絶望の果てにー
ベルは、わずかに息を呑みながら口を開く。
「カレン……これ、いけるか?」
カレンは一瞬だけ振り返る。
その表情には、いつもの余裕はもうなかった。
「すまぬ……これは駄目かもしれ――」
言葉は、最後まで紡がれなかった。
次の瞬間。
視界が、遅れて理解する。
カレンの首が、音もなく滑り落ちた。
時間が、止まったように感じる。
――否。
止まっていたのは、認識の方だった。
ベルの視線の先。
カレンの向こう側で――
タブラスカが、剣を振り抜いた体勢で立っている。
いつ動いたのかも分からない。
始剣アルファリアの軌跡は、もはや目で追えるものではなかった。
速さが、認識を置き去りにしている。
遅れて、空気が裂ける音が響く。
カレンの体が、その場に崩れ落ちた。
首を失ったまま。
血が、静かに噴き上がる。
ベルの瞳が、わずかに揺れる。
理解が、追いつかない。
いや――理解したくない現実が、そこにあった。
ベルの喉から、かすれた声が漏れる。
「カレン……嘘だろ……?」
視線は、倒れたカレンの身体へと釘付けになる。
理解が追いつかない。
受け止めたはずの現実が、噛み合わないまま歪んでいく。
その奥で――
低く、重い声が落ちた。
「始剣はすでに極まった。もはや光速をも越える」
タブラスカは、わずかに刃を引く。
その動きすら、視界には残らない。
ただ“結果”だけが、そこにある。
ベルの瞳が、ぎり、と歪む。
怒りか、恐怖か。
それとも、そのどちらでもない何かか。
「てめぇ……よくもカレンを――」
言葉が、途中で途切れる。
息が詰まる。
その先を、続ける余裕がない。
目の前に立つ存在が、あまりにも現実離れしていた。
理解するほどに、身体が拒絶する。
――勝てない。
その確信だけが、冷たく胸の奥に沈んでいった。
タブラスカが、一歩を踏み出す。
重いはずの動作が、不自然なほど静かに響く。
赤い光が脈動し、英雄核がそれに応じて明滅する。
その視線は、まっすぐにベルへと向けられていた。
逃がさない。
そう言わんばかりの圧。
ゆっくりと右手が持ち上がる。
終剣オメガニス。
その刃が、わずかに傾く。
空気が沈む。
振るわれる前から、重さが世界にのしかかる。
ベルは動けない。
身体が言うことを聞かないのではない。
――動けば、終わると理解している。
そして――振り下ろされる。
世界ごと叩き潰すような一撃が、ベルへと落ちる。
その瞬間。
横から、何かが割り込んだ。
鈍い衝突音。
衝撃が空間を歪ませる。
ベルの目の前で――
カレンの身体が、その剣を受け止めていた。
両腕で刃を押さえ込み、全身で受け止める。
地面が砕ける。
足元が沈み込む。
だが――止まっている。
終剣オメガニスが、そこで完全に止められていた。
ベルの声が、思わず弾ける。
ベルは、ゆっくりと手を伸ばす。
ためらいは、一瞬だけだった。
足元に転がるカレンの首を、そっと拾い上げる。
軽い。
あまりにも現実感のない重さに、胸の奥がざわつく。
腕の中に収まったその顔が、わずかに目を細めた。
「これはこれで……悪くないのぉ。斬られた役得と言える」
どこか楽しげな声。
その軽さに、ベルの眉が寄る。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言いながらも、手は乱暴にはならない。
むしろ、無意識に大事に抱えている。
カレンは、くつくつと小さく笑った。
だが、その視線はすぐに戦場へと戻る。
赤く脈打つタブラスカ。
その両手の剣。
そして――
「妾のことはどうでもいい。そんなとこよりも、あの重たい剣はどれだけ重くなろうと、我が止めやてやる」
静かに、しかし確信を持って言い切る。
「じゃが、あの速い方、あれは妾には無理じゃ。追いつけん」
ベルは、言葉を飲み込む。
ただ、聞く。
「……カレン」
わずかに間を置いて。
カレンの目が、まっすぐベルを射抜いた。
「あやつを、カタナを呼べ。やつならきっと、追いつく」
ベルは、腕の中のカレンへと視線を落とす。
わずかに息を整えながら、低く呟く。
「カタナ……か」
カレンは、当然のように頷く。
「そうじゃ。やつなら、どれだけ速かろうが止められるじゃろ。ただ速いだけの剣であれば、の」
その声音には、確信がある。
迷いはない。
ベルは歯を食いしばる。
視線を上げ、タブラスカを睨む。
「問題は俺の体力だな……今の状態で2体呼べるか……」
左腕を失い、血も流れている。
立つことすらままならない状態。
それでも――
カレンは即座に言い切る。
「ここが踏ん張りどころじゃ。妾とカタナがおれば、あの剣を止めることは問題ではない」
一拍。
その目が、わずかに鋭くなる。
「いくら魔王核とやらが、10個あろうとも、な」
ベルは、深く息を吸い込む。
肺が軋む。
それでも、吐き出すように覚悟を固める。
視線を上げる。
逃げない。
揺るがない。
そして――叫ぶ。
「カタナ!出てこい!」
指に嵌められた一つの指輪が、微かに震えた。
応えるように。
呼び声を、確かに受け取ったかのように。
次の瞬間、強い光が弾ける。
眩い輝きが、ベルの手元から溢れ出す。
光は溢れるだけでは終わらない。
集まり、形を持ち始める。
人の輪郭をなぞるように。
細く、小さな影が、そこに立ち上がる。
空気が変わる。
戦場の緊張が、一瞬だけ別の色に塗り替えられる。
やがて――光が晴れる。
その中心に立っていたのは、一人の少女。
銀の髪を高く結い上げたポニーテールが揺れる。
小柄な体に、白い制服のような装い。
その上から軽鎧を纏い、確かな戦意を宿している。
銀の瞳が、真っ直ぐに前を見据える。
そして――
カタナが、顕現した。
カタナは顕現した瞬間、くるりと振り返る。
状況確認――のはずが。
その視線が、固まった。
「うっわ!カレン、首だけじゃ……って、ええ!?」
ポニーテールが勢いよく揺れる。
目を見開いたまま、今度はベルを見る。
そして、さらに固まる。
「主、左手ないじゃん!?」
一拍遅れて、理解が追いつく。
顔色が変わる。
慌てて一歩、ベルに詰め寄る。
ポニーテールがぶんぶん振れる。
「ちょ、何これ何これ!?どういう状況!?なんでそんなボロボロなの!?」
ベルは肩で息をしながら、苦く笑う。
「ちょっといろいろあってなぁー」
カレンがすぐに遮る。
「良いから、あれを止めよ」
その視線が、真っ直ぐタブラスカを射抜く。
カタナもそれにつられるように向き直る。
赤く脈打つ異形の巨体。
全身を巡る光。
露出した核。
「なにこれ、真っ赤じゃん。また……魔王核ってやつ?」
ベルが短く答える。
「そうだ。10個の魔王核、そしてカタナには、あの右手の剣を止めてもらいてぇ」
カタナは首をかしげる。
「剣?どういうこと?」
ベルは視線を逸らさずに言う。
「あの剣は、振れば振るほど速くなる……今は光速を超える、らしい」
一瞬の沈黙。
カタナは、じっとタブラスカを見つめる。
そして――
小さく息を吐いた。
「ふぅん……」
そのまま、視線だけを落としてベルを見る。
「止めればいいの?そんだけ?」
ベルがわずかに顔をしかめる。
「……そんだけって、お前」
カレンが、くつりと笑う。
「ふっ……言いおる」
カレンの身体が、受け止めていた剣を押し返す。
重さを弾くように。
終剣オメガニスがわずかに軌道を逸らす。
そのまま後方へと跳び退く。
着地と同時に、ベルの前へ。
守るように、その位置に立つ。
その隣へ――
音もなく、カタナが並ぶ。
銀のポニーテールが、静かに揺れた。
二人の姫神が、前に立つ。
ベルは、ゆっくりと膝に力を込める。
身体が軋む。
それでも――立ち上がる。
ふらつきながらも、前を向く。
視線の先には、タブラスカ。
赤く脈打つ異形。
その両手の剣。
ベルは、わずかに口元を歪めた。
「3対1とはちぃとずるい気もするが、やるぞ」
カレンが鼻で笑う。
「勝てば良いのじゃ、勝てば」
カタナは軽く肩を回し、前を見据える。
「とりあえずー剣は止めるね!」
空気が張り詰める。
次の瞬間には、全てが動き出す。
戦いは、第二幕へと入ろうとしていた。




