戦闘開始!
夕暮れの光が、海面を赤く染めていた。
街の喧騒は遠く、波の音だけが静かに響く岸壁。
風が吹き抜け、潮の匂いが鼻をかすめる。
ベルは足を止めた。
視線の先。
岸壁の少し先――タブラスカの背中が、波に向かって立っている。
「……いた」
小さく呟いたその瞬間、ベルは躊躇わずに地面を蹴る。
「待って」
呼び止める声は届かない距離。
だからこそ、止まらない。
砂利を踏みしめ、波打ち際を駆ける。
走りながら、空気が揺らぐ。
存在が、切り替わる。
影が伸び、体格が変わる。
そして――
岸壁の縁で、踏み込み。
足を止めたその場所に立っているのは、
銀髪の少年。
夜のベル。
海風が、銀の髪を揺らす。
波音が一瞬だけ遠のいたように感じる。
タブラスカが、ゆっくりと振り返る。
対峙。
距離はわずか。
だが、その一歩の重みは――戦いそのものだった。
海風が吹き抜ける岸壁。
波の音だけが、静かに響いている。
銀髪の少年――ベルと、タブラスカが対峙していた。
張り詰めた空気。
その場に、余計な言葉は存在しない。
そこへ――
「ま、待ってください!」
少し遅れて、息を切らしたミリィが駆けてくる。
砂利を踏む足音が、静寂をわずかに乱す。
そのすぐ後ろ。
ハーミットが、いつもの落ち着いた足取りで岸壁に姿を現した。
コートの裾を風に揺らしながら、状況を一瞥する。
「……間に合ったわね」
ミリィはベルとタブラスカを見て、目を丸くする。
「もう……始まるんですか……?」
ベルは振り返らない。
視線はただ、目の前の相手に固定されている。
タブラスカも同じだった。
三人が見守る中――
岸壁に立つ二人は、すでに互いしか見ていなかった。
風が強く吹き抜ける。
言葉が交わされる。
だが、その声は遠く、はっきりとは聞き取れない。
ハーミットは腕を組みながら、その様子をじっと観察していた。
少しして、ぽつりと呟く。
「……今のは『みつけたぞ!』って言ったわね」
隣にいたミリィが、ぱちりと瞬きをする。
「え?」
ハーミットは視線を外さないまま続ける。
「で、あっちは『こんなとこまてさがしにきたのか?』」
「えっ、聞こえてるんですか……?」
ミリィが思わず声を上げる。
ハーミットは平然としたまま、淡々と“アテレコ”を続ける。
「『おまえがおれのハーミットにひどいことをしたのか!?』……ふむ、いいわね」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ミリィが慌ててハーミットの腕を軽くつつく。
「それ、全部ハーミットさんの想像ですよね!?」
ハーミットは一瞬だけミリィを見て、すぐに視線を戻す。
「ええ」
「ええ、じゃないです!」
ミリィが声を落としながら必死に突っ込む。
「勝手にアテレコしてる場合じゃありません!」
ハーミットは小さく肩をすくめる。
「雰囲気は合ってるでしょう?」
「そういう問題じゃないです!」
ミリィは顔を赤くしながら、再び二人に視線を戻す。
その間も――
ハーミットの“アテレコ”は、止まらなかった。
岸壁に、風が強く吹き抜ける。
波の音が一瞬だけ遠のいたように感じるほど、二人の間の空気は張り詰めていた。
ベルが、低く言い放つ。
「見つけたぞ」
タブラスカは、どこか楽しげに目を細めた。
「こんなところまで……僕を探しに来てくれたのかい?」
その表情は柔らかく――しかし、内側に潜む何かを隠している。
ベルは一歩も引かない。
「お前がハーミットにひどいことしたってのは本当か?」
一瞬、風が止まる。
続けて、ベルは静かに言う。
「お前はそんなことする奴じゃなかっただろ」
その言葉に、タブラスカの雰囲気が変わる。
穏やかさが剥がれ落ちるように。
深い色を宿した瞳が、冷たく光る。
「我は我の思うがまま」
低く、響く声。
「食いたい時に食い、犯したい時に犯す。そして、戦う時には必ず勝つ!それが英雄というものだ」
その瞬間――
タブラスカの全身に刻まれた紋様が、光を帯び始める。
強烈な存在感が、周囲を圧迫する。
それを真正面から受けながらも、ベルは一歩も退かない。
全身から力が溢れ出す。
空気が震える。
「そうかよ……」
短く呟き――
「だったら」
刹那。
ベルの両肘から、鋭い鋼鉄の刃が伸びる。
金属の軋む音。
夜の静寂を切り裂く音。
「俺がハーミットに謝らせてやるぜ!」
タブラスカが両手を広げる。
迎え撃つ構え。
ベルも同時に、重心を落とし構えを取る。
互いに一歩も引かない。
海風が吹き抜ける。
次の瞬間――
二人は、同時に踏み出した。
岸壁の少し離れた場所。
ミリィとハーミットは、風に髪を揺らされながら二人の様子を見ていた。
ハーミットは腕を組み、じっと観察する。
そして、ぽつりと呟く。
「『お前はそんなんじゃなかっただろ』……か、たしかにね」
ミリィが横目でちらりと見る。
ハーミットはそのまま続ける。
「『我は思うがままに……戦う時は殺す』……ね」
「ほんとにそんなこと言ってます...?」
小声でツッコミを入れるミリィ。
しかしハーミットは気にせず、さらに続ける。
「『それなら……』」
一瞬、間。
そして――
「え……!?」
ハーミットの目が見開かれる。
「『俺がハーミットをもらうぜ!!』って……ちょっと、そんな真剣な顔で……」
みるみるうちに頬が赤く染まっていく。
「……しょうがないなぁ」
デレ、と表情が崩れる。
その様子を、ミリィが無言で見つめ続ける。
そして――
「……あの」
冷静な声。
「真剣にやってもらえませんか?」
岸壁に、風が吹き荒れる。
波が砕け、白い飛沫が夜の空気に散る。
ベルが一歩踏み出す。
次の瞬間、地面を蹴った。
一直線。
迷いのない踏み込み。
タブラスカも同時に動く。
正面から、衝突。
鋼鉄の刃と拳がぶつかる。
鈍い衝撃音。
空気が震える。
互いに、一歩も引かない。
押し合い――
ではない。
力が拮抗しているわけでもない。
ただ、
止められている。
ベルが舌打ちし、そのまま刃を滑らせる。
角度を変え、首元へ。
間髪入れず、もう一撃。
だが――
止まる。
拳で、正確に。
無駄のない最短の動き。
ベルの連撃が、すべて弾かれる。
「……はっ」
ベルは笑う。
そのまま一歩踏み込み、距離を潰す。
密着。
至近距離からの肘打ち。
さらに膝。
連続。
だがタブラスカは崩れない。
受ける。
いなす。
最小限の動きで、すべてを処理する。
そのまま、腕を振るう。
直線的な一撃。
速い。
重い。
ベルは体を捻って受け流す。
完全には殺しきれない。
衝撃が肩を抜ける。
後方へ滑る。
砂利を削りながら、数歩。
すぐに踏み止まる。
間合いが開く。
ほんの数メートル。
だが、その距離は一瞬で消える距離。
ベルは肩を回す。
「……さすがに無茶苦茶だな」
低く呟く。
見えている。
反応もできている。
だが――
決め手にならない。
タブラスカは静かに立っている。
呼吸も乱れていない。
ただ、こちらを見ている。
ベルは構えを取り直す。
「こっから上げてくぜ!」
次の瞬間。
再び地面が爆ぜた。
岸壁に、風が叩きつける。
ベルは一歩踏み出し――そのまま跳んだ。
「カレン!突っ走るぞ!剛力五倍!」
その瞬間。
ベルの指に嵌められた指輪の一つが、微かに軋む。
内側から、何かが押し出されるような感覚。
血が逆流するような熱。
骨の奥に、重い“力”が流れ込んでくる。
呼吸が一瞬、止まる。
次の瞬間――
弾けた。
全身の筋肉が、内側から膨れ上がる。
繊維一本一本にまで力が満ちる。
皮膚の下で、暴れるような圧。
空気が歪む。
踏み込みの圧だけで、足元の砂利が弾け飛ぶ。
「――っ!」
そのまま、加速。
跳躍の勢いを乗せて、一直線に叩き込む。
それを見たタブラスカの全身に刻まれた紋様が光る。
線が繋がり、巡り、覆い尽くす。
白い肌が変質する。
黒く、鈍い光を放つ金属質へと。
完全な防御態勢。
だが――
ベルは止まらない。
振りかぶる。
カレンの剛力。
カタナの刃。
その全てを一点に乗せて、
肩口へ、袈裟懸けに振り下ろす。
――激突。
甲高い金属音が、岸壁に響き渡る。
衝撃が腕を逆流する。
「なにぃ!?」
刃は、止められていた。
タブラスカの肩。
その一点で、完全に。
押し込もうとしても、びくともしない。
タブラスカが口元を歪める。
「これが――英雄の十の権能の一つ」
低く、響く声。
「絶対防御。《英雄は傷つかない》」
笑う。
ベルは舌打ち混じりに吐き捨てる。
「おいおい……誰の中がなんでもありだってんだよ」
その瞬間、タブラスカの拳が動く。
直線。
重い一撃。
ベルは反射的に左手を差し込む。
受けるのではなく、逸らす。
だが重い。
完全には殺しきれない。
衝撃が腕を抜ける。
そのまま後方へ跳ぶ。
距離を取る。
着地。
砂利が散る。
ベルは腕を振る。
骨は無事。
だが、痺れる。
「……っは」
小さく笑う。
体の内側では、まだ力が暴れている。
カレンの剛力。
五倍。
それでも――
「5倍でこの感じな」
視線を上げる。
タブラスカは、無傷のまま立っている。
黒光りする身体。
完全な防御。
ベルはゆっくりと構え直す。
指先に、まだ残る熱。
力は尽きていない。
「今日は戦いを楽しむ気はねぇんだ」
口元が吊り上がる。
「ぜってぇ謝らせる!」
次の瞬間――
再び地面が爆ぜた。




