森の探索開始ー
森の中をしばらく、ベルは宛てもなく歩き続けていた。
木々の間を抜け、足音だけが静かに落ちる。
視線は鋭く周囲に向けられているが、目的の気配はまだ掴めていない。
やがて、背後から声がかかる。
「さっきから何をしてるんだい?」
ベルは足を止めることなく、振り返らずに答えた。
「……何って……魔獣を探してるんですけど……」
タブラスカは少し間を置いてから、淡々と返す。
「僕には宛てもなく歩いているようにしか見えないが……」
ベルの足がぴたりと止まる。
振り返り、少しだけ強い口調になる。
「……そうですけど、それが何か!?」
その反応に、タブラスカは一瞬だけ目を細めたが、すぐに落ち着いた声で続ける。
「……僕はギルドの依頼を受けた経験はないが、狩りや魔獣討伐は何度も経験があるんだ。その僕から言わせてもらうと……」
少しだけ間を置き、ベルを見る。
「どうして魔力感知や索敵を使わないんだい?」
「……?」
ベルはきょとんとした顔になる。
次の瞬間、タブラスカの表情がわずかに変わる。
「……まさかとは思うけど、使えない、とか?」
その言葉に、ベルの顔が一気に赤くなる。
言葉が詰まる。
タブラスカは軽く肩を落とし、やや呆れたように呟いた。
「嘘だろ? 魔力感知もなしで、この森の中で単体の魔獣を探し出すなんて……無謀にも程がある」
ベルは何も言い返せず、ぎゅっと唇を結んだまま視線を逸らした。
タブラスカが一歩前に出る。
「わかった。じゃあ僕に任せて」
ベルの前に立ちはだかるようにして、軽く周囲へ意識を向けた。
ベルは慌てて声を上げる。
「ちょっと、余計なことは――」
タブラスカは振り返らず、淡々と問いかける。
「じゃあこのまま、宛てもなく見つかるまで探す気なのかい?森に住む魔獣だよ?」
一歩、言葉を重ねながら進む。
「それも群れでもなく、単独行動の野獣。警戒していて、気配も消している個体を」
足を止め、ベルの方へ視線だけ向けた。
「人間が魔力感知もなしに探せると思うかい?」
ほんのわずかに間を置いて、言葉を締める。
「君が高名な武術家というならまだしも」
ベルは口を開きかけて――結局、何も言えなかった。
視線を落とし、黙ったまま立ち尽くす。
その様子をよそに、タブラスカは軽く目を閉じる。
魔力が、静かに周囲へと広がっていく。
森の空気がわずかに変わる。
やがて目を開け、自然な動作で方向を示した。
「うん、近くはないけど、そんなに遠くもない。行こうか」
指先が森の奥を指す。
「あっちだよ」
ベルは何も言えず、ただその背中を見てから、小さく息を吐いた。
そして、黙って後を追った。
「気付かれた……!?」
ベルは咄嗟に立ち上がり、逃げる動作に入る。
タブラスカが鋭く声を飛ばした。
「馬鹿! まだ気付いてない、定期的に周りを警戒してるだけだ!」
しかし、もう遅かった。
ベルが動いたことで、ベロンの視線が確実にこちらを捉える。
低く唸るような気配。
次の瞬間――
「仕方ない!」
タブラスカが腰に差していた湾曲した短剣を抜いた。
銀色の刃が森の光を反射する。
ベルが一歩踏み出そうとする。
「私が戦うから……」
「そんなこと言ってる場合か! 来るぞ!」
言葉が終わるより早く、ベロンが地を蹴った。
一瞬で距離が詰まる。
重い突進。
ベルの体が反射的に動く。
右手を突き出し、人差し指を真っ直ぐベロンへ向ける。
左手で右手首を支えるように添えた。
「アカリ!お願い!撃って!」
指先に光が収束する。
次の瞬間――
貫通性のある光の線が、まっすぐベロンへと放たれた。
ベルの放った光術を、ベロンはあっさりと身をひねって回避した。
着弾した光が後方の木を貫き、焦げた跡を残す。
しかし、ベロンは止まらない。
回避と同時にさらに距離を詰めてくる。
ベルはすぐさま次の光を放つ。
「っ……!」
二発目。
続けて三発目。
光が連続して放たれるが、ベロンはそれらを最小限の動きで避けながら、確実に前へと進んでくる。
――避けながら、削るように。
気づけば距離はほとんどない。
すでに射程圏内。
ベロンが低く身を沈め、次の瞬間――飛びかかる体勢に入る。
ベルの目が見開かれる。
「……っ!」
すぐに次の光術を放とうと、指先に力を込める。
だが――
ベロンが跳んだ方が、早かった。
巨大な影が一気にベルへと迫る。
咄嗟にベルは両手を前に突き出した。
光術の盾を張ろうとする。
「アカ……」
しかし、詠唱は最後まで届かない。
間に合わない。
鋭い爪が目前まで迫る。
ベルは息を詰め、反射的に目を強く閉じた。
「……っ!!」
その瞬間――
金属がぶつかる、甲高い音が森に響いた。
ベルの目の前に、タブラスカが飛び込んでいた。
短剣がベロンの爪を受け止める。
衝撃が火花のように散る。
タブラスカはその勢いを殺さず、刃を滑らせるように動かした。
次の瞬間、横一閃。
ベロンの身体を斬り裂く。
浅いが確かな傷。
ベロンは低く唸り、身体を引きながら後方へ跳んだ。
木々の間に着地し、距離を取る。
再び、睨み合い。
タブラスカはベルの前に立ったまま、静かに刃を構えていた。
タブラスカが静かに左手を掲げた。
その手の甲には、いくつもの紋様が刻まれている。
その中の一つが、淡く光を帯び始めた。
次の瞬間――
ベロンの足元から炎が噴き上がる。
一気に全身を包み込む灼熱。
ベロンが苦悶の唸り声を上げ、身をよじるように暴れ始めた。
炎に焼かれながら、必死に体勢を立て直そうとするが、動きが乱れる。
その一瞬の隙を、タブラスカは逃さなかった。
一歩で距離を詰める。
地面を踏み砕くような踏み込み。
次の瞬間――
袈裟懸けに、剣が振り下ろされた。
鋭い刃が空気を裂き、炎を裂き、肉を裂く。
断末魔の叫びが森に響き渡る。
ベロンの身体が、頭から腹にかけて深く切り裂かれ、血が噴き出した。
やがて炎が収まり、動きが止まる。
ベロンは力なく、その場に崩れ落ちた。
静寂が戻る。
風が、わずかに木々を揺らす音だけが残った。
タブラスカは倒れ伏した魔獣へと近づくと、躊躇なく剣を振り下ろした。
一瞬で首が落ちる。
血が大きく噴き出すが、タブラスカは気にした様子もなく、軽く刃を振って血を払い、そのまま鞘へと納めた。
それから、へたり込んでいるベルのもとへ歩み寄る。
静かに手を差し出した。
「大丈夫かい? ああいう時こそ、目を閉じるのは危険だよ」
ベルはまだ呼吸が整わないまま、かすれた声で答える。
「あ……ありがとう、ございます」
震える手で、その手を取る。
引き上げられるようにして、ようやく立ち上がった。
しかし足はまだ震え、顔から血の気が引いたままだ。
その様子を見て、タブラスカが小さく息を吐く。
「魔獣と戦うのは慣れていない様だけど……魔獣との戦闘経験は?」
ベルは視線を落としたまま、ぎこちなく答えた。
「……以前、一度だけ、ベロンの群れと戦ったことがあって……」
その言葉に、タブラスカはわずかに目を見開く。
やがて、呆れたように片手で頭を押さえた。
「一度って……それはとても討伐依頼を受けるレベルではないと思うよ」
ベルは小さく肩をすくめる。
「……そうですね……ごめんなさい」
森に、また静けさが戻っていた。
ベルは小さく頭を下げる。
「また、あなたに助けられちゃいました……ありがとうございます」
タブラスカは軽く肩をすくめる。
「そこは気にしなくていいよ。ただ……討伐依頼を受けるなら、もう少し戦いに慣れてからにするか、仲間を募るべきだと、僕は思うけどね」
その言葉に、ベルは何も返せなかった。
正論で、否定の余地がない。
「……はい……」
か細い返事だけが落ちる。
少しの沈黙のあと、ベルが顔を上げる。
「タブラスカさん、強いんですね」
タブラスカは一瞬だけ目を細め、それから穏やかに笑った。
「まぁね。色々経験してきたから」
その笑顔は、どこか遠くを見ているようで――
言い知れない哀しみが滲んでいた。
ベルはその表情に気づき、はっと息を呑む。
思わず、言葉を失ったまま見つめてしまう。
「どちらにしても、これで依頼達成だね。証を持って早く帰るとしよう。あまりのんびりしていると日が暮れてしまう」
太陽は、すでに傾き始めていた。
「……はい。そうですね」
タブラスカは倒した魔獣の証を確認すると、元来た道を戻り始める。
ベルも少し遅れて、その背中を追った。
森を抜け、乗合馬車の停留所に着いた頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
夜になる前には街に戻れそうだと分かり、ベルは小さく安堵する。
少しの沈黙のあと、ベルが口を開いた。
「あの……タブラスカさん」
タブラスカが振り向く。
「なんだい? 改まって」
ベルは足を揃え、静かに頭を下げた。
「今日は本当にごめんなさい。私……ついムキになってしまって……あなたにも迷惑をかけて」
タブラスカは穏やかに目を細める。
「もういいじゃないか。二人とも怪我もなく、こうして無事に依頼をこなしたんだから」
「そ、そういうわけには……」
ベルが言いかけると、タブラスカは軽く肩をすくめた。
「ああ、それじゃあまたお礼に何かご馳走してくれないかな?」
その言葉に、ベルは思わず吹き出す。
「ふふっ……」
タブラスカは少し首を傾げる。
「何かおかしなことを言ったかな?」
「いえ、違うんです。ちょっと……私の知り合いに似てて」
その答えに、タブラスカは興味深そうに目を細めた。
「それは……君の大事な人かな?」
ベルは少し考えてから、苦笑する。
「そんなんじゃないです。仲間というか、家族というか……子供の頃から一緒な、兄弟みたいな? もちろん私がお姉さんですけど」
今度はタブラスカが吹き出した。
「君は、面白いな」
「え……? そうですか?」
タブラスカはやわらかく目を細めて、静かに言った。
「うん、とても魅力的だよ」
その言葉に、ベルの耳まで一気に赤くなる。
「おや、思ったより素直な反応をするんだね」
ベルは慌てて視線を逸らした。
「……そういう冗談はやめてください」
「冗談なんかじゃないよ。僕は思ったことは素直に言うことにしてるんだ」
「あぁー……だからですか」
タブラスカが少し首を傾げる。
「何がだい?」
ベルは軽く首を振った。
「気にしないで。こっちの話です。ただ……ハーミットさんも大変だなーって」
「どうして彼女の話が出るんだい?」
「わからないなら、いいんです」
ますます不思議そうな顔をするタブラスカ。
やがて、馬車が近づいてくる音が聞こえた。
2人は自然と視線を向ける。
到着した馬車に乗り込み、予定通り出発する。
揺れる車内で、ベルが小さく口を開いた。
「それと……ごめんなさい。今夜はもう帰らないといけなくて」
タブラスカは少し眉を寄せる。
「そうか……それは残念だね」
「でも、お礼はさせてほしいので……明日のランチでいかがですか?」
タブラスカの表情が、ふっと緩む。
「それはいい。それじゃあ明日の昼、昨日の店でどうかな?」
「わかりました。明日のお昼に」
そうして2人は、ようやく互いに穏やかな笑みを浮かべた。




