真の英雄とはー
二人の手が、しっかりと握られる。
ぎしり、と。
わずかに、力が強くなる。
ベルの眉が動く。
「……おい?」
タブラスカは、笑っている。
だが。
その笑みが、わずかに固い。
「……いい戦いだった」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「実に、有意義だった」
一拍。
視線が、ベルから外れる。
どこか遠くを見るように。
「これほどの力を持ちながら、導かないというのは……やはり、惜しい」
ベルの表情が変わる。
「……は?」
握る力が、また強くなる。
「力ある者は、導かなければならない」
声が、少しだけ重くなる。
さっきまでのタブラスカとは、微妙に違う。
「それが、正しい在り方だ」
ベルが手を引こうとする。
だが――離れない。
「おい、離せ」
タブラスカの指が、さらに食い込む。
「君も、いずれ理解する」
視線が戻る。
その瞳は――
どこか、遠い。
「人は導かれることで、救われるのだから」
ハーミットの顔色が変わる。
「……やめなさい、それ以上は」
タブラスカの肩が、ぴくりと揺れる。
だが、止まらない。
「僕は、そのために――」
一瞬。
言葉が、途切れる。
呼吸が乱れる。
ほんの一瞬だけ。
“戻りかける”。
「……ちが……」
掠れた声。
だが次の瞬間。
握る力が、さらに強くなる。
「――我は英雄タブラスカ。負けることなど許されない」
明らかに雰囲気が変わる。
見上げてくるその目の奥に、これまでとは違う輝きが宿る。
その様子を見たハーミットの顔から、血の気が引く。
親指の爪を噛む。
指が、震えている。
ベルの目が険しくなる。
「おまえ……誰だ?」
タブラスカは、ベルの手を握ったまま立ち上がる。
その動きは、ゆっくり。
だが、重い。
気のせいか――一回り大きく見える。
ミリィとハーミットが小さく声を上げる。
「なんだか……雰囲気が……」
「このタイミングで……最悪」
タブラスカが、わずかに首を傾ける。
ベルを見下ろす。
「言ったはずだ」
静かに言う。
「我は英雄タブラスカ」
握る力が、さらに強くなる。
骨が軋む。
ベルが眉をひそめる。
「...離せよ」
タブラスカの口元が、わずかに歪む。
タブラスカがベルの手を離す。
ベルは掴まれていた腕を何度か軽く振り、左手でさする。
右手には、くっきりと指の跡が残っている。
それを見たミリィが、小さく悲鳴を上げた。
タブラスカがベルを見下ろす。
「たとえ魔王殺しだろうと、英雄が膝をつくわけにはいかないのでな」
ベルが眉をひそめる。
「なんだそりゃ……あいつはどこ行った?」
タブラスカは即答する。
「我は我だ。何も変わらない」
一拍。
「未来永劫、英雄として生きる」
ベルがため息をつく。
「……なんか、微妙に会話が噛み合ってねぇ気がするんだけど」
ハーミットが一歩前に出る。
「……これ以上は……」
言い淀む。
視線がタブラスカから逸らせない。
「使わせちゃダメなのよ……それ以上……」
タブラスカのに。
紋様が、わずかに脈打つ。
呼応するように。
ゆっくりと、一歩踏み出す。
「問題ない」
淡々とした声。
「この程度で崩れるようでは、英雄とは言えない」
ベルの目が細くなる。
「今、そんな話してねぇよ」
タブラスカは止まらない。
「力は使うためにある」
静かに言い切る。
「使い続けることで、完成する」
ハーミットの顔色がさらに悪くなる。
「ダメ……それ以上は本当に――」
その言葉を遮るように。
タブラスカの紋様が、わずかに強く光る。
ミリィが一歩後ずさる。
「……増えてる……?」
ベルが小さく舌打ちする。
「チッ……まだやる気かよ」
タブラスカが、わずかに首を傾ける。
「当然だ」
その目には、迷いがない。
「我は――負けていないのだから」
「第2Rてわけかよ」
ベルの頬を冷や汗が伝う。
タブラスカは静かに首を振る。
「違うな」
淡々とした声。
「まだ第1Rだ」
ベルが歯を見せる。
「そいつはどうにも、往生際が悪いってもんだろ!」
叫ぶと同時に、駆け出す。
「カレン!もう一度だ!」
全身に力が漲る。
駆けた勢いのまま、拳を叩き込む。
だが――
タブラスカは、避けない。
そのまま拳を受ける。
ベルの拳が触れた瞬間、衝撃が逆流する。
殴りつけた力そのものが、そのまま跳ね返る。
「っ!?」
ベルの身体が弾かれるように後方へ飛ぶ。
空中で体勢を立て直し、着地。
さらに数歩、後ろへ跳び距離を取る。
タブラスカが静かに告げる。
「絶対防御」
一拍。
「英雄は傷付かない」
ベルが右手を見る。
血が滲んでいる。
拳が震えている。
「……マジでなんなんだお前は」
低く吐き捨てる。
「まるで鉄の塊殴ったみてぇだ」
ベルの視線に応えて、
「何度でも答えてやろう」
両手を広げる。
「我こそは西大陸における英雄の始祖、タブラスカである」
その姿を見たハーミットが両手で口を押さえてわななく。
そのまま、その場にへたり込む。
震えが止まらない。
「もう……もうそこまで……」
ミリィ「……あれは……なんなんですか!?」
ハーミット「……聞いた通りの……私たちの偉大なる……英雄様よ……悲しいほどに」
ベルが小さく息を吐く。
「……英雄、ね」
右手を見下ろす。
血がにじむ拳。
そのままゆっくり握り直す。
「英雄ってのはどんだけ偉いんだよ」
視線を上げる。
真正面からタブラスカを見据える。
「だったら――」
一歩、踏み出す。
「その“英雄”、ぶっ壊してやるよ」
タブラスカの紋様が、強く脈打つ。
「試すがいい」
静かに。
だが確信を持って、そう返した。
「そんなのがおまえらの言う英雄なら――」
ベルが拳を握る。
「俺がぶっつぶしてやる!」
タブラスカの瞳がわずかに細くなる。
「吠えるな、魔王殺し」
「紋様術でも英雄召喚でも、好きにしろ!」
ベルが一歩踏み込む。
「俺が全部跳ね返してやる」
タブラスカは微動だにしないまま、静かに言葉を続ける。
「英雄召喚とは、つまるところ――」
「この英雄タブラスカの持つ十の権能を、魔力を込めた紋様の並列展開によって無理やり再現しようとしたに過ぎぬ」
一拍。
「いわば偽物」
空気が張り詰める。
「真の英雄たる我には不要」
ベルの眉がぴくりと動く。
「……なんだと?」
その瞬間――
タブラスカの全身に、力が溢れた。
紋様が一斉に輝き、脈打つ。
圧が跳ね上がる。
地面が軋み、空気が悲鳴を上げる。
プレレッサの英雄召喚とは比べものにならない、純度の高い力。
まるで世界そのものが、押し潰されるような感覚。
ベルが息を飲む。
「なんっだ……そりゃ」
タブラスカは静かに告げる。
「これが、真の英雄だ」
そして、全身を走る光が、ひとつに収束していく。
額へ。
その奥へ。
赤い光が、脈動するように強まった。
ベルの目が鋭く細まる。
「……おい、待て。その光は――」
言葉が続くより早く、変化が起きた。
タブラスカの額に、ひびが入る。
内側から押し広げられるように――
皮膚が裂ける。
そこから、赤く光る宝玉が姿を現した。
脈打つ。
鼓動のように、強く。
その瞬間、空気が一段、重く沈む。
圧が跳ね上がる。
ベルが息を呑む。
ハーミットが目を見開く。
「これは……ついに……」
ミリィの声が震える。
「……あれは……私はあれを……知っています……」
「……なんだ……これは?」
タブラスカの声が、ほんのわずかに乱れる。
さっきまでの確信に満ちた響きではない。
その目が、わずかに揺れる。
自分の額に現れた異物に、初めて気付いたように。
「ハーミット!」
座り込んだまま呆けていたハーミットが、はっとして立ち上がる。
「ハイ……タブラスカ様、何か?」
タブラスカが、自分の額を指差す。
「これはなんだ?」
ハーミットは一瞬、言葉を失う。
そのままゆっくりと瞳を閉じる。
「それは……英雄核です」
ベルが小さく息を吐く。
「やっぱそうか」
タブラスカの眉がわずかに寄る。
「英雄核……魔王核のことか」
一拍。
「なぜ我の体にそんなものが……」
言葉が途切れる。
「本物の英雄には、そんなものは不要……」
静寂。
「……本物?」
その言葉が、わずかに揺れる。
タブラスカが片手で顔を押さえる。
指先に、わずかな震え。
動きが、微かに歪む。
「本物……?」
低く、繰り返す。
「本物、とは……?」
ハーミットが一歩踏み出す。
「落ち着いてください、タブラスカ様」
「我は落ち着いている……」
間。
「英雄は、動揺など……」
その言葉の途中で――
ぴたりと、動きが止まる。
風も、音も、遠のいたような静寂。
ベルが眉をひそめる。
「……なんだ……?」
ハーミットがおそるおそる近づく。
一歩、また一歩と距離を詰める。
タブラスカの前に立つと、下からその顔を覗き込む。
次の瞬間――
息を呑み、表情が凍りついた。
そのまま動かない。
震える手が、無意識に口元へと上がる。
親指の爪を、強く噛む。
視線は外さない。
タブラスカから、一瞬たりとも。
やがて――
ベルの方を見るでもなく、口を開く。
「魔王殺し……申し訳ないけど、ここまでにしてもらえないかしら?」
ベルとミリィが、同時に怪訝な顔をする。
「どういうことだよ」
低く問う。
ハーミットの声が、わずかに震える。
「いいから……お願い。今日のところは、黙って引いて」
ベルが言い返そうとする、その瞬間。
ミリィが駆け寄る。
服の裾を、ぎゅっと掴む。
「ベルさん……今日は帰りましょう」
小さな声。
だが、はっきりとした意思。
ベルがミリィを見る。
一拍。
そして、小さく息を吐いた。
「……そうだな」
タブラスカから視線を外さないまま、ハーミットへ向き直る。
「今度、説明してもらうからな」
ハーミットは、わずかに頷く。
「ええ...必ず。約束するわ」
その声は、どこか遠くを見ているようだった。
ベルはミリィを伴い、背を向ける。
そのまま、街の方へと歩き出す。
足取りは重くはない。
だが――胸の奥に、引っかかるものが残る。
拭いきれない違和感。
言葉にできないまま、沈んでいる。
しばらく歩いたところで、ふと足を止める。
振り返る。
月明かりの下。
そこに立つ二つの影。
タブラスカとハーミット。
距離はあるはずなのに、妙にはっきりと見える。
だが――
二人とも、動かない。
まるで時間だけが、その場で止まっているかのように。
ベルはわずかに眉をひそめる。
「……なんなんだよ、あいつ」
小さく吐き捨てる。
答える者はいない。
風だけが、静かに通り過ぎた。
項垂れたまま動かない英雄の隣に立ち、ハーミットはそれを見下ろしていた。
眼鏡の奥で、隠すことなく涙が溢れている。
「ごめんなさい……私、私はこんな風にしたくなかった……本当に」
白いコートを脱ぎ、そっとその肩にかける。
「いいえ、嘘ね」
小さく、かぶりを振る。
「施術すると決まった時点で……こうなることは予測していた」
声が震える。
「それが早いか遅いかの違いだけ……私は理解した上で、把握した上で、リスクもデメリットも承知の上で……自らの手で……」
言葉が途切れる。
ハーミットの目から、大粒の涙が溢れた。
強く目を閉じる。
涙は拭わない。
そのまま、眼鏡を外し、静かにポケットへしまう。
そして、そっと――後ろから抱きしめる。
「……私が責任を取るわ」
かすれた声。
「たとえ何も出来なくとも、最期まで見届ける。それが私にできる……せめてもの罪滅ぼしだから」
しがみつくように、腕に力がこもる。
「英雄の生き様を、そして――」
一瞬、息が詰まる。
「優しくて穏やかで、空気の読めないプレレッサのー」




