想像しろ、願え、理解させろー
やがてベルは、再び呼び出される。
係員の元へと向かうと、淡々と報告が告げられた。
「調べたけど、その名前では出国記録はないな」
プレレッサの名でも、タブラスカの名でも。
記録には、どちらも存在していなかった。
ベルは一度だけ目を伏せる。
「……そうですか」
短く返すと、すぐに顔を上げる。
「もし、どちらかの名前で手続きが来たら、教えていただけますか」
係員は軽く頷いた。
「わかった。何かあれば連絡する」
それだけを確認すると、ベルは管理局を後にした。
外に出ると、潮の匂いと喧騒が一気に押し寄せる。
人の流れ、荷を運ぶ声、船の汽笛。
その中を、ベルは迷いなく歩き出す。
手がかりは、まだ細い。
それでも——足は止めなかった。
港の喧騒を抜け、ベルは中央広場へと足を向ける。
潮の匂いと人のざわめきが交じり合う中で、歩きながら思考は止まらない。
(そろそろハーミットも治療、終わってるかもしれない……)
待ち合わせは中央広場。
そこへ向かう途中、ベルは考えを巡らせていた。
もし仮に——
プレレッサが「英雄タブラスカ」を名乗り、正式な手続きを踏んでいたとしたら。
タブラスカという名前では身分証には登録されていないはず。ならば、出国にはプレレッサの名を使うはずだ。
けれど。
(あの英雄が、そんなことをする?)
そうは思えない。
別の名を使うのはもちろん不可能、それならば正規のルートを使っていないのか。
そもそも、西大陸へ向かったというのも、ただの推測に過ぎない。
——結局。
(手がかりがないのと、変わらない……)
ベルは小さく息を吐いた。
視線を上げる。
人の流れは途切れず、誰もがそれぞれの目的を持って動いている。
けれど、自分にはそれを掴む手段がない。
魔力探知。
それが使えれば、何かしらの糸口にはなるかもしれない。
ギルド。教会。あるいは大陸警察。
頼めば、できる者はいるだろう。
だが——
(そんな理由で、人を探してもらえるわけがない……)
私的な理由で、そこまでの手を借りることはできない。
かといって、自分で魔力を扱うこともできない。
できることは限られている。
視界の端で、波打つ人の流れを眺めながら、ベルは足を止める。
途方に暮れる感覚が、胸の奥に沈んでいく。
それでも。
立ち止まるだけでは、何も変わらない。
ベルは、ゆっくりと顔を上げた。
歩きながら考える。例えば、夜の自分、あの銀髪の少年ならどうするか。
あいつならきっと……行き当たりばったりに探し回る? 勘を頼りに探す?
いや、あいつはそういうところは意外と合理的だ。無駄なことはしたがらない。めんどくさがりとも言うが。
ふと、ミリィから聞いた彼の言葉を思い出す。
タブラスカとの戦いの際、姫神について聞かれたベルの言葉——
「俺が想像した願いを叶えてくれるのが、姫神の能力だから」
つまり、あいつが戦闘に特化した能力を使っているだけで……
戦闘特化の能力だけとは、限らない?
そういうこと?
ベルはわずかに目を細めたまま、足を止めずに考え続ける。
やがてベルが広場へとたどり着き、あたりを見渡す。
潮風にざわめく人の流れの中、広場の端に据えられたベンチに目を向けると、そこにミリィとハーミットの姿があった。
小柄なミリィは、フリルのあしらわれた柔らかなワンピースに身を包み、背には少し大きめのリュックを背負っている。金色の髪はふわりと揺れ、その視線はどこか遠慮がちに伏せられながらも、隣に座るハーミットへと気遣うように向けられていた。
対してハーミットは、白衣のようなコートを羽織り、その下に鮮やかな赤いワンピースをまとっている。黒いストッキングがすらりとした脚を引き締め、足元の赤いハイヒールが地面に静かに存在感を刻んでいた。
金色のストレートヘアはわずかに風に揺れ、白い肌に映える碧眼は、眼鏡越しでも鋭さを失わない。整ったスタイルと相まって、その姿はどこか近寄りがたい気配を漂わせている。
だが今は、先ほどまで見られた傷の痕跡はどこにもない。背筋は伸び、立ち上がればすぐにでも動き出せそうなほど、しっかりとした佇まいを取り戻していた。
ただその表情だけは変わらず、いつも通り怒っているかのように厳しいままだった。
ベルはその様子を確認すると、二人へ向けて静かに歩みを進めた。
やがてベルが二人のもとへと歩み寄る。
その足音に気づいたミリィが、はっと顔を上げた。
ベルは軽く息を整えながら、穏やかに声をかける。
「お待たせ。早かったのね」
ミリィは小さく首を振り、遠慮がちに応じた。
「ベルさん、私たちもさっきついたばかりなので」
その横で、ハーミットへと視線を移すベル。
しっかりとした足取りと、傷一つ見当たらないその姿を確かめるように、短く問いかける。
「もう身体は大丈夫みたいね」
ハーミットは眼鏡の奥でわずかに目を細め、いつも通り張りつめた表情のまま答えた。
「最初から大丈夫。これでもう気にしないでくれるかしら?」
ベルは小さく息を吐くと、改めてハーミットへと視線を向けた。
先ほど管理局で聞いた内容を、落ち着いた声で伝えていく。出国記録にはプレレッサの名も、タブラスカの名も残っていないこと。身分証がなければ正式な手続きは不可能であること。
一通りを聞き終えたハーミットは、わずかに眉をひそめた。眼鏡の奥で碧の瞳が鋭く光る。
「やっぱり……どうにもならないじゃない」
吐き捨てるような声に、どこか苛立ちが滲む。
だがベルはすぐには否定せず、静かに視線を返した。
そして、少しだけ口元を緩める。
「そうでもないわ。私にちょっと秘策あり」
ハーミットが眉を顰める。
「秘策?」
ベルは軽く頷き、前へと一歩出る。
「そう、秘策。ちょっと見てて」
そう言いながら、二人の前に立つと、静かに目を閉じた。
ミリィとハーミットが、不思議そうな顔でその様子を見上げる。
わずかな静寂。
「行くよ」
小さく呟いたその声を合図に、ベルの意識は内へと沈んでいく。
想像しろ。
あいつが願いを叶える能力だと言ったのなら——きっと間違いない。
これまで、自分は何をしていた?
ただ聞いた力を、形だけなぞって。
なんとなく真似をして。
使おうとしていただけだ。
願ってなんていなかった。
便利な力だと、そう思っていただけ。
——だから、届かなかった。
なら、どうする。
考えろ。
想像しろ。
願え。
思え。
指先に嵌められた指輪の感触を、ひとつひとつ確かめる。
彼女達の力を借りるのに必要なのは、体力と——心。
呼び出すのではない。
命じるのでもない。
彼女達の興味を引け。
関心を持たせろ。
理解させろ。
彼女達は、常に暇を持て余している。
だから——
姫神にやらせるんじゃない。
一緒にやるんだ。
ベルはゆっくりと両手を持ち上げた。
指先に嵌められた指輪、その一つひとつへ意識を向ける。
そして——
「アカリ。思いっきり照らして、ミカゲ、アカリの光を受けて、影を強く濃く、そして大きく広く、伸ばして」
次の瞬間、ベルの頭上に、頭と同じほどの大きさの光の球が浮かび上がった。
眩い輝き。
それを見たハーミットとミリィは、反射的に両手で顔を覆う。
直後——爆発するような閃光が広場を飲み込んだ。
白一色に塗り潰される視界。
その光の下で、ベルの足元の影が変質する。
より黒く。
より濃く。
そして——蠢く。
影から、糸のように細い線が無数に伸びていく。
一本ではない。
二本でもない。
数えきれないほどの影が、四方へと走り出す。
広場を抜け、通りを抜け、市場を駆け抜ける。
港を越え、街の外へ。
街道へ。森へ。海辺へ。
そのまま海岸線に沿って、どこまでも広がっていく。
まるで、この街そのものを覆い尽くすように。
ベルは目を閉じたまま、静かに口を開いた。
「思ったんだ。私の想像次第で使い方が決められるなら……私は戦いよりもこういうことに使いたい。ってね」
その瞼の下から、血の混じった涙が滲む。
一筋、頬を伝い——地面へと落ちる。
それでも止まらない。
止めない。
ただ、探す。
全てを伸ばし、全てを繋げ、探し当てるまで。
やがて——
「あ、見つけた」
ハーミットが思わず顔を上げる。
「あなた……まさか……!?」
ベルはわずかに口元を緩めた。
「その、まさかだよん」
やがて光が収まる。
恐る恐る目を開いたミリィとハーミットの視界に映ったのは——
その場にへたり込み、項垂れるベルの姿だった。
両目からは血の涙が流れ続けている。
呼吸は荒く、肩で大きく息をしている。
「ベルさん!」
ミリィが慌てて駆け寄り、その背に手を添える。
ベルは顔を上げることもなく、途切れがちな声を漏らした。
「だ……大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
「ちょっとって……血が……」
ミリィは急いでポケットからハンカチを取り出し、頬を伝う血を拭う。
「ごめん。自分で拭きたいとこだけど、もう両手に力入らなくて」
言葉通りだった。
ベルの両手足は、まるで糸の切れた人形のように、力なく地面へと投げ出されていた。
ハーミットが険しい表情のまま問いかける。
「どうなってるの?」
ベルは荒い呼吸の合間に、途切れがちな声で答えた。
「えっと……ミカゲの、あ、影の姫神の、糸を張り巡らせて……タブラスカ見つけて、そして、足を掴んで……て、あっ!ダメ!逃げられた!」
目を閉じたまま一気に言い切ると、悔しそうに顔を上げる。
「あー……体力無さすぎ、私のバカァ……」
その様子に、ハーミットは小さく息をついた。
「惜しかったわね……でも」
ベルはわずかに口元を引き上げる。
「ええ……彼、まだこの大陸に、この街の近くに、いるわ」
ハーミットの目が鋭く細まる。
「そうとわかれば……」
ミリィが、ぐっと拳を握る。
「あとは行動あるのみ、ですね!」
ベルは大きく三度、深く息を吸い込み、無理やり呼吸を整える。
そして、ゆっくりと目を開いた。
その両目は、血が滲み、赤く染まっている。毛細血管が切れているのが一目でわかった。
ハーミットが思わず眉をひそめる。
「あなた……ひどい顔よ」
ベルは両膝に手をつき、重たい身体を引き上げるようにして立ち上がる。
そのまま苦笑を浮かべた。
「ひどっ!こんなにがんばったのに」
それでも背筋を伸ばし、ぎこちない動きで大きく伸びをする。
まだ身体は重い。だが——
顔を上げる。
「さぁ!それじゃ行きましょう!」
そう言って笑顔で右手を振り上げた、その次の瞬間だった。
ふっと力が抜ける。
ベルの身体から、まるで糸が切れたかのように——支えが消えた。
そのまま、崩れ落ちる。
音もなく、地面へ。
「ベルさんっ!」
ミリィが弾かれたように駆け寄り、その身体を抱き起こす。
力なくぐったりとした体を揺すりながら、何度も名前を呼ぶ。
「ベルさん……!ベルさんっ……!」
返事はない。
呼吸はある。だが、意識は戻らない。
ミリィの声は次第に震え、やがて涙が零れ落ちる。
それでも止めず、必死に揺すり続ける。
その光景を——
ハーミットは、ただ無言で見つめていた。
やがて、小さく視線を落とし。
誰にも聞こえないほどの微かな音で、爪を噛んだ。




