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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
第8章ー甦る英雄ー
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プレレッサ・オンリー

白い髪が、静かに揺れていた。


白い肌。青い瞳。


そのすべてが、この大陸において特別な意味を持つことを、彼はまだ完全には理解していない。


プレレッサ・オンリーは、西大陸の国家の一つ「ククルカナン」に生まれた王族の嫡子だった。


だが、その立場は単なる血筋ではない。


ククルカナンにおいて王族とは、権力者ではない。


英雄を生み出すために存在する器。


国家の未来を担う「英雄」を、この世に送り出すための存在として定義されている。


幼い頃から、彼はその役割を背負ってきた。


厳しい訓練。

徹底された教育。

理想の振る舞い。


何が正しく、何が英雄の選択なのか。


それを理解するよりも先に、体に叩き込まれていく。


「英雄とはこうあるべきだ」


その言葉は、命令ではなく常識として積み重なっていった。


けれど。


それでも。


彼は自分を英雄だとは思っていなかった。


――自分は、まだ英雄ではない。


そう、はっきりと理解していた。


周囲がどれほど彼を特別視しようとも。

どれほど「英雄の器」と呼ぼうとも。


完成していない。


自分は未完成だ。


その認識だけは、揺らがなかった。


だからこそ彼は、迷いながらも前に進もうとする。


英雄であるために必要なものを、ひとつずつ積み上げるように。


それは義務ではなく、意志だった。


与えられた役割ではなく、選び取ろうとする在り方。


英雄になりたいのではない。


英雄であると、証明したい。


そのために、彼は生きている。


やがてその在り方は、国家の意志と重なり、

さらに大きな計画の中へと組み込まれていく。


だが今はまだ。


彼はただの王族の少年でしかない。


未完成で、未確定で、


それでも確かに、英雄へと近づこうとしている存在。


白い髪の少年は、静かに息を吐いた。


その瞳の奥には、まだ誰も知らない可能性だけが、確かに宿っていた。


白い髪が、静かに揺れていた。


広い回廊に差し込む光の中で、プレレッサ・オンリーは庭を眺めていた。

その背に、足音がひとつ近づく。


規則正しく、しかしどこか苛立ちを含んだ歩調。


「やぁ、ハーミットじゃないか」


振り返ることなく、彼はそう声をかけた。


背後に立つ女は、ハーミット・バウアー。

金髪を揺らし、眼鏡の奥で碧眼を鋭く細めている。


表情は明らかに怒りを含んでいた。


「プレレッサ殿下」


低く、抑えた声。


「本当に擬似英雄化施術をお受けになるのですか?」


一瞬の間。


庭に吹く風が、静かに木々を揺らす。


プレレッサは、ようやくゆっくりと振り返った。


「またその話か……」


小さく息を吐き、どこか疲れたように目を細める。


それでも、その瞳は揺れていない。


「そう言ったはずだよ」


迷いのない声。


確信に満ちた返答だった。


ハーミットの眉がわずかに動く。


「……あなたはそれがどういうことかわかってない」


抑えた感情の中に、強い苛立ちが滲む。


「それに、今のままでは、あの施術に耐えられる保証はありません」


プレレッサは、その言葉を真正面から受け止めていた。


否定も、反論もない。


ただ静かに、視線をハーミットに向ける。


「それでもいい」


短く、はっきりとした言葉。


「英雄になるためなら、それで構わない」


その瞬間、ハーミットの表情が歪んだ。


怒りと、理解と、そして僅かな諦め。


「……私が提言したのは、あんな非人道的なものじゃなかった...」


低く絞り出すような声。


「あなたは、自分が何をしようとしているのか分かっているのですか?」


プレレッサは一瞬だけ目を閉じる。


そして、静かに答えた。


「分かっているよ」


それは確信ではなく、覚悟に近い声だった。


「だからこそ、やるんだ」


その視線の奥にあるものを、彼女は見てしまう。


歪みか。


狂気か。


それとも――


まだ完成していない「英雄」の意志か。


ハーミットは小さく息を吐いた。


「……あなたは、私の手には負えない存在になるかもしれませんね」


プレレッサは、わずかに口元を緩めた。


「それでいい」


そう言って、彼は再び庭へと視線を戻す。


その背は、どこか遠くを見ているようで。


同時に、まっすぐに未来へと向かっていた。


庭を見つめるプレレッサの背に、ハーミットの声が落ちる。


低く、かすれた声音。


「私は……こんなことをするために東大陸から亡命してきたわけじゃない……」


その言葉には、抑えきれない葛藤が滲んでいた。


プレレッサはすぐには振り返らない。


しばしの沈黙ののち、静かに口を開く。


「ハーミット、君は本当に優しい人だね」


穏やかな声だった。


その言葉に、ハーミットの肩がわずかに揺れる。


「優しさなんかじゃありません……」


即座に否定する。


感情を押し殺すように、続けた。


「……私はただ……」


言葉が途切れる。


プレレッサはそこで初めて振り返った。


青い瞳が真っ直ぐにハーミットを捉える。


「ただ、なんだい?」


問いは静かだった。


責めるでもなく、急かすでもなく。


ただ、確かめるように。


ハーミットは一瞬、言葉を失う。


それでも、視線を逸らさない。


「……あなたが、壊れてしまうのを見たくないだけです」


絞り出すような声だった。


「もう今のあなたには会えないかもしれない.,.」


淡々とした言葉の裏に、強い拒絶がある。


「私は、こんな実験止めるべきなのに...止める力が...私にはない」


その言葉を、プレレッサは静かに受け止めた。


数秒の沈黙。


やがて彼は、小さく息を吐く。


「もう誰にも、止められないよ」


穏やかな声だった。


「もう、決めてしまったからね」


その言葉は、揺るがない。


ハーミットの表情がわずかに歪む。


「……なぜそこまで」


押し殺した声。


プレレッサは、少しだけ視線を遠くへ向ける。


「英雄になりたいわけじゃない」


静かな独白のように言葉が落ちる。


「ただ...それが国民の願いであるなら」


再びハーミットを見る。


その青い瞳は、迷いのない光を宿していた。


「そのために必要なら、どんな結果でも受け入れる」


ハーミットは言葉を失う。


理屈ではない。


計算でもない。


その選択は、彼女の理解の範疇を超えていた。


それでも――


彼女は一歩も引かなかった。


「……それが間違っていると言っているんです」


強く言い切る。


プレレッサは、わずかに目を細めた。


そして、静かに答える。


「それでもいい」


その一言は、決意ではなく、覚悟だった。


庭を見つめるプレレッサの背に、ハーミットの声が落ちる。


辛さを押し殺した、かすれた笑い。


「私は……一生自分を呪うでしょう」


言葉は途切れそうになりながらも、続く。


「悪魔の実験に加担した自分を……」


その言葉の重さは、彼女自身を深く傷つけていた。


プレレッサはゆっくりと振り返る。


青い瞳が、静かにハーミットを見据える。


「それはいけないよ」


穏やかな声だった。


責める響きはない。


ただ、事実を告げるように。


「君は、国家研究機関員としての使命を果たしているだけだ」


その言葉に、ハーミットの表情がわずかに歪む。


「そんなもの……」


小さく、しかしはっきりと否定する。


「いいわけになりません」


強い拒絶。


自分自身を守ることすら許さないような、厳しさ。


プレレッサは、しばらく何も言わなかった。


ただ、彼女の表情を見つめている。


やがて、静かに口を開く。


「いいわけではなく、事実だよ」


落ち着いた声音。


「君はこの国の、民の悲願を叶えようとにしているだけさ」


一歩、言葉を重ねる。


「そしてその結果は、誰かが責任を負うべきものじゃない」


ハーミットの視線が、わずかに揺れる。


「……それでも」


声が震える。


「それでも、私は……」


言葉が続かない。


プレレッサは、その言葉の先を待たなかった。


「もう考えないで、ハーミット」


静かに、しかし確信をもって。


「国家が、国民が、王族が、そしてこの僕が望んでいるのだから」


その言葉に、ハーミットは言い返せない。


唇を噛み、視線を落とす。


プレレッサは、少しだけ表情を緩めた。


「君は間違っていない」


短く、しかしはっきりとした言葉。


「それでも自分を責めるなら……」


一拍置いて、静かに続ける。


「それは全て僕が背負おう。王族たるこの僕が」


風が吹く。


白い髪が揺れる。


ハーミットは、ただ黙ってその言葉を受け止めていた。


それでもなお、彼女の表情は晴れない。


だが――


その目には、わずかに、揺らぎが残っていた。


もう私の知っているこの青年に会うことはできないかもしれない。


この優しくて聡明な、彼には二度と――。


そう考えた瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちる。


まだ何も変わってはいないはずなのに、確かに何かが変わろうとしている気配だけが、静かに肌を撫でていた。


それが現実になるのか、それともただの思い過ごしなのか。


その答えは、まだどこにもない。


挿絵(By みてみん)

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