砂漠を行く3人ー
灼けつくような日差しが、砂を白く照らしていた。
風が吹くたび、細かな砂が舞い上がる。
視界は揺れ、遠くの景色は歪んで見える。
どこまでも続く砂の海。
その中を、三人は歩いていた。
先頭を行くのは、黒髪の少女――ベル。
細い体で、懸命に足を前へ運ぶ。
額に汗が滲み、呼吸は少し荒い。
「……あっついね...これが砂漠なんだ...」
思わず漏れる本音。
それでも足は止めない。
少し後ろを歩くミリィが、小さく息を整えながら答える。
「は、はい……でも、まだ外縁部です……ここから先は、もっと過酷になるって……聞いたことがあります……」
声はか細いが、しっかりしている。
小柄な体で必死についていく。
そのさらに後ろ。
外套を羽織った女――ハーミットが、無言で歩いていた。
フードの影に隠れた表情は見えない。
ただ、足取りだけは安定している。
ヒールが砂に沈んでも、気にする様子はない。
「……」
何も言わない。
ただ歩いているだけ。
ベルがふと振り返る。
「ハーミット、平気?」
短い問い。
「別に」
即答。
感情のない声。
「あなたが気にすることじゃないわ」
それだけ言って、また前を見る。
会話は続かない。
ミリィが少しだけ不安そうに二人を見るが、何も言わない。
風が強くなる。
砂が足元をさらう。
その時。
ベルの足元が、わずかに沈んだ。
「……え?」
違和感。
一瞬遅れて――
ズズ、と。
砂の中から、“何か”が動いた。
砂が、内側から弾けた。
「――っ!」
ベルが咄嗟に後ろへ飛ぶ。
次の瞬間。
砂の中から、巨大な影が躍り出た。
節のある外殻。
歪にねじれた顎。
砂を纏ったまま現れたそれは、地を這うように身体をうねらせる。
砂中生物――
この環境で進化した捕食者。
ミリィの喉から、かすれた声が漏れる。
「む、虫……!?」
その場に立ち尽くしかける。
「下がって!」
ベルが叫ぶ。
一歩前へ出る。
相手の動きを見る。
砂の上ではない。
砂の“中”から来る。
「……厄介ね」
小さく呟く。
その瞬間。
ズドンッ、と。
再び地面が沈む。
「来る!」
ベルが横へ跳ぶ。
足元を、何かがかすめる。
一瞬遅れて、さっきと同じ個体が、別の位置から飛び出した。
速い。
地中を移動している。
ベルは着地と同時に体勢を低くする。
「ミリィ、絶対に動かないで!」
「は、はいっ……!」
震えながら、その場にしゃがみ込む。
ハーミットは――動かない。
ただ、観察している。
「……砂の中を泳ぐタイプね」
冷静な声。
「地表での機動力は低いはずよ」
淡々と分析だけを投げる。
助ける気配はない。
ベルはそれを聞きながら、地面を睨む。
「出てきた瞬間、叩くしかないわね……」
息を整える。
鼓動が速い。
でも、逃げない。
砂が、わずかに波打つ。
来る。
次は――正面。
ベルは足に力を込めた。
砂のうねりを見た瞬間、ベルの表情が変わる。
「――無理だ、これ」
短く言い切る。
次の瞬間、後ろへ振り向く。
「逃げるよ!」
即断。
ミリィが一瞬きょとんとするが、すぐに頷く。
「は、はいっ!」
ベルはミリィの手を掴む。
「走れる?」
「だ、大丈夫です……!」
その答えを聞く前に、ベルは走り出していた。
砂を蹴る。
足が沈む。
それでも無理やり前へ進む。
背後で――
ズドンッ!!
砂が爆ぜる。
「来た!」
振り返らずに叫ぶ。
「ジグザグで走って!」
直線じゃ追いつかれる。
感覚で判断する。
ミリィが必死についてくる。
小さな足で、必死に砂を蹴る。
ハーミットは――少し遅れて動いた。
ため息ひとつ。
「……面倒ね」
だが、走る。
ヒールのまま、正確な足運びで。
無駄がない。
背後の砂が波打つ。
追ってきている。
「まだ速い……!」
ベルが歯を食いしばる。
その時。
「右」
ハーミットの声。
短い指示。
ベルは反射で右へ進路を変える。
直後――
さっきまでいた場所が、爆ぜる。
巨大な顎が空を噛んだ。
「……助かった」
「別に」
走りながらの会話。
ハーミットは前を見たまま続ける。
「そのまま真っ直ぐ。少し先で地盤が固くなる」
「わかるの?」
「見れば分かるわ」
当然のように言う。
ベルは何も言わず、その指示に従う。
砂の感触が、わずかに変わる。
沈み込みが浅くなる。
「ここなら……!」
ベルが足を強く踏み込む。
その瞬間。
背後で、動きが鈍る。
ズズ……と、砂の音が変わる。
「来ない……?」
ミリィが振り返る。
砂は波打っているが、さっきの勢いはない。
やがて――止まる。
静寂。
ベルはその場に膝をついた。
「はぁ……っ、はぁ……」
息が荒い。
ミリィもその場に座り込む。
「た、助かりました……」
ハーミットは、ただ立ったまま砂の方を見る。
「……生息域の境界ね」
ぽつりと呟く。
それだけだった。
しばらく、誰も動かなかった。
熱を帯びた空気の中で、荒い呼吸だけがやけに大きく響く。
ベルは膝に手をついたまま、なんとか呼吸を整える。
「……あぶなかった」
ぽつりと漏れる。
ミリィは座り込んだまま、小さく頷いた。
「は、はい……あんな生き物がいるなんて……」
声がまだ少し震えている。
ベルは顔を上げ、さっきまでいた方向を見る。
砂は、もう何事もなかったかのように静かだ。
「……あそこ、普通に通る場所じゃないな」
立ち上がりながら呟く。
ハーミットが一歩前に出る。
「縄張りよ」
短く言う。
「餌場でもあるでしょうね。ああいう個体は、振動に反応する」
淡々とした分析。
「つまり――」
ベルが言葉を繋ぐ。
「歩いてるだけで襲われるってことか」
「そういうこと」
あっさりと肯定。
ミリィが顔を青くする。
「じゃ、じゃあ……どうやって進めば……」
不安げな問い。
ハーミットは少しだけ考える素振りを見せる。
「避けるか、静かに抜けるか、運よく見逃されるか」
「最後それ頼りたくないな……」
ベルが苦笑する。
砂漠の風が、三人の間を抜けていく。
しばらくの沈黙。
やがてベルが、ぱん、と軽く自分の頬を叩いた。
「よし」
気持ちを切り替える音。
「とりあえず、さっきのはナシの方向で」
軽く言う。
「遠回りしてでも、安全なルート探そ」
ミリィがすぐに頷く。
「はい……そのほうがいいと思います」
ハーミットは何も言わない。
ただ、歩き出したベルの後を、そのままついていく。
再び、砂を踏む音。
今度は、さっきよりも慎重に。
一歩、一歩、確かめるように。
三人はまた、砂漠の中へと進んでいく。
歩き出してから、どれくらい経ったのか。
太陽は容赦なく照りつけ、影は短い。
風は熱を運ぶだけで、涼しさはどこにもない。
ベルの足取りが、目に見えて重くなっていた。
「……っ」
呼吸が荒い。
それでも、止まらない。
「……大丈夫ですか……?」
ミリィが、様子をうかがうように声をかける。
「だいじょ……ぶ」
短い返事。
だが、明らかに無理をしている。
一歩。
もう一歩。
足が、沈む。
「……あれ」
視界が揺れる。
身体が、思うように動かない。
「……?」
ミリィが異変に気づく。
次の瞬間。
ぐらり、と。
ベルの体が崩れた。
「っ!」
慌てて支えようとするが、間に合わない。
膝が砂に沈む。
そのまま、座り込むように崩れる。
「ベルさん!ちょっと……!」
ミリィが肩を支える。
「しっかりしてください……!」
ベルはうっすらと目を開ける。
「……やば」
かすれた声。
呼吸が浅い。
熱が頭にこもる。
立ち上がろうとして――力が入らない。
そのまま、ぐったりと体を預ける。
ハーミットが、そこで足を止めた。
視線だけを落とす。
「……熱にやられてるわね」
淡々とした声。
「このまま動けば、倒れるどころじゃ済まないわよ」
ミリィが顔を上げる。
「ど、どうすれば……」
「休むしかない」
短い結論。
それだけ言って、ハーミットは周囲を見渡す。
影はない。
遮るものもない。
ベルの呼吸が浅くなる。
熱に浮かされたように、意識が遠のいていく。
そのまま、力が抜けた。
重いまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。
揺れている。
一定のリズムで、身体が上下していた。
「……あれ」
ぼんやりとした視界の中、気づく。
自分は――誰かに背負われている。
「……ハーミット?」
かすれた声。
前を行く背中。
外套の布越しに伝わる体温。
ハーミットは振り返らないまま、淡々と答えた。
「起きたのね」
足は止まらない。
砂を踏む音だけが続く。
「あんなところで休む方が危険だもの」
相変わらずの調子で言う。
「安心しなさい。こう見えて砂漠には慣れてるの」
少しだけ間を置いて、
「少なくともあなた達よりはね」
ベルはしばらく黙ったまま、その背中に身を預ける。
「……重くない?」
ぽつりと聞く。
「別に」
即答。
「これくらいで文句言うほど、やわじゃないわ」
感情のない声。
だが、足取りはしっかりしている。
少し後ろから、ミリィの声が聞こえる。
「……よかった……」
ほっとしたような、小さな声。
ベルは目を細める。
さっきまでの熱が、少しだけ引いている気がした。
風が頬を撫でる。
さっきよりも、ほんの少しだけ涼しい。
ハーミットの背に揺られながら、ベルはぼんやりと前を見ていた。
熱に霞んでいた視界が、少しずつ戻ってくる。
その時。
遠くの景色に、わずかな“色”が混じった。
「……あれ」
思わず、声が漏れる。
砂と空しかなかったはずの景色の中に、
緑がある。
低く広がる草。
小さな木々。
その中心に――水。
「……オアシス……?」
ミリィが、息を呑むように呟く。
ハーミットは視線だけを向ける。
「みたいね」
短く答える。
「ちょうどいいわ。あそこまで行って休む」
足取りは変わらない。
だが、進む方向がはっきりと定まる。
ベルはその景色を、じっと見つめた。
「……助かった……」
小さく、力の抜けた声。
「まだ油断しないでください……」
ミリィが少しだけ警戒した声で言う。
「こういう場所って……他の生き物も集まるって……」
「ええ」
ハーミットが即答する。
「だからこそ、水がある」
合理的な返し。
「まあ――」
少しだけ間を置く。
「このまま砂の上で干からびるよりは、マシでしょう」
淡々とした現実。
ベルは苦笑する気力もなく、目を細める。
揺れる視界の中で、確かな“生”の色が近づいてくる。
一歩。
また一歩。
三人は、その小さな楽園へと向かって進んでいく。
砂を越え、ようやく辿り着いた水辺。
足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
わずかに湿った風。
木陰。
そして、静かに揺れる水面。
ハーミットはベルを降ろす。
「……ほら」
短く言う。
ベルはふらつきながらも、なんとか地面に足をつける。
そのまま、ほとんど転がるように水辺へと向かう。
手を突っ込み、そのまま顔へ。
ばしゃ、と水がはねる。
冷たい。
「……っ」
一瞬、息を呑む。
もう一度。
顔を洗う。
何度も。
ようやく顔を上げて、大きく息を吐いた。
「……生き返るぅ」
本音がそのまま漏れる。
そのまま手ですくって、水を飲む。
冷たい水が喉を通り、身体の奥へ落ちていく。
ミリィもそっと水辺にしゃがみ、両手で水をすくう。
「……おいしいです……」
小さく呟く。
ほっとしたように、肩の力が抜ける。
ハーミットは少し離れた場所で、周囲を一瞥する。
危険がないか確認するように。
それからゆっくりと水辺に近づき、手を濡らす。
「……最低限は持ち直したわね」
ベルの様子を見ながら、淡々と言う。
ベルは水を飲みながら、ちらりと視線を向ける。
「ありがと、さっき」
短く礼を言う。
ハーミットは一瞬だけ視線を返し――
「別に」
それだけだった。




