ずっと闇の中にいたー
夜の村の中。
それは、ただそこに在った。
動くでもなく。
留まるでもなく。
形を持たないまま、ただ漂っている。
何かをするわけでもない。
ただ、在る。
それだけが続いていた。
やがて。
わずかな変化が起きる。
強い光。
突然、差し込むようなそれ。
今までにない強さ。
闇の中に、明確な“違い”として触れてくる。
それは、初めてではない。
だが――
これほど強く、はっきりとしたものはなかった。
闇は、わずかに揺れる。
広がっていたものが、寄る。
まとまる。
一点へ。
理由はない。
だが、その光のある場所へ。
引かれるように。
そこに“向く”。
闇は、姿を現す。
形にはならない。
それでも、そこに在るものとして。
その場に、現れる。
ただ。
光の方を、見ていた。
そこに、何かがいる。
はっきりとは分からない。
形も、意味もない。
ただ、そこにある“違い”。
それだけが、確かに存在していた。
冷たい。
何もない。
満たされないまま、続いている。
触れるものもなく。
変わることもなく。
ただ在り続けるだけの状態。
その中に、ずっとあった。
空いている。
欠けている。
何かが足りないまま。
それが何なのかも分からない。
それでも、足りないという状態だけが残る。
だから、動く。
漂う。
同じではないものを探して。
触れるものを求めて。
繰り返してきた。
だが、どれも違った。
触れれば、消える。
残らない。
何も満たされないまま、終わる。
それでも、繰り返す。
他に方法がないから。
そして今。
そこにある。
これまでとは、明らかに違うものが。
強い。
はっきりと感じる。
消えない。
失われない。
そこに、在り続けている。
あたたかい。
それが何なのかは分からない。
だが、今までのどれとも違う。
初めての“満たされる可能性”が、そこにあった。
そして、何か言葉を発した、そのあたたかいなにかが近づいて来る。
これまで逃げる者はいても、自分から近寄るものなどいなかった。
「なんだ……?なんだこれは?」
なぜだろう。この人間の言葉にはこちらへの暗い感情がない。
動物も人間も、これまではこちらを怖がっていたのに。
何もしてないのに。
「こいつ……動くぞ」
また何か言っている。
なんだ?
また近づいて来る。
これは……なんだ?
「おまえ……一体なんなんだ?」
どうやらこちらに話しかけているらしい。
これは……そこにいるのはなんだ?
知りたい……そうだ、見たい。
見たい。
見たいなら、見ればいい。
どうして今まで考えなかったのだろう。
見るためには……そうだ。
目があればいい。
初めて、目を作った。
闇の中で、世界が一気に開ける。
光も影も、風のざわめきも、すべてがそこにあることを知らなかった。
あぁ、これが、見るということか。
なんということだ……。
もっと早く、目を作ればよかった。
そこかしこに広がる景色。
色も、形も、音も、匂いも、すべてが鮮やかに迫ってくる。
そして、目の前にいる存在――人間。
これが、人間か。
柔らかく、温かく、揺れる影のように、その存在は確かにそこにいた。
「やっぱ……生きてる、のか?」
人間が、静かに問いかけてくる。
この人間は、なんだ?
これまで、こちらに言葉を投げかけてくるものなどいなかった。
じっと見つめてくる。
その視線は、こちらをまっすぐに捉えていた。
なんだ……この人間は。
「おまえ……俺の言葉がわかんのか?」
また、問いかけてくる。
その声が、闇の中に響く。
そして、目に映るあたたかい存在。
この人間に――触れたい。
触れて、その温かさを確かめたい。
人間に、触手を伸ばしてみる。
触れたいから。
しかし、避けられた。
もう一度、伸ばしてみる。
また逃げられる。
待て、待って。
逃げるな。
逃げないで。
何もしない。ただ、ただ触れたいだけだ。
それだけなのに、なぜ逃げる。
だから……逃げるなぁっ!
「な、しまったぁ!!」
やっと、捕まえた。
もう、逃がさない。
しっかり、抱きとめる。
あぁ……やっぱり温かい。
なんと……なんと温かいのだろう。
欲しい。この人間が欲しい。
この人間のような、温かさが欲しい。
私も――人間になりたい。
私の中――私がいる闇の中に、人間を入れた。
初めて、人間を入れた。
これまでも、いろんなものを入れてみた。
寂しくて、冷たくて、寒くて、たまらなくなったから。
温かいものに触れたくて、なりたくて、入れてみた。
でも、どれもこれも、すぐに冷たくなった。
ずっとずっと、何度繰り返しても、すぐに冷たくなる。
なのに――
この人間は、なんだ?
人間とは、みなこうなのか?
温かい。
あぁ、温かい。
なんて温かいんだ。
そうだ……これだ。
これが欲しかった。
この温かさが欲しかった。
幸せだ。
これが、幸せということか……。
あぁ、やはり、私は人間になりたい。
人間を取り込めば、人間になれると、昔会った者に聞いた。
これで私も――人間になれるのだろうか?
私はずっと何十年も何百ねんも、もしかしたらもっとずっとこうしてきた。
私は誰かに見つけて欲しかった。
知って欲しかった。
ここに私がいると、存在に気付いて欲しかった。
人間には「愛」があると聞いた。
「愛」とは、よくわからない。
わからないが、それがあれば孤独ではなくなるらしい。
「愛」があれば、寂しくないらしい。
寒くないらしい。
冷たくないらしい。
むしろ、温かくなるらしい。
冷たいのは嫌だ。
寒いのは嫌だ。
寂しいのは嫌だ。
私は――私は、愛されたい。
誰かに、私だけを、愛して欲しい。
暗闇の中、少年はどこまでが自分で、どこからが自分でないのか、わからなくなりつつあった。
なんの感覚もない。
音もない。
光もない。
何も見えず、聞こえず、感じない。
ただ意識だけが、そこにある。
その意識さえも、だんだんとわからなくなる。
このままでは、周りの闇と同化してしまいそうだ。
ただ、目の前の二つの目からは、その想いが、願いが、伝わってくる。
少年は思った。
あぁ、たしかにここは冷たくて、寒くて、寂しい。
こんなところにずっといたら、俺も、そんなふうになってしまってもおかしくねぇ。
それくらい、ここには何もない。
何もないことが、ないくらいに、何もない。
でもさ、そのやり方は間違ってるだろ。
どんなに温かさが欲しくても、相手のことも、こんなふうにしちまったら、それじゃダメだろ。
少年は、声も出せず、音も響かない世界で、言葉を紡いだ。
音のない世界のはずなのに、少年の声が届いた。
影食いは、その声に目を見張った。
「俺でよけりゃ、そうなってやろうか?」
今、この人間は、なんと……?
なんと言った……?
私の考えに、私の気持ちに、応えた、のだろうか。
まさか、そんなはずがない。
わかるはずがない。
伝わるはずがない。
だけど――もし、もし伝わり、応えてくれたのだとしたら――
私を、愛してくれるのか……?
朦朧として白濁する意識の中、少年が確かに、強く、頷いた。
あぁ、なんということだろう。
私は――『愛』を、手に入れてしまった。
闇しかない世界が、揺れる。
そして、亀裂が入る。
この人間が――
私に、愛を――
与えてくれる存在――
このままでは、きっとまた冷たくなってしまう――
いけない――
この人間は、彼は冷たくなってはいけない――
彼はあたたかくなくては、じゃないと、愛されない。
あぁ、これが、心。
心が、揺れる。
不安しかない。
緊張しかない。
恐怖しかない。
けれど――――
なんて温かいのか。
その瞬間、世界の闇が、祓われた。
何もない、白い世界の中。
少年が、浮いている。
その前には、目だけを開けた暗闇が一つ。
影食いと呼ばれた存在が、考える。
この人間――これは、男だろう。
男ならば、彼に愛されるならば、私は――女にならなくては。
闇が、揺れる。
だんだんと、揺れが大きくなる。
その切れ長の両目だけを残して、闇が揺れ始める。
あぁ、
この人のために――最高の身体を――
この人のために――最高の声を――
この人のために――最高の顔を――
この人のために――最高の髪を――
この人のために――ーーーーー
最高の、そして究極の『愛』を――――――
私が誰よりも何よりも、愛されるためにーーーーーー




