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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
第8章ー甦る英雄ー
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英雄の帰還ー

タブラスカが静かに席を立つ。


迷いのない動きで店を出ていき、その背をハーミットが一歩遅れて追った。


扉が閉じると、外の空気がひやりと肌に触れる。


タブラスカは振り返ることもなく、軽い調子で言った。


「少し歩こうか。広場の方へ」


そのまま先に立って歩き出す。


ハーミットは無言で頷き、その後ろをついていった。


石畳を踏む足音が、一定のリズムで続く。


前を歩く背中は、変わらずまっすぐで、迷いがない。


その姿を見つめながら、ハーミットは静かに思考を巡らせる。


(だんだん混じってきているのか……)


わずかに、指先に力が入る。


(本来の人格が、少しずつ……英雄核の……もしくは、アレの影響を受けている)


言葉にすれば危ういそれを、心の中でだけ整理する。


タブラスカの歩幅は一定で、少しも乱れない。


その背中は、どこまでも安定していて——


だからこそ、余計に。


ハーミットは視線を逸らすことができなかった。


「見てよ、ハーミット。この街は平和だね」


広場のベンチに腰をかけ、タブラスカが穏やかに笑う。


視線の先では、小さな子供たちが無邪気に駆け回っていた。


転びそうになっては笑い合い、また走り出す。


何の警戒もない、ただの遊び。


ハーミットは隣に立ったまま、その光景を同じように見つめた。


「ククルカナンではこうはいかない」


タブラスカの声が、静かに続く。


「あんなに小さな子供たちだけで遊んでいたら……何が起きるか」


言葉は最後まで言い切られない。


けれど、その先は想像するまでもなかった。


ハーミットはゆっくりと目を伏せる。


胸の奥に、重たい何かが沈んでいくようだった。


広場に響く子供たちの笑い声は、どこまでも無邪気だった。


転び、笑い、また立ち上がる。


その光景には、疑うという発想すら存在していない。


だが——


西大陸において、それはあり得ない光景だった。


ククルカナンに限った話ではない。


あの大陸の治安は、決して良いとは言えない。


それは単なる環境の問題ではなく、根付いた思想そのものに起因している。


西大陸に「平等」という概念は存在しない。


生まれによる価値の差は当然のものとして受け入れられ、身分制度は今なお強く影響を残している。


男女の扱いにも明確な差があり、それが疑問視されることは少ない。


そして——


誘拐や人攫い。


それらは特別な犯罪ではなく、日常の延長線上にある現実だった。


守られなければならない者ほど、狙われる。


弱い者は奪われ、強い者がそれを許す。


そうした構造が、長い時間をかけて当たり前として定着している。


ハーミットは目を伏せたまま、その現実を思い返していた。


目の前の光景が、どれほど異質なものかを知っているからこそ。


何も知らずに笑っていられる子供たちの姿が、あまりにも眩しかった。


そして同時に——


ひどく遠いもののようにも感じられた。


「この平和を守らなくちゃいけないね」


穏やかな声だった。


だがその言葉に、ハーミットはわずかに違和感を覚える。


隣に座る横顔を、静かに見つめた。


タブラスカは子供たちを見つめたまま、ゆっくりと口を開く。


「英雄タブラスカが——我があの地を切り開いて五百年あまり」


その声音は、先ほどまでとは明らかに違っていた。


どこか遠くを語るような、重みを帯びた響き。


「今だ、ここまでの平和は訪れず——」


言葉が続くたびに、空気がわずかに変わっていく。


ハーミットの背筋を、冷たいものが伝った。


タブラスカの目が、変わっている。


「我が覇道も、子々孫々まではつながらないということか」


静かに、だが確信を持って紡がれる言葉。


「受け継ぐべきものは——やはり我自身なのか」


その声は、まるで。


“誰か別の存在”が語っているかのようだった。


ハーミットは息を詰めたまま、その横顔を見つめる。


呼びかけるべきか。


止めるべきか。


一瞬の迷いが、思考を鈍らせる。


だが、その間にも——


彼の中で、何かが確実に進行していた。


タブラスカの声は、もはや先ほどの穏やかな響きではなかった。


どこか遠い時代から響いてくるような、重く、確かな意思を帯びている。


「ハーミットよ。我はもう一度、覇道を極めん」


ゆっくりと立ち上がる。


その動きは静かでありながら、圧倒的な存在感を伴っていた。


「西の大陸だけでなく、この世界すべてに——我と我が民の平和を」


両手を大きく広げる。


まるで、この広場そのものを抱き込むかのように。


「今度こそ、安寧たる平和を築くために」


その顔は、強い光を宿していた。


野望。


確信。


そして、疑いのない“正しさ”。


それらすべてが混ざり合い、異様なほどに輝いている。


ハーミットの喉が、わずかに鳴った。


「……プレレッサ……殿下……」


思わずこぼれた名。


だがその瞬間、タブラスカの視線が鋭くこちらを射抜く。


「ついて来い、ハーミット」


静かに、しかし抗えない力を帯びた声。


「一番近くで、我が世界を手にする光景を見せてやろう」


ハーミットはわずかに目を伏せる。


震えそうになる呼吸を押し殺し、ゆっくりと整える。


そして——


顔を上げた。


「……はい。タブラスカ様。ありがたき幸せ」


その声は、静かで。


どこまでも従順だった。


タブラスカの背に、夕暮れの光が差し込む。


広げられた両腕は、そのまま世界を掴もうとするかのようだった。


その姿を、ハーミットはただ見上げている。


胸の奥で、何かが軋む。


こみ上げてくるものを、必死に押し殺す。


唇を強く噛んだ。


震えを止めるように、逃がさないように。


ぎり、と歯が食い込む。


次の瞬間、鈍い痛みが走った。


それでも、力を緩めない。


わずかに滲んだ血が、唇の端から伝う。


鉄の味が、口の中に広がった。


それでも——


声は、漏れなかった。


夕日を受けて、野望を語るタブラスカの姿は、ひどく眩しかった。


その光は、かつて知っていた“彼”とはあまりにも違う。


それでも——目を逸らすことはできなかった。


ハーミットはただ、立ち尽くしたまま見続ける。


(反対したとは言え……結局、施術に協力してしまった私に)


胸の奥で、言葉が静かに沈んでいく。


(彼らを批判する資格などない)


噛みしめた唇から、わずかに血の味が広がる。


それでも、痛みは止まらない。


(そして、彼、プレレッサの選択を……否定することもできない)


視界がわずかに滲む。


けれど、瞬きひとつで押し留める。


逃げることは、許されない。


(私にできるのは——)


タブラスカの背中は、まっすぐに未来を見据えている。


その姿を、最後まで。


どんな結末であろうと。


(目を逸らすことなく見続け、そして見届けることだけ)


夕焼けが、ゆっくりと色を深めていく。


(それが例え……どのような茨の道であろうとも)


ハーミットは静かに息を吸い、そして吐いた。


震えは、もうない。


ただ、覚悟だけが残っている。


(関わってしまった私には——逃げることなど、それこそありえないのだから)


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