
ひび割れているもの。
静かに光るもの。
その一つ一つに――
“誰か”が封じられている。
右手の親指。
黒く鈍い光を放つ指輪。
ベルはそれをそっと指で撫でる。
そして――
自分の影を見下ろす。
「ねぇ」
「ミカゲ」
静かに呼びかける。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど?」
返事はない。
影は、ただ床に広がっているだけ。
ベルは少しだけ声を柔らかくする。
「今回だけでいいからさ」
「お願い。聞こえてるでしょ?」
「ちょっとだけ……反応してくれない?」
――沈黙。
影は動かない。
揺れもしない。
ミリイがその光景を見て、
目を丸くする。
「……?」
「ベルさん……?」
小さく、遠慮がちに口を開く。
「今……影に……話しかけてました?」
ベルは振り返らずに答える。
「うん」
「いつもあの中にいるやつ」
ミリイは一瞬固まる。
そして――
少し引いた顔になる。
「え……」
「影……ですか?」
ベルは苦笑い。
「名前はミカゲ」
「でも、基本出てこない」
ミリイは影をじっと見る。
普通の影。
動かない。
何も返さない。
「……」
小声で呟く。
「こわ……」
ベルは軽く肩をすくめる。
「だよね」
「でもさ」
「彼女、今回のことわかる筈なのよ。だってずっとそこから、見てるんだから」
再び影へ視線を落とす。
「ねぇ」
「聞こえてるなら、ちょっとでいい」
「敵、何だった?」
沈黙。
一秒。
二秒。
三秒。
――影は。
やはり。
動かない。
ミリイは後ろで、
少し距離を取る。
「……やっぱり」
「気のせい、じゃ……?」
その瞬間。
ベルの影が――
ほんの一瞬だけ。
ぴくり、と震えた。
ミリイが息を呑む。
「……っ!」
だが。
それ以上は動かない。
ベルは目を細める。
「……今の」
「反応?」
静寂。
答えはまだ、与えられない。
影は沈黙を守る。
だが確かに――
“何か”はそこにいる。
街 ― 馴染みの宿
影は沈黙。
ミカゲの反応は、やはりない。
ベルは小さく肩を落とす。
「……やっぱ」
「私には無理、だよね」
諦めたように笑って、
ゆっくり立ち上がる。
背伸び。
両腕を上へぐーっと伸ばす。
「んー……!」
身体を軽くほぐして――
表情を切り替える。
ぱちん、と頬を軽く叩く。
「よし!」
「何もしなきゃ何もわからないなら」
「できることからやんなきゃだよね!」
一気に顔を上げる。
にっこり笑顔。
右手を元気よく振り上げる。
その勢いで宣言。
「まずは、ギルドに聞きに行こう!」
ミリイが目をぱちくりさせる。
「え……?」
ベルは振り返らずに続ける。
「調査隊もいたし」
「森の記録、絶対あるでしょ」
「そこから何が起きたか探る!」
玄関へ向かいかけて――
立ち止まる。
振り返る。
「ミリイはここで待ってて!」
「私、ちょっと行ってくる!」
明るい声。
でも――
ミリイの表情は少し曇る。
「……」
「一人で、ですか?」
ベルは軽く笑う。
「うん」
「大丈夫大丈夫」
「ちょっと聞くだけだから」
ミリイは立ち上がる。
小さな足音。
ベルの袖を、そっと掴む。
「……」
「危ない、かもしれません」
静かな声。
心配が滲んでいる。
ベルは一瞬きょとんとして――
ふっと優しく笑う。
「心配してくれてありがと」
「でもさ」
「今の私は“血まみれで倒れてた人”だから」
「警戒はされても、いきなり拘束はされない……はず」
少し冗談めかして言う。
ミリイは納得していない顔。
でも――
ゆっくり手を離す。
「……早く、帰ってきてください」
ベルは玄関で靴を履きながら、
軽く手を振る。
「すぐ戻る」
ドアを開ける。
外の光が差し込む。
一歩踏み出す。
その背中は――
少しだけ強がっていて、
でもちゃんと前を向いている。
街中 ― ギルドへ向かう通り
ベルは一人で歩いている。
服はまだ少し裂けたまま。
でも上から軽く羽織りを着て――
なんとか誤魔化している。
「……よし」
「ギルド……ギルド……」
独り言。
そのとき。
前方から――
聞き慣れた、やたら大きい声。
「――あら?」
真紅。
真っ赤な鎧。
真っ赤な髪。
真っ赤な存在感。
アンジュ。
その後ろに、
リックとバロム。
三人組。
ベルを見つけた瞬間――
アンジュの目がぱっと輝く。
「まぁ!あの時の!」
ベルを指差す。
テンション一気に上昇。
「レストランで恋バナをした……!」
「わたくしの“女友達”ですわね!」
ベルは一瞬固まる。
「……え?」
アンジュは駆け寄る。
両手を広げて――
いきなり距離を詰める。
「お久しぶりですわ!」
「元気してましたの!?あの日以来、心配してましたのよ!」
ぐいぐい来る。
完全に“再会した親友モード”。
ベルは目をぱちぱち。
「ちょ、ちょっと……」
「えっと……?」
アンジュは気にせず続ける。
「前回は突然リック達が乱入してしまって……」
「ガールズトークが途中でしたわね!」
後ろでリックが小さくため息。
バロムは無言で見守る。
アンジュはベルの手を両手で握る。
「今日こそ続きを!」
「恋の進捗!」
「理想の王子様像!」
「きゃー!」
完全に暴走。
ベルは顔を真っ赤にする。
「ちょ、待って待って!」
「ここ街中!」
「声大きい!!」
アンジュはきょとん。
「まぁ?」
「問題ありませんわ!正義は堂々と語るもの!」
リックが横から静かに言う。
「リーダー、少し抑えてください」
バロムも腕を組みながら一言。
「通行人が見ている」
確かに――
周囲の視線が集まっている。
真紅の女騎士が
謎のボロボロ少女をハイテンションで抱きしめている構図。
ベルは必死に腕を引き抜こうとする。
「いやほんと離して!」
「わたし今ちょっと急いでて……!」
アンジュはむしろさらに距離を詰める。
「急ぎですの?」
「ならなおさら!元気を補給してから行きなさいな!」
ぎゅー。
友達少ないから。
久しぶりの“友達”に全力。
リックとバロムは
若干あきれ顔。
でも止めない。
街中 ― 三馬鹿と遭遇
アンジュはまだベルの両手を握ったまま。
そして――
急に真剣な顔になる。
目が細くなる。
「そ・れ・に・し・て・も」
ゆっくり。
上から下まで、
値踏みするように視線が動く。
「あなた……」
「相変わらずですわね」
ベルの髪を見て。
肩を見て。
服の裂け目を見て。
「女の子なのに……そんな格好」
指先で軽く布をつまむ。
「髪はボサボサ」
「お化粧もしてないでしょう?」
少し間。
視線が――
血で汚れた痕跡の残る服へ落ちる。
アンジュの表情が一気に曇る。
「それに……」
「そのボロボロの服……」
両手を口元へ当てる。
「……まさか」
悲劇を想像する顔。
「不倫の次は……」
「DVカレシというやつですの?」
ベル。
一瞬思考停止。
「は?」
アンジュは勝手に結論を進める。
「本当に……」
「もっと付き合う相手はよく考えた方がいいですわよ?」
「相手の素性!」
「経済力!」
「精神の安定度!」
「全部大事ですわ!」
ぐっと前のめりになる。
そして――
優しく、しかし強く言う。
「今度からは」
「気になる相手ができたら」
「わたくしに相談なさい」
胸を張る。
「だってわたくし達」
「“親友”なんですもの」
その言葉。
悪意なし。
完全に善意。
でも――
ベルは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ちがうから!!」
「恋愛問題でもDVでもないから!!」
リックが横で静かに呟く。
「……リーダーの妄想が加速している」
バロムも小さく頷く。
だがアンジュは止まらない。
「隠さなくて結構ですわ!」
「わたくしは味方!」
「守りますわ!」
完全に“過保護親友モード”。
周囲の通行人が
「何あの修羅場?」
「いやあれ友達らしいぞ」
とざわつく。




