ダンジョン探訪ー
静かな寝息が小部屋に満ちてから、どれほどの時間が経ったのか。
ふいに、ミリィが目を覚ました。
はっと息を吸い込み、そのまま勢いよく上体を起こす。
隣では、ハーミットが静かに寝息を立てていた。
状況を確かめるように、ミリィはゆっくりと周囲を見渡す。
そして――その視線が、ある一点で止まった。
少し離れた場所。
荷物を枕にして、ベルが横向きに床の上で眠っている。
その前後には、ビビとアダラがぴたりと寄り添うようにして眠っていた。
三人が密着したまま、静かに寝息を重ねている。
その光景を目にした瞬間、ミリィの顔から血の気が引いた。
震える手で口元を押さえる。
「私がついていながらごめんなさい…ベルさん…守れません、でした」
その背後で、布擦れの音がする。
「何…起きたの?」
目を覚ましたハーミットがゆっくりと上体を起こした。
まだ眠気の残る視線のまま周囲を見渡し、そしてベルの方へと目を向ける。
一瞬の沈黙。
「…やられたわね」
あまりにも淡々とした一言だった。
ミリィははっとして振り返る。
「ま、まだわかりませんっ!」
ミリィとハーミットは顔を見合わせ、小さく頷き合うと、慎重に三人のもとへ近づいた。
眠っているビビとアダラを、できるだけ起こさないように、そっとベルから引き剥がす。
二人の体を横へずらし、そのままベルの両手をそれぞれが掴むと、床の上を引きずるようにして距離を取った。
その瞬間――。
「な…なんだ?いて、いてててて」
引きずられる痛みに、ベルが顔をしかめながら目を覚ます。
状況が飲み込めないまま、抵抗するように身をよじる。
「なんだよーもう離してくれよ」
その言葉に、ミリィとハーミットはぱっと手を離した。
床に座り込む形になったベルを、ハーミットは冷静な目で観察する。
「着衣の乱れ確認出来ず..シロね」
淡々とした診断のような言葉。
ベルは眉をひそめる。
「何がだよ…」
その隣で、ミリィはほっと胸を撫で下ろした。
安堵の息をつきながらも、視線はすぐに眠ったままのビビとアダラへと向けられる。
その表情が、きゅっと引き締まった。
――今度こそ。
ミリィは静かに決意する。
何があっても、絶対に守ると。
ベルはまだ眠ったままのビビとアダラへと視線を向け、ふと眉を寄せた。
「あれ?なんだよ?茨の拘束から抜け出してんじゃん」
床に転がる二人には、先ほどまで絡みついていたはずの蔦の痕跡すら残っていない。
「あの茨、鉄よりも硬いってのに」
小さく呟きながら、不思議そうに首を傾げる。
だが、すぐに興味を失ったように肩をすくめた。
「まぁなんでもいいや、そろそろこいつら起こして先を急ごうぜ」
その言葉に、ミリィとハーミットは顔を見合わせ、静かに頷いた。
それからさらに数刻、5人はダンジョンを奥へと進み、やがて、
広間に入った瞬間、空気が重くなる。
広いのに、妙に圧迫感がある。
ミリィは小さく息を飲んで、思わず後ろに半歩引く。
「……ここ、なんだか、怖いです……」
声は小さく、少し震えている。
それでも、無理に前に出ようとはしない。
そのまま、皆の後ろにいる。
ビビがアダラの少し前に出る。
「アダラ〜気をつけてね〜なんかいるかも〜」
穏やかな声だけど、視線は真っ直ぐ前を見ている。
ベルが一言。
「……何か来るな」
その直後。
床の模様が、黒く滲む。
空間が歪み、影が立ち上がる。
ミリィは思わず息を詰める。
「……っ」
アダラが一歩踏み出す。
「出てきたじゃねぇか」
ビビがさらに前へ。
「わたしが〜止めるね〜!」
ワイヤーが伸びる。
ベルが構えもせず、ただ影を見据える。
影が立ち上がる。
それは人型に近いが、輪郭が曖昧で、常に揺らいでいる。
“そこにいる”のに、“定まっていない”。
ビビが一瞬だけ目を細める。
「変だね〜ちゃんと見えてるのに、触れそうにない感じする〜」
ワイヤーが影へと伸びる。
しかし――
触れた瞬間、ワイヤーが“すり抜ける”。
アダラが舌打ちする。
「おいおい、どういう仕組みだよ」
ハーミットが即座に分析する。
「物理干渉が成立してないみたいね」
ベルは一歩、踏み込む。
影へ。
拳を振るう。
だが――
当たらない。
空振り。
影が“そこにいるのに、いない”。
ミリィはその光景を見て、さらに小さく声を漏らす。
「……怖い、です……」
アダラが笑う。
「いいねぇ、面倒な相手ってわけだ」
影が動く。
ゆらり、と揺れて。
今度は――
ビビへ向かう。
「来るよ」
ビビはその場で構える。
「わたしが〜受けるね!」
だが、その言葉の直後。
影の姿が――
消えた。
次の瞬間。
背後。
ミリィのすぐ近くで、空間が歪む。
「……っ!?」
ミリィはびくっと肩を跳ねさせる。
完全に反応が遅れる。
その“すぐそば”に、影が出現していた。
影がミリィのすぐそばに“現れる”。
空間が歪み、距離の概念が崩れる。
「……っ」
ミリィは息を呑んだまま、動けない。
次の瞬間――
「ミリィ!」
低く鋭い声。
ベルが踏み込む。
一瞬で距離を詰め、ミリィの身体を抱き寄せる。
影の“触れる直前”。
そのまま横へと跳ぶように離脱する。
影の一撃が空を裂く。
遅れて、空気が震えた。
ベルはミリィを抱えたまま、少し距離を取って着地する。
「大丈夫か」
短い問い。
ミリィは驚きで目を見開いたまま、しがみつくようにして小さく頷く。
「……っ、は、はい……ありがとうございます……」
まだ呼吸が落ち着かない。
ビビがすぐに視線を上げる。
「……ナイス」
アダラが口角を上げる。
「今のは危なかったな」
ハーミットが影を睨みながら言う。
「完全に狙ってきてる。動けない相手から潰すタイプね」
影は再び“そこにいるようで、いない位置”へと揺らぐ。
次の一手を探るように。
ベルはミリィを一度だけ見て、静かに言う。
「下がってろ」
その声は短く、だが迷いがない。
影が、再び動く。
広間に緊張が満ちる。
ベルはミリィを背に庇ったまま、影を睨みつける。
「スケルトンは知ってたのに、こいつは知らなかったのか?」
ハーミットは眼鏡越しに影を見据え、短く答える。
「……そうね。こんなの、前はいなかったと思うのだけど……」
ベルは一度だけ舌打ちし、それ以上は迷わない。
「なんでもいいさ!コイツをどうにかしなきゃなんねぇのは変わらねぇ」
その言葉に、空気が引き締まる。
アダラがビビを見て口元を歪める。
「ビビ!やるよ!」
ビビはすぐに頷く。
「おっ〜け〜!」
その瞬間――
二人の肌に刻まれた紋様が、強く輝き始める。
アダラの両肩の紋様が脈打つように光り、
握られた二本の湾曲剣に、精霊の光が宿る。
ビビの手足も光に包まれ、しなやかな気配が一気に研ぎ澄まされる。
ハーミットが低く呟く。
「……紋様術ね……」
アダラが笑う。
「おーよ!こういう手合いには、これが効くってもんよ!」
ビビも軽く息を吐き、自然体のまま前へ。
「いっくよ〜!」
アダラが先に踏み込む。
両手に持った湾曲剣が、光を引きながら斬り込む。
鋭い斬撃が影へ向かう。
同時に――
ビビが踊るように動き出す。
拳。
蹴り。
滑るような体捌きで、連続して打ち込んでいく。
だが――
影はまだ“そこにいる”。
当たる瞬間、わずかにズレる。
まるで攻撃そのものを避ける“層”がずれているかのように。
ベルの目が細くなる。
「……やっぱり、当たらねぇか」
次の瞬間。
影の輪郭が、わずかに“揺れた”。
攻撃が、通るか――通らないか。
その境目に入っていく。
「これじゃなかったか…次だ!」
アダラの足元に刻まれていた紋様が、淡く瞬いては消える。
直後、別の紋様がその身を引き継ぐように光を放ち、再び魔力が巡り始めた。
同時に、ビビの身体にも変化が起こる。
さっきまで輝いていた紋様の光がふっと消え、間を置かず別の紋様が静かに灯る。
ふたりの間にあった光の色が変わり、空気が張り詰める。
「いくよ〜!」
ビビが軽い調子で声を上げると、アダラも一歩踏み込み、再び攻撃へと踏み出した。
アダラとビビの連撃が再び繰り返される。
呼吸を合わせるように踏み込みと離脱を重ね、攻撃の流れが途切れることはない。
そして、わずかな隙を突いてアダラの一撃が深く入り込む。
「来たこれ!」
反応したアダラの声に呼応するように、ビビが軽やかに跳躍する。
その身体に刻まれた紋様の光が切り替わり、瞬間、動きの質が変わる。
空中で体勢をひねり、狙いを定める。
「お〜け〜!それね〜!」
落下の勢いを乗せ、踵が振り下ろされる。
「え〜い!えいえい!」
右の踵落としが叩きつけられ、続けて左の踵が間を置かずに振り下ろされる。
二連の衝撃が影の表面を叩き、黒い輪郭が大きく揺らいだ。
ベルは前のめりになり、影の様子を凝視する。
「お!やったか!」
手応えは確かにあった。だが、影はまだ完全には崩れていない。
「もーちょい!」
アダラは踏み込みを緩めない。状況を見極めながら、次の一手へと繋げる。
ビビもまた、軽やかな足取りで距離を詰め、流れを切らさない。
「も〜当たるから〜次で決めるよ〜」
アダラの紋様の輝きが強さを増し、それに呼応するように両手の剣が眩く光り始める。
そのまま剣を握り直し、刃を空中でくるくると器用に回転させる。
軌道を整えるように回し続け、狙いを定めた瞬間――手放す。
投げ放たれた剣は回転しながら空を裂き、曲線を描いて影へと迫る。
回転の勢いを乗せた刃が影に到達し、その輪郭を鋭く切り裂いた。
黒い影が大きく揺らぎ、形を維持できなくなりかける。
そこへ、さらに踏み込む影。
ビビが紋様の輝きを強めたまま、踊るように距離を詰める。
大きく右足を後ろに引き、膝から下が強く輝きを帯びる。
「いっくよ〜!」
瞬間、空気が弾ける。
放たれた回し蹴りは音速を超え、横一線に影を薙ぎ払った。
ビビの放った蹴りが、影の核心を捉える。
横薙ぎに叩き込まれた衝撃が内部へと走り、均衡は一気に崩れた。
影は形を保てず、霧のように崩壊していく。
散り散りになった黒は、粒子のように空中へとほどけ、やがて静かに消え去った。
緊張が解けると同時に、ビビは大きく息を吐き出す。
「ぷっふ〜!や〜と倒した〜!」
戦闘の余韻が残る中、アダラは少し離れた位置で戻ってきた剣を受け止める。
空を描いていた軌跡が収束し、手の中に確かに収まった。
「ざーと、こんなもんよ!」
場の空気が落ち着く中、ハーミットが静かに言葉を落とす。
「紋様術…さすがね」
それを聞いたベルは肩をすくめ、軽く笑う。
「今回は俺、役立たずだったなー」
ミリィは小さく首を振り、少し困ったように、けれども穏やかに答えた。
「相手が悪かったですね」




