港町、サルガスター
街の外縁から、サルガスタの輪郭がはっきりと見え始める。
高く積まれた倉庫、立ち並ぶ帆柱、そして絶え間なく行き交う人と荷の流れ。
馬車の車輪が石畳に変わり、軽い振動が伝わってきた。
「……ここが、サルガスタです」
ミリィが小さく息を整えながら、窓の外を見つめる。
「大陸行きの船が多く出入りする、大きな港町で……各地から物や人が集まる、流通の要所です」
ベルが静かに外へ視線を向ける。
潮の匂いが、風に乗って入り込んでくる。
ミリィは続けた。
「交易が盛んで……本当に、いろいろなものがここを通っていきます。食べ物も、武器も、情報も……」
一度、言葉を区切る。
「それに……この街は独自の自警団がいます。中央とは少し違う形で、街の秩序を守っているんです」
ハーミットがわずかに眉をひそめた。
ミリィは構わず、淡々と説明を続ける。
「密輸や海賊、それに……あまり表に出せないようなことにも、対応しているはずです」
馬車はそのまま進み、港へと続く大通りへと入っていく。
人のざわめきが一気に近くなる。
「ここは……自由な街です。でもその分、いろんな思惑も集まる場所なので……」
ミリィは少しだけ不安そうに言葉を締めくくる。
「気をつけた方がいい場所でもあります」
ベルは小さく頷いた。
ハーミットは何も言わず、ただ街の奥を見据えている。
馬車はそのまま、サルガスタの中心へと吸い込まれていった。
港の喧騒の中、ベルは迷いなく言葉を落とす。
「港の管理局に行って、西大陸への渡航者記録を確認しましょう。正式な渡航手続きではない可能性も考慮して、この街のギルドと警察にも連絡を。それから——」
ベルはハーミットの手を取る。
「ミリィ、彼女を教会に連れて行ってもらえないかな?」
ミリィは頷く。
「はい」
ハーミットが眉をひそめる。
「なんで教会?私、教会は昔から苦手なんだけど」
「教会で回復魔法による治療を受けてきて」
即座に返すベルに、ハーミットは首を振る。
「私のことなんてどうでもいい。それよりタブラスカを——」
「いいかげんにしなさい!」
ベルの声が鋭く響いた。
一瞬で空気が張り詰める。
ハーミットの肩が跳ね、ミリィは思わず息を呑む。
「いつまでもそんなこと言ってないで、ちゃんと自分のことも大事にして」
「だから私は——」
「もうこの際、あなたの気持ちなんて知りません!私とミリィが、傷だらけの同行者なんて気になって仕方ないの!タブラスカのことは私に任せて。治療してきて」
言い切ると、ベルは手を離し、そのまま踵を返す。
「じゃ、そういうわけで。私は港の管理局に行くから、後でどこかで落ち合いましょう」
人混みの中へ、迷いなく消えていくその背中を見送りながら——
ハーミットは小さく息を吐いた。
「……あの子、なんだか変わったわね」
ミリィは静かに首を振る。
「変わったんじゃありません。戻ったんです」
最近のベルは、ずっと違っていた。
悩み、迷い、立ち止まり、答えを出せずに足を止めることが多かった。
以前のように、考えるより先に動き出すことが、少なくなっていた。
だからこそ今の姿は——
ミリィが初めて会った時の、命懸けで助けてくれた。あの背中にそっくりで、ミリィの胸が熱くなった。
「やっとベルさんらしくなってきましたね」
ふっと微笑む。
「そういうところは、2人ともそっくりです」
港の管理局は、昼間だというのにひどく慌ただしかった。
紙の擦れる音、怒鳴り声、刻印の鳴る音。
人と書類と情報が、絶えず行き交っている。
ベルが特徴を伝えると、係員は一度だけ目を細めた。
「白髪に青い目で白い肌?それで180cm以上?そんな目立つ奴がいたら忘れないだろう」
即答だった。
ベルは一瞬、言葉を飲み込む。
それでもすぐに顔を上げる。
「出国記録にないか調べてみるけど、なんで名前だい?」
ベルはわずかに躊躇したあと、はっきりと答えた。
「えっと……プレレッサ、もしくはタブラスカ」
係員の手が止まる。
「……もしくはって、冗談ならやめてくれよ?」
「冗談じゃなくって、もしかしたら偽名とか使ってるかも」
係員は軽く息を吐き、首を横に振った。
「入出国には何かしらの身分証が必要だから、偽名は使えないよ」
ベルはすぐに食い下がる。
「じゃーどっちかだから、お願い!調べて」
その目には迷いはない。
ただ、答えを求める強さだけがあった。
係員は少しだけ黙り込み、やがてため息混じりに席を立つ。
「……分かったよ。少し時間はもらうけど、確認してみる」
奥へと消えていく背中を見送りながら、ベルは静かに息を吐いた。
情報が、わずかでもいい。
確かな“何か”に繋がるなら、それでいい。
港の喧騒の中で、ひとつの糸口を掴むために、ベルはそこに立ち続けていた。
待合室のベンチに腰を下ろし、ベルは売店で買ったホットコーヒーを一口だけ口に含む。
熱が、少しだけ体に染みた。
サンドイッチにかぶりつきながら、ぼんやりと考える。
(朝から、何も食べてなかったわね……)
視線が、自然と空席の向こうに向く。
「ミリィも……何か食べてればいいけど」
あの遠慮がちな性格では、きっとろくに食べていないだろう。
そんなことを思いながら、ベルはもう一口サンドイッチを齧る。
その時だった。
軽い足音が、左右から同時に近づいてくる。
気配で、すぐにわかる。
面倒な類の人間だ。
ベルの左右に、軽薄そうな若い男たちが腰を下ろした。
ベルは目だけを向ける。
「……何?なんか用?」
冷えた視線に、男たちは気にした様子もなく笑い合う。
「冷たいなー」
「もうちょっと愛想よくしてくれても良くない?」
ベルは小さくため息を吐いた。
男の一人が、わざとらしく肩をすくめる。
「君さー、なんか人を探してるんだろ?」
「俺たちが探すの、手伝ってやるよ」
ベルは即座に首を振る。
「結構です。1人でできますので」
その言葉を聞いても、男は距離を詰める。
そして、さりげなくベルの黒髪に指を滑らせた。
「君、かわいいよねー。俺たちと一緒に探そうよ」
次の瞬間。
ベルの手が、その手を強く振り払う。
「ちょっと、触らないでよ!」
男は大げさに手をさすり、声を上げる。
「いてっ!あぁ、折れた!折れたかもしんない!」
「おい!大丈夫かよ!」
「ひでぇことするなぁっ!」
男たちは、わざとらしく騒ぎ立てる。
ベルは、じっとりとした目でその様子を見つめた。
そして、わずかに息を吐く。
「……ミカゲー」
小さく呼ぶ。
「悪いけどお願いしていい?」
その瞬間。
ベルの足元の影が、ゆらりと揺れた。
黒い影から、二本の腕が静かに伸びる。
次の瞬間。
男たちの顎を、下から強烈に撃ち抜いた。
鈍い音とともに、小さな悲鳴が漏れる。
そのまま、二人は後方へ吹き飛び、床に崩れ落ちた。
一瞬で静かになる周囲。
ベルは、何事もなかったかのようにサンドイッチを手に取り直す。
「ほんっと……最悪」
淡々と一言。
そして、何事もなかったかのように食事を続ける。
「ミカゲ、ありがとー」
影は何も言わず、静かにその場に沈んだままだった。
ベルはサンドイッチを口に運びながら、ぼんやりと考えていた。
最近、変化がある。
前から協力してくれていたアカリだけじゃない。
ミカゲも、呼べば普通に力を貸してくれるようになった。
ミズキも同じだ。
以前は呼んでも反応が薄かったのに、今はしっかり応えてくれる。
(……どういうことだろ)
コーヒーを一口飲む。
他の姫神は、まだ試していない。
だが——
どこかで一度、確かめておくべきだと思った。
もしかしたら。
(みんな、力を貸してくれるようになってる……?)
理由はわからない。
それでも、確かめる価値はある。
ベルは、静かに自分の手を見下ろした。
両手に嵌められた、十本の指輪。
あいつが何よりも大切にしているもの。
封じられた存在たちのいる指輪。
指先に触れるように、ベルは指輪を見つめる。
「……カレンが力貸してくれたら……気持ちいいんだろうなー」
ぽつりと呟く。
「カレン、剛力...お願い。」
そして、ベンチに座ったまま両手を構えた。
シュッ、シュッ。
空を切る、何の変哲もない動き。
速くもない。鋭くもない。
ただの、普通のパンチ。
ベルは何度か同じ動きを繰り返すと、軽く頷いた。
「..今度、ちゃんと試してみよ」
そう言って、再びサンドイッチにかぶりついた。




