決着の時は今ー
ベルの身体が時折小刻みに震え、力が抜けていく感覚に襲われる。
血の流れが止まらず、痛みが全身を貫く。そろそろ限界が近い――そんな予感が胸を締め付けた。
「こいつは……殺さなきゃ、止まらないのか……」
低く、震える声で呟くベル。目の前のブリジットは、依然として狂気の笑みを浮かべ、止まる気配を微塵も見せない。
金色の瞳が鋭く光り、血にまみれた拳が握りしめられる。前に進む力を振り絞り、ベルは痛みに耐えながらも、一歩ずつ、決して後ろには引かない。
港の夜風が鋼鉄の臭いを含んで唸る。
ベルの右目が金色に輝き、右肩から下半身にかけて異形の鬼の力が脈打つ。血まみれの体は傷だらけだが、その表情に迷いはない。
「お前は……もう終わりだ!」
ベルは低く唸るように言い、足を踏み出す。その瞬間、ブリジットの全身から蜘蛛の足のように伸びた歪な鋼鉄の刃が、一斉にベルへ向かって蠢き、甲板を切り裂く。
「ははっ..,ははははははっ...まだだ....まだ終わらない」
ブリジットは狂気に満ちた笑みを浮かべ、右目の魔装義肢を光らせる。次々と光線が放たれ、さらに影の触手がベルを絡め取ろうと伸びる。アカリの光術による遠距離の光弾も加わる。
だがベルは怯まない。斜めに身体をよじり、鋼鉄の刃を蹴散らし、触手を肉体で押し返す。光線が肩や胸を貫き、火花と焼ける匂いが漂う。
「くっ……マジでしつけぇ...」
ベルの声に怒りが混ざり、右足が甲板を蹴るたび、周囲の木材が粉砕される。半鬼化した下半身の膨張した筋肉が、全力の踏み込みを支える。
ブリジットは咆哮し、全身の刃をより鋭く、より素早く蠢かせる。影の触手はベルを絡めようとし、光線は全方位に飛ぶ。
「まだまだ……もっと、愛し合おう.壊し合おう……!」
狂気に溺れた声を上げるブリジット。だがベルは微動だにせず、血まみれの拳を握り直す。左目は見えなくとも、右目は金色の光で冷徹に輝く。
「…おらああっ!」
ベルは叫びと共に、半鬼化した力で前へ前へと進む。生身の体を痛めつけられても、刃や触手を受け止めながらも、前進をやめない。
ブリジットの鋼鉄の刃がベルの肩を打つ。跳ね返る火花、轟音。
「く……!」
ベルは呻くが、その勢いを緩めず、右手でブリジットの右肩を掴む。
「あぁぁぁぁぁっ...その顔...素敵だぁ...またイキそうだぁ……」
ブリジットの声は狂気と興奮で震える。痙攣が激しくなる。
ベルは力を込め、半鬼化の下半身で踏ん張る。
ブリジットの笑みは歪で、涙と涎が混じり、小刻みに震えている。
「いい……いいぃぃっ!もっと……はぁぁぁぁだぁっ」
全身の刃、影の触手、アカリの光術……それでもベルは止まらない。前進する力だけで、狂気の女将軍を押し返す。
ベルの右腕が、半鬼化した筋肉ごと漆黒の力を帯びて振り上げられる。金色に光る右目が、彼の決意を映し出す。傷だらけの体は血で赤く染まり、だがその姿勢は揺るがない。
「……さよならだ」
振り下ろされる腕には、怒りと意志が込められていた。鋼鉄の蜘蛛のように這い回るブリジットの背中の無数の刃も、触手も、影も、すべてその力に押し潰される。甲板が悲鳴のように裂け、砕けた木片が飛び散る。
「うっ……あぁ……ああ……!」
ブリジットの身体は、まるで逆方向に引き伸ばされるかのように弧を描き、地面に叩きつけられた。目と口を見開き、狂気と快楽が入り混じった表情が暗い夜に浮かぶ。
「あぁ..ぁぁぁあぁぁぁ..,い...……」
その言葉を最期に、ブリジットはぐるりと白目を剥き、意識が飛び...そのまま、果てた。
その声は、港の波と風に溶けるように消え、静寂だけが残った。
ベルは血まみれの拳を握りしめたまま立ち尽くす。半鬼化の体はまだ震え、港の夜に冷たく金属的な余韻を残す。倒れた女将軍――ブリジットに視線を据え、彼の胸には取り返すべきものすべてへの想いが燃えていた。
ベルは両膝を甲板につき、左手を開いた。
その手のひらには、まだ金属の指が三本残っており、それぞれに指輪がはめられたままだった。
右腕の半鬼化した巨腕で、ベルは慎重に指先を握り、指輪を外していく。
「……待たせたな」
そしてベルはひとつずつ、自分の指に通していく。
カレン、アカリ、カタナ、そしてミカゲ――四つの姫神の指輪が、今、ベルの手に戻った。
ベルは指輪を自分の指に通し終えると、ほんのわずかに力が抜けた。
半鬼化した身体の異常な重量と筋肉の緊張が、一気に弛緩する。あるいは、安心した心が作ったほんの少しの油断か――ベルは指輪を通した手を掲げたまま、ゆっくりと後ろに倒れ込む。
甲板を揺るがすほどの巨体の落下音が、港の夜に響き渡った。波風と混ざる衝撃が金属の軋みを伴い、遠くにまで振動として伝わる。
倒れたベルの胸からは深い息が漏れ、半鬼化した異形の身体がわずかに震えている。だがその表情には、これまでの戦いの疲労とともに、姫神たちを取り戻した確かな安堵があった。
やがてー
ベルの耳に、低く這うような音が届く。目だけで視線を向けると、意識を失って倒れていたビビが、傷だらけの身体を引きずるようにして近づいてくる。
「ビビ……」
ビビは血で濡れた髪を震わせ、ふわりと微笑む。
「ベルくん……やった、ね〜」
ベルは片目を細め、息を整えながら答える。
「ビビ……ありがとう。この恩は必ず、返す」
ビビは首を左右に振り、柔らかく笑った。
「逆だよ〜。わたしが〜受けた恩を〜返したんだから〜「
「女の意地を、とらないで〜」
ベルは苦笑を漏らす。
「ははっ……ほんとお前も……いい女だよ」
ビビはベルに近づくと、そのまま倒れ込むように胸に抱きつく。ベルは片方の目で彼女を見下ろしながら、そっと腕で支えた。
「……大丈夫かよ?」
「平気〜平気だから〜。ご褒美もらうね〜」
血だらけの手でベルの頬を包み、唇を重ねるビビ。ベルは咄嗟に避けようとするが、その唇は離れず、しっかりと捕まえられた。
そのまま、二人の間に静かな時間が流れる。
ビビが唇をそっと離し、くすくすと笑った。
「ふぅ〜、いいもんもらった〜」
ニカリと笑うその表情に、ベルは思わず口ごもる。
「お……おまえぇ……」
ビビは軽く肩をすくめて、にこやかに続ける。
「いいじゃん〜。がんばったんだから〜。ベルくんも、ほんとはうれしいくせに〜」
ベルはケッと小さく呟き、目を逸らす。
そしてー、ベルの体から黒い煙のようなもやがゆっくりと立ち上り、半鬼化した筋肉が次第に力を失っていく。
身体の異常な膨張も少しずつ収まり、熱と張りのあった筋肉がゆるやかにしぼみ、人間のサイズへと戻っていく。
ビビがベルの、徐々に元の大きさに戻っていく右腕を、ペチペチと叩きながら、いたずらっぽく笑った。
「ありゃりゃ〜、せっかくカチカチでパンパンだったのに〜、もったいな〜い」
腕を叩く指先の感触を楽しむように、さらに笑う。
「この身体で〜してみたかったな〜」
ベルは思わず苦笑いを漏らす。
「何をだよ」
やがてベルの身体は、異形の半鬼の力を失い、人間のサイズへと戻った。
左目は重く閉じられ、左肩には大きくえぐれた穴が開き、全身は火傷と傷だらけ。血が滲む傷口もいくつも残っている。
咳き込み、喉の奥から血を吐くベルを、ビビはそっと見守った。
「ベルくん……」
その声に、かすかに微笑むようにベルは答える。
「大丈夫だ……なんとか……」
荒い息の合間に、彼の瞳にはまだ戦いの熱が微かに残っていた。
咳き込むベルの背中を、ビビがそっとさすりながら、にこやかに囁く。
「大丈夫〜?またちゅーしてあげる〜?」
「……やめろ、マジで苦しいんだ」
そんな二人のやり取りを、どこからか冷ややかに見つめる影があった。
「心配してきてみりゃー、なーにいちゃついてやがんだコラ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには十字架を肩に担ぎ、下着姿にシスター帽という、明らかにイカれた格好をしたミーファが立っていた。
ベルは思わず顔をしかめる。
「ね、姉ちゃん……なんだそのカッコ」
ミーファは肩をすくめ、舌を出すように答えた。
「あんだよ?姉ちゃんで盛るなよ?」
ベルは目を細め、思わず呟く。
「いや、そんな絶壁に興味ね……べっ」
ミーファが鋭くベルの顎を蹴り上げる。ベルの顔が跳ね、血がにじむ。慌てたビビが手を叩きながら叫んだ。
「え〜、めっちゃ血でたよ〜」
ミーファは笑いながら追撃する。
「昔、嬉しそうに姉ちゃんの胸揉んでたクソガキは誰だよ!?」
「む、昔の話だろ!」
ベルが反論すると、ビビが肩をすくめつつも冗談めかして言う。
「あー、おっぱい好きだもんねー」
ビビが両手でその豊かな胸を支えるように突き出し、
「さわっていいよ〜?」
「え?マジで?」
その直後、ミーファがためらうことなく踵落としをベルの頭に落とす。
「ぐはぁっ……」
ベルはそのまま意識を失い、甲板に倒れ込んだ。
そのまま、ベルの意識は飛んだ。




