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RUN&GUN ― 二人で一人の逃走譚 ―  作者: F94
暗い闇の奥からー
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影食いの話ー

翌日。


少女が家を出ると、すぐに異変に気づいた。


人の声が、ひとつの方向に集まっている。


村の外れに近い、一軒の家の前。


そちらに、村人たちが集まっていた。


ざわめきが重なっている。


落ち着かない空気。


少女は足を向ける。


人の間をすり抜け、前へ出る。


視線の先にあったのは、小さな囲いだった。


木の柵で囲まれた、簡素な飼育場。

地面には乾いた草が敷かれている。


羊を飼っていた場所だ。


その中は――空だった。


本来なら、数頭はいるはずの羊の姿がない。


杭はそのまま。

柵も壊れていない。


ただ、そこにあったはずのものだけが消えている。


「いなくなってる……」


低い声が漏れる。


「朝来たら、このままだ」


「逃げたにしちゃ、跡がねぇ」


「柵も閉まったままだぞ……」


不安が、少しずつ形を持ち始める。


少女は黙って、その光景を見ていた。


何もない囲い。


踏み荒らされた様子もない。


ただ、“抜け落ちた”ように空いている。


昨日の話が、頭をよぎる。


 


「影食い」


 


誰かが、小さく口にした。


その言葉は広がらない。


だが、確かにその場に残った。


空気が、わずかに冷える。


少女はゆっくりと視線を落とす。


自分の足元へ。


そこにあるはずのものを、確かめるように。


「本当に、影食いなの?」


少女の声は、強くも弱くもなかった。


ただ、確かめるような響きだった。


その一言で、ざわめきがわずかに止まる。


誰もすぐには答えない。


視線が泳ぐ。


言葉を選ぶように、互いの顔を見合う。


「……分からん」


やがて、年配の男が低く言った。


「だが、話と同じだ」


囲いを顎で示す。


「壊れちゃいねぇ。跡もねぇ。ただ消えてる」


短い沈黙が落ちる。


別の男が口を開く。


「山向こうだけの話じゃなかった、ってことか……」


誰かが小さく舌打ちをした。


不安が、はっきりとした形を持ち始めている。


少女は囲いの中を見たまま、動かない。


何もない空間。


そこにあったはずの温もりだけが、抜け落ちている。


「夜は、外に出さない方がいいな……」


「子どももだ」


「しばらく様子を見るしかねぇ」


現実的な話が重なっていく。


だが、そのどれもが、確信には遠い。


少女はゆっくりと顔を上げる。


周囲の大人たちの表情を一人ひとり見ていく。


そして、もう一度だけ囲いの中へ視線を戻した。


足元に落ちる、自分の影。


それを、ほんの少しだけ見つめる。


何も起きない。


ただ、そこにあるだけ。


それなのに――


ほんのわずかに。


いつもより、薄い気がした。


少女は、ふっと息を吐いた。


それ以上は何も言わず、人の輪からそっと抜ける。


背中に残るざわめきを振り切るように、足早にその場を離れた。


誰も引き止めはしない。


それぞれが、自分の不安で手一杯だった。


家々の間を抜けて歩く。


さっきまでと同じはずの道。


見慣れた景色。


それでも、どこか落ち着かない。


足元に視線が落ちる。


影はある。


いつも通り、ちゃんとついてきている。


それを一瞬だけ確かめて、少女は顔を上げた。


家に入る。


扉を閉めると、外のざわめきが遠くなる。


静けさが戻る。


それでも、頭の中はさっきのままだった。


空になった囲い。


消えた羊。


そして――


影食い。


少女は小さく息を吐く。


考えても、分からない。


でも。


夕方になれば。


あの時間になれば。


もしかしたら、また話せるかもしれない。


毎日できるわけじゃない。


できる日もあれば、できない日もある。


理由も条件も分からない。


ただ、できるときはできる。


それだけだ。


少女は窓の外を見る。


まだ日は高い。


時間はある。


けれど、その時間が妙に長く感じられた。


落ち着かないまま、ただ過ぎていく。


早く、夕方になればいいと。


そう思った。



「影食いーか、いいじゃん!」


少年は、楽しそうに笑った。


今日はうまく話ができたらしい。


状況はすべて伝わっている。


羊が消えたことも。

囲いの様子も。

村人たちの反応も。


きちんと把握した上で、なお、その顔だった。


好奇心を抑えきれていない。


わけの分からない現象。

正体不明の存在。


それがどんなものなのか、確かめたい。


その思いだけが、はっきりと表に出ている。


危険かどうかは、分かっている。


それでも、興味が勝っていた。


夜を待つ理由は、もう十分だった。


外では、日が沈みきろうとしている。


境界が、ゆっくりと消えていく。


やがて、完全な夜になる。


「姉ちゃんが言ってたしな。犯人は現場に戻ってくるって」


少年は、ひとりごちるように呟いた。


足はすでに、村の外れへ向かっている。


夜の空気は冷たく、昼間とはまるで違う静けさに包まれていた。


人の気配は少ない。


灯りもまばらで、道の先はすぐに暗闇へと沈んでいく。


それでも、足取りに迷いはない。


目指す場所は決まっている。


あの、羊の囲いがあった家。


羊がいなくなるのは、普通に困る。


少年は、あの家から時々もらえるミルクが好きだった。


濃くて、少し甘くて。


他ではなかなか飲めない味。


それを分けてくれるなんて、ずいぶんいい人だと思っている。


そんなところの羊が消えるなんて、面白くない。


それに――


あの囲いで何が起きたのか。


それを、自分の目で確かめたい。


夜は静かだった。


音は少なく、気配も薄い。


だからこそ。


何かが起きれば、すぐに分かる気がした。


少年は歩く。


迷いなく、まっすぐに。


暗闇の中へと。


やがて、例の家が見えてくる。


村の外れにぽつりと建つ、見慣れた家。


その手前で、少年はわずかに足を緩めた。


静かすぎる。


昼間とはまるで違う。


灯りはある。


家の中には人がいるはずだ。


それでも、外には誰もいない。


気配が、ない。


この一件があってから、暗くなると外を出歩く者はいなくなったらしい。


以前なら、もう少し人の気配があった。


井戸へ向かう者や、遅くまで話し込む声。


そんなものが、夜には残っていた。


だが今は違う。


日が落ちれば、それで終わり。


扉を閉め、外には出ない。


まるで、夜そのものを避けるように。


少年は視線を動かす。


家の脇。


問題のあった囲いが見える。


昼間と同じまま。


何もない空間が、そのまま残されている。


風が吹き、乾いた草がかすかに揺れる。


それだけだ。


それ以上、何も起きていない。


だが――


何もないはずのその場所に、妙な違和感が残っている。


少年はゆっくりと近づいていく。


足音が、やけに大きく響いた。


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