目覚めの朝ー
夕暮れの光が、薄いカーテン越しに部屋へ差し込んでいた。
橙色の光が、静かな室内をやわらかく照らしている。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
身体が、ひどく重い。
どこか奥の方で鈍く脈打つような痛みがある。
ベッドの上に寝かされていると気づくまでに、少し時間がかかった。
すぐ傍で、ページをめくる小さな音。
視線を横にずらすと、椅子に腰掛けたハーミットの姿があった。
足を組み、片手で本を開いている。
赤いワンピースに黒いストッキング、艶のある赤いハイヒール。
金の髪はまっすぐに流れ、白い肌と碧眼が夕焼けに染まっていた。
「起きたみたいね。気分はどう?」
ベルはゆっくりと上体を起こしかけて、すぐに顔をしかめた。
頭の奥が、ずきりと痛む。
「頭いたい……私、どうして?ミリィは?」
ハーミットは本を閉じることなく、ちらりとだけ視線を向けた。
「あなた、タブラスカを探して見つけたって言ったあと、倒れたのよ。ミリィは用事があるって出かけて行ったわ」
淡々とした口調。
だが、その視線はほんのわずかに鋭かった。
ベルはぼんやりと天井を見上げる。
(……ああ、そうだ)
断片的に、記憶が繋がる。
光。影。
広がっていく糸。
見つけた、という感覚。
そして——限界。
「……そっか」
小さく呟いて、額に手を当てる。
指先が、微かに震えていた。
「無茶しすぎよ」
本を閉じる音が、静かに響く。
ハーミットが脚を組み替え、じっとベルを見た。
「顔色、最悪だったわよ。血まで流して」
ベルは苦笑する。
「ちょっと、がんばりすぎただけ……」
「“ちょっと”で倒れるようなことをするのは、一般的に無茶って言うのよ」
ぴしゃりと返される。
ベルは言葉に詰まり、視線を逸らした。
「……でも、見つけたんでしょ?」
ハーミットの声が、少しだけ低くなる。
ベルはゆっくりと頷いた。
「うん……この街の近く。そんなに遠くない」
その言葉に、ハーミットの指先がわずかに止まる。
「そう」
短く答えると、視線を窓の外へと向けた。
夕焼けが、少しずつ色を濃くしている。
「なら——行くしかないわね」
静かな声だった。
だが、その奥には、はっきりとした決意があった。
ベルはまだ重い身体をゆっくりと起こしながら、小さく息を吐く。
「……うん」
短く返事をして、足を床へと下ろす。
わずかにふらつくが、倒れはしない。
「大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと休めば、動けるから」
そう言って、無理にでも笑う。
「……本当に?」
疑うような視線。
ベルは一瞬だけ言葉に詰まり、それでも頷いた。
「本当に」
その様子をしばらく見つめたあと、ハーミットは小さく息を吐いた。
「……ならいいけど」
椅子から立ち上がり、本を閉じて机の上に置く。
ヒールの音が、静かに床に響いた。
「準備しなさい。ミリィも戻ってくる頃でしょうし」
背を向けたまま、そう言う。
ベルはその背中を見ながら、もう一度だけ深く息を吸った。
(見つけたんだ)
逃がさない。
今度こそ——。
胸の奥で、静かに決意が固まっていった。
その時、不意に扉がノックされた。
ハーミットが顔も上げずに答える。
「どうぞ」
扉が静かに開き、小さな影が部屋に入ってくる。
リュックを背負ったままのミリィだった。
「ただいま、です」
ベルの視線がそちらに向く。
「ミリィ……心配かけてごめん」
ミリィはすぐに駆け寄り、ベッドの傍に立つ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。ちょっと頭痛いけど」
そう言って、少しだけ笑う。
その様子を確認すると、ミリィはほっとしたように息をついた。
だがすぐに、その表情が引き締まる。
くるりと振り返り、ハーミットへと向き直った。
「すみません。少しだけベルさんと2人にしてもらえませんか?」
静かながらも、はっきりとした声だった。
その言葉に、ハーミットの視線がゆっくりとミリィへ向けられる。
数秒の間。
無言のまま見つめたあと、口を開いた。
「私に出ていけと言ってるの?ここ、私の部屋なんだけど」
淡々とした声音。
だが、わずかに棘が混じっている。
ミリィは一瞬だけ言葉に詰まり、気まずそうに視線を揺らした。
それでも、目を逸らさない。
「わかってます……でも今、ベルさんすぐには動かしたくないので、ごめんなさい!」
深く、頭を下げる。
部屋に、静寂が落ちる。
数秒。
何も言わずに見ていたハーミットは、やがて小さく目を細め——
ぱたり、と本を閉じた。
椅子から立ち上がり、軽く息をつく。
「……はぁ」
それ以上は何も言わない。
そのまま踵を返し、ヒールの音を響かせながら扉へ向かう。
扉を開け——
一度も振り返ることなく、無言で部屋を出て行った。
扉が静かに閉まる。
部屋の中に、ベルとミリィだけが残された。
扉が閉まる音が、静かに部屋に残った。
ハーミットが出て行ったのを確認してから、ベルはミリィへと視線を向ける。
「話って、何?」
ミリィは一瞬だけ間を置き、小さく息を吸った。
「話というか……そろそろ時間なので」
その言葉に、ベルの表情がはっと変わる。
「あっ……そういうことね!ヤッバ、全然気にしてなかった」
慌てたように言い、額に手を当てる。
ミリィが、少しだけ苦笑した。
「お願いがあるんだけど」
「はい。わかってます」
間髪入れずに返ってくる答え。
ベルは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから小さく頷いた。
「うん、それじゃ、私が変身したら、あいつに状況を説明して、すぐ探しに行ってもらって」
「はい。今夜は何も言わず、部屋から出ないで休む様に言います」
「……ミリィ、さん?」
わずかに間の抜けた声。
ミリィは真っ直ぐにベルを見つめたまま、静かに続ける。
「ベルさん、能力使いすぎて倒れたんですよ?血まで流して。今は休憩すべきです」
「これが終わったらちゃんと休むから!今は時間がないの!」
焦ったように声を上げる。
だがミリィは首を横に振った。
「いけません!今は休憩最優先です!」
「ちょっとミリィ……状況を考えて……」
「状況が見えてないのはベルさんの方ですよ!」
珍しく、強い声だった。
張り詰めた空気が、部屋に広がる。
その一言に、ベルの肩がびくりと震えた。
「ミリィ……」
ミリィは一歩だけ近づく。
その瞳は揺れていた。
怒りではない。焦りと、不安と——恐れ。
「お願いしますから、今は休んでください。お願いします。心配なんです」
言葉の最後が、わずかに震える。
ベルはしばらく何も言えずに立ち尽くした。
そして——
ゆっくりと、頭を下げる。
「……ごめん」
ミリィは頭を下げたまま、言葉を続ける。
「最近のベルさん、何かふっきれたみたいで、初めて会った頃みたいに力強くて行動的で、とっても素敵です。だけど、無茶で無謀でハラハラします。それがベルさんらしいとこなんですけど……私、私、心配なんで!もしもベルさんに何かあったら……私は……」
言葉が途切れる。
下げたままの頭に、そっと手が置かれた。
「悪ぃ。お前に心配かけまくってたんだな、ごめんなぁ」
低く、どこかぶっきらぼうな声。
ミリィがはっとして顔を上げる。
目の前にいたのは、銀髪の少年だった。
窓の外はすっかり日が落ちている。
夜の時間が始まっていた。
ベルは軽く笑いながら、そのままミリィの頭を何度かぽんぽんと叩くと、手を離す。
ミリィは叩かれた頭を両手で押さえ、頬を染めた。
ベルは肩をすくめる。
「あいつ、昔から弱っちいくせに無茶するんだよな」
「無茶なのは夜のベルさんもおんなじです。でも、それが——」
ミリィが言いかけた言葉に、ベルが先に口を開く。
「あいつらしいよ」
「ベルさんですから」
二人の言葉が重なる。
一瞬の静寂のあと——
どちらともなく、ふっと笑った。




