英雄化施術ー
ハーミットが手配した馬車は、石畳の道を軋むように進んでいた。車輪が跳ねるたび、わずかな揺れが三人の身体に伝わる。
街並みはゆっくりと後ろへ流れていく。
店先の喧騒、行き交う人々の声、遠くに見える建物の群れ。
それらすべてが、次第に遠ざかっていった。
馬車の中は静かだった。
ハーミットは窓の外に視線を向けたまま、口を閉ざしている。
腕を組み、背をわずかに預けた姿勢は、どこか警戒を解いていないようにも見えた。
その表情は明らかに不機嫌だったが、同時に――
最初からこういう人物だったと言われれば、納得できてしまう程度のものでもあった。
ベルはその横顔をちらりと見て、小さく息をつく。
特に何かを言うでもなく、視線を前に戻した。
ミリィもまた、緊張を崩さないまま座っている。
揺れる馬車の音だけが、一定のリズムで響いていた。
馬車は揺れを刻みながら、ゆっくりと街を離れていく。
車輪が石を踏む音だけが規則正しく響き、外の喧騒は次第に遠のいていた。
ベルが、少しだけ間を置いて口を開く。
「聞いてもいい?」
ハーミットは答えない。
ただ、眼鏡の奥から視線だけをベルに向ける。
その視線を受け止めたまま、ベルは続けた。
「結局のところ、あなたとタブラスカの関係ってなんなの?」
一度、ハーミットは視線を逸らす。
だがすぐに戻し、淡々と口を開いた。
「彼は、ククルカナンの王子で、私はククルカナンの国家研究機関に所属する研究員。それ以上でも以下でもないわ」
言い切る声に、感情はほとんど乗っていない。
ベルは少しだけ眉を寄せる。
「その研究員って…こんなことまでしなきゃいけないの?」
ハーミットは小さく息を吐き、窓の外に視線を向けたまま答えた。
「彼は…少し前の施術によって、体調や精神に不安を抱えているから、誰かが世話をしたり体調管理をする必要があるの。私は研究に関わった者として、その職務に就いているだけ」
機械的に説明するような口調。
ベルの隣で、ミリィが静かに言葉を挟む。
「それは…英雄化施術、ですか?」
ハーミットの視線は動かないまま、わずかに口元だけが動く。
「…あら、そんなことまで知ってるんだ?」
興味とも皮肉ともつかない反応。
ベルは少しだけ体を前に倒し、落ち着いた声で答える。
「ちょっと前に知り合ったカダブランカの王女の、従者が英雄化施術を受けていたのよ」
一拍置いて、ハーミットが短く返す。
「なるほど…カダブランカのね」
その言葉は、何かを測るように静かに落ちた。
馬車の揺れに合わせて、静かな沈黙が一度だけ落ちる。
外の景色はさらに遠ざかり、木々の影が窓をかすめていく。
ハーミットは視線を窓の外に向けたまま、小さく呟くように言った。
「魔王殺しと、その関係者ともなれば、各国もこぞってちょっかいかけてくるのは当然、か。私が言ったのだったわね」
その言葉には、わずかに自嘲の色が混じっている。
ベルはハーミットの横顔を見つめたまま、何もすぐには返さない。
ミリィもまた、黙ってその空気を受け止めていた。
車輪の音だけが、一定のリズムで響き続けている。
馬車は小さく揺れ続ける。
木製の車体が軋む音と、外の風が時折窓をかすめていく。
ハーミットは視線を前に戻し、淡々と続けた。
「そうね。カダブランカの英雄化施術は画期的だったわ。まさか生まれたばかりの赤ん坊に英雄核と名付けた魔王核を埋め込むなんて…とても正気とは思えない」
その言葉に、ベルの眉がわずかに動く。
重い沈黙の中で、静かに口を開いた。
「でも、あなたたちの国だって」
ハーミットは即座に言葉を重ねる。
「私達の…いえ、私の研究は違うわ」
一瞬だけ、言い直す間があった。
「カダブランカの実験データを元に、人工的な魔力回路を10個埋め込み、英雄の10の権能を再現する。本来はそういう実験だったのに…」
言葉がそこで途切れる。
その先を語ることを、どこかで拒んでいるように。
ベルは何も言わず、ただハーミットの横顔を見ていた。
ミリィもまた、静かにその言葉を受け止めている。
馬車の揺れだけが、三人の間に流れていた。
馬車の揺れが少しだけ強くなる。。
「そんなに英雄が作りたいの?」
ため息と共に吐き出されたベルの言葉に、
ハーミットは眼鏡を外し、細く息を吐いて空を見上げた。
「私の提言した英雄化実験なら、コストと時間さえ無視すれば、誰でもが英雄の力を手に入れられるーそうなれば」
言葉の途中で、わずかに間が落ちる。
そして、静かに続けた。
「搾取される子供達が減る」
ベルが小さく目を見開く。
「…え?」
ハーミットは視線を外さず、淡々とした声で言う。
「軍事利用目的とでも思ったの?それなら、他にもっとコストもかからず効率の良い方法がいくらでもあるわ」
ミリィが、少し震える声で問いかける。
「どうして、英雄化で子供が?」
ハーミットは一瞬だけ目を閉じ、それからミリィを見る。
「あなたならわかるんじゃない?西大陸での女子供扱いがどの様なものか」
空気が、さらに重くなる。
「王族の子でも、女であれば、子供を産むためだけの存在。身分の低い層の子供達なんて、家畜より酷い扱いよ」
淡々とした口調の中に、わずかな怒りと諦めが滲んでいた。
ベルは言葉を失い、ただハーミットを見つめる。
ミリィは唇を噛み、俯いた。
外の風が、馬車の隙間をすり抜けていく。
その音だけが、やけに遠く響いていた。
馬車の揺れに合わせて、三人の影がわずかに揺れる。
窓の外では、風に揺れた木々の影が、規則なく流れていく。
ハーミットは言葉を続ける。
「誰もが安心してローリスクで受けられる英雄化施術があれば、少なくとも施術を受けた子供は、兵士になるなり護衛に着くなり、それなりの生活が送れる、かも知れない」
その言葉は、理想としてはあまりに現実から遠い。
ベルが、思わず口を開く。
「でもそんな…」
言いかけた言葉を、ハーミットが遮る。
「わかってるわよ」
淡々とした声。
けれど、その奥には確かな重みがあった。
「物事はそんなに都合よくはいかないってことくらい。それが最善とも思わない。救われる子供だって多くはない。それでも…」
一度、言葉が途切れる。
ハーミットは視線を窓の外に向けたまま、静かに続けた。
「私が、私に出来る方法で考えた、それが唯一の可能性だったの」
その声は、どこか遠くを見ているようだった。
ベルは何も言わず、ただハーミットを見ている。
ミリィもまた、俯いたまま小さく拳を握っていた。
馬車は変わらず、目的地へと進み続けている。
馬車の揺れの中、ハーミットの声だけが静かに響く。
「国家研究機関の会議で提言したの。もちろん表向きは軍事利用目的としてね。あなたの言う通りよ。いろんな反論への対策をして臨んだものの、反応はとてもよくてね。正直拍子抜けだったわ」
そう言いながら、ハーミットは頬に貼られていたガーゼに指をかける。
ゆっくりと剥がす。
その下には、まだ完全には癒えていない傷があった。
かさぶたと新しい皮膚が混ざり合い、痛々しく残っている。
「それはそうよね。機関は別の可能性を検討していたのだもの」
淡々とした口調。
まるで過去の出来事をただ整理するように。
「そして、それを知ったプレレッサ殿下は、自ら被験体に手を挙げたの」
その名前が出た瞬間、空気がわずかに変わる。
ミリィが息を呑み、恐る恐る口を開く。
「プレレッサって…あのタブラスカさんの」
ハーミットは何も言わず、ただ短く頷いた。
言葉よりも確かな肯定。
ベルはその様子を見つめたまま、何も言えずにいる。
馬車は揺れ続ける。
外の景色だけが、静かに流れていった。




