一騎打ちー
鎧と対峙して、いくつか見えてきたことがある。
・武装していない相手には反応しない。
・構えていない相手にも反応しない。
・攻撃は速く、鋭く、重い。
・防御力は特別高くはない。普通の甲冑と変わらない。
・攻撃は通る。
「そうなると……」
少年が、ゆっくりと構えを取る。
「ぜひともぶっ倒して、兜の中身が見てみたいぜ!」
次の瞬間、鎧が消えた。
「来た!」
咄嗟に後方へ跳ぶ。
直前まで立っていた空間を、斬撃が走り抜けた。
風圧が遅れて頬を叩く。
着地と同時に、少年は踏み込んだ。
そのまま横から、兜めがけて蹴りを叩き込む。
だが、鎧は剣を返し、腹で受けた。
鈍い音。
蹴りの衝撃を流される。
それでも止まらない。
少年はそのまま懐へと潜り込み、下から突き上げるように拳を放つ。
だが鎧は、ほんのわずかな動きでそれを外す。
紙一重。
拳は空を切った。
「チッ……!」
勢いのまま距離を詰め、少年は兜へと手を伸ばす。
そのまま掴み――
引き寄せる。
「もらった!」
膝を振り上げ、頭部へと叩き込む。
鈍い衝撃。
鎧の体が、大きくのけぞった。
後ろにのけぞった鎧が、数歩後ずさる。
やがて、ぴたりと止まった。
動きはない。
だが、何かを測るような、あるいは何も考えていないような、奇妙な静けさがあった。
やがて、剣を正立に構え直す。
再び、対峙。
少年も構え直し、鎧を見据える。
――その時。
鎧の装甲が、ひとりでに開いた。
肩。
大きな装甲が外れ、鈍い音を立てて地面に落ちる。
続いて、肘。膝。首。腰。
留め具が外れ、次々と装甲が剥がれ落ちていく。
音だけが、乾いた夜に響く。
やがて、すべてが落ち切った。
残された鎧の身体は、一回り小さく見えた。
――いや、実際に小さくなっている。
少年は、その様子を不思議そうに眺める。
「なるほどー、軽量化か」
納得したように呟く。
次の瞬間――
鎧が、動いた。
これまでとは比べものにならない速さ。
一歩で間合いを詰める。
「――っ!」
咄嗟に右へ跳ぶ。
だが――
下から振り上げる斬撃が、追いついた。
「―――っ!」
肩口を掠める。
浅い。
だが確実に斬られた。
左肩から、鮮血が弾ける。
少年は斬られた左肩を押さえながら、さらに後方へと跳ぶ。
距離を取る――はずだった。
だが。
「やっべぇ……」
次の瞬間、鎧が目の前にいた。
間合いなど、あってないようなもの。
迷いなく、剣が横薙ぎに払われる。
風が裂ける。
その軌道を、少年の目が捉えた。
「――見えた!」
横から迫る斬撃。
逃げるのではなく、前へ。
身体を捻り、軌道に合わせる。
そして――
肘と膝で、挟み込む。
金属と肉がぶつかる鈍い衝撃。
「ぐっ……!」
腕と脚に、凄まじい負荷がかかる。
骨が軋む。
だが――止めた。
振り抜かれるはずだった剣が、そこでぴたりと止まる。
至近距離。
鎧と、目の前で噛み合った。
「あっぶねーあぶねー」
止めたまま、息を吐く。
速さは、あちらに分がある。
今のはたまたま見えただけだ。すべてを見切ることは不可能。
だが――力は違う。
鎧の一撃は重いが、絶望的ではない。
カレンの剛力があれば、対等。
ならば――
少年の口元が歪む。
「カレン!もっとだ!もっとよこせ!」
挟み込んだまま、さらに力を込める。
骨が軋み、筋肉が膨れ上がる。
「――剛力2倍!」
指輪が脈打つ。
内側から、さらに強い力が溢れ出す。
一瞬で、負荷が変わる。
押し負けていたはずの刃が、逆に押し返されはじめた。
少年の目が、鋭く細められる。
鎧が剣を引こうとする。
だが――動かない。
押しても、引いても、びくともしない。
「初めてやったけど、こいつはきちー……」
歯を食いしばる。
力と引き換えに、体力がみるみる削られていくのがわかる。
長くは持たない。
動けて、数分。
それなら――
「カレン!一瞬だけ……5倍だ!」
身体の奥から、ごっそりと何かを持っていかれる感覚。
次の瞬間――
それを上回る力が、溢れ出した。
筋肉が膨れ、骨が軋み、内側から爆ぜるような圧力。
少年の瞳が、金色に輝く。
ほんの一瞬。
その一瞬で――
「いぃいぃぃぃぃぃっ!うおりゃぁぁぁぁっ!」
腕と脚、すべての力を叩き込む。
ぎしり、と嫌な音が鳴り――
剣が、折れた。
「カレン……もういい!」
力が一気に引いていく。
同時に、体力もごっそりと抜け落ちた。
意識が揺らぐ。
だが、止まらない。
その一瞬を逃さず、少年は前へ飛び出した。
鎧は剣を折られた反動で、わずかに動きが遅れている。
その隙に回り込み、背後を取る。
腰へと腕を回し――抱きつく。
両腕で鎧の胴を締め上げ、自分の手を強く掴む。
「カレン!最後の……2倍だあっ!」
鼻から血が垂れる。
構わず、さらに力を込める。
全身が悲鳴を上げる中――
ぎし、ぎし、と。
鎧が軋む音が、夜の街道に響き渡った。
鎧が、手足を動かす。
だがその動きは遅い。
ひっくり返された亀のように、ぎこちなく、無駄に力を消費しているだけだった。
「へへへ……外れねぇだろ……」
息を荒げながら、少年が笑う。
「剣を失くして、こうなったら……お前はもう戦えねぇ」
事実、鎧には為す術がない。
掴まれたまま、ただ締め付けられる力に抗うこともできず――
徐々に、壊されていく。
「悪いけど時間ねぇから、このまま折らせてもらう!」
さらに、力を込める。
筋肉が悲鳴を上げる。
骨が軋む。
それでも、止めない。
ぎし、ぎし、と。
金属が擦れ、潰れ、割れていく音が、夜の街道に響き渡る。
締め上げられた鎧の胴は、すでに半分ほどまで細く歪んでいた。
もう――限界は近い。
――その時。
鎧の右腕が、ゆっくりと持ち上がった。
真っ直ぐに、天へ向けて。
少年の視線が、思わずそちらへ向く。
次の瞬間――
その腕が、後ろへ折れた。
あり得ない角度で。
関節があるはずのない方向へ、ぐにりと歪む。
人の可動域を完全に外れた、不気味な動き。
「――なっ」
そのまま、腕は背後へ回り込み――
少年の首を、掴んだ。
「ぐっ……!」
指が食い込む。
締め上げる力は、容赦がない。
喉が潰れそうな圧力。
息が詰まる。
反射的に、少年は胴を締めていた腕を解いた。
拘束を捨てる。
そのまま力任せに振りほどき、後方へと飛び退いた。
首元を押さえ、荒く息を吐く。
「……はっ、は……」
さっきまでの優位が、一瞬で崩れる。
鎧はゆっくりと、歪んだ腕を元の位置へ戻していった。
何事もなかったかのように。
「な……なんだ、そりゃ……」
少年の声が、かすれる。
首を締め上げていた歪な腕が、ゆっくりと元の形へと戻っていく。
まるで最初から何もなかったかのように。
そして――
再び、装甲の留め具がひとりでに外れはじめた。
ひしゃげ、潰れ、もはや役目を果たしていない胴の鎧が、音を立てて落ちる。
続いて、腕。
肩口から指先近くまでを覆っていた装甲が、ばらばらと剥がれ落ちる。
脚も同様に。
付け根から爪先までを覆っていた装甲が、次々と地面へと転がっていく。
乾いた音が、夜の街道に響く。
やがて――すべてが落ちた。
その下から現れたのは、人の形をした身体。
鎧の中に収まっていたとは思えないほど、細く、しなやかな輪郭。
だが、どこか“人ではない”違和感が残る。
そして最後に――
兜が、ゆっくりと左右に割れた。
内側から押し開くように。
力なく地面へと落ちる。
乾いた音が、静寂を打ち破った。
鎧の下から現れたのは、その細く長い外観からは想像もできないほど、小柄で華奢な身体だった。
「え……?女?」
思わず声が漏れる。
そこに立っていたのは、銀髪の少女のような姿だった。
長くまっすぐな髪が、背中へと流れている。
同じく銀の瞳が、静かにこちらを見ていた。
だが――
それは人間ではない。
そう断じてしまえるだけの“何か”があった。
呼吸の気配がない。
体温も、鼓動も感じられない。
ただそこに在るだけで、空気が歪む。
見えない圧が、じわりと少年の全身にのしかかる。
言葉にできない違和感が、確かにそこにあった。
その何かは、胸元と腰元をわずかに覆う布だけを纏い、白く硬質に感じる肌のほとんどを月明かりの下に晒していた。
生身でありながら、生き物の温もりは感じられない。
むしろ――
無機質な、刃物に近い気配。
少年は目を見開く。
「なんか……まるで剣みたいなやつだな……」
その言葉に応じるように、少女のような何かが静かに腰を落とす。
右手を横へと上げる。
無駄のない、ただ“斬る”ためだけの構え。
そして――
その手のひらから、ゆっくりと何かが現れる。
皮膚を押し上げるように、あるいは最初からそこに在ったものが姿を現すかのように。
まっすぐに突き出されたそれは――
鋼鉄の刃。
一本の剣が、その手のひらから生えていた。
剣の少女が構えたまま、ぴたりと動きを止める。
一切の揺らぎもなく、ただそこに在る。
――動かない。
ややあって、少年が小さく息を吐いた。
「なるほど……そういうことか」
少女に対峙するように、両手を前に出し、腰を落とす。
視線を外さず、構える。
「剛力!2倍だ!カレン!」
再び、身体の奥から力が溢れ出す。
筋肉が膨れ、地面を踏みしめる足に重みが乗る。
そして、右足と右腕を大きく後ろへ引き絞る。
溜める。
極限まで。
それに呼応するように、少女も同じ動きを取った。
右手と右足を、静かに後ろへ引く。
寸分違わぬ構え。
二人の姿はまるで――
放たれる直前の弓矢のように、張り詰めていた。
最初に動いた方が負ける。
少年の直感が、はっきりとそう告げていた。
張り詰めた緊張。
剛力に削られていく体力。
全身が、軋むように悲鳴を上げている。
長くは持たない。
だが――兆しを見誤るわけにもいかない。
一瞬の遅れも、早まりも、死に直結する。
息を潜め、視線を絡めたまま、互いに動かない。
それでも、確かに削られていく。
精神が。
肉体が。
限界まで酷使される中――
静かな冷戦は、すでに始まっていた。
その張り詰めた空気が、ふいに破られた。
分厚い雲に隠れていた満月が姿を現す。
差し込んだ月明かりが、一瞬だけ少年の目を刺した。
わずかに、眉が寄る。
――その瞬間。
少女は、すでに動いていた。
予備動作も、兆しもない。
ただ結果だけがそこにあったかのように、右手の剣が突き出される。
一直線。
最速で、最短で、命を奪うための突き。
狙いは、首。
避ける――間に合わない。
受ける――それも間に合わない。
(ヤバイ)
思考が追いつく前に、身体が動く。
少年は――
開いた口で。
歯で。
その剣の切先を、噛み締めて止めた。
骨を削るような衝撃が、頭蓋へと響いた。
「ふんぬぬぬぬっ……!」
歯を食いしばる。
ほんのわずかでも力を緩めれば、そのまま頭を貫かれる。
引かれたとしても、次はもう避けられない。
意地でも、この刃は離せない。
少年は右腕を振り上げる。
狙いは、剣の腹。
上から、肘を叩き落とす。
ぶつかる直前――
咥えていた刃を、離す。
「鬼の剛力、5倍!!」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、力を跳ね上げる。
踏み込む。
そのまま――
銀髪、銀瞳の少女の顔へと、拳を叩き込む。
だが。
届く、その直前で。
拳が、止まった。
――いや。
止めた。
自らの意志で。
そのまま拳を引き、反動のまま後方へと大きく倒れ込む。
地面に背を打ちつける。
息が漏れる。
肩で、大きく呼吸を繰り返す。
全身から、力と体力が抜け落ちていく。
意識が遠のきかける中で。
少年は、立ったままの少女を見上げていた。
右手から剣を生やしたまま、ただこちらを見下ろしている。
表情はない。
感情も、読み取れない。
それでも――
どこか、不思議そうに見えた。
そう感じたのは、気のせいかもしれないが。
少年は、搾り出すように言葉を吐いた。
まるで自分に言い訳するかのように。
「殴れ……ねぇよ……女の顔だけは……さ」
視界が揺れる。
それでも、少女から目を逸らさない。
銀の瞳は、何も映していないかのように静かに開かれたまま、少年を見下ろしている。
「とくに……お前みたいな、かわいい顔されちゃ……なおさらさぁ……」
途切れ途切れの声。
その瞬間――
少女の瞳が、ほんのわずかに光を帯びたように見えた。
だが、それが本当に起きたことなのか、少年にはもう確かめる術はない。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
視界が暗く閉じていく中で。
最後に映ったのは、ただこちらを見下ろす銀の瞳だった。
そして――
そのまま、少年の意識は途切れた。




